茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

建水ってこんなの

建水は最も格の低い道具として、
点前の際は勝手付に置かれ客からは見えにくいところで使われ、
会記でも最後尾の一段下げたところに記されているそうです。

古くは「みずこぼし」といい、
水翻、水覆、水建、水下などと書いているとか。
「こぼし」ともいうそうです。

金属類(真鍮・唐銅・砂張・南鐐・毛織:モール・七宝・鍍金とか) 、
陶磁器(伊賀・信楽・丹波・備前とか)、竹木製なんかで出来ているみたいです。

唐物や南蛮物は雑器の転用が多く、
曲物は紹鴎が勝手用に使ったのを利休が席に持ち込んだといわれ、
面桶(めんつう)ともいい、木地のままのものが正式なものとされるとか。

特に定まった形はないそうなのですが、
一応「建水七種」という名称で分類されているようです。
大脇差
(おおわきざし)
利休 所持の黄瀬戸。一重口の筒形のものだとか。
「大脇指」とも書くみたいです。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「利休所持大脇差は黄瀬戸 紀州公御所持」
「利休所持さしかへは捻貫也 加州公御所持」
とあるそうです。

『千家茶事不白斎聞書』に
「水こぼし利休銘大脇指、黄瀬戸百会茶に出る名物也、
楽焼に写」
とあるようです。

藤村庸軒著『茶道望月集』に
「楽焼に利休の大脇指とて、
真録にツヽ立て、ひとへ口にて、ロクロメ有建水、
長次郎に始て好にて器にして焼かせたると也、
本歌は黒楽と也、
小形成を小脇指とて用るは後世の事也、
名は黒楽にてロクロメあれば、
脇指の割さやに似たる故の名ぞと也」
とあるみたいです。

差替 大脇差の小版で、 利休 所持の楽焼。
一重口の筒形で捻貫(ねじぬき)だとか。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「利休所持さしかへは捻貫也 加州公御所持」
とあるようです。

棒の先 円筒形で底にやや丸みがあって、
駕籠とかの担い棒の先端につける金具
みたいに見えるところから名前が来ているとか。
『茶器名物図彙』に
「昔より俗説に唐玄宗皇帝之乗輿の先き之かなものといへり、
大中小ありて大中ハ水さしに用ゆ、
小ハ水翻に用ゆ」
とあるそうです。

藤村庸軒著『茶道望月集』に
「棒の先きといふ物有。名物も有と云。
碁笥の大さにて、高三寸五分、或は四寸程にして、
真録にツツ立タル物也。
棒の先に似たる故と云。
又底の角にメンの取たるも有。
唐物にてはなしと也」
とあるみたいです。
唐金棒の先建水
唐金棒の先建水
槍鞘(やりのさや) 寄せ口の円筒形で、
蓋置は吹貫のものを柄杓の柄に刺通して持ち出すとか。
唐金槍鞘建水
唐金槍鞘建水(一ノ瀬宗辰)
箪瓢(たんぴょう) 上が大きく下が小さく膨らんだ形のもので、
茶入・水指・釜にも同じ形があるとか。

餌畚(えふご) 袋形で上部が開いた形で、
鷹匠がもつ鷹の餌入れに形状が似ているとか。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「エフゴ 鳥獣の餌を入るヽ籠の形なり」
とあるみたいです。
唐金エフゴ建水(一ノ瀬宗辰)
唐金エフゴ建水
唐金エフゴ建水
唐金エフゴ建水(大野芳光)
鉄盥(かなだらい) 口が広く浅くて背の低いもの。

同じ形状のバラエティ番組で登場する金ダライは市販されているとか。



また「建水七種」以外に、以下の二種があるようです。
鉄鉢(てっぱつ) 托鉢用の器で、口辺が垂直あるいはやや内側に締まって抱え口となり、
底には高台がなくて丸くなった形だとか。
寺島良安著『和漢三才図会』に
「鉢即鉄鉢也、浮屠毎用乞施、有投米者、則発鉢受之」
とあるようです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「鉢子 すなはち鉄はつなり」
とあるそうです。

面桶(めんつう) 薄い板材を曲げて底をつけた曲げ物の建水だとか。
形は銭湯の風呂桶に似ているような気がします。

久保利世著『長闇堂記』に
「一 つるへの水さし、めんつうの水こほし、青竹のふたおき、
紹鴎、或時、風呂あかりに、
そのあかりやにて、数寄をせられし時、
初てこの作意有となん」
とあるようです。

『源流茶話』に
「古へこぼしハ合子、骨吐、
南蛮かめのふたのたぐひにて求めがたき故に、
紹鴎、侘のたすけに面通を物すかれ候、
面通、いにしへハ木具のあしらひにて、
茶湯一会のもてなしばかりに用ひなかされ候へハ、
内へ竹輪を入れ、組縁にひさくを掛出され候、
惣、茶たて終りて、面通の内へ竹輪を打入られ候は、
竹輪を重て用ひ間敷の仕かたにて、客を馳走の風情に候」
とあるみたいです。

『茶湯古事談』に
「面桶のこほしハ巡礼か腰に付し
飯入より心付て紹鴎か茶屋に竹輪にふた置と取合せて置れしを、
利休か作意にて竹輪も面桶も小座敷へ出しそめしとなん」
とあるそうです。
溜一閑塗切箱ちらし曲建水
曲建水
春慶塗曲建水


読み:からかねえふごけんすい
作品名:唐金エフゴ建水
作者:一ノ瀬宗辰
備考:利休好

唐金エフゴ建水
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唐金(唐銅)は、青銅のことで、材料は銅・錫・鉛・ニッケル・亜鉛などだとか。
青銅色というと彩度の低い緑色になるのですが、実際の青銅は、添加する錫の量で
「オリンピックの銅メダル」「日本の十円硬貨」や「黄金色」になったりもするらしいです。

一ノ瀬宗辰は金工師。
金工の製造工程は、以下のようになるみたいです。
モデル(原型):製品寸法より大きくする「縮みしろ」を計算して鋳造品用の原型を作る。
鋳造(鋳金):鋳型の空洞部に金属類を流し込んで凝固させ「鋳物」を作る。
鍛金(打ち物):打ち延ばしたり、縮めたりして製品を作る。
金属を塊から打ち伸ばす「鍛造」と金属板を加工する「鍛金」があるとか。
仕上げ:金属研磨・彫金・溶接などで求める表面を作る。
伝統的着色(古代色):酸化処理や硫化処理をして完成。


作品名:溜一閑塗切箱ちらし曲建水
作者:鈴木表朔
備考:桐箱入

溜一閑塗切箱ちらし曲建水
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曲物(まげもの)は、檜・杉などの薄く削り取った材を円形に曲げ、
合せ目を樺・桜の皮などで綴じて作った容器のことだそうです。

ここでは、曲物の作り方を説明しようと思います。
1.側板の作成 節のない、目の詰んだ木曽ヒノキを材料として選定し、薄板を挽きます。
2.キメかき 側板は、曲げてから約5cm〜6cmののりしろで重ね合わせて閉じますが、
そのまま閉じると合わせ目の厚みが倍になってしまうため、
この段階で合わせ目をそれぞれ斜めに削り、厚くならないようにしておきます。
3.側板を煮る 特製のトタン容器にお湯をはり、キメをかいた側板を入れます。
板が浮かないように上から板とおもりでしっかりとお湯に沈め、
約80度のお湯で40分間煮ます。
4.曲げ 側板をお湯から出し、「ほた」という道具に板をはめて、一気に曲げます。
この曲げ作業で曲物の形が決定します。
大きさの違う「ほた」を使い分けて身と蓋の側板を曲げていきます。
5.乾燥 曲げた板は「ほた」からはずし、木ばさみで挟んで「くち」で留めます。
「木ばさみ」と「くち」で合わせ目を固定して一昼夜かけて乾燥させます。
6.閉じ 合わせ目を糊付けして閉じます。
糊が乾いたら桜の皮で縫います。
最初に「木さし」という道具を使って、桜の皮が通る穴を空けていきます。
桜の皮は道具で鞣し、薄くしてから細長く切って使います。
木さしで空けた穴に一つ一つ手作業で桜の皮を通し、縫っていきます。
7.蓋板・底板をはめる 完成した側板の縁に糊を付け、楕円に切った板をはめます。
板は目の詰んだ木曽サワラを選んで、既定の厚さに仕上げて使います。
8.仕上げ〜白木地完成 面取りカンナとペーパーを使って面を仕上げてできあがりです。
爪などで木地を傷つけないように気をつけて仕上げていきます。
これで木地はできあがりです。
9.漆塗り〜製品完成 白木地に漆を塗ります。
木に刷毛を使って漆を擦り込むように塗ることから「すり漆」仕上げと言われます。
木によって艶のでないものは余分に塗って仕上げます。
「漆を塗って、漆が乾いたらペーパーで面を研いで拭き取る」
という作業を4回繰り返してやっとできあがりです。

鈴木表朔は京都の代表的な塗師で、表派(ひょうは)という塗師の系統にあるそうです。
表派初代の木村表斎(1817〜1885)は、朱塗・真塗を得意とし、
現代に続く京塗の伝統を形作ってきたとのこと。

三代目鈴木表朔(当代)の鈴木雅也氏は、
表派の技術を引き継ぎながら製作を通して、
漆塗の新たな可能性を追求されているようです。


作品名:曲建水
備考:紙箱入

曲建水
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曲建水は、面桶(めんつう)ともいうそうで、
久保利世著『長闇堂記』に
「一 つるへの水さし、めんつうの水こほし、青竹のふたおき、
紹鴎、或時、風呂あかりに、
そのあかりやにて、数寄をせられし時、
初てこの作意有となん」

藪内竹心著『源流茶話』に、
「昔、建水は合子(ごうし)・骨吐(ほねはき)・南蛮甕蓋のたぐいで求め難いため、
紹鴎は侘びの助けに、面桶を考案された。」
とあり、武野紹鴎が茶席に持ち込んだとあるようです。

さらに『源流茶話』の建水に関して、
「面桶は、昔は木地のままでつくられていて、
茶会一回限りで使い捨てられていていました。
点前をするときは、面桶・蓋置はともに新しいものを組み合わせ、
面桶の中に竹蓋置を仕組み、その縁に柄杓を掛けて持ち出しました。
そして、茶を点て終わった後は、面桶の中へ竹の蓋置を落としました。
それには、釜の蓋を直にのせる竹の蓋置を再度用いないという
清浄を尊ぶ意味が込められており、
客をもてなす気持ちを表しています。」
とあるようです。

藪内竹心は『目さまし草』で、
「建水は下水を入れるもので、
その中に蓋置を入れて持ち出すことは極めて不浄なこと」
としたのも、上記の
「清浄を尊んで、客をもてなす」
という気持ちを持っていたということなのでしょうね。


作品名:唐津建水
作者:井上東也
備考:高さ10.5cm/口径14cm/木箱入

唐津建水
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唐津の種類は、以下のようなものがあるそうです。
絵唐津 器に鬼板と呼ばれる鉄溶液を使って花鳥・草木といった意匠を描き込んで、
灰色釉など透明な釉薬を流し込み、焼成したもの。
土色の器肌と単純でありながら伸びやかな意匠が相俟って、独特のわびしさを生み出す。
朝鮮唐津 李氏朝鮮の陶工から伝わった伝統的なスタイル。
黒色を付ける鉄釉を上から流し、白色を付ける藁灰釉を下から掛けたもので、
二つを交わらせて風景を表すもの。
上下逆の物もある。
斑唐津(まだらがらつ) 長石に藁灰を混ぜて焼成する事で、
粘土に含まれる鉄分が青や黒などの斑になったもの。
独特のざんぐりとした風合いは茶器に好まれる。
三島唐津 朝鮮の陶器、三島手の技法を受け継ぎ、
日本風にアレンジしたもの。
象嵌の一種で、器が生乾きのうちに雲鶴や印花紋などの紋様を施し、
化粧土を塗って、仕上げ作業を施し、
その上に長石釉、木炭釉を掛けて焼成したもの。
粉引(こびき)唐津 褐色の粘土を使用、生乾きのうちに化粧土を全面に掛け、
乾燥させた後に釉薬を掛けたもの。
奥高麗(おくごうらい) 高麗茶碗の井戸、呉器、熊川風の造形の茶碗で、
通常、無地である。和物茶碗として極めて評価が高い。
瀬戸唐津 白色釉(ゆう)の明るい調子や素地(きじ)が、
瀬戸に近いところからの名。
青唐津 釉の木灰や胎土中の鉄分が還元炎焼成で青色を帯びたもの。
黄唐津 木灰釉や灰釉を素地にかけ、酸化炎焼成。
酸化炎で黄みを帯びたもの。
彫唐津(ほりがらつ) 水引成形後、障っても変形しないでもてるようになった状態、
又は生乾きの状態の時に竹べら、かな等で文様を刻んだもの。
刷毛目唐津 化粧土を泥漿状態にして筆や刷毛に含ませ、器物の表面に塗ったもの。
櫛目唐津 褐色の陶土に化粧土を刷毛で塗り、
櫛目を使って文様を表した後に、長石釉や木灰釉を掛け焼成したもの
蛇蝎(じゃかつ)唐津 黒釉の上に失透性釉や長石釉をかけて焼成したもので、
長石釉の下から鉄釉が出て溶け合い、
釉肌が蛇やトカゲの肌に似ているところからの名称
二彩唐津 緑色銅釉と茶褐色の鉄飴釉で松文などが描かれた。
産地としては武雄系唐津古窯などが知られている。
現在はあまり作られていない。
無地唐津 文様のない、土灰釉や長石釉をかけただけのもの。
絵粉引 粉引唐津に絵付けしたもの。
黒唐津 素地に鉄釉(黒飴釉又は飴釉)や灰釉を施釉し、焼成。
鉄分で釉薬が黒色を呈したもの。
備前唐津 釉薬をかけないで作成したもの。
打ち刷毛目 化粧土を泥漿状態にして筆や刷毛に含ませ、
器物の表面に打ち付けるように塗ったもの。
化粧土の濃淡の微妙な変化が生素地とのコントラストにより、
リズミカルな文様となる。



ここでは、ちょっと話題を変えて「中里太郎右衛門」について説明しようと思います。

唐津焼の陶工で、江戸初期に作陶を始めた中里又七を祖とし、
唐津焼御茶碗窯(おちゃわんがま)を継承する中里家は、歴代作陶に従事した家系だとか。
初代朝鮮半島から渡来し、1615年ごろ椎の峯(伊万里市)に移り,唐津藩(佐賀県)の御用陶工となる。
四代唐津坊主町(唐津市)に御用窯を築く。
五代1734年藩命により坊主町から唐人町(唐津市)に移って御茶碗窯を開き、
唐津藩御茶碗師頭取を勤める。
1871年の廃藩置県まで藩の御用を勤めたのち民窯として茶陶の伝統を受け継ぐ。
十二代桃山時代の古唐津の復興に力を尽くし、雅陶唐津焼をよみがえらせた。
叩(たた)き技法による独自の唐津焼を生み出した。
1976年重要無形文化財「唐津焼」保持者に認定。
十三代古唐津陶技の復原に携わるなかで、土器、せっき、磁器の制作も手がけた。
1992年佐賀県重要無形文化財認定。
十四代2002年十四代を襲名。


作品名:唐金エフゴ建水
備考:紙箱入

唐金エフゴ建水
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エフゴは、鷹匠が持ち歩く餌袋のことで、
このエフゴに似た形をしているところからこの名があるのだそうです。
(エは「餌」、フゴは「竹冠」に「羅」)

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に、
「エフゴ 鳥獣の餌を入るヽ籠の形なり」
とあるそうです。

また、軒尓全著『茶具備討集』には、
「エフゴ、漁人の具、竹を以って組む、
口開き、頸細く、
腹大にて円き者、佳士之を篠(あじか)と謂う、
野人は之をフゴと謂う也」
とあるそうです。


作品名:建水(備前焼)
作者:木村陶峰
寸法:高さ8.5cm/口径14.5cm
備考:桐箱入

建水(備前焼)
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建水は、水指などと同様、
台子道具の一つとして本来は唐銅だったそうです。

珠光の頃から「行の茶」が、
紹鴎の頃から「草の茶」が起こるようになると、
草庵の茶にふさわしい、南蛮・備前・信楽などの焼物が登用され、
運びとか置付けて使用されるようになるみたいです。


■南蛮の建水
まず登場するのが南蛮の建水だとか。

村田珠光が南蛮瓶の蓋の名物を所持したそうで、
当時すでに南蛮は珍重され、今日に至るも、
縄簾・横縄・瓶の蓋などに愛玩されているようです。

その中で「南蛮ハンネラ」は、
素焼きに煙がかりの景色・袋形・〆切などの形・横目紋などの
意匠があるみたいです。

元々、水汲み用具だったもので、底が不安定なのが、
水が入るにしたがって座りがよくなるなど、
工夫がこらされているのだとか。


■備前の建水
稲垣休叟著『茶道筌蹄』には、建水について、
備前・信楽・伊賀・丹波・瀬戸の五つを挙げているそうです。
これらの筆頭が備前の建水みたいです。

ねっとりとした田土の味わい、
焦げ・胡麻・饅頭抜けなどの景色、
形や総体も面白く、侘びの感も格別なのだとか。

特に白土に現れた備前火襷などは貴重視されているようです。


■火襷建水(備前)
畠山美術館蔵の火襷(ひだすき)建水は、
小壺の転用のものだそうです。
(※通常は、香炉や大徳利の再利用物)

緋色がよく出た美作で、鮮やかな建水であるだけに
客の衆目を集めると思われるとか。

火襷建水の寸法は、
高さ13.7cm、口径13.6cm、底径10.7cmだそうです。

箱蓋表に
「備前 建水 緋堂寿起」
とあるようです。

伝来は、
藤田家→畠山即翁→畠山美術館
なのだとか。


作品名:オランダ建水
作者:鳳山
備考:紙箱入

オランダ建水
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オランダ皆具などの「オランダ」は、
純粋に「オランダ」と調べても「デルフト焼かな」
といったことしかわかりませんでした。

そこで、勝手に考察した結果、
「マイセン陶で開発された中国風の陶器に、伊万里風の絵柄をつけた、
オランダで作られた陶器(デルフト陶器)のこと」
ではないかと考えました。

少なくとも江戸時代以降に、
「マイセン+最初の和蘭陀=オランダ製の陶磁器」
そして、
「お茶+オランダ製の陶磁器=オランダ皆具」
となっていったのではないかと。

デルフトに関する詳細
と、
マイセンに関する詳細
はそれぞれ、別途記載しています。


作品名:唐金槍鞘建水
備考:紙箱入

唐金槍鞘建水
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槍鞘建水は、槍の先にかぶせてある鞘の形だそうで、
唐金槍鞘は、利休好だそうです。

「今日庵伝来模」として浄益作の唐金槍鞘建水は、
口造りがむっくりと抱いて内側によせ、
二線の沈筋をめぐらせてあるようです。

槍鞘建水は、蓋置は吹貫のものを用い、
柄杓の柄に蓋を刺通して持ち出すそうです。


■駅鈴蓋置(駅路蓋置)
吹貫の蓋置としては、駅鈴蓋置(えきれいふたおき)があるようです。

円形の中央を丸く抜いた環状を横に割った形で、
間に玉を入れた蓋置だそうです。
振るとカラカラと音がするのだとか。

駅鈴は、律令制で官命によって旅行する者に、
中央官庁と地方国衙から下付した鈴のことだそうです。

駅馬の供与を受ける資格を証明し、駅使はこの鈴を鳴らして旅行したのだとか。
この駅路鈴から転じて馬につける環状の鈴のことも駅鈴というようです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「禅鞠 坐禅に頭にのせる具也、形丸し、平なるは駅鈴なり」
とあるみたいです。


作品名:萩糸目建水
作者:十二代 田原陶兵衛
価格:25,000円
備考:桐箱入/中古品

萩糸目建水
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萩焼は、桃山時代の1604年、萩藩主毛利輝元の命で、
朝鮮人陶工の李勺光(山村家、坂倉家)・李敬(坂家)の兄弟が、
城下で御用窯を築いたのが始まりだそうです。

当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似ていて、手法も形状も同じものを用いていたようです。
坂家の三代までを古萩といい、萩焼の黄金時代だとか。

明治期に一時苦境に立たされ、その時に休雪が休雪白という独特の作風を確立するなどして、
萩焼を中興しているようです。
また、十二代坂倉新兵衛は萩焼を全国に広め不振衰退から救い、中興の祖と呼ばれているとか。

萩焼の技術は、1957年に文化財保護法に基づく選択無形文化財に選択されたようです。

1970年には三輪休和(十代三輪休雪)、
1983年には三輪壽雪(十一代三輪休雪)がそれぞれ人間国宝に認定されたみたいです。
2002年1月には経済産業省指定伝統的工芸品の指定を受けたとか。


■十二代 田原 陶兵衛
毛利輝元によって萩藩御用焼物所が開窯された後、
李勺光の子、山村新兵瑛光政の高弟、蔵崎五郎左衛門、赤川助左衛門の一統が、
藩の許しを得て、深川三之瀬の地に移り窯を築くそうです。

1866年、八代赤川喜代蔵の時に、
嫡男謙治が赤川性から田原姓に改姓し、
九代目田原陶兵衛(謙治)となるようです。

大正14年、十代陶兵衛の二男として山口県で生まれたそうです。
長兄の十一代田原陶兵衛に後継者がいなかった為、
家業陶芸を継承し、父(十代)や兄(十一代)に陶芸を学ぶみたいです。
1956年、兄の死去により十二代を襲名するとか。

十二代田原陶兵衛は、独自の高麗朝鮮陶器の研究、
茶道への造詣を深め茶陶中心に発表したそうです。


作品名:唐金口糸目建水(淡々斎好)
作者:一ノ瀬宗辰
価格:25,000円
備考:木箱入

唐金口糸目建水
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口糸目は、裏千家九代石翁宗室(不見斎)が、楽焼として好んだものを、
裏千家十四代碩叟宗室(淡々斎)が再好みしたものだそうです。

建水には、14本の筋が入っているとか。

淡々斎好の建水は、他に吉野鮓桶(曲建水)などがあるようです。


■淡々斎著『風興集』
裏千家では「永く後世に伝えて当流の制規」として、
淡々斎が著した『風興集』という本があるようです。

『風興集』「茶道を学ばんとする人の心得」の中で、
茶道に入らんとする人々の心得は、
・準備知識が必要である。
・茶は渇を医するに止る。(利休の言を引用)
・茶道は決して単なる娯楽ではない。
・礼儀を正しくする。
・茶の道は心に伝え目に伝え耳に伝えて一筆もなし。(利休百首)
だとしているみたいです

そして、茶道の極意を「茶道に就いて」の中で、
「茶はさびて心は厚くもてなせよ
 道具はいつも有合にせよ(利休百首)」であるとして、
宇治の上林竹庵の話を用いて、
「総て形式にこだわることなく、赤心を披露して人をもてなすこと」
と説いているみたいです。

また、第四代仙叟宗室が、
「心だに誠の道にかなひなば
 習はずとても茶の湯なるらん」
という菅原道真の歌を引用したことを例に挙げ、
「茶の湯というものは心の誠を専らとして行うべきものであるということを
適切に説示された唯一の教訓である。」
と述べているようです。


■上林竹庵の話

上林竹庵が利休と門人集を茶に招いた時、
時間どおりにきた利休達に、殊の外感激した竹庵は、
点前で手が震えて、茶杓を茶入の上に置こうとすると畳に落としたり、
茶筅が倒れたり、といった失態をし、益々恐縮してしまったそうです。

利休は点て出された茶を、サモ満足げに喫服し、
誠心こめて感謝の意を表したのだとか。

帰途、門人共は「なぜ?」と尋ねると、利休
「点前が悪いのではなく、我々が快く参り合わせたことに心底から感激して
我々をもてなす心持に一ぱいになっていた結果であるから
彼の失態は咎むべきではない。
却ってこれは厚く受けるべきものである」
と門人共を誡めたそうです。


作品名:唐金エフゴ建水
備考:紙箱入

唐金エフゴ建水
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ここでは、金属材料について説明しようと思います。

紀元前6000年頃、古代オリエントで銅器文化が起こり、
紀元前4000〜5000年になると、エジプトにも派生するようです。

その後、中国の殷・商時代(紀元前1600年〜紀元前1000年)には、
青銅器文化が栄えるようになるみたいです。

日本には、紀元後の200年〜300年に、
銅剣・銅矛・銅鐸・銅鏡などの制作に使われたようです。


■合金の割合
現在、青銅(紫銅)といっているものは錫・銅・鉛の合金だそうで、
一般的な配合は、銅に錫を5〜10%、亜鉛を0〜4%配合したものなのだとか。

その配合割合により、
・唐銅(Cu,Sn,Pb,Znで赤銅色)
・朧銀(Cu,Pb,Zn,Agで青白い黒色)
・黄銅(Cu,Zn,Pbで黄色)
・赤銅(Cu,Pb,Zn,Ag,Au,Asで黒色)
・響銅(Cu,Snで鉛白色)
などができるようです。

また、加える錫の量によって、赤色から黄色、白色、純白色へと変化するそうです。

古墳から出てくる青銅器の合金の割合は、
・銅剣:銅83%、錫9%、鉛8%、銀微量
・銅鉾:銅77%、錫14%、鉛1%、アンチモン5%、ニッケルは3%、鉄微量
なのだとか。


■茶道具に使われる金属

茶道具に使われる金属を表にしてみようと思います。
金属名備考
唐銅(からかね)元は茶褐色だが、時代が経ると錆味をもち、黒色に変化する。
真鍮(黄銅)銅Cu と亜鉛Zn の合金で、特に亜鉛が20%以上を言う。
一般的な黄銅は、銅65%・亜鉛35%。
砂張(響銅)語源は朝鮮半島にあるようで、
朝鮮ではこの合金で作られた碗形の食器を、
砂張というとか。
南鐐中国の銀生産地が南鐐という所から名。
毛織(もうる)織物のモールと表面の模様が似ているところからの名。
柔らかく細工もしやすいが、緑青が出やすい。
七宝金・銀・銅・鉄などの金属製の下地の上に
釉薬を乗せたものを摂氏800度前後で焼成する。
鍍金(メッキ)奈良の大仏を鍍金するのに、
水銀と金の合金を使用した。


作品名:唐金棒の先建水
備考:紙箱入

唐金棒の先建水
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建水七種の一つ、棒の先(ぼうのさき)建水は、
円筒形で底にやや丸みがある建水だそうです。
駕籠(かご)の担い棒の先につけられた金具に似ているところからの名みたいです。

駕籠は、人を乗せて人力で運ぶ乗り物のことだそうで、
人が座る部分を一本の棒に吊し、複数人で棒を前後から担いで運ぶみたいです。

名前の由来は、人が座る部分が竹製の簡易な籠状(かごじょう)というところからだとか。
木製の箱状のものなどもあるようで、
引き戸がついているものは特に「乗物(のりもの)」と呼んだみたいです。

京都の東映太秦映画村では、駕籠屋の体験として実際の駕籠を運行しているそうです。
他に
・東京都江戸東京博物館
・金刀比羅宮(香川県)
・猿沢池(奈良県)
などで乗れるとか。

東京国立博物館にある「棒先建水」は、
江戸時代後期の大茶人松平不昧が所持していた佐波理の建水だそうです。
明時代(15〜16世紀)のもので、高さ16.0cm、口径12.3cm、
松平直亮が東京国立博物館に寄贈したようです。

既に室町時代から棒の先は、建水の代表作として評価されていたのだとか。


■長建水
長建水(細建水)という区分けで見ると、
建水七種では「槍の鞘」「棒の先」「箪瓢」の三種で、
皆、柄杓の馘を落し、柄に蓋置を掛けて運び出すそうです。

「槍の鞘」は、端午の節句に駅鈴と共に用いられることが多いらしく、
武家茶などでも好まれるようです。

柄に掛ける蓋置は吹貫という輪蓋置でも背の低めの蓋置や、
竹の無節やさしとおし、駅鈴などを使用するとか。
この竹の蓋置は、長建水の場合にのみ使用できるようで、
炉・風炉どちらでも可だそうです。

阿蘭陀莨葉文水指などは、オランダからの交易品として舶載されたものだそうですが、
大中小さまざまに形が異なる類品があるそうです。
大きく太いものは蓋をつけて水指に、
大きく細いものは花入に、
小さくて太いものは建水に、
小さくて細いものは茶器に
それぞれに転用されるとか。


■文献
草間直方著『茶器名物図彙』に
「昔より俗説に唐玄宗皇帝之乗輿の先き之かなものといへり、
大中小ありて大中ハ水さしに用ゆ、小ハ水翻に用ゆ」
とあるそうです。

久保又夢著『茶道望月集』に
「棒の先きといふ物有。名物も有と云。
碁笥の大さにて、高三寸五分、或は四寸程にして、真録にツツ立タル物也。
棒の先に似たる故と云。
又底の角にメンの取たるも有。唐物にてはなしと也」
とあるとか。


作品名:唐金エフゴ建水
作者:大野芳光
価格:12,000円
備考:桐箱入

唐金エフゴ建水
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餌畚(エフゴ)は最も一般的な建水で、
袋形で上部が開いた形の建水だそうです。

餌畚とは鷹匠が持ち歩く餌袋のことで、
この餌畚に似た形をしているところから名みたいです。

口造りが、より餌袋に似せて、
砂金袋のように波打っているものなどもあるとか。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「エフゴ 鳥獣の餌を入るヽ籠の形なり」
とあるみたいです。


作品名:唐金槍鞘建水
作者:一ノ瀬宗辰
価格:20,000円
備考:桐箱入/利休好

唐金槍鞘建水
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七種建水のうち、長建水(細建水)は、
「槍鞘(やりのさや)」「棒の先(ぼうのさき)」
「箪瓢(たんぴょう)」の三種で、
皆、底に蓋置を据えることができないため、
柄杓の馘を落し、柄に蓋置を掛けて運び出すそうです。

槍鞘は端午の節句に駅鈴と共に用いられることが多く、
武家茶などでも好まれているのだとか。
槍鞘は槍(武具)に、駅鈴は馬に因んだ道具のようで、
このような道具組にするそうです。

兜香合なども本来は塗の時期であるのに、
陶製香合を飾ることもあるとか。
兜香合には塗りもあり、本来はそちらを用いるそうですが、
陶製香合で代えることが多いみたいです。


作品名:唐金口糸目建水
作者:金森紹栄
備考:木箱入

唐金口糸目建水
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糸目といえば、裏千家九代不見斎の「糸目懐石道具」があるでしょうか。

飯椀・汁椀の箱蓋裏には、
「安永九庚子年初冬好之 不見斎」
と書付しているようです。

この懐石道具は、いずれも外側に糸目を施し、
透き漆を塗り、口縁と内側は黒漆なのだそうです。
ただ、八寸は、内側は片木目(へぎめ)、溜漆みたいです。

飯器を三代中村宗哲が作っているようで、
三代宗哲や没する安永5年には、すでに好まれていたと推察されるとか。


作品名:焼〆建水
作者:千弥
寸法:高さ8.0cm/口径13.5cm
備考:木箱入

唐金口糸目建水
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焼締めは、陶磁器の分類上ではb器(せっき)で、
正式には「締焼き」というそうです。

硬質で吸水性が少ないため、
施釉は使用しないのが特徴みたいで、
素地は土そのものの特長を生かした、
素朴で味わい深い出来上がりとなるようです。

焼締めは、乾燥させた素地に釉薬をかけずに、
高温(1100℃〜1300℃)で焼成するとか。

窯は本来、登り窯や穴窯を使用し、
薪や藁を燃料とするそうです。

窯の中で器物の一部に降灰したものが、
長時間の高温により溶けてガラス質に変化し、
釉薬代わりとなるみたいです。

これを自然釉(灰釉)と言うそうで、
焼締めの大きな特徴の一つなのだとか。

比較的厚く降灰した箇所には自然釉に貫入が入るようです。

焼締めは釉薬によって色付けや模様を付けることができない為、
作者は材料である土の産地を変えたり、
複数の種類の土を混ぜたりすることで、
作品の色合いを変えるように工夫するみたいです。

主な焼締めは備前焼・伊賀焼・信楽焼・丹波焼・常滑焼などの他、
海外製の南蛮焼などもこの製法で作られているそうです。


作品名:春慶塗曲建水
価格:2,000円
備考:紙箱入/内少々シミ有り
 /中古品

春慶塗曲建水
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ここでは、曲建水(木地)の使用方法などを説明しようかと思います。
※流派によっては、扱いが違うかもしれません。

木地の曲建水を使用する場合は、
内外ともによく濡らし、
水気を十分に拭い切ってから用いるようです。

蓋置・柄杓を仕組むときは、
綴じ目を手前にして蓋置を中央に仕組み、
柄杓を伏せて向こうの縁に掛け、
柄を縦にして綴じ目の上の縁に掛けるそうです。

持ち出す場合は、
綴じ目の部分を持つみたいです。

点前中に進める時は、綴じ目を持って、
その綴じ目が勝手付側になるように、
回しながら進めるようです。
引く時は、逆に、勝手付側の綴じ目を持って、
その綴じ目が下座(げざ)に向くように、
回しながら引くのだとか。


作品名:唐金棒の先建水
備考:紙箱入/少々シミ有り
 /中古品

唐金棒の先建水
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唐金は、青銅の古称で、
中国(唐)から製法が伝わったところから、
「唐金」という名がついたようです。

青銅の製法は、銅にスズを主要合金元素として加えることで、
融点(金属の溶ける温度)を下げたみたいです。

ちなみに銅の融点は、1084.62℃だそうです。

周時代の書『周礼考工記』によると、
青銅の6種類の標準が、
以下の通りだったようです。
(%はスズの含有率です。)
鐘鼎の斉:14%
斧斤の斉:17%
才戟の斉:20%
大刃の斉:25%
削殺矢の斉:30%
鑿燧の斉:50%

スズの含有率が少ないものは加工性しやすく、
スズの含有率が増加するとともに加工性が低下するみたいです。

また、できあがった製品は、スズが多いほど硬くなるようで、
色も茶色→赤銅色→黄金色→黄白色→白銀色と変化するのだとか。

青銅は、現在でもブロンズ像などの材料だそうで、
スズ量の少ないもの(10%以下)は加工用、
多いものは鋳造用として利用されるようです。


作品名:萩焼建水
作者:十二代 田原陶兵衛
寸法:高さ9.8cm/口径13.6cm
備考:桐箱入

萩焼建水
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萩焼は、1604年、萩藩主毛利輝元の命で、
朝鮮人陶工の李勺光・李敬の兄弟が城下で、
御用窯を築いたのが始まりだそうです。

萩城下坂下の東郊松本村中之倉に築窯したので、
この系列窯を「松本萩」といい、
弟・李敬を陶祖としたようです。

これに対して兄・李勺光の一族が1653年、
深川村三之瀬に分窯した系統を「深川萩」というみたいです。


■萩焼の特徴をつかむ
萩焼で使う土の特徴は、目が粗く、
焼き締まりが少ないことだそうで、
水分が貫入から器の中に浸透し、
さらには表面にまで出てくることもあるとか。

はじめは漏れていた湯呑も、
繰り返しお茶を入れるうち、
粗い土の目がだんだん茶渋で詰まって漏れなくなるそうです。

それと同時に、茶渋の色が器に入り、
器全体の色が変わって見えてくるみたいです。

これは「萩の七化け」と呼ばれ、
萩焼ならではの味わいとして、
特に茶道の器などで萩焼が珍重される大きな特徴なのだとか。


■家庭でできる漏れ止め法
漏れが多いものや、あまり色の変化を好まない場合は、
漏れ止めを施すとよいそうです。

方法は以下の通りみたいです。
@おもゆなどを萩焼に入れ、半日から1日程度浸透させる。
A十分浸透したら水洗いして、風通しのよいところでよく乾燥。
B漏れが多い場合はこれを何度か繰り返す。

古くから行われている方法だそうで、、
安全で萩焼の風合いも損なわないとか。

「おもゆ」というのは、少量のお米かご飯に、
10倍前後の水を入れて煮たたせ、糊状にしたものだそうです。

ほかに「フノリ」(板ふのりを水で煮、糊状にしたもの。)や
「カタクリ」(水溶き片栗粉に熱湯を注いでとろみをつけたもの。)、
でも良いそうです。


作品名:曲建水
価格:5,000円
備考:紙箱入

曲建水
※画像を押すと拡大できます。
曲(まげ)の建水を使用する際は、
使用前に、内外共によく水で濡らした後、
水気を十分に拭い切って用いるそうです。

また、曲建水の仕組み方は、
蓋置・柄杓を仕組むときは、
綴じ目を手前にして、蓋置を中央に仕込み、
柄杓を伏せて向こうの縁に掛け、
柄を縦にして、
綴じ目の上の縁に掛けるそうです。


■入子点の場合
他方、裏千家の入子点(いりこだて)の場合、
まず、茶碗を仕組み、
その中に、茶巾・茶筅、
茶碗の右縁に、茶杓という、
通常の茶碗の仕組み方をして、
曲建水の中に仕組むそうです。

この時、柄杓と蓋置は、
棚に飾るようです。

例えば、四方卓の場合、
柄杓は、棚の左上に、
合を向こう側にして、
まっすぐに置き、
蓋置は、下段左側、
水指の左手前に置くそうです。

また、丸卓の場合は、
柄杓を棚の左奥から斜めに、
合を向こう側にして置き、
蓋置は、柄杓の合の手前に置くようです。


■持ち出す際の注意点
曲建水を持ち出すときは、
綴じ目の部分を持つそうです。

点前中に進めるときは、
綴じ目を持って、
その綴じ目が勝手付側になるように、
回しながら進めるのだとか。

引くときは、逆に、
勝手付側に綴じ目を持って、
その綴じ目が、下座に向こう様に、
回しながら引くそうです。
(※表千家では、回さないようです。)


■曲建水の扱い
表千家の場合、建水で扱いのあるものは、
曲建水だけみたいです。

曲建水に、柄杓・蓋置を仕組むとき、
また、点前のはじめで、
建水を進めるときなど、
曲げの綴じ目の扱いに約束があるようです。

1.建水に柄杓・蓋置を仕組むとき
 建水の綴じ目に柄杓の柄が重なるように柄杓をかけ、
 蓋置は正面が綴じ目に向くように入れるのだとか。

2.建水を進めるとき
 建水の綴じ目を持って、
 右回しに進めるようです。
 綴じ目は左側(勝手付)になるみたいです。

3.点前中の建水の位置
 綴じ目が壁側(勝手付)にあることを確認するとか。

4.建水を引くとき
 綴じ目が勝手付にあるまま、
 回さずに引くそうです。




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