茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

茶筅(茶筌)ってこんなの

茶筅の字はもともと鍋などの焦げ付きを落とす道具、筅(ささら)から来ているそうで、
芸術まで高められた高山の茶筅では「筌」の字を使うことが通例だとか。

高山宗砌が 村田珠光 の依頼で開発したのが茶筅の始まりだそうで、近松茂矩著『茶湯古事談』には、
「茶筌は 武野紹鴎利休 の頃まで蓬莱の甚四郎、 利休 の頃には高山甚左が作ってそれぞれ天下一と言われた」とか
「高山甚左の子孫の甚之丞や、玉林も茶筌作りで名を馳せた」といったようなことが載っているみたいです。

茶筅は、竹製のものがほとんどだけど、アウトドア用に金属製・プラスチック製なんかもあるようです。
また、流派や用途によって様々な種類があって、
少なくとも以下のような違いがあるそうです。
種類内容流派
茶筅の材質 煤竹表千家
紫竹(黒竹)武者小路千家
白竹(淡竹)裏千家他
穂先の形状 真直ぐ武者小路千家
外穂の先端を内に曲げる裏千家


他に、編み糸の色なども流派や趣向によって違いがあるようで、
通常は黒の糸を用いるけど、白や赤の糸を用いることもあるとのこと。

茶筅は穂の数で名称が違って、平穂(16本)/荒穂(32本)/中荒穂(48本)/常穂・並穂(64本)/
穂・繁穂(72本)/八十本立(80本)/百本立(96本)/百二十本立(120本)
といった感じになるみたいです。

茶筅の加工工程は以下の九段階のようです。
1.コロ切り:節を挟むように切って円筒形の「コロ」にする。(長さは3寸7分(12cm弱)が標準的。)
2.皮むき:穂先となる部分(根本側)の皮を薄くむく。(湯の吸収を早くすることで穂先が折れにくくする効果がある。 )
3.大割り:根本側から節近くまで16等分に割る。割り方は竹の太さや作る穂の数によって12〜24等分と変化する。
4.片木:等分したそれぞれを外側にこじあげて、竹の肉を外し皮だけ残す。
5.小割り:目的とする穂数に割っていく。(八十本立なら16等分したそれぞれを5等分し、さらに不均等に2つに割る。)
6.味削り:湯に浸して柔らかくしてから、穂の内側をこするように削いで薄くする。
7.面取り:外穂の面取りをする。(点てるときに抹茶が付着しないようにする効果がある。)
8.下編み・上編み:糸で編んで外穂を広げる。
9.仕上げ:穂先をしごいて形を整える。

『分類草人木』に
「茶筅、柄杓、茶巾の三種のうち、
一種は新しきを用いるべし。
そのうち茶巾は常に新しいきを好むべし。
柄杓は新しきはいかにも初心者に思われるべきものなり。
茶筅も、二、三度使いたるよし。」
とあるそうです。

『茶具図賛』に
竺副帥(茶筅)
名は善調。字は希点。号は雪濤公子。
「首陽の餓夫、 兵沸の時に毅諫す。
方今鼎湯を揚げ、 能く其の沸けるを探る者はほ幾んど調なり。
子の清節、獨り身を以て試む。
難に臨みて顧みざる者に非ざれば、
儲か縄激しを見ん。」
とあるようです。

ちなみに以下が参考としてあるみたいです。
善調:茶を上手に点てる。
希点:茶を点ずることを希(ねが)う。
雪濤:茶をかき混ぜた白い波の様子。
 ※陸游の『遺興』に
 「湯嫩(わか)くして雪濤茗碗に翻る」
 とあるそうです。


作品名:茶筅3本組
茶筅3本組
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ここでは「茶筅通し」についてひと口。
茶筅通しには、穂先を湯に馴染ませ柔らかくして折れにくくする効果があるそうで、
最初の茶筅通しは、軽くサラサラとお湯に馴染ませるようにすれば良いみたいです。

戻ってきた茶碗に対する茶筅通しは、茶碗と茶筅を同時にすすぐため、
茶筅の穂先に付いたお茶を落とすようにして振るのだそうです。

点てる前を「茶筅湯じ」、点てた後を「茶筅濯ぎ」と呼んで区別することもあるのだとか。

茶筅を上下するのは、穂先を目前で改めて折れや汚れのないことを確かめる意味があるそうで、
予め水屋で穂先が折れていないかを確かめ、次に軽く水にくぐらせ清め茶碗に仕組んだものが、
問題ないかを、改めて確認するようです。

茶筅を茶碗の縁で軽く音を立てる動作は、
真言密教の灑水(しゃすい)の礼に由来した浄(きよ)めの意味があるのだそうです。

ちなみに、灑水(洒水)というのは、密教の儀式を行う前に道場や法具などに香水(こうずい)をかけ、
煩悩や穢れを浄めることだそうです。
作品名:茶筅各種
(左から)
中荒穂:価格:2,000円
真数穂:価格:2,000円
五分長:価格:2,000円
煤竹数穂:価格:売り切れ
備考:紙箱入

茶筅各種
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ここでは、茶筅に関するひと口知識をいくつか紹介しようかと思います。


■貴人清次
なぜ、そうなのかはよくわかりませんが、
裏千家の貴人清次では、
茶筅は貴人の「清」が白竹に対して、
「次」は煤竹の数穂を用いるのだそうです。


■茶筅の大きさ
茶筅の大きさは、通常は3寸7分(12cm弱)ほどですが、
西大寺の大茶盛(おおちゃもり)で用いられる茶筅は、
高さ1尺2寸(約36cm)もあるみたいです。


■茶筅の紐
茶筅の紐は、からみ糸・かがり糸などと呼ばれるそうです。
通常は黒の糸を用いるようですが、
流派や趣向によって白や赤の糸を用いることがあるとか。

赤糸の茶筅の代表的なものが、
長寿の祝い事に用いられる祝茶筅みたいです。
還暦や古希では元節、喜寿や米寿では節無しとするのだとか。
作品名:茶筅各種
(左から)
中荒穂
天目
数穂
煤竹80本
備考:プラスチックケース入

茶筅各種
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ここでは、茶筅の穂について説明しようかと思います。

用途によって穂の数は16本〜120本まであるようですが、
64本が標準と考えられているそうです。

この数は外穂の本数で、
64本なら外穂と内穂を合わせれば128本になるみたいです。

穂数が少なければ穂が太く腰の強い茶筅になり、
穂数が多ければきめ細かな茶筅になるそうで、
一般に濃茶を練る場合には穂数の少ないものを、
薄茶を点てる時には穂数の多いものを用いるのだとか。

穂数が多いものほど製作に技術を要するため、
格の高い茶筅とされたそうです。
そのため、明治維新以前は、80本以上の穂数は大名以上の貴人用、
120本は将軍用とされていたようです。

大名が濃茶を練る場合には、
穂数を多く、かつ穂を太くするため、
太い竹で茶筅を作り、これを宝莱と呼んだそうです。
穂数が少ない茶筅で薄茶を点てるには技量を必要とするため、
逆に穂数の多い茶筅を用いることで、
自らの未熟を示して謙遜する意味合いもあったのだとか。


■以下、茶筅の穂の数と名称の関係を表にしようかと思います。
穂数名称
16本平穂
32本荒穂
48本中荒穂
64本常穂・並穂
72本数穂・繁穂
80本八十本立
96本百本立
120本百二十本立
作品名:茶筅各種
(左から)
煤竹真穂:価格:5,000円
煤竹百本立:価格:6,000円
白竹数穂:価格:2,000円
備考:プラスチックケース入

茶筅各種
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茶筅は、もともと中国で使われていた「筅(ささら)状のもの」が、
茶とともに日本にもたらされたのに始まるようです。

抹茶の普及につれて、茶筅を空也念仏宗の僧が売り歩くようになったそうで、
茶筅の製作を賤民の業とする時代もあったのだとか。

江戸時代に入って茶の湯が確立すると、
茶筅の製作を専業とする茶筅師が出現し、
奈良高山(現:生駒市高山町)が茶筅の産地として知られるようになったみたいです。


■茶筌(茶筅)の歴史
足利義政将軍時代、大和国添下郡鷹山村(現:奈良県生駒市高山町)の城主、
鷹山大膳介頼栄の次男に宗砌という人がいたそうです。

村田珠光との親交が厚かった宗砌は、
珠光に茶の粉末を湯に混和する道具の作成を依頼されたみたいです。
この時、仕上げたのが「茶筌」だったようです。

珠光は時の帝、後土御門天皇の行幸を仰ぎ、茶筌を天覧に供したそうです。
天皇はその精巧な実用工芸品に感動し、「高穂」と名付けたのだとか。

茶筌は城主一族の秘伝としたそうなのですが、
高山家八代の頼茂を最後に高山家が没した後、
16名の家来が秘伝を受け継ぎ、
城主の余技であった茶筌作りは、ひとつの職業としてスタートしたみたいです。

明治になるまで高山茶筌の秘伝は公開されず、
一子相伝とされたそうですが、
それ以後は公開され、ロンドンの日英大博覧会・
サンフランシスコ万国博・パリ大博覧会等に出品されたようです。
明治・大正・昭和・今上天皇の天覧にも供されたのだとか。
作品名:茶筅各種
(左から)
谷村丹後 煤竹80本立:

池田壱岐 煤竹天目:

修竹園 煤竹真数穂:

備考:紙箱入

茶筅各種
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水指に由緒がある場合の点前として、
茶筅荘というあるそうです。

水指の上、右方に茶杓を仰向けにして載せ、
蓋の摘みの手前に茶巾を載せて、その上に茶筅を荘り、
水指の前に茶碗を茶入に入れて荘付けて、迎付けするみたいです。

ちなみに、大寄せの茶会などで、
最初から茶入・水指が荘ってある場合でも、
釜から拝見するそうです。
作品名:茶筅各種
(左から)
宗傳 真数穂:
価格:3,000円

芳竹 数穂:
価格:2,500円

壱岐 真数穂:
価格:3,000円

茶箱用:価格:2,000円

茶筅各種
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竹と笹は別物だそうで、
竹は大きく、笹は小さいとか、
竹の皮が落ちるのが竹で、皮が残るのが笹、
といった区分けがあるようです。


■竹・笹の種類一覧
ここでは、竹や笹の種類を一覧にしてみようかと思います。
区分け名称備考
オカメザサオカメザザ 関西以西で、「酉(とり)込む」という縁起用語重なることから、
おかめの面・小判などを笹に飾り付けて福笹と言われるようになった。
それが、オカメザサの名の由来。
また、神楽舞に用いられることから、カグラザサの別名もある。
マダケキッコウチク 稈の中央部分以下の節の間が、
一節おきに交互に膨出して亀甲状になった竹。
キンメイチク稈の芽溝部に緑色の縦縞が入り、
その他の部分が黄金色となるため、キンメイチクと名付けられた。
クロチクかつて中国の舜帝に、堯王の娘の蛾皇と女英の二人の妃がいて、
互いに仲良く過ごしていたという。
しかし、不幸にも帝が急に崩御し、蒼海の野に葬られると、
来る日も来る日も、二人は帝の墓前に泣き伏していた。
そんなとき、涙が周りの竹に降りかかり、
その部分から黒斑を生じて、クロチクが生えたという。
この故事にちなんでの名。
ハンチク成竹となった頃の稈は、淡黄緑色であるが、
次第に褐色に変色する。
他に、丹波地方のタンバハンチク・ウンモンチクや
キンメイハチク・トサトラフダケなどもある。
ヒメハチク形態が小形で、稈の先端部までが通直であるため、
姿が美しく、盆栽に最適。
ホテイチク稈の基部から枝下あたりまでの節が斜めになって、
節間が不規則に短く詰まって膨らんでいる。
それが七福神の布袋の膨らんだ腹を連想させることから、
布袋竹と名付けられた。
マダケ日本で最も価値の高い竹で、
材質が強靭で緻密、弾力性と粘りが他の竹より優れている。
真竹こと本当の竹と称されてきた所以であろう。
モウソウチク原産は中国で、冬に母の為に寒中筍を掘り採った、
三国時代の呉の人物・孟宗(もうそう)に因んだ名前。
シホウチクシホウチク竹の横断面がやや丸味を帯びた四角形であるところからの名。
ホウライチクダイサンチク熱帯から亜熱帯にかけて広く世界中に分布する。泰山竹。
ホウライチク地下茎を伸ばさず株立状となるためバンブー類に分類される。
東南アジアから中国南部にかけての熱帯地域を原産とし、
桿の繊維を火縄銃の火縄の材料とするため日本へ渡来し、
中部地方以西に植栽されている。蓬莱竹。
トウチクトウチク中国南部・台湾原産の多年生常緑竹で、
造園業界ではダイミョウチク(大名竹)と称して流通している。唐竹。
ナリヒラダケナリヒラダケ植物学者牧野富太郎によって、
在原業平のように容姿端麗で美しいということから命名された。
メダケオロシマチク福岡県の於呂島(おろしま)で発見されたことからの名。
メダケマダケを男竹と見立てた時の女竹で、
形態的にマダケよりも小形。
『古今和歌集』や『源氏物語』では「なよ竹」と呼んでいる。
漢竹ともいう。
リュウキュウチク琉球列島原産で、琉球地方の、
古い民家の屋根に葺かれたところからの名。
カンチクカンチク種名の由来は晩秋から冬にかけてタケノコが出ることから。
耐寒性がある訳ではない。寒竹。
スズタケスズタケ稈は淡紫褐色で、稈鞘の長さは節間より長く、
長毛があり、葉片は長い。
ササクマザサ湿度の高い奥山、熊も住んでいそうな深山に分布するところからの名。
チシマザサ稈[1]の基部が弓状に曲がっていることからネマガリダケとも言われる。
チマキザサ古くから食品の包装用に使われ、
特に、粽(ちまき)を昔から包んでいたことからの名。
ミヤコザサ比叡山で発見されたことから都笹と名付けられた。
ヤダケヤダケ節間が長く、真直ぐで節が低く、
芽溝部の凹みが浅く、稈が正円であるといった特徴から、
「矢」として昔から使用されてきた。
ラッキョウヤダケ節の基部がラッキョウのように膨出しているところからの名。

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