茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

台目構ってこんなの

台目構(だいもくかまえ)は、台目切の炉のかどに、
中柱を立て、袖壁をつけ、隅に釣棚をしつらえた、
点前座の構成を言うそうです。

この「台目」というのは、六尺三寸の丸畳から、
台子の幅一尺四寸と、屏風の厚さ一寸の分を切のけた、
残りの四尺八寸の畳で、台子の茶を草庵の小間に写したものみたいです。

中柱と袖壁によって、点前座が客座から、
半ば隔てられる構成に特色があるのだとか。

台目構は、千利休が始めたとされ、
のちに袖壁の下部を吹き抜くようなるそうです。
利休が初めて試みたときは、下まで壁がついていたとのこと。

台目構の初見として神屋宗湛著『宗湛日記』に
「次の間」「勝手の内」の記述があるそうです。
なお「台目」という言葉は、古田織部の頃から使われだしたみたいです。

『宗湛日記』の天正15年(1587年)正月12日に
「利休 御会。大阪にて宗湛。宗伝。
深三畳半。四寸炉、五徳居。釜、霰姥口。
鬼面床の向柱に、高麗筒に白梅入て。手水の間に取て。
床に橋立の大壺を置て網に入。
次の間小棚の下に土水指 唐物也。
同茶尻ふくらに入。井戸茶碗に道具仕入て土水覆引切。」
とあるようです。

同じく『宗湛日記』の天正14年12月21日朝会に
「草部や道説御会。宗湛一人。深三畳。
勝手の内に一尺程の小棚有。
下に土の水指、共蓋。炉、箆被。環、貫弦鉄。
棚には台天目あり。手水の間に四方盆に肩衝すへて。
勝手畳の中に被置候。 土水覆」
とあるそうです。

新井白石著『紳書』に
「此頃迄は台目といふ名は定まりしにや、
二畳半、一畳半のかこいなど有し、
されど其弟子古織に至て、台目の名は出たり」
とあるみたいです。

以下に補足として「台目切」「中柱」「袖壁」「釣棚」を
説明しようと思います。

台目切(だいめぎり)は、点前畳の外の畳に、
点前畳の中心線から上手にかけて炉を切ることを言うそうです。

中柱(なかばしら)は、炉の隅に立てられる柱で、
「ゆがみばしら」とも言うそうです。

袖壁(そでかべ)は、建物から少し外に突き出した短い壁のことだそうです。
表千家不審菴の袖壁には、竹の壁留が水平に通っていて、
客座から道具座がよく見えるように構成されているみたいです。

釣棚(つりだな)は、棚板を釣竹や釣木で上から吊り下げた形式の仕付棚のことで、
「一重棚」「二重棚」「三重棚」「雲雀棚」などがあるそうです。

なお、「釣棚」について
は、別ページで説明しています。


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