茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

茶花ってなあに?

利休七則には「花は野にあるやうに」とありますが、
武野紹鴎の時代には、炉の花として既に茶室にあったそうです。
直松斎春渓著『分類草人木』には寒菊、山田宗偏著『茶道便蒙抄』には
花の禁好・季節の花・菊などの記述があるみたいです。

禁花としては、「香りが強い・悪い花」「棘が多い花」「名前が悪い・分からない花」
「強い赤色が炎・火災を連想させる花」「季節感がない花」「主張が強すぎる花」
「水揚げが良く、何日も日持ちする花」が挙げられるようです。

立花実山著『南方録』に、花入に生けない花の名前を詠んだ狂歌があるそうです。
「花入に 入ざる花はちんちやうげ みやましきみに けいとうの花」
「女郎花 ざくろ かうほね 金銭花 せんれい花をも 嫌なりけり」

また、古田織部の伝書にもあって
「夏は昼の会には是非に生花を生け」とか
「花入大なるには花多生候」とかあるようです。


■代表的な12ヶ月の茶花


茶花名備考
1寒牡丹・福寿草・突羽根・太神楽椿・曙椿・ 鶯神楽・土佐水木・猫柳・蝋梅・胡蝶侘助正月(1日)・人日の節句(7日)
2梅・椿・寒木瓜・青文字・油瀝青・蕗のとう・ 節分草・雪割草・山茱萸・接骨木・岩鏡・ 谷桑・虫刈・万作・本阿弥椿節分(3日)・建国記念日(11日)・バレンタイン(14日)
3連翹・白木蓮・黄梅・紫木蓮・枝垂柳・ 三又・花蘇芳・猫柳・桃・雲龍柳・雪柳・ 檀香梅・やしゃぶし・黒文字・藪椿・片栗・ あぶらちゃん・菜の花・乙女椿・母貝・木瓜・ 利休梅・月光椿桃の節句(3日)・ホワイトデー(14日)・彼岸入り(17日)・春分(21日)
4花水木・土佐水木・辛夷・花筏・連翹・ 山吹・接骨木・虫狩・錨草・宝鐸草・ 貝母・五色散椿・一輪草・辛夷・山吹・ 春蘭・海棠・華鬘草・胡蝶侘助椿・山梨・ 仙台萩花まつり(8日)・昭和の日(29日)
5大手毬・白雲木・空木・山紫陽花・ 山法師・山藤・一輪草・延齢草・姫しゃが・ しゃが・苧環・海老根・都忘れ・空木・ 菖蒲・鉄線花・杜若・甘野老・風車・ 浜昼顔・矢車草・ちご百合・紫蘭・忍冬・ 黒花蝋梅・大山蓮華・牡丹・小判草・鉄仙・ 水芭蕉・杜若メーデー(1日)・憲法記念日(3日)・端午の節句(5日)・母の日(第2日曜)
6紫陽花・山紫陽花・小紫陽花・姫沙羅・金糸梅・ 二人静・蛍袋・おかとらのお・鳴子百合・縞葦・ 紫露草・京鹿子・花菖蒲・野薊・柿蘭・ 大待宵草・下野草・額紫陽花・鳥足升麻・浜梨・ 捩摺・笹百合・破れ傘・月見草・時計草・ 縞葦・熊谷草・笹百合・破れ傘・額紫陽花夏至(21日前後)・父の日(第3日曜)
7夏椿・はまごう・河原撫子・昼顔・弟切草・ 小鬼百合・露草・待宵草・藤空木・唐松草・ 駒繋ぎ・大葉擬宝珠・うつぼぐさ・乳茸刺・伊吹虎尾・ 金水引・藪茗荷・風露草・九蓋草・松本仙翁・ 蝦夷禊萩・禊萩・蕎麦菜・あさがお・桧扇・ 唐糸草・三白草・紅蜀葵・雁皮・木槿・ 祇園守・矢筈芒・河原撫子・忍冬 海開き(1日)・七夕(7日)
8鷺草・釣舟草・黄釣舟・節黒仙翁・草紫陽花 山吹升麻・晒菜升麻・女郎花・男郎花・松虫草・ 紅輪花・鵯鳥花・沢鵯・鳥兜・芙蓉・ 沢桔梗・秋海棠・山不如帰・糊空木・秋の田村草・ 睡蓮・白山菊・千日紅・鶏頭・水引草・ 吾亦紅・仙翁・虎の尾・金水引・花茗荷・ 数珠玉お盆(15日頃)
9芙蓉・宮城野萩・丸葉萩・山萩・桔梗・ 芒・我木香・つりがね人参・女郎花・撫子・ 嫁菜・秋の麒麟草・蔓人参・梅鉢草・山ぼくち・ 大毛たで・秋明菊・秋丁字・紫苑・大文字草・ 田舎菊・藤袴・浜菊・達磨菊・葛・ 時鳥・深山龍胆・秋明菊 重陽の節句(9日)・敬老の日(第3日曜)・秋分(23日)
10蔓竜胆・竜胆・ほととぎす・山葡萄 野路菊・野竹・おけら・柏葉羽熊・野紺菊・ 秋桜・紺菊・七竈・秋万作ハローウィン(31日)
11紅万作紅葉・山法師紅葉・島寒菊・錦木紅葉・白侘助・ ウィンターコスモス・初嵐椿・さんざし・榛・ 鳥不止・支那万作文化の日(3日)・七五三(15日)・勤労感謝の日(23日)・紅葉狩り(-)
12蝋梅・南天・大神楽・水仙・美豆木・ 谷桑・石蕗天皇誕生日(23日)・クリスマス(25日)・大晦日(31日)



■茶花というと
茶の樹に咲くツバキ科に属する多年草も「茶花」というそうです。
中国・宋の時代に、お茶に木の実や茶花・梅などの果実・緑豆などを入れ、
野菜や塩、バターを入れて食べる習慣があったようです。
その後、日本にも茶花を食べたり、煎じて飲んだりする風習が伝わったみたいです。

松江藩七代藩主、松平不昧が「ぼてぼた茶(花番茶)」というお茶を考案したそうです。
茶花のお茶を泡立て、その中に具を入れて食べるお茶漬けのような食べ物で、
出雲地方に伝わる名物料理だそうです。
また、京都では、てんぷらにして食べる習慣があるようです。

茶花の健康効果は、「ダイエット」「脂肪の吸収を抑制」
「糖尿病を予防」「胃の健康を保つ」なのだとか。


■茶花と利休関連の文献

立花実山著『南方録』の利休の話に、
 「小間の茶室の花は必ず一種類を一枝か二枝くらい、軽く入れたのがよい。
 もちろん、花によってふさふさと、たっぷり入れるのもよいけれど、
 軽く入れるということの本意は、
 小間での茶には、見た目の美しさや様子だけを好む心で入れるのはよくない。
 四畳半にもなれば、花によっては二種類入れてもよいだろう。」
とあるそうです。

江岑宗左著『江岑夏書』に、
 「利休は海棠の花を入れて、[茶席の花は白いのよろしい]とおっしゃいました。
 昼の会には白い花を入れるのがよい、ということです。
 また、いまは花を二種類入れなくてはいけないようになりましたが、
 花があれば二種類入れますが、一種類でもいいでしょう。」
とあるようです。

同じく『江岑夏書』に、
 「利休はある茶会に招かれたときのことです。
 中立ちのあとの後座で、花入に入れられた花をご覧になって、
 [この坊主には久しく会っていない]とおっしゃいました。
 それを聞いた相伴の客たちは、
 [利休殿は何をおっしゃているのか]と、
 その意味を取りかねておりましたところ、
 茶会が終って利休は、
 [勝手に池坊殿がおられるのでしょう。どうぞ、こちらにおいでください。]
 とおっしゃいました。不思議なことです。
 利休は、花を見ただけで誰が入れたかわかられたのです。」
とあるそうです。

近松茂矩著『茶湯古事談』に、
 「夜会には昔も今も花は入れないものであると言われていますが、それは誤りです。
 利休は珍しい花であればたとえ夜会であっても入れていました。
 とりわけ白い色はこの上なくよい、と言われたそうです。
 その証拠に、豊臣秀次公があるとき、
 細川三斎を相伴に利休の夜咄の会に御成りになったとき、
 利休は所持していた古銅の花入[杵の折れ]に手燭で花を入れたことがあり、
 当時そのことがうわさとなって世間の茶人たちが賞賛したという話が伝えられています。」
とあるみたいです。

同じく『茶湯古事談』に、
 「利休は曼珠沙華と朝顔の花は入れないほうがよい、と言われました。
 また、いまの世では、赤い花と牡丹とは茶室の花として好ましくないと言うが、
 利休は薄い色の芙蓉と紫色の牡丹は入れてもよいとおっしゃっています。
 ただし、芍薬の花は葉をつけ、牡丹は葉をつけないで入れるのがよい、とのことです。
 また、虎の尾は、利休が面白がってたびたび入れておられます。
 ある宗匠は、紫色の木蓮を好んで入れました。
 それは一名紫玉蘭といい、昔は世間ではたいそう珍しい花で、
 豊国神社の社前にありましたが、
 花の咲く頃になると所望する人が多かった。ということでした。」
とあるそうです。

久須見疎安著『茶話指月集』に
 「ある年の春の頃のことです。
 秀吉公は大きな金の鉢に水を入れて置かせ、
 そばに紅梅を一枝置いて利休に、
 [花を入れてみよ]
 とおっしゃいました。
 側近の人々は
 [これは難題だなあ]
 とささやき合いました。
 しかし利休は平然として、紅梅の枝を逆手に取って、
 水鉢にさらりとしごき入れました。
 すると、開いた梅とつぼみが入りまじって水面に浮び、
 何とも言えぬ風情になりました。秀吉公は、
 [何とかして利休を困らせてやろうとするのだが、何とも困らぬやつじゃ]
 と、ご機嫌でした。」
とあるとのこと。

『茶道四祖伝書』に以下の話があるようです。
 大徳寺高桐院の清巌和尚が口切の茶で、
 細川三斎のところへお出でになりました。

 三斎は竹の二重切を出して和尚に花所望をし、
 自分は下のほうに花を入れて、
 「和尚、どうぞ上を空けておきましたので、
 花をお入れください。」
 と言いました。

 和尚が
 「このように二重切の花入は下から入れるものですか」
 と尋ねると、
 三斎は、
 「利休のところで蒲生氏郷牧村兵部と自分と三人で客になったとき、
 利休が二重切の花入を出したので、上下のことを訊ねると、
 利休は、
 [このことを論じたことはかつてありません。
 いま、ここで話し合って決めましょう。
 三人の皆さんはどうお考えですか、
 お一人ずつおっしゃってください]
 と各々に聞かれましたが、
 誰もわかりません。
 利休が言うには、
 [いつも上から入れると、ただいまここで決め、
 これからはこの通りにしましょう]
 と言い、このときからこれが定めとなりました。
 しかし今日は、和尚のために私が下にいれました」
 と言いました。

 和尚は上に入れましたが、
 いかにもかすかに、そっとお入れになりました。
 それが一段とよく、下の花へのあしらいでした。
 貴人には上に入れていただくということの、よい証拠です。


■茶花と千宗旦関連の文献
江岑宗左著『江岑夏書』に、
「蘭などの香りの高い花を入れるときは、
伽羅(香木)にせよ、薫物(練香)にせよ、
香は焚かないものです。
宗旦はいつもそうしていました。
すぐれたことですが、
いまの人は知らないことです。」
とあるそうです。

速水宗達著『喫茶指掌編』に以下の話があるようです。
 安居院の正安寺住職と宗旦は、日頃からたいへん親しくしていましたが、
 寺の庭に妙蓮寺という椿が咲き出したので、
 宗旦に贈るため若僧に言いつけて持たせてやりました。

 ところが、途中で花が落ちてしまい、
 若僧はどうしようもなくそのまま宗旦のところへ行き、
 「預かってきた椿の花が途中で落ちてしまいました。
 このことを住職に報告すれば、さぞ叱られることでしょう。
 どうか何事もなかったことにしてください。」
 と謝りました。

 それを聞いた宗旦は、
 「よく正直に言われた、しばらくお待ちなさい」
 と言って奥に入り、
 今日庵の壁床に掛かっていた掛物をはずして、
 利休作の一重切花入「園城寺」を掛けると、
 そこに花のない椿の枝をさし、
 その下に花を置いて若僧を招き入れ、
 薄茶を点ててもてなし、
 互いに楽しんだということでした。



読み:つばき
花名:椿(玉之浦椿)
大変珍重されており、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の異名を持つみたいです。
この玉之浦椿は開花期は1〜4月ですが、椿自体はいろいろな種類があるので年中無休です。
読み:ほととぎす
花名:時鳥
白地に紫の斑点が、鳥のホトトギスの胸に似ているから名付けられたみたいです。
季語は秋。5月上旬までは良く日に当てるけど、それ以後の直射日光は有害だそうです。
「水やり3年」とよく言われますが、ホトトギス類の栽培では失敗が少ないかも。
読み:みやまりんどう
花名:深山竜胆
日本だけに自生して、北海道から本州の中部地方、高山の少し湿った草地に生えるようです。
花は15mmから20mmと小さくて、写真を横から撮るのは難しいみたいです。
語源は、根の味が竜の胆のように苦いからだそうだけど、漢方では熱や炎症をさます寒性の
生薬として需要があるみたいです。
読み:ぼたん
花名:牡丹
牡丹と言えば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」。
中国から来た花で、語源は「牡」が雄蕊と雌蕊が花弁になって種子ができてくとこからで、
「丹」は赤いの意味。牡丹は昔から赤が基準だったみたいです。

 春の「ぼたもち(牡丹餅)」秋の「おはぎ(御萩)」は同じものですが、
 夏は「夜船」(「搗き知らず」→「着き知らず」 と言葉遊びをして、夜は暗くて船がいつ着いたのかわからないことから。)
 冬は「北窓」(「搗き知らず」→「月知らず」つまり月が見えないのは北側の窓だ、ということから。)
などという呼び名もあるみたいです。 ただ、牡丹餅と御萩の呼称は諸説あるみたいですが・・・。
牡丹の花は大きく美しいので、百花の王(花王)と称えられます。
会社「花王」も石鹸の包装紙に使っていて・・・と、だいぶ話がそれましたね。
読み:がくあじさい
花名:額紫陽花
普通の紫陽花(西洋紫陽花)は、この日本原産の額紫陽花を品種改良したものだそうです。
この「紫陽花」という漢字、唐の詩人・白居易が別の花につけたのがまちがって広がったらしくて、
普通「あじさい」なんて読めないですよね。
万葉集にも出てるみたいで、「安治佐為」になっているとか。
この額紫陽花、花の部分は真ん中の小さいところ。周りの青い部分は葉っぱが変形したもの(装飾花:萼片)だそうで、
額縁の様に見えるといいけれど・・・。
読み:むくげ
花名:木槿
むくげはかゆみ止に効く生薬(木槿花:もくきんか)の原料。
作り方は、夏に少し開きかけた蕾を採取して、天日で乾燥させるだけ。
挿し木で簡単に繁殖できるとか。花言葉は「尊敬」「柔和」「信念」「デリケートな美」。
読み:しゅうめいぎく
花名:秋明菊
別名だらけのこの花は、中国から来ていて、「菊」でなくて「アネモネ」の仲間とのこと。
「秋牡丹」「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」
全部、秋明菊の別名。
江戸時代の園芸家、水野元勝著『花壇綱目』だと「秋明菊」、
江戸時代の生物・農学者、貝原益軒著『大和本草』だと「秋牡丹」、
京都市左京区の貴船近辺に多く自生していたものは「貴船菊」などなど
呼び名の由来もいろいろあるみたいです。

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