茶道具 翔雲堂

ちょこっと和歌

毎年(としのは)に 鮎し走らば 辟田川 鵜八つ潜(かづ)けて 川瀬尋ねむ (大伴家持 『万葉集』巻19−4158)


商品No.0003
読み:からかねえふごけんすい
作品名:唐金エフゴ建水
作者:一ノ瀬宗辰
売り切れ
備考:利休好
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大伴家持の長歌に、以下があるそうです。

―鵜潜(うつか)ふ歌一首、また短歌
 あら玉の 年ゆきかはり 
 春されば 花咲きにほふ あしひきの 山下響(とよ)み 
 落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川の瀬に 鮎子さ走り 
 島つ鳥 鵜養(うかひ)伴なへ 篝(かがり)さし なづさひ行けば 
 吾妹子(わぎもこ)が 形見がてらと 紅の 八入に染めて 
 おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ(4156)
反歌
 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等(あれ)かへり見む(4157)
 毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川鵜八つ潜(かづ)けて川瀬尋ねむ(4158)

一ノ瀬宗辰

初代 一ノ瀬宗辰
明治八年 初代一ノ瀬長太郎は鋳銅職として業を起こす。

二代目 一ノ瀬宗真
明治二十三年 二代目宗右衛門(宗真)は、
滋賀県能登川町の「亀文堂」波多野正平氏(現在京都の畑象六氏の本家)の隠れ職人となる。
日英同盟博覧会に出品し最高の金賞受賞。
また万国博・商工展・文展・帝展等においても幾多の特賞及び大賞を受賞。
名工として高く評価されたが、
高岡銅器の振興のため子弟の養成や指導にも尽力し、今日の基礎をつくった。

三代目 一ノ瀬宗辰
三代辰男(宗辰)は、先代宗真の秘技そのまま受け継ぐ。
特に京都で茶道を習い、京銅器・茶器・花器等の金工と着色の粋を学び厳しく修行。
日本美術茶器・花器振興展に出品し、昭和三十八年と四十八年の二回文部大臣賞を受け受賞。

四代目 一ノ瀬宗辰
四代新太郎(宗辰)は先代宗辰を襲名し、
先祖代々の秘技を受け継ぎ、そのうえ古美術、茶道具を収集研鑽。
現在富山県作家協会会員、高岡市美術作家連盟会員、高岡市美術友の会理事として活躍中。


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