茶道具 翔雲堂
ひと口知識
※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。
唐三彩ってこんなの
唐三彩は、主に唐代の陶器で、釉薬の色のことだそうです。
後に唐代の彩陶(上絵を施した陶器)を総称する語になったようです。
「クリーム色」「緑」「白」または、
「緑」「赤褐色」「藍」の三色の組み合わせが
主としていることから三彩と言うのだとか。
唐三彩は、主に埋葬品として使用されたみたいです。
清末の頃、欧米人によってその価値を認められ、
多くは欧米のコレクターによって所蔵されているそうです。
■唐代の釉薬
唐代の陶器の釉薬の色は非常に多く、
クリーム色・赤褐色・薄緑・深緑・藍色・紫などがあるそうです。
釉薬の色が互いに浸透し、年代が経つことにより、
顔料の色が微妙に変化し、新たな色を作るみたいです。
現在、河南省洛陽市孟津県の南石山村には、
「唐三彩の模倣品」を作る工房が70軒以上もあるそうです。
釉薬は各工房に「男子だけに受け継がれる」という、
門外不出の秘伝の配合があるのだとか。
最後の仕上げは本当に土の中に埋め、
ひたすら寝かせるという工程だとか。
土のよしあしも出来上がりを左右するそうで、
最適なのは本物の古代の墓の土みたいです。
ただ、この一帯(南石山村)には至る所に古代の墓があるため、
「良い土」には困らないみたいです。
完成までに費やされる時間は数カ月から数年で、
時々は水をまき、1000年もの間にあったと思われる、
「大干ばつ」や「大洪水」の状況を再現するそうです。
そして、最後にわざと一部を壊して完成するのだとか。
■唐三彩の焼成方法
唐三彩の技法は純白の胎土、
あるいは白化粧白胎の選択が重要な成因になっているようです。
唐三彩の原型は、六朝末期の北斉時代(6世紀後半)に、
華北の地で作られていたみたいです。
隋時代〜初唐時代の7世紀中葉には透明釉を工夫し、
色釉に「ぼかし」と「にじみ」をつけた釉法が試みられたそうです。
盛唐の則天武后の治世に、釉技は完成するようです。
初期の唐三彩は、白い胎土に透明釉をかけ、
さらに緑釉をたらし込んで「白釉緑彩」として登場したのだとか。
唐三彩は二回にわたって焼かれるそうです。
一回目に白色の粘土で器物の原型を作り、
窯の中で1000〜1100度で素焼きにされるようです。
二回目は、冷却の後、器物を取り出し、
各種の釉薬をかけ、再び窯の中で850〜950度で焼かれるみたいです。
炎色反応を用いて色を付けることから、
釉薬には銅(緑)・鉄(赤褐色)・マンガン(紫色)・
コバルト(藍色)・アンチモン(クリーム色)を用いるそうで、
助燃剤として鉛やアルミニウムを用いるのだとか。
■唐三彩の形状
唐三彩の形状の代表的なものは、
人物、動物、器物の三種だそうです。
人物:天子、文官、武将、貴婦人、男の子、下女、芸人、ペルシア人など。
動物:馬、ラクダ、牛、羊、ライオン、虎など。
器物:容器、文房具、お碗、壺、皿など。
形は当時の社会や風俗を表しているのだとか。
○初唐の国力が強盛であったことを示す。
⇒力強く瀟洒な様子である天子の像や武将の像
⇒肥えた馬やラクダの像
○当時の女性はふくよかであることが美しいとされたことを示す。
⇒顔がややふっくらとして、体が豊満な女性の像
■盛唐三彩と晩唐三彩
唐三彩は、大きく二種類に分かれるそうです。
「盛唐三彩」:盛唐三彩をささえたのは貴族。
「晩唐三彩」:市民層および海外輸出が支えた。
ここで言う海外とは、13世紀から15世紀半ばころにかけて
シルクロードを通り伝来した、
シリア・キプロス・イタリア・日本・東アジアなどでしょうか。
唐三彩は、それらの国の陶芸品に多大な影響を与えたようです。
■奈良三彩
720年代、唐三彩に魅せられた日本人が、
官営の工房で三彩作りに挑戦したなごりがあるそうで、
完成したのが「奈良三彩」だということです。
唐三彩と違い、素地が白くなく、
唐三彩では作られていない、
金属の器を真似た形が多いなどの特徴があるとか。
特に日本では、蓋付の薬壺(やっこ)を好んだそうです。
薬壺は、東大寺正倉院にこの形の須恵器壺があるようで、
薬が入っているのでこの名があるみたいです。
正倉院には三彩と一緒に作り方を書いた、
マニュアルが納められているとか。
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