作品名:仁清写三日月茶碗 作者:真葛香斎 売り切れ 備考:桐箱入 詳細はこちらから |
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■真葛焼とは
仁清写し、乾山写しなどで用いる上絵・染付・鉄絵などの下絵、 また、交趾・金欄手など、伝統的な京焼の技法を網羅しているようです。 特徴的なのが、「ワラ灰釉(ばいゆう)」という釉薬(うわぐすり)みたいです。 この釉薬によって、まろやかな乳白色でふっくらと気品のある風情が醸し出されるとか。 同じ釉薬を使っても、土によって温もりのある赤みを帯びたり、 涼やかな青白色を見せたりと色目も様々だとか。 もともとは京焼の始祖野々村仁清も用いていた釉薬だそうですが、 仁清写しを得意した宮川長造は、この釉薬の扱いに長けており、 代々真葛焼で用いられているそうです。 宮川香齋宮川家、真葛焼の歴史は、祐閑宮川小兵衛政一(こへいまさかず)が、貞享年間(1684〜1687)に、近江国湖北坂田郡宮川村(現滋賀県長浜市宮司町)より京都に出て、 知恩院門前に居を構え、陶料を商いとした事に始まるそうです。 その後治兵衛と長兵衛兄弟に分かれ、「楽屋」という屋号の焼継所を経営したのだとか。 長兵衛家に祐閑から数えて五代目に長造という名工が生まれ、 東山真葛ヶ原(現円山公園)に窯を開き真葛焼は始まるようです。 その四男・虎之助が横浜に移り、初代真葛香山となるみたいです。 治兵衛家は、祐閑より数え六代目が初代宮川香齋のようです。 その後、昭和9年頃より四代永誉香齋が真葛を名乗り、 本格的に茶道具を作るようになるとか。 当代は、真葛六代宮川香齋になるそうです。 ■「楽屋」という屋号の焼継所 「焼継」とは欠けた陶器を低火度の釉薬で接着する技法で、 陶器が高価なものであったこの時代、 漆で接着するよりも安価で需要があったのだとか。 当時の「楽」という意味は、 今のような楽焼を総称しているのではなく、 陶器そのものを指していたみたいです。 |