作品名:茶歌舞伎盆セット
備考:紙箱入 |
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茶歌舞伎盆は茶カブキ用の長盆で、
上に小棗5つを並べるそうです。 小棗2つには、試み茶を入れ、 棗の表に茶師名を胡粉(ごふん)で書くようです。 本茶用の3つには、蓋裏に試み茶に使う二種類の茶師名を書き、 もう一つには伏せ茶の「客」と書き、 それぞれ同量の濃茶をはくのだとか。 手前に試み茶、向こうに本茶の小棗を並べるそうです。 胡粉で書く茶師名は、竹田(初昔)、上林(後昔)が一般的みたいですが、 実際に使用する茶師を書くのが正式みたいです。 また、一度胡粉で書いた茶師名は、基本的に消さないそうで、 消えないように、既に、竹田・上林と書かれている小棗もあるようです。 ■茶師 茶師は、元来茶の生産・製造を業とする者を言うそうで、 その名称は、『日本産業史大系』によれば室町時代頃からあったみたいです。 江戸時代に茶師というと、宇治の御用茶師を指したようで、 その筆頭が上林家だったようです。 上林家は、当初、赤井と称していたそうですが、 丹波国上林郷に歴世居住していたため、上林姓を称するようになったとか。 その後、上林久重のときに、宇治に移り茶師になったみたいです。 上林久重の長男・久茂は、森彦右衛門と共に、 茶師として秀吉に優遇されたようです。 その後、江戸初期に入ると、森彦家は没落、 上林久重の四男・政重が家康に仕えると、 いよいよ江戸幕府に取り立てられるようになったみたいです。 その後、上林両家(長男家と四男家)は、三仲間茶師といわれる 茶師集団の茶頭取となり、全体を統率していたようです。 三仲間茶師というのは、上から「御物茶師」「御袋茶師」「御通茶師」の三階層に分かれ、 例えば「御物茶師」は、幕府の朝廷進献茶、及び将軍家直用茶を受け持っていたようです。 また、この三仲間茶師以外に、非常時に備え 「御扣茶師」「平茶師」「下茶師」などもいたとか。 当時の上林家は、名字帯刀を許され、特権的町人の地位を持ち、 覆下茶園を作ることを許されたそうです。 更に、屋敷地が与えられ、茶詰に必要な袋紙なども幕府から支給、 一部の課役が免除されるなど、いろいろと優遇されたみたいです。 明治維新後、幕府や諸大名の保護がなくなり、大部分の茶師が廃業・転業、 『旧御茶師之名前』によれば、33人いた茶師も、 旧茶頭取は両家とも廃業、 旧御物茶師が、上林春松・上林平入・長井貞甫・上林三入の4人、 旧御袋茶師が、上林牛加・上林道雁・竹田紹且・竹田紹清の4人、 旧御通茶師が、西村了以・橋本玄可・菱木宗見・宮林有斎・森江惣左衛門の5人 の13人だけになり、その後もぞくぞくと廃業していったとか。 現在、宇治茶問屋の中で唯一茶師の系統をひくのは、 「上林春松家」だけになったようです。 ■ネイルアート 最近は、ネイルアート用に、胡粉ネイル(上羽絵惣)というものがあるそうで、 従来のマニキュアと違って、刺激臭がなく、通気性に優れ、 速乾性があり、非常に軽い塗り感なのだとか。 水溶性で、除光液の代わりに除菌に使う消毒用アルコールで、 落とすことができるようです。 |
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