茶道具 翔雲堂
ひと口知識
※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。
挽溜ってこんなの
挽溜(ひきため)は、立ち上がりの浅い薬籠蓋になって、
上部に面をとった円筒形の塗物で、
臼で挽いた挽茶を貯えておくための容器だそうです。
古くは「大海」が用いられていたようですが、
利休が茶入に移すときに陶器どうしで損壊することを恐れて大茶桶一対を用い、
のち宗旦がその蓋表に
「極」の字を朱書きしてこれを濃茶用、
「詰」の字を朱書きしたものを薄茶用とし、
混同することを防いだといわれるそうです。
茶入の一つ「大海」は、本来は茶席には用いず、
茶臼でひいた抹茶を入れておく「挽溜」として水屋で使っていたみたいです。
侘び茶の流行で、次第に茶席で用いるようになったのだとか。
しかし、千利休の時代になるとあまり用いられなくなったようです
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「挽タメ 大一対 利休形千家所持は元伯書付極詰と表にあり、
蓋裏に判あり、如心斎写し数五十宗哲箱二つ入」
とあるそうです。
同じく、稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「ヒキ溜 昔は唐物大海を用ひたれとも土の物にては
茶入を損しやせんとて利休大茶桶一対に濃茶を貯ふ、
其後元伯極詰の字を甲に朱書の濃茶を分つ」
とあるようです。
近松茂矩著『茶湯古事談』に
「内海の茶入ハ昔ハ台子にはかされとも、
小座敷ヘハ出せし例ハなかりし名物の
なすひの肩衝にハ必内海を挽溜の用に一ツ宛添置しを、
利休か了簡に焼物に焼物かさはれハ危しとて、
塗物の面取を内海にかへ用ひし、
是を今の世に雪風といふとなん 」
とあるみたいです。
『茶器弁玉集』に
「大海は茄子茶入或肩衝茶入に一ツ宛添置之也、
茶磨より大海に茶をうつして後、
茄子或肩衝へ茶を入替と也、
然者大海は曳溜也、古より小座敷へ出たる法なし、
自然広間書院の台子には荘をくなり、
宗易作意にて大海を曳溜に用ては
焼物とやきものとあぶなき事とて曳溜にはふヾきを被用となり」
とあるようです。