茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

和敬板ってこんなの

和敬板(わけいいた)とは、茶箱の蓋の上に載せる板のことだそうです。

茶箱の和敬点で使われ、和敬板の上で、お茶を点て、
茶箱の蓋の上には、棗・茶杓・茶筅・茶巾を載せておくようです。
和敬点の場合は、重茶碗であるため、
2回点てて、正客・次客にそれぞれ出すみたいです。

和敬板には、女桑(鎌倉彫・春慶塗など)・溜掻合・桐木地・黒掻合
などがあるようです。

なお、和敬点前は、裏千家十四代家元淡々斎碩叟が考案した茶箱点前だそうです。
他の点前と違って、二碗の茶碗を使い、
茶を客に出す際には古帛紗に載せず、
基本的に諸道具の拝見がないみたいです。

また、一碗目、二碗目いずれも、お仕舞の声を受けるかによって、
扱いが変わってくるそうです。

和敬点前は、卯の花点を改良した陣中点前に、
戦後、新たに工夫を加えて誕生したものみたいです。

陣中点前は、昭和18年に淡々斎と奈良薬師寺の橋本凝胤管長が、
海軍省に50個ほどの陣中茶箱を寄贈し、
卯の花点を改良し、考案したそうです。
利休形茶箱に、見込みに「慶溢万齢」と捺された、
美濃笠原焼の黄瀬戸茶碗の上に、
赤膚焼で富士山の絵が書かれた茶碗を重ね2碗としたみたいです。
艦艇内の卓椅子や、野外でできるように工夫された箱点前のようです。

そして、戦後に新しい工夫を加えて誕生したのが和敬点だそうです


作品名:和敬板 溜掻合(左側)
備考:紙箱入

和敬板 溜掻合(左側)
※画像を押すと拡大できます。
淡々斎が考案した和敬点前は、以下のような特徴があるみたいです。
 ・仕込みは卯の花に準じ、点前は雪を簡略化。
 ・茶碗は大小を入子にして二碗使用。
 ・帛紗が腰につくことはない。
 ・茶箱でありながら和敬点に限り茶碗は古帛紗にのせて出さない。
 ・拝見は省略するのが原則。

和敬点前でキーポイントとなっているのは、
 ・振出を扱った後の動作(総礼など)。
 ・茶筅&茶巾の扱い。
 ・茶杓の出し入れが最初と最後のみ。
の3点みたいです。


作品名:和敬板 桐木地(右側)
価格:各1,000円
備考:紙箱入

和敬板 桐木地(右側)
※画像を押すと拡大できます。
ここでは、和敬の「和」について説明しようかと思います。

まず「禾(のぎへん)」は、穀物(あわ・いね)の垂れ下がった様子を象った象形文字みたいです。
意味は「垂れる」「なよなよした」「稲の」稔(みの)りの」だそうです。
粟や稲の穂を「禾穂(カスイ)」、粟や稲の苗を「禾苗(カビョウ)」というとか。

「和」は、和(やわ)らぐ様子、和(なご)むを様子表す形声文字だそうです。
具体的には、
 禾(しなやか)+口(動作)=和
となり、稲の様にしなやかに、和らぐ様子となるみたいです。

ちなみに、「和」の草書体から、ひらがなの「わ」、
旁(つくり)からカタカナの「ワ」が出来たようです。


■以和爲貴
以和爲貴は、用和為貴とも書くようで、
聖徳太子が定めた「十七条憲法」の第一条にある言葉みたいです。

「和(わ)を以(もっ)て貴(とうと)しと為(な)す」
と読むそうです。

意味は、
仲よくすることが、最も大切であり、
人と人とが和合することの重要性をいう語みたいです。

『論語』の「和為貴」引用元のようです。

原文
 有子曰。
 禮之用和為貴。
 先王之道。斯為美。

書き下し文
 有子曰く、
 禮は之れ和を用て貴しと為し、
 先王の道、斯れを美と為す。

現代語訳・抄訳
 有若が言った。
 礼の要は和であり、先王の道は美なるものである。

「有若(ゆうじゃく)」というのは、春秋時代の魯の人だそうです。
字は子有。孔子の門弟で容貌が孔子に似ていたとされるとか。
『孔子家語』弟子解篇には「強識にして古道を好む」と記されているみたいです。

「禮(れい)」というのは、礼・節操・分限のことで、
人の根幹であり、自らの心より発する自発的規範のことだそうです。
また、朱子(中国宋代の儒学者)によれば、
「禮は天理の節文、人事の儀則なり。」としているみたいです。

「天理」というのは、程子(中国宋代の儒学者)が、
 天理は自然の理なり。
 之を為すこと莫くして為し、
 之を致すこと莫くして致すは、
 便ち是れ天理なり。
と、定義しているようです。


■和敬清寂
和敬清寂は、茶道の心得を示す標語で、
 「主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、
 茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすること。」
という意味だそうです。

特に千家ではこの標語を、千利休の定めた
「和」「敬」「清」「寂」を表す「四規」
として重要視しているみたいです。
ただ、利休と同時代の確かな資料には見られないことから、
学術的には利休の言葉としては認められていないようです。

「和敬清寂」という言葉を作ったのは、
大徳寺273世の大心義統(1657年〜1730年)ではないかという説もあるとか。



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