茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

マイセン焼ってこんなの

マイセンはドイツ・マイセン地方で生産される西洋白磁のことで、
ヨーロッパで初めて磁器製造に成功したブランド名だそうです。

ということで「マイセン焼」という言い方は少々語弊があるかもしれませんが、
他の焼物と同一に扱うという意味で、ここではあえて「マイセン焼」としました。


■マイセンの歴史
ザクセン公国のアウグスト強健王が、
錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、
白磁を作るように命じたのが始まりのようです。

エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの助けを借りたベドガーは、
1709年にザクセン・フォークラント地方の、
アウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功するそうです。

ベドガーは、当時試みた白い卵の殻のようなきめの細かい、
白い物質を混ぜたものを粘土に練りこむ製法を使わず、
それまでヨーロッパの炉で焼かれていたより、
もっと高い温度(1350℃〜1400℃)で粘土を焼いたようです。
これにより、泥の成分を溶かし、新しい物質へと変化させたのだとか。
この製法は以後100年間、
当時のヨーロッパの他地域では見られない大発見だったみたいです。

1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、
硬質磁器製造の独占権が与えられるみたいです。

初期のマイセンのデザインは、
中国の五彩磁器や日本の伊万里焼の影響を受けていたそうです。

1720年にウィーンから招かれた絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルトらによって、
ヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になるようです。

ヘロルトは磁器の絵の具を作ることに成功し、
当時ヨーロッパで流行していたシノワズリ(東洋趣味)の文様や
西洋的風景を多彩に描いたのだとか。

当初、アウグスト王の趣味で、重厚なバロック調(大作の彫刻)だったものが、
アウグスト王死去後、ケンドラーによって、ロココ調へと転換するようです。
このころから、磁器人形(マイセン人形)のような小物の製作も
手がけるようになるみたいです。

1764年には工場私設の芸術学校が創設され、
4年間の訓練・実習と専門課程が設けられているみたいです。
1865年に作られた国立マイセン磁器製作所では、
この芸術学校の卒業生が大勢働いたのだとか。

1705年 アウグスト王がベドガーに東洋の磁器を作るよう命じる。
1708年 ベドガーが磁器に近いものを作り上げる。
 チルンハウス死去。
1709年 白磁製法を解明する。
1710年 ヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生する。
 「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」との布告が出る。
 エルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移転する。
1717年 染付磁器の焼成に成功する。
1719年 ベドガー死去。
 アウグスト王がドレスデンの「日本宮殿」要に古伊万里などを特別注文する。
1720年 ヘロルトがマイセンに招かれる。
1722年 アウグスト王の紋章である「交差した二本の剣(双剣)」を、
 マイセンの窯印として使うことが許される。
1723年 「双剣」というマイセンのトレードマークを用い始める。
1724年 ヘロルトが宮廷御用達の絵付師に任命される。
1727年 彫刻家キルヒナーが主任型師となる。
1731年 ケンドラーが成型師として招かれる。
1730年代 絵付師ヨハン・クリーガーにより「ドイツの華」が描かれる。
1733年 アウグスト王、死去。
1736年 ケンドラーにより、バロック調からロココ調へと転換する。
 マイセン人形の製作が始まる。
1739年 クレッチマーにより「ブルーオニオン」が完成する。
1745年 プロイセン戦争に敗れ、大量の磁器が略奪される。
1764年 マイセン工場私設の芸術学校が創設される。
 フランスの彫刻家アシエが成型師となる。
1860年代 「ブルーオニオン」を意匠登録する。
1865年 アルブレヒト城から、現在のトリービッシュタールへ工場を移転する。
 ペーターとライニッケにより「猿の楽団」が完成する。
1875年 窯印「双剣」が国内外で登録商標をとる。
1946年 第二次大戦後、旧ソ連が「マイセン」を有限会社の一部として管理する。
1950年 「マイセン」が旧ソ連からドイツに返還され、
 国立マイセン磁器製作所として発足する。


■マイセンの代表作「ブルーオニオン」
「ブルーオニオン」は、1739年にマイセンの J.D.クレッチマーが、
下絵付用の青色の着色材を発明し、
中国のザクロ文様をデザインした絵付けを発表したことに始まるそうです。

ザクロはスペインを除くヨーロッパではまだ知名度が低かったため、
ザクロを知らないドイツの人々により、
ザクロの絵柄を「青いたまねぎ」と間違えたことからその呼び名がついたのだとか。

デザインは縁起のよいザクロ・竹などがモチーフになっていて、
現在世界中に 五十種類のブルーオニオンが存在するみたいです。
ザクロは、種子が多いことから豊穣や子宝に恵まれる吉木とされるようです。

1860年代に意匠登録されたのですが、
19世紀末の財政危機の際に使用権が売却されたため、
現在ではマイセンの他、フッチェンロイターやデュビでも生産されるそうです。


■その他の代表作
「ドイツの華」
ドイツで自生する草花を題材とする染付食器シリーズで、
1730年代に絵付師のヨハン・クリーガーによって初めて描かれたそうです。

「インドの華」・「柿右衛門」
シノワズリ(東洋趣味)の図案による染付食器シリーズで、
柿右衛門窯の図案を写したもののようです。
柿右衛門は、乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという、
柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立したもの。
これは、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、
非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴なのだとか。

「ドラゴン」
シノワズリ(東洋趣味)の図案による染付食器シリーズで、
景徳鎮窯などから輸出された食器などに使用されていた、
龍の図案の写したもののようです。

「猿の楽団」
初期のマイセン窯を代表する原型師(モデラー)で、
原型師のペーター・ライニッケの二名によって、
1765年に創作された一連の人形シリーズのようです。
猿がオーケストラの楽団員に扮する、寓意に満ちた造形で知られるのだとか。


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