作品名:仁清写萩秋草の絵茶碗 作者:手塚充 売り切れ 備考:桐箱入 詳細はこちらから |
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■野々村仁清について
野々村清右衛門(野々村仁清)は、生まれは丹波国桑田郡野々村、 若い頃は丹波立杭窯や京都粟田口などで陶芸の修業し、 その後、瀬戸で轍櫨引きの技術に磨きをかけたそうです。 京都に戻ったあと、1647年に再建された仁和寺の御用窯として、 仁和寺の門前に御室窯を開いたようです。 ちなみに仁和寺は1467年〜1477の応仁の乱の時に焼けたのですが、 再建は1646年だったみたいです。 1656年、仁和寺門跡の性承法親王(後水尾院の第七皇子)から 受領号「播磨大掾」と、「仁」及び「藤原姓」を授けられたそうです。 この時、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を併せて「仁清」と号すようになったとか。 また、自分の作品に「仁清」の印を捺すことでブランドを主張したようです。 ■「秋草の」とは 「秋草の」という枕詞は、「結ぶ」にかかるそうです。 これは、 古代、健康・長寿・旅の安全などを祈るため、 また吉凶を占うため、 草の葉や茎を結ぶという風習があったところからのようです。 「妹が門(かど)行き過ぎかねて 草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む」(万葉集 3056) 「君が代も我が代も知るや磐代の 岡の草根をいざ結びてな」(万葉集 10) 手塚充手塚充は、昭和17年の京都生まれで、手塚玉堂の五男。 |