茶道具 翔雲堂
ひと口知識
※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。
花寄せ屏風ってこんなの
花寄せ屏風は、利休忌や天然忌、七事式の花寄せなどで使用する花を飾る屏風で、
普通の屏風以外に、葭屏風や葦屏風などもあるそうです。
天然忌は、今日の家元制度の基を作り出し、表千家「中興の祖」の
七代家元如心斎天然宗左を偲んで、毎年9月13日行われる行事のようです。
■屏風の歴史
屏風は、「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来するそうで、
中国の漢時代には、すでに風よけの道具として存在していたようです。
魏・晋・南北朝時代には、王族の贅沢な装飾品へと変化していったみたいです。
日本における最も古い屏風は、686年に朝鮮半島の新羅より献上されたもので、
現存のものでは、八世紀に作られたもの「鳥毛立女屏風」が、
正倉院に保管されているそうです。
中世では輸出品として珍重され、外国への贈答品としても使われたようで、
遣明船の場合だと、必ず金屏風三双を送る習わしだったみたいです。
近世では安土桃山時代から江戸時代にかけ、
贅を尽くした金地のきらびやかな屏風がたくさん作られたそうです。
■屏風の構造
基本的な構造は、矩形の木枠の骨格に用紙または用布を貼ったもので、
この細長いパネルを一扇といい、向かって右から第一扇、第二扇と数えるそうです。
画面周囲には縁(ふち)がめぐらされて、
向かって右側の屏風を「右隻」、左側の屏風を「左隻」と呼ぶのだとか。
屏風の数え方(単位)は、一隻・一畳・一帖となるみたいです。
奈良・平安時代は一隻六扇(六曲)が一般的で、
各扇を革紐などでつなぎ、一扇ごとに縁をつけていたそうです。
鎌倉時代に紙製の蝶番が案出され、現在のように前後に開閉可能になったようです。
また、縁も二扇ごと、更に一隻全体にめぐらされる様になり、
屏風全体が一続きとなる大画面が実現するみたいです。
十四世紀前半代(鎌倉後半〜南北朝時代)に、
二隻(一双)を単位とした、六曲一双形式が定型となるそうです。
江戸時代に入ると二曲や八曲の屏風も出現するようです。
■屏風絵
古代から近世にかけて、唐絵や、日本画でも大和絵、水墨画、文人画など
多くの屏風絵が描かれたそうです。
そもそも屏風は、折った状態で鑑賞することを前提で制作されているそうで、
折ることで絵に立体感が生まれ、さらに正面から見るだけでなく、
左右に視点を変えることで絵に変化が生まれ、鑑賞者が様々に楽しめるように工夫されているのだとか。
安土桃山時代から江戸時代にかけて城郭には必ずといっていいほど屏風が置かれたようです。
この時代の有名な絵師として、狩野永徳らがいるみたいです。
日本画の屏風の場合、季節の変化をつけることが多く、
その場合は、向かって右から左へ季節が移り変わっていくそうです。
国宝や重要文化財も多く「松浦屏風」「彦根屏風」「山水(せんずい)屏風」「松林図屏風」
「檜図屏風」「書跡貼交屏」「燕子花(かきつばた)図」「源氏物語関屋澪標図屏風」
「風神雷神図」「雪松図屏風」
などがあるみたいです。