茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

須恵器ってこんなの

須恵器(すえき)は、古墳時代〜平安時代に生産された陶質土器(b器)で、
5世紀に朝鮮半島南部から伝わったそうです。
『日本書紀』には、百済などからの渡来人が製作したの記述があるそうです。

同時期の土師器とは色と質で区別するようです。
 土師器:橙色・赤褐色で軟質
 須恵器:青灰色で硬い

これは、焼成温度が違うためみたいで、
土師器は、小さな焼成坑を地面に掘り、800〜900度の酸化焔焼成で作るのに対し、
須恵器は、窖窯(あながま)を用い、
1100度以上の高温で、還元焔焼成によって作るものだからなのだとか。


■須恵器の歴史
5世紀中ごろ、最初に須恵器生産が始まった場所(窯跡)は、大阪府の陶邑窯跡群(すえむらようしぐん)、
福岡県の小隈・山隈・八並窯跡群みたいです。
特に大阪府の陶邑窯は、ヤマト王権管理下、同じ規格の製品を生産したそうです。

6世紀に入ると、列島各地に須恵器窯ができ、
陶邑様式の須恵器が造られたようです。
このころ(古墳時代)の須恵器は、主に祭祀や副葬品に用いられたみたいです。

奈良時代以降になると、各地方で国分寺の瓦を焼成するために、
瓦窯とともに須恵器焼成窯が造られるようになったそうです。

また、埼玉県の南比企窯跡群では、日用品の器も出土しているとか。

軍事的防御施設である「城柵」も須恵器で作られたようで、
蝦夷に対峙する為、東北地方で生産されたみたいです。

平安時代に入り、西日本で「一郡一窯」の体制から「一国一窯」へと変わり、
産地の数が減るそうです。
逆に東日本では、生産地が増え、新規の窯も作られたみたいです。

そして、9世紀末に須恵器は、衰退し、
土師器系の土器にとってかわられる形で、10世紀に生産が絶えるようです。



なお、「焼物の種類」についての詳細は、こちらから。

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