茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

リモージュ焼ってこんなの

リモージュ焼は、フランスリムーザン地域圏のリモージュと、
その周辺で生産される磁器の総称だそうです。

白色薄手の素地に釉を、
その上に「落着いた上絵」を描いたものが特色みたいです。

19世紀後半から、素焼きに絵付けをして焼くのではなく、
白い生地に絵付けしてからさらに焼き付けるという手法が行われたのだとか。

ただ、骨董品としては、
初期に使われた花をモチーフとした装飾と、
「微妙に黄色がかった素地」を特徴とした作品の方が価値が高いようです。


■リモージュ焼の歴史
16世紀、中国からヨーロッパに磁器がもたらされたそうです。
当時、磁器製造には原料としての「カオリン」と、
磁器製造の技術が必要だということまでは、わかっていたようです。

18世紀初頭、ドイツのマイセン近郊でカオリンの地層が発見され、
磁器製造に成功するみたいです。

ドイツに磁器製造を独占されたままでは経済的に不利なため、
磁器の材料を探すということはフランス国内でも必須の状況となったようです。

1736年、リモージュに製陶所を設立するのだとか。

1768年、サンティリエ・ラ・ペルシュでジャン・バティスト・ダルネという人が、
白い粘土が発見したそうです。
ダルネの妻はこれを「麻の手入れによい石鹸」として使用したみたいです。

紆余曲折を経て、ボルドーの薬剤師マルク・イレー・ビラリスの手に渡り、
この「石鹸」の鑑定が行われたのだとか。
その結果、この粘土が実は磁器製造に必要な「カオリン」であると確認されたようです。

1771年、カオリンの発見を受け、マシエとフルネラの二人が、
リモージュで最初の硬磁器を作成したそうです。

1774年、リモージュの製陶所は、アルトワ伯爵の保護を受け
「アルトワ伯爵製陶所」となったようです。
ただ、レパートリーが豊富ではなく、次第に経営は行き詰まるとか。

1784年、フランス政府に買収されセーブルの一部門となるそうです。
以後、「アルトワ伯爵製陶所」は、「リモージュ王立製陶所」とも呼ばれたみたいです。
セーブルから派遣された装飾師により、リモージュの装飾は多様性を持つようです。

1788年、それでも「リモージュ王立製陶所」の経営はうまくいかず、
また、フランス革命の影響で贅沢品とみなされた磁器の製造が禁止されるなどしたため、
フランス政府(セーブル)から、民間へ売却されたそうです。

一方、18世紀、サンティリエ・ラ・ペルシュに、
セイニー伯爵によって設立された「セイニー伯爵製陶所」があったようです。

1789年、「アルトワ伯爵製陶所」に在籍していた、エティエンヌ・ベニョルが、
この「セイニー伯爵製陶所」を引き継ぎ、「ベニョル製陶所」としたそうです。
1802年、パリの芸術産業展示会に作品を出展し、高評価を受けたみたいです。

1788年、「アルトワ伯爵製陶所」の経営を引き継ぎ、1792年まで所長だった
フランソワ・アリュオー(父)と同名のアリュオー(息子)は、
当初「微妙に黄色がかった素地」を特色としたリモージュ磁器の、
「白さ」を発展させたそうです。
また、金属酸化物を用いた独特の絵付け手法により、茶色の新色も編み出したのだとか。

1842年、ニューヨークから来たダビド・アビランドは、リモージュ滞在中、
幾つものサンプルをニューヨークの親族に送り、
リモージュ磁器をアメリカに紹介したそうです。
これが後のアメリカへの「膨大な」輸出への呼び水となり、
販路が大いに拡大することになるみたいです。

1862年、アビランドは、2人の息子とともに「アビランド製陶所」を設立したそうです。
当時、流行っていた「ジャポニズム」もリモージュ磁器に取り入れたとか。

少し戻って、1851年、ロンドンにおいて開催された最初の国際万国博覧会にも、
多くのリモージュの窯が、作品を出品し、好評を得たようです。
特に「プイヤ製陶所」の出品した作品は極めて美しく質の高い白の傑作と評されたとか。

1878年、パリ万国博覧会に出品された「グラン・ド・リ(1粒の米)」という作品には、
「リモージュ琺瑯(エマイユ)」という技法が用いられたのだとか。

20世紀前半、「はめ込み技術」という技法が編み出される。
「アール・デコ」が流行すると、それも取り入れるようです。

現在、パリやセーヴルよりも、
リモージュこそがフランス磁器の中心地という意見や、
パリのレストランではリモージュ磁器の食器が、
多く使われているという評価もあるのだとか。


■リモージュ焼の年表
15世紀 グリザイユ技法を用いた色彩豊かな作品を製作。
16世紀 中国からヨーロッパに磁器がもたらされる。
18世紀初頭 マイセン近郊でカオリンの地層発見。
1736年 リモージュに製陶所(アルトワ伯爵製陶所)を設立。
1768年 サンティリエ・ラ・ペルシュでカオリンが発見される。
1771年 マシエとフルネラが、リモージュで硬磁器を作成。
1774年 リモージュの製陶所がアルトワ伯爵製陶所へと改名。
1784年 アルトワ伯爵製陶所をフランス政府が買収(リモージュ王立製陶所)。
1788年 アルトワ伯爵製陶所、民間へ。
 フランソワ・アリュオーが経営を引き継ぐ。以降、1792年まで所長を務める。
1789年 セイニー伯爵製陶所をエティエンヌ・ベニョルが引き継ぎ
 ベニョル製陶所へと改名。
1798年 アリュオー製陶所をフランソワ・アリュオー親子が設立。
1802年 ベニョル製陶所が、パリの芸術産業展示会に作品を出展。
1842年 ダビド・アビランドが、リモージュからニューヨークへサンプルを送る。
19世紀中頃 リュオー製陶所を設立。
1851年 ロンドンで国際万国博覧会開催。
1862年 アビランドが、2人の息子とともにアビランド製陶所を設立。
1892年 ダビドの次男テオドールがテオドール・アビランド製陶所を設立。
1878年 パリ万国博覧会「グラン・ド・リ」出品。
20世紀前半 はめ込み技術という技法が編み出される。
1941年 ウィリアムが分離したアビランド製陶所を買い戻す。


■各製陶所の紹介
○アルトワ伯爵製陶所
 1736年設立、当初は大衆向けの陶器を製造していたそうです。
 一時はセーブル王立製陶所の支店となるも、
 以降は私企業として健在とか。

○セイニー伯爵製陶所
 18世紀、セイニー伯爵によってサンティリエ・ラ・ペルシュ
 に設立されたようです。

○ベニョル製陶所
 「セイニー伯爵製陶所」のことだそうです。
 ろくろ工だったエティエンヌ・ベニョルにより引き継がれ
 ベニョル製陶所となったようです。
 息子の代で製陶所は手放すこととなったとか。

○アリュオー製陶所
 1798年、フランソワ・アリュオー親子が設立したそうです。
 鉱物学者だった息子が編み出した磁器の白色は定評があったようです。
 1816年、ヴィエンヌ川沿いに新しい工場を設立したみたいです。
 アリュオー(息子)の死後しばらくして、
 アメリカ人に買い取られるのだとか。

○プイヤ製陶所
 1835年、カオリンの採掘所を経営していた
 フランソワ・プイヤが設立したそうです。
 自前で採掘所を持っている強みから最高の素材を使用できたため、
 その白に定評があったようです。
 石炭焼上げ技法と透かし装飾も特徴だとか。

○リュオー製陶所
 19世紀中頃に設立したそうです。
 石炭焼上げ技法と、本焼にコバルトを使用した青色が特徴だとか。

○アビランド製陶所
 1864年、ダビド・アビランドとその2人の息子により設立したそうです。
 ジャポニズムの影響を受けた装飾の導入や、アメリカへの輸出拡大と、
 地元への貢献も評価されるとか。

○テオドール・アビランド製陶所
 1892年、アビランド製陶所から分離して、
 ダビドの次男テオドールにより設立されたそうです。
 兄シャルル・エドゥワールの独裁的なやり方に反発してのことみたいです。
 1903年には彼の息子、ウィリアムも参加したのだとか。
 
 ウィリアムは装飾に有名アーティストを登用し、新風を呼び込み、
 作風が、1912年を境に大きく変化するみたいです。
 
 1941年、ウィリアムは分離したアビランド製陶所の商標を買い取り、
 統合を果たしたようです。

以下に、リモージュ焼の製陶所を表にしてみました。
製陶所名設立備考
アルトワ伯爵製陶所1736年 フランス政府リモージュの製陶所
リモージュ王立製陶所(セーブル王立製陶所支店)
ベニョル製陶所18世紀 セイニー伯爵セイニー伯爵製陶所
パリの芸術産業展示会で作品が高評価
アリュオー製陶所1798年 フランソワ・アリュオー親子リモージュ磁器の「白さ」を発展させた
プイヤ製陶所1835年 フランソワ・プイヤロンドン国際万国博覧会で「白の傑作」と評される
リュオー製陶所19世紀中頃コバルトを使用した青色が特徴
アビランド製陶所1864年、ダビド・アビランド親子テオドール・アビランド製陶所
ジャポニズムを取り入れる


■リモージュ焼の特徴(技法など)
焼成は摂氏1400-1450度で、上絵の焼付けは同950-1000度で行われるとか。
製造方法はイギリス、スタッフォードシャーのボーンチャイナと
「非常によく似ている」とされるようです。

○ジャポニズム(ジャポニスム)
 ヨーロッパで見られた日本趣味のことで、
 フランスを中心としたヨーロッパでの潮流があったそうです。
 19世紀中頃の万国博覧会へ出品などをきっかけに、
 日本美術が注目され、西洋の作家たちに大きな影響を与えたのだとか。

○リモージュ琺瑯(エマイユ)
 リモージュで制作された琺瑯製品のことだそうです。
 特に「オープス・ドゥ・リモージア」や
 「レイボール・リモージェ」は有名なのだとか。
 
 リモージュは大規模なシャンルヴェ製作で有名になり、
 15世紀より「グリザイユ技法」を用いた色彩豊かな作品を製作したようです。
 
 また「シャンルヴェ技法」による銘板やシャッセ、聖骨箱が、
 次第に大量生産されるようになり教会や貴族も入手可能にできたそうです。

 後にパリのバスタイユ技法による琺瑯製品が市場を席巻したのだとか。

○グリザイユ技法
 グリザイユは、モノクロームで描かれた絵画のことだそうです。
 装飾では、レリーフの中にものを描くために用いられるようです。
 色は一般に灰色か茶色が使われるみたいですが、
 少しだけ他の色がつくこともあるのだとか。

○シャンルヴェ技法
 土台の金属を彫りこんで、
 できたくぼみをエナメルで埋めて装飾する技法だそうです。

 初期の頃は、輪郭線の部分をライン状に彫りこんでいたのだとか。

 技術の発達につれて、逆に、面になる部分を彫りこんでエナメルで装飾し、
 彫り残した金属部分を輪郭線とするようになったようです。

○バスタイユ技法
 エナメルの半透性を生かし、
 土台の金属に刻まれた彫刻模様を見せる技法だそうです。
 金属に施された彫刻が主眼となるので、使用されるエナメルは単色だとか。

○擬クーフィー様式
 アラビア文字のクーフィー体の直線的、
 幾何学的文様を参考にして成立した中世ルネサンス期の様式だそうです。
 リモージュ琺瑯の装飾様式で、
 アキテーヌ地域圏で長期間にわたって見られたのだとか。

○アール・ヌーヴォー
 花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる、
 従来の様式に囚われない装飾性や、
 鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴だそうです。

 19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した、
 国際的な美術運動だとか。



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