作品名:色絵菊唐草水指 作者:清閑寺窯祥平 売り切れ 寸法:高さ14.8cm/口径15.5cm 備考:木箱入 詳細はこちらから |
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■赤絵(色絵)について
色絵は、各種の彩釉を使って上絵付けする手法で、 赤絵とも言うようです。 「有田に[色絵]はない。[赤絵]だ。」という主張があるみたいです。 絵付業者は「赤絵屋」、窯は「赤絵窯」、掘ってる場所は「赤絵町」 から来ているようです。 「赤絵」という単語の初出は『酒井田柿右衛門家文書』に 「赤絵初リ」 「1647年、喜三右衛門が[赤絵]を完成させ、はじめて長崎で売った。」 などとあるのがそうみたいです。 初代酒井田柿右衛門(喜三右衛門)の開発した「赤絵」が、 後の有田の後継技術となり、本来「色絵」の一種である「赤絵」が、 次第に「色絵」の同義語として用いられるようになったとする説もあるようです。 最近の発掘調査によると、 喜三右衛門が「赤絵」をはじめた窯は、楠木谷窯跡(泉山)の可能性が高いことや、 上絵付けの技術が1種類ではなく、 3カ所の窯場(岩谷川内山・黒牟田山・年木山)で別々に誕生したことなどが、 わかってきたようです。 喜三右衛門の「赤絵」以前に、 楠木谷窯跡では、すでに別の種類の上絵付け磁器が焼かれていたようで、 多くは緑や紫、黄色など寒色系の絵具を多用し、 文様がびっしりと描かれたものだったみたいです。 ちなみに喜三右衛門の「赤絵」は、 乳白色に近い素地に暖色系の絵具を多用し、 余白を活かした構図が特徴的なのだとか。 『酒井田柿右衛門家文書』に 「赤絵者之儀、釜焼其外之者共、 世上くわっと仕候得共、 某手前ニ而出来立申色絵ニ無御座云々。」 とあるようです。 この文章から、喜三右衛門の「赤絵」が、 当時の複数の上絵付けの技術の中で、 後の有田へと伝承される主たる後継技術となった、 ということがわかるのだとか。 杉田祥平杉田祥平は、現在四代目。江戸後期に作られた清閑寺窯で作陶中。 清閑寺窯は旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に築窯され、 初代菊次郎、二代目龍斎、三代目祥平を経て、 四代目杉田祥平が平成11年に襲名。 京焼・清水焼の代表的な仁清・古清水の流れを茶陶器の製作を通して継承し、 その造形美と典麗優美な桃山文化の彩色美の中に、 現代感覚を併せ持つ技法で作陶に邁進され、 全国の有名百貨店などで展示会を開くなど、活躍。 京都伝統陶芸家協会会員。 また、当代の息女・杉田眞龍(すぎたまりゅう)は父の薫陶を受け女性の目、 若い感覚で茶陶器に挑んで、注目の作家です。 |