茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

マジョリカ焼ってこんなの

「マジョリカ焼」は、広義にとると「ファイアンス焼」そのもので、
「ファイアンス焼」というのは、
古代エジプトの「ファイアンス焼」に始まり、
オランダの「デルフト焼」、メキシコの「タラベラ焼」、
フランスの「サン・ポルシエール焼」など、
ちょっと際限なくなりそうです。

そこで、本ホームページでは「マジョリカ焼」を、
主にイタリアの錫釉陶器で、ルネサンス期に発祥したもの
「イタリア製ファイアンス焼がマジョリカ焼」として
説明しようと思います。

マジョリカ焼は、白地に鮮やかな彩色を施し、
歴史上の光景や伝説的光景を描いたものが多いのだとか。

ルネサンス期に「マジョリカ」といえばラスター彩を意味したそうです。
その後ラスター彩かどうかに関わらず、
イタリア産の錫釉陶器全般を指すようになったみたいです。

窯には大量の木材が必要とされ、周辺地域の森林伐採が進んだのだとか。


■名前の由来
マジョリカの名は、バレンシア地方からイタリアにムーア人様式の
陶器を輸出する際の中継点だった「マヨルカ島」から来ているそうで、
中世イタリア語のようです。

また「マラガから輸入された食器」が語源とする説もあるそうです。

マジョリカ焼は、以下のような呼称もあるみたいです。
マヨリカ焼・マヨルカ焼・マリョルカ焼・マジョルカ焼

スペインがメキシコを征服すると、メキシコでも生産されるようになり、
当初はセビリア産の陶器を真似て作ったそうです。
メキシコ産マジョリカ焼は特に「タラベラ焼」というのだとか。


■マジョリカ焼の歴史
マジョリカ焼に端を発した15世紀の陶芸は、
ファイアンス焼と総称されるそうです。

古くは、紀元前4000年の古代エジプトやインダス文明で見られる、
釉薬を使った陶製のビーズが「ファイアンス焼」とする説もあるとか。

マジョリカ焼の名はマヨルカ島に由来しているそうですが、
ここは、中世スペインのアラゴン王国から、
イタリアへの錫釉陶器輸出の経由地だったみたいです。
当初、マジョリカ焼の多くは、ムーア人が生産していたそうです。

つまり、マジョリカ焼は、
イスラム圏→スペイン→シチリア島への中継点(マヨリカ島)→イタリア
といった感じで伝わったようです。

ちなみに、ムーア人というのは、
北西アフリカのイスラム教教徒の呼称みたいです。
「ムーア」というのは、ローマ時代に北西アフリカの住民を、
マウハリムと呼んだことに由来するのだとか。

イタリアでも14世紀ごろから錫釉陶器(マジョリカ焼)が生産され始め、
15世紀末から16世紀初頭にピークを迎えるようです。

それまでの鉛釉陶器様式を特に「プロト・マヨリカ」と呼ぶそうです。
陶器の彩色はマンガンの紫と銅の緑ぐらいしかなかったものが、
14世紀後半には、
コバルトの青・アンチモンの黄色・酸化鉄のオレンジ色が加わるそうです。

16世紀後半に、ファイアンス焼の一種であるデルフト焼が、イギリスにも伝わり、
薬屋で薬を保管する壷などを作ったそうです。

13世紀以前 ムーア人がアンダルスに錫釉陶器の技法をもたらし、
 この地で金属釉の技法が完成する。
13世紀後半 イタリア中部(特にフィレンツェ)で錫釉陶器の生産が盛んとなる。
14世紀頃 錫釉陶器が生産され始める。
15世紀 イタリアのマジョリカ焼が完成度の面で頂点に達する。
 フィレンツェの陶器に触発され、
 アレッツォやシエーナでも独特な陶器を生産するようになる。
 オルヴィエートとデルータで、マジョリカ焼の生産が始まる。
15世紀初頭 ロマーニャが、マジョリカ焼の生産拠点となる。
15世紀中頃 ファエンツァが生産の中心地となる。
15世紀後半 フィレンツェ近辺の森林を伐採しつくす。
 周辺の小さな町に生産拠点が分散する。
1490年 モンテルーポ・フィオレンティーノの23人の陶工の親方が、
 その年の生産物をフィレンツェのアンティノーリ(ワイン業者)に、
 売ることに合意した。
16世紀初頭 ファイアンス焼の一種であるデルフト焼(オランダ)の生産が始まる。
16世紀 ウルバーニア・ウルビーノ・グッビオ・ペーザロでも
 マジョリカ焼が作られるようになる。
 イタリアの各都市は減税や市民権の付与や保護貿易政策などを打ち出し、
 陶器製造業の育成に努め始める。
 名のある陶工も何人か登場する。
16世紀後半 イギリスにデルフト焼が伝わる。
17世紀 サヴォーナが生産の中心地となる。
1661年 ドイツのハーナウに、オランダ人がファイアンス焼を定着させる。
1662年 ドイツのホイゼンシュタムに、オランダ人がファイアンス焼を伝える。
18世紀 マジョリカ焼は廃れ、より安価な陶磁器が主流となる。

現在、デルータやモンテルーポなどでは、今もマジョリカ焼を生産しているそうで、
世界的に販売しているみたいです。
錫より安価なジルコンを釉薬を使っているため、
現代のマジョリカ焼はかつてのものとは見た目が若干異なるようです。
中には昔ながらの錫釉を使っている窯元もあるとか。


■マジョリカ焼の特徴
釉薬の原料は砂・ワインのおり・鉛・錫などですが、
マジョリカ焼と言えば、錫釉陶器でしょう。
ということで、ここでは主に「錫釉陶器」の説明をしようと思います。

錫釉は不透明で真っ白な表面を生み出しすようで、
その上に絵付けしたときに鮮やかに映えるのだとか。
錫釉薬を全体に施して、火にかける前に金属酸化物などで絵を描くみたいです。

釉薬が顔料を吸収し、鮮やかな発色を保つことができるそうです。
ただ、間違っても後から修正できないみたいです。

光沢を増すには、低温での火入れに時間をかける必要があるそうで、
窯には大量の木材が必要となり、
陶芸が盛んになるに従って、森林伐採が進んだのだとか。

ズグラッフィートと呼ばれる技法も生まれたそうです。
これは、白い錫釉をかけた後にそれを引っかいて、
その下の粘土が見える部分を作り模様などを描いたもののようです。

ルネサンス期に「マジョリカ」といえばラスター彩を意味したみたいです。
その後は、ラスター彩かどうかに関わらず、
イタリア産の錫釉陶器全般を指すようになったみたいです。

ラスター彩は、焼成した白い錫の鉛釉の上に、
銅や銀などの酸化物で文様を描いて、低火度還元焔焼成でだそうで、
金彩に似た輝きをもつのだとか。
9世紀〜14世紀のイスラム陶器の一種のようです。
「ラスター」というのは、落ち着いた輝きという意味なのだとか。

中国建窯の、曜変・油滴・禾目などの天目茶碗は、
このラスター彩の影響を受けて作られ、
ラスター現象が見られるみたいです。


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