作品名:器据 溜
備考:紙箱入 |
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磨き上げの作業を行なわず、塗っただけのものを「塗りっ放し」
または「塗り立て仕上げ」というそうです。 この「塗り立て仕上げ」には、以下の種類があるそうです。
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作品名:器据 春慶塗
備考:紙箱入 |
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春慶塗(しゅんけいぬり)は、天然の木目の美しさをそのまま活かし、
透き漆と呼ばれる透明の漆を用いるそうです。 板を立体的に仕上げる曲げの技法で、 下地の色は黄色や紅が用いられ、完成時の色味を変えるようです。 また、軽くて丈夫なのだとか。 日本三大春慶塗というがあるそうです。 ・飛騨春慶(岐阜県高山市) ・能代春慶(秋田県能代市) ・粟野春慶(茨城県東茨城郡城里町) 春慶塗の発祥には、いくつか説があるそうで、 飛騨春慶塗(飛騨国発祥説)と、粟野春慶塗(常陸国発祥説)が有力みたいです。 「飛騨国発祥説」は、1606年に大工棟梁である高橋喜左衛門が、 椹の割れ目の木目の美しさを生かして盆を製作し、 高山城城主・金森可重の子である、金森重近に献上したのが始まりのようです。 この盆の美しさが、陶工の加藤景正の名陶「飛春慶」の茶壷の黄釉と似ていることから、 金森可重により「春慶」と名づけられたそうです。 「常陸国発祥説」は、1489年、佐竹氏に仕えていた稲川山城主・源義明が、 現在の城里町で始めたものみたいです。 別名「水戸春慶」と呼ばれ、徳川光圀も御用塗り物師を召し抱えて奨励したとか。 | ||||||||||||
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作品名:器据 桐木地
備考:紙箱入 |
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桐は「ゴマノハグサ」科ノーゼンカヅラ属という「草」の仲間だそうです。
樹木とは組織構造が異なっているため、組織内に水分を通しにくく、 通常の使用状態で、材の中まで水分が浸透することはないみたいです。 また、国内で一番軽い材料で、世界的に見ても、バルサ材に次いで2番目に軽いのだとか。 断熱・保温性に優れ、多少のキズや凹みでも復元する力を持ち、 精密化加工が可能で、寸法変化が少ない材料だそうです。 桐はその主成分に「タンニン」という物質を含んでいて、 防虫剤の役割を果たすそうです。 ただ、長年の使用で黒ずんでくるようです。 これは、空気中の水分に影響を受け内部から溶出してくるからみたいです。 桐材を利用する時は、製材してから2〜3年間雨ざらしにし、 「アク抜き」といわれる工程と「乾燥」の工程を行うようです。 ただ、現在この作業では、材の表面部分からしか「アク」が抜けていないのでは、 という疑問が出ているとか。 桐が高価なのは、一本の桐の木の5〜6%しか製品にならない上に、 伐採してから材料とし使用するのに3年以上かかるためみたいです。 また、多くの輸入材により、国内の桐生産者が立ち行かなくなってきているそうです。 伝統工芸品などの桐材は、天日乾燥を行っているそうですが、 建築材などでの利用では、人工乾燥が主流となっているようです。 | ||||||||||||
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作品名:器据 溜掻合
備考:紙箱入 |
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掻合塗(かきあわせぬり)は、漆塗の一種で、
素地に柿渋を下地として塗り、 その上に黒・紅殻などの色をつけて、 半透明や黒の透漆による上塗りを一回だけしたものだそうです。 漆下地の代わりに柿渋を下地とするので、 「柿合塗」とか、「渋下地」ともいうとか。 欅・栓・栗など目のはっきりした材に、 砥粉等で処理せず目を潰さずに漆を塗ると、 目が漆を弾き細かい穴が空いて、 木地の杢目がはっきり残るため「目ハジキ塗」ともいうようです。 木地の木目がはっきり残るため素雅な趣があり、 傷が目立ちにくいなどの利点もあるみたいです。 | ||||||||||||
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作品名:器据 女桑
備考:紙箱入 |
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女桑は、桑(本桑)の代用材として用いる場合の名称のようです。
女桑の心材も黄色がかっていて、 木目がはっきりしているため、家具材などに使用されるとか。 ただし軽量で、軟らかいため、 あまりにも強い荷重がかかる場所には向いていないようです。 茶道具の材料としては最高級とされる「本桑」は、 日本各地に自生し、樺太・朝鮮・中国にも分布しているものの、 木材としての蓄積は極めて少なく貴重材なのだそうです。 | ||||||||||||
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