茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

敷瓦(瓦板)ってこんなの

敷瓦は、表千家七世如心斎が、大徳寺寸松庵の花壇の瓦を貰い受けて、
鉄の丸釜風炉の下に敷き、与二郎作の大阿弥陀堂釜を取合せて、名残に用いたのが始めみたいです。

これを「寸松庵瓦」又は「寸松庵敷瓦」というようで、豊臣秀吉の小姓の佐久間将監が、
晩年大徳寺龍光院に設けた隠居所「寸松庵」の花壇の土留めに使うために作った
半分だけ緑釉が掛けられ、花壇に埋まる下部は土肌を残して、
最下部に倒れ防止の立上りをつけた織部焼の瓦だそうです。

敷瓦は、鉄風炉に用いる陶磁器製の板で、織部焼が主に用いられるようですが、
「楽焼」「志野焼」「信楽焼」「丹波焼」「備前焼」などのほか、
「古瓦」を用いる場合もあるみたいです。

このうち、楽焼の敷瓦は、如心斎が楽長入に命じ、
青楽で前一方に金の唐草を入れた四角の瓦を造らせたのが始めのようです。

さて、少し話がずれますが「敷瓦」というと、
平安時代末期の禅宗寺院に、中国の建築様式として見ることができるみたいです。

これは、瓦素地でつくった正方形の陶板(敷瓦)を四半敷き(張り)し、
壁に対して45度斜めに敷き並べる方法で仕上げたもののことだそうです。
有名な寺院では、京都の「建仁寺法堂」「東福寺法堂」「南禅寺法堂」などにあるとのこと。

鎌倉時代初期に始まった瓦色の敷瓦に続いて、
江戸時代初めには、瀬戸で製作された施釉陶板が床材として登場するそうです。
施釉陶板は、瀬戸にある禅宗の「定光寺」にあるみたいです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「瓦板 織部やき、大徳寺寸松庵園中佐久間氏おりべ焼瓦にて花壇を作る、
如心斎此瓦を申うけ鉄の丸釜フロに敷き、
与二郎作大阿弥陀堂カマを取合せ、フロの名残に用しが始り也、
土フロに用ても不苦、
楽は如心斎好、長入始て製す、
前一方金入唐草、鉄フロによろしからす、土フロ唐金に用ゆ」
とあるみたいです。

同じく稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「大板は勝手の方にて畳の目三つ、
マル板は五つ、小板の大九つ七つの内見合せ、
同小は九つ十一の内見合せ、瓦板は小板に同」
とあるそうです。

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