茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

ラスター焼ってこんなの

ラスター焼は、白地に金色の彩画を施したペルシャ陶器のことで、
ラスターとは、落ち着いた輝きという意味だそうです。
技法(ラスター彩)は消滅して「幻の古陶」と言われたみたいです。

その後、六代加藤卓男が世界で初めて、当時の技法を復活させるようです。


■ラスター焼(ラスター彩の技法)の歴史
ラスター焼の誕生は、9世紀頃のメソポタミアだそうで、
10世紀のペルシャで盛んに作られたのだとか。

次いでエジプトに伝えられてファーティマ朝下で発達し、
王朝滅亡後はイランに伝播したようです。

元々、8世紀のアッバース朝で、
イスラーム教における宗教に基づく法体系「シャリーア」により、
金銀器の製造・使用が禁じられたそうです。
そこで、当時の人々は、陶器で金属感を出そうとして、
「ラスター焼」を作りだしたようです。

最初期のラスター彩は多色で、
人や動物の形を全く取らないものであったみたいです。
10世紀頃から、ようやく単色で具象的なものへと変化していったそうです。

具象的なものというは、ケルアン市の大モスクにあるミフラーブを
基にしているそうです。

ミフラーブというのは、モスクのキブラ壁
(カアバの方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された、
窪み状の設備のことだそうで、
極端な話、ミフラーブがあればそれでモスクとなるようです。

「ラスター焼」は、13世紀のモンゴル帝国(大蒙古国)の侵入を境に、
しだいに衰退していくみたいです。

当初、モンゴル帝国は、イスラム科学の栄えた大都市を
徹底的に破壊し尽くしたと、言われていたようです。
近年では、書物を図書館などに収蔵させるなど、
「破壊者モンゴル」というレッテルは無くなりつつあるそうです。

17世紀、衰退の一途をたどった「ラスター焼」は、
完全に消滅し「幻の陶器」と言われているようです。

19世紀、金属絵具による酸化焼成によるラスター彩が、
作られるようになったみたいです。
ただ、ペルシャラスターとは、全く異なる光沢だったのだとか。

20世紀、六代 加藤卓男により、世界初のラスター彩の復元に成功するようです。


■ペルシャラスター彩とは
ペルシャラスターは金を使わずに金色に光らせる錬金術で、
エジプト・ペルシャの、ガラスや陶器に使われた還元焼成による技法のようです。
そのため、一般に言われる「ラスター彩は金彩」という認識は間違いだそうです。

ラスターは、光輝くと言う英語の「Lustre」から来ているようで、
米語では「Luster」と書き、イタリア語では「ルストロ」と言うのだとか。

その製法は、秘法で文書で残さず、代々受け継がたようです。

ラスターの効果は、「ラスター現象」と呼ばれるそうで、
表面に金属又は金属酸化物粒子の、非常に薄い層を作れば良いみたいです。


■ラスター焼の作り方
貴金属の樹脂酸塩を、釉の上に掛け、
金属の有機化合物の薄い油溶液や、エーテルの溶液を、
本焼き焼成した、釉の上に掛け、600〜700℃で、焼成するそうです。

白ラスターをベースに各色のラスターを作るようです。

白ラスターの材料は、
松脂:26.1%、 硝酸ビスマス結晶:8.7%、 ラベンダー油:65.2%
だそうです。

以下、白ラスターの作り方です。
 @松脂を、サンド・バス(砂浴)の上で溶かし、硝酸ビスマスを少しずつ加え、撹拌。
 Aラベンダー油、34.8%を、徐々に加える。(混合物は褐色になる。)
 B自然冷却後に、ラベンダー油の、残り30.4%を加える。
 C不溶性物質が完全に沈殿したら、空気中にさらし、濃縮させる。

その他のラスターは、以下のような分量みたいです。
 ・青色ラスター:水金に、重量比4倍の、白ラスターを加える。
 ・褐色ラスター:ニッケル・ラスターや、コバルト・ラスターを使う。
 ・緑色ラスター:水金、カドムウム・ラスター、白ラスターを、適当な割合で混ぜる。
 ・橙色ラスター:鉛ラスターと、クロム・ラスターの混合する。
 ・紫色ラスター:水金に、5倍の白ラスターを加える。


■六代 加藤卓男
古代ペルシア陶器の斬新な色彩や独創的な造形、釉調に魅力を感じ、
西アジアでの長年の発掘研究を経て、
滅び去った幻の名陶ラスター彩の復元するそうです。

彼は、青釉・三彩・ペルシア色絵など、
高い芸術性を持つ異民族の文化と日本文化との融合に成功するのだとか。

他方、昭和55年に宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元制作を委嘱され、
約9年の研究の末「三彩鼓胴」「二彩鉢」を納入したようです。

1917年 五代加藤幸兵衛の長男として生まれる。
1961年 フィンランド工芸美術学校修了。
1963年 第6回日展で特選北斗賞受賞。
1973年 イラン・パーレヴィ王立大学付属アジア研究所留学
 およびペルシア古陶発掘調査に参加。
1980年 宮内庁より正倉院三彩の復元制作を委嘱される。
1983年 岐阜県重要無形文化財に認定される。
1986年 トルコ・トプカプ宮殿美術館にて個展。
1988年 紫綬褒章受章。
1992年 伊勢神宮の御神宝「陶猿頭形御硯」を制作。
1995年 国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
1996年 岐阜県名誉県民の称号を受ける。
2005年 死去。



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