種類 | 内容 | 流派 |
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茶筅の材質 | 煤竹 | 表千家 |
紫竹(黒竹) | 武者小路千家 | |
白竹(淡竹) | 裏千家他 | |
穂先の形状 | 真直ぐ | 武者小路千家 |
外穂の先端を内に曲げる | 裏千家 |
作品名:茶筅3本組 |
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ここでは「茶筅通し」についてひと口。
茶筅通しには、穂先を湯に馴染ませ柔らかくして折れにくくする効果があるそうで、 最初の茶筅通しは、軽くサラサラとお湯に馴染ませるようにすれば良いみたいです。 戻ってきた茶碗に対する茶筅通しは、茶碗と茶筅を同時にすすぐため、 茶筅の穂先に付いたお茶を落とすようにして振るのだそうです。 点てる前を「茶筅湯じ」、点てた後を「茶筅濯ぎ」と呼んで区別することもあるのだとか。 茶筅を上下するのは、穂先を目前で改めて折れや汚れのないことを確かめる意味があるそうで、 予め水屋で穂先が折れていないかを確かめ、次に軽く水にくぐらせ清め茶碗に仕組んだものが、 問題ないかを、改めて確認するようです。 茶筅を茶碗の縁で軽く音を立てる動作は、 真言密教の灑水(しゃすい)の礼に由来した浄(きよ)めの意味があるのだそうです。 ちなみに、灑水(洒水)というのは、密教の儀式を行う前に道場や法具などに香水(こうずい)をかけ、 煩悩や穢れを浄めることだそうです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作品名:茶筅各種
(左から) 中荒穂:価格:2,000円 真数穂:価格:2,000円 五分長:価格:2,000円 煤竹数穂:価格:売り切れ 備考:紙箱入 |
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ここでは、茶筅に関するひと口知識をいくつか紹介しようかと思います。
■貴人清次 なぜ、そうなのかはよくわかりませんが、 裏千家の貴人清次では、 茶筅は貴人の「清」が白竹に対して、 「次」は煤竹の数穂を用いるのだそうです。 ■茶筅の大きさ 茶筅の大きさは、通常は3寸7分(12cm弱)ほどですが、 西大寺の大茶盛(おおちゃもり)で用いられる茶筅は、 高さ1尺2寸(約36cm)もあるみたいです。 ■茶筅の紐 茶筅の紐は、からみ糸・かがり糸などと呼ばれるそうです。 通常は黒の糸を用いるようですが、 流派や趣向によって白や赤の糸を用いることがあるとか。 赤糸の茶筅の代表的なものが、 長寿の祝い事に用いられる祝茶筅みたいです。 還暦や古希では元節、喜寿や米寿では節無しとするのだとか。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作品名:茶筅各種
(左から) 中荒穂 天目 数穂 煤竹80本 備考:プラスチックケース入 |
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ここでは、茶筅の穂について説明しようかと思います。
用途によって穂の数は16本〜120本まであるようですが、 64本が標準と考えられているそうです。 この数は外穂の本数で、 64本なら外穂と内穂を合わせれば128本になるみたいです。 穂数が少なければ穂が太く腰の強い茶筅になり、 穂数が多ければきめ細かな茶筅になるそうで、 一般に濃茶を練る場合には穂数の少ないものを、 薄茶を点てる時には穂数の多いものを用いるのだとか。 穂数が多いものほど製作に技術を要するため、 格の高い茶筅とされたそうです。 そのため、明治維新以前は、80本以上の穂数は大名以上の貴人用、 120本は将軍用とされていたようです。 大名が濃茶を練る場合には、 穂数を多く、かつ穂を太くするため、 太い竹で茶筅を作り、これを宝莱と呼んだそうです。 穂数が少ない茶筅で薄茶を点てるには技量を必要とするため、 逆に穂数の多い茶筅を用いることで、 自らの未熟を示して謙遜する意味合いもあったのだとか。 ■以下、茶筅の穂の数と名称の関係を表にしようかと思います。
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作品名:茶筅各種
(左から) 煤竹真穂:価格:5,000円 煤竹百本立:価格:6,000円 白竹数穂:価格:2,000円 備考:プラスチックケース入 |
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茶筅は、もともと中国で使われていた「筅(ささら)状のもの」が、
茶とともに日本にもたらされたのに始まるようです。 抹茶の普及につれて、茶筅を空也念仏宗の僧が売り歩くようになったそうで、 茶筅の製作を賤民の業とする時代もあったのだとか。 江戸時代に入って茶の湯が確立すると、 茶筅の製作を専業とする茶筅師が出現し、 奈良高山(現:生駒市高山町)が茶筅の産地として知られるようになったみたいです。 ■茶筌(茶筅)の歴史 足利義政将軍時代、大和国添下郡鷹山村(現:奈良県生駒市高山町)の城主、 鷹山大膳介頼栄の次男に宗砌という人がいたそうです。 村田珠光との親交が厚かった宗砌は、 珠光に茶の粉末を湯に混和する道具の作成を依頼されたみたいです。 この時、仕上げたのが「茶筌」だったようです。 珠光は時の帝、後土御門天皇の行幸を仰ぎ、茶筌を天覧に供したそうです。 天皇はその精巧な実用工芸品に感動し、「高穂」と名付けたのだとか。 茶筌は城主一族の秘伝としたそうなのですが、 高山家八代の頼茂を最後に高山家が没した後、 16名の家来が秘伝を受け継ぎ、 城主の余技であった茶筌作りは、ひとつの職業としてスタートしたみたいです。 明治になるまで高山茶筌の秘伝は公開されず、 一子相伝とされたそうですが、 それ以後は公開され、ロンドンの日英大博覧会・ サンフランシスコ万国博・パリ大博覧会等に出品されたようです。 明治・大正・昭和・今上天皇の天覧にも供されたのだとか。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作品名:茶筅各種
(左から) 谷村丹後 煤竹80本立: 池田壱岐 煤竹天目: 修竹園 煤竹真数穂: 備考:紙箱入 |
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水指に由緒がある場合の点前として、
茶筅荘というあるそうです。 水指の上、右方に茶杓を仰向けにして載せ、 蓋の摘みの手前に茶巾を載せて、その上に茶筅を荘り、 水指の前に茶碗を茶入に入れて荘付けて、迎付けするみたいです。 ちなみに、大寄せの茶会などで、 最初から茶入・水指が荘ってある場合でも、 釜から拝見するそうです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作品名:茶筅各種
(左から) 宗傳 真数穂: 芳竹 数穂: 壱岐 真数穂: 茶箱用: |
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竹と笹は別物だそうで、
竹は大きく、笹は小さいとか、 竹の皮が落ちるのが竹で、皮が残るのが笹、 といった区分けがあるようです。 ■竹・笹の種類一覧 ここでは、竹や笹の種類を一覧にしてみようかと思います。
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