作品名:台付十能セット
備考:紙箱入 |
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ここでは、「火起」の説明をしようと思います。
「火起」自体は炭を保持する容器に過ぎず、 炭への着火に際して炎が上がる熱源に乗せて(あるいは被せて)使用するそうです。 現代の日本の「火起」は片手鍋に似た形状で、 底に炎を通す穴が開いていて、ガスコンロなどに乗せて使用するようです。 「火起」はガス火にかけて使用するのですが、IHでは使えないそうです。 また、カセットコンロでの使用も厳禁とのこと。 ガスボンベの残量によっては、半径数メートルが火の海となるみたいです。 「火起」の使い方は、 適量の木炭を入れて、ガス火にかけるだけです。 大きな備長炭は着火しにくいのですが、小さなものや細いものを混ぜると 早く着火するとのこと。 底の鋳物が真っ赤に加熱し、その部分から木炭に火が移るそうです。 木炭の種類にもよりますが、10分〜20分ほどで着火するとのこと。 「火起」は大切に使うと、数年間、数百回の使用に耐えるみたいです。 「火起」の塗装は耐熱性がないため、1度使うと加熱で剥がれてしまうようで、 すぐにサビが出て、変色するのですが、性能的な問題はないそうです。 なお、 「火起」について は、別ページで説明しています。 |
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作品名:台付十能(小判型)
備考:中古品/紙箱入 |
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清少納言著『枕草子』に
「火など急ぎ熾して、炭持てわたるもいとつきづきし」 という一文が出てきます。 平安時代、地球規模で低温の時期にあったそうで、 貴族の着用していた十二単(じゅうにひとえ)も、 当時としてはちょうど良い服装だったのかもしれません。 ■火など急ぎ熾して 現代の火起こし器などがなかった昔、 火の熾し方は、木の棒を板に摺り合わせる「摩擦方式(火きり)」と 火打ち道具による「打撃発火方式」だったようです。 『日本書紀』のヤマトタケルの神話に、火打ち道具の記述があるそうです。 平安時代には貴重な御神宝だったようで、 清少納言たちが実際に使っていたかどうか。 ただ、着物を着て「火きり」する姿も想像しにくいので、 実際、何で火を熾していたのでしょうね。 火打石が一般に普及するには、江戸時代を待つ必要があるのだとか。 火打石で火を熾す場合、火打ち道具として 「火打石」「火打鎌(火打ち金)」「ほくち(誘火綿)」「付け木」 の四点セットが必要だそうです。 まず、左手に持った「火打石」を、右手の「火打鎌」の縁で、 打ち擦る様にカチンと打ちつけるようです。 火打石の上に「ほくち」を載せ、火花を散らすと、 火花が着火してじわじわと「ほくち」が燃えだすのだとか。 最後に「ほくち」に「付け木」をあてて軽く息を吹きかけると、 炎になって燃えだすそうです。 慣れると三十秒ほどで着火できるのだとか。 ■炭持てわたる 「火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」とあるように、 火を熾した後、部屋の火桶(火鉢)まで持っていったようなのですが、 さて、どんなもので運んだのでしょう。 紫式部著『源氏物語』第二十七帖の巻名「篝火(かがりび)」から推測すると、 当時、既に石か鉄素材を使って、 長時間、火を燃やし続ける「照明」を利用していたことがわかります。 鉄器は紀元前3世紀頃、青銅とほぼ同時期に日本へ伝来しているため、 紫式部より十年ほど昔の清少納言の時代にも、 「十能」のような鉄器が、すでにあったのかもしれませんね。 |
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