茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

信楽焼ってこんなの

信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、
日本六古窯のひとつに数えらるそうです。


■信楽焼の歴史
中世末期頃より窖窯(あながま)によって、
壺・甕・擂鉢などの焼き物づくりが始められたようです。

室町・桃山時代以降、茶道の隆盛とともに「茶陶信楽」として、
茶人をはじめとする文化人に親しまれ、珍重されたそうです。
これは、素朴さのなかに、日本人の風情を表現したものだったからみたいです。

江戸時代には、商業の発達にともない、
茶壺・土鍋・徳利・水甕などの日常雑器が大量に生産されたそうです。

幕末には、陶器製灯明具の一大産地となったみたいです。

明治時代には、新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢生産がはじまったとか。
神仏器や酒器などの小物陶器や、
壺などの大物陶器も生産され、質量ともに大きな発展を遂げたようです。

第二次世界大戦末期には、金属不足から陶器製品の需要の高まりとともに、
火鉢の全国シェアの80%を占めたそうです。

1950年代後半から1970年代にかけて、高度経済成長による生活水準の向上により、
電気や石油暖房器具の開発・普及が進み、
生活様式の変貌にともない火鉢の需要は減退に見舞われるみたいです。

その後、「なまこ釉」を取り入れた、
高級盆栽鉢や観葉鉢を生み出すなど品種転換、生産主力の変更に成功するようです。

現在では、日用陶器のほか建築用タイル・陶板・タヌキやフクロウなどの置物・
傘立て・庭園陶器・衛生陶器など、
大物から小物に至るまで、信楽焼独特の「わび」「さび」を残しながら、
需要に対応した技術開発が行われ、生活に根ざした陶器が造られているのだとか。

1976年に、国から伝統的工芸品の指定を受けたようです。


■信楽焼の特徴
信楽焼は、釉薬を掛けずに焼き締める陶器、
「無釉陶器」として生産してきたそうです。
(無釉陶器を生産する産地は信楽の他にも、
伊賀・常滑・丹波などがあるみたいです。)

信楽の土は、質がよいことで名高く、
ケイ石や長石が多く混じっているために、
独特の肌の荒さがあるそうです。

胎土に含まれる鉄分や焼成の具合で、
発色は主に灰色から赤茶、稀な例では黒褐色になるみたいです。

信楽特有の土味は、登り窯、穴窯の薪窯焼成によって得られる、
温かみのある火色(緋色)の発色と、
自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられるそうです。

信楽の土は耐火性に富んでいるとか。
可塑性と共に腰が強い土で、大物づくりに適しているようです。

同時に小物作りにも適していて、細工がしやすい粘性みたいです。


■狸が有名になるきっかけ
さて、信楽焼といえば狸ですが、
明治時代に、陶芸家の藤原銕造が作ったものが最初みたいです。

1951年、昭和天皇が信楽町行幸の際、
たくさんの信楽狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、
狸たちが延々と続く情景に感興を覚え、
歌を詠んだ逸話が新聞で報道され、
全国に知られるようになったようです。

信楽町長野・新宮神社に昭和天皇御製の歌碑
「幼なとき集めしからに懐かしもしがらき焼の狸をみれば」
が、建っているようです。

現在は、信楽へのアクセス路線である信楽高原鐵道の車体に、
タヌキのキャラクターが描かれているようです。


■商売繁盛と八相縁喜
狸が「他を抜く」に通じることから、
商売繁盛と洒落て店の軒先に置かれるそうです。

また、狸には信楽焼八相縁喜というものがあるみたいです。
種類備考
思わざるは悪事災難避けるため用心常に身をまもる笠。
通い帳世渡りは先ず信用が第一ぞ活動常に四通八達。
大きな目何事も前後左右に気を配り正しく見つむることを忘れめ。
大きなお腹もの事は常に落つきさりながら決断力の大胆をもて。
世は広く互いに愛想よく暮し道を以って務めはげまん。
金袋金銭の宝は自由自在なる運用をなせ。
徳利恵まれし飲食のみにこと足利て徳はひそかに我につけん。
太い尾なに事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸。


同様に、信楽焼のカエルにも八相があるみたいです。

信楽カエルは奈良時代に大戸の川(おおとのがわ)をさかのぼり、
紫香楽(しがらき)の里に聖武天皇の御代より生息すると伝えられているそうです。

「福帰る」と呼ばれ、八相を備えている縁起の良い生き物とされるとか。
種類備考
ボヤ・吸殻などの火気をパクリ呑み込み、火災予防のお守り。
大きな腹にヘソがなく、落雷の予防。
食物毒蚊・毒虫を食べ外注(害虫)撲滅・無病息災。
皮膚天敵から身を守る保護色は、災難を避ける。
子蛙常に親は責任を負い、子はしっかりと親に従う。
冬眠断食・耐寒の期に、心身修養し次なる成功へとつながる。
前足磐石に備えた脚は威風堂々、礼節を知る。
後足屈伸活発、待機していざという時は飛躍前進。



■伝説の都・紫香楽(しがらき)宮
天平14年(742年)、聖武天皇の時代、
紫香楽宮という都があったようです。
結局、4年余りで平城宮へと遷都するみたいです。

2000年、宮町遺跡から発掘された巨大な建物跡が、
紫香楽宮の宮殿部分と判明したようです。
2005年3月には、宮町遺跡を含む19.3haが、
国の史跡「紫香楽宮跡」に追加指定され、保存が図られているそうです。

それまで紫香楽宮とされてきた史跡は、
甲賀寺跡とする説が主流みたいです。


なお、「焼物の種類」についての詳細は、こちらから。

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