茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

道幸(洞庫)ってこんなの

道幸(どうこ)は、茶室の点前畳から亭主が点前をしながら、
道具類の出し入れができるようにした押入式の仕付棚のことで、
茶席の道具畳の勝手付に押入式に取り付けられるのが一般的だそうです。

老人など身体の動きの不自由な人が、水屋から道具を運び出さなくてもよいように、
このなかに点前で用いる道具がおさめられているそうで、
押入式に取り付けられた「洞庫」のほか、
水を流せるようにした「水屋洞庫(みずやどうこ)」、
取り外しのできる「置洞庫(おきどうこ)」、
があるようです。


■道幸とは
道幸は利休形で、道安の工夫だそうです。
道安は足の不自由な人で、運びに困ったことから工夫したとのこと。
利休形は杉木地で後ろに開き戸があり、右側に柄杓釘があるそうです。

道幸というの、傀儡師を始めた人の名のようで、この中に茶道具を入れておいて、
出して茶を点てることが傀儡師のようだということで名付けたのだとか。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「道幸 利休形、スギ、うしろに開き戸あり、
杓釘袋懸釘あり、件翁より袋釘をとる、
極老はうしろの開きより水指へ水を加ふ、
板敷にもおき、畳の上にもおくなり」
とあるそうです。

久須美疎安著『茶道望月集』に
「右道幸を見立初めたる事は、
手グツ人形をツカイ初タル者を道幸の坊といふ也、
箱をせおふて旅行自由する様に拵、
夫に色々人形を入てツカイ歩行せし、
其箱より見立初し事と也、
其人の名を取て、今以道幸と云と也、
今も西の宮より出て、手グツ坊まはしとて、其余風有也」
とあるみたいです。

『茶事集覧』に
「道幸の作者を、或人利休居士に問、
云道幸といふもの仕始たるものといひしなり、
古は勝手にさまざまの棚を置、其日の会の諸具を取そろへ置、
座敷へはび座出し茶を点しなり、
それもむつかしとて、座敷に仕付たるものを利休いはれしなり、
道幸作者は引拙といふ説もあり」
とあるようです。


■水屋洞庫とは
水屋洞庫は、
茶室の点前畳から亭主が点前をしながら道具類の出し入れができるようにした、
押入式の仕付棚に流しのある洞庫だそうです。
利休の百舌野の二畳敷、 宗旦の隠居の二畳敷(今日庵)に設けられているようです。

今日庵の水屋洞庫は、
横四尺六寸五分、高さ二尺一寸、深さ一尺九寸五分、
下は一面に竹簀子とし、横三尺二寸、深さ一尺二寸、
厚さ四分の棚を、右端を壁に付け、
左端を釣木で一尺二寸九分の高さに取付けてあるとのことです。

立花実山著『南方録』に
のもず野の二畳じきに、向炉客付に切、左に道古棚あり、
三尺にて、前一枚障子、内の棚一段云に及ばず、
下段を竹すのこにして、水桶のちいさきを置、
こぼしなしに手前はたらき玉へり、さびて面白きしつらゐなり」
とあるそうです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「水屋道幸 元伯このみ、今日庵に用ゆ、
下竹簀、一重棚うしろ打ぬき、常は戸を入る、
夏は戸をとり簾をかける、夜分は桐のカケ燈台を用ゆ、
極老は水遣兼用にもなす、釣木、向はスギの木、前は竹なり」
とあるようです。

松屋家の茶会記『松屋会記』に
「タウコの所を、二枚戸にして、
一方には、茶入・茶ワン棚に置て、又すえの方、
一方には、ハントウに水あり。水下も何も居なからの仕舞也、
是も利休云、年寄ての仕舞也、
可有事也と云しに付て、如此と語候」
とあるみたいです。


■置洞庫とは
置洞庫は、引違戸の後方に置いて、
茶室の点前畳から亭主が点前をしながら道具類の出し入れができるようにした、
持ち運びのできる箱状の洞庫みたいです。
宗旦好が「又隠」の洞庫に好んだようで、
地板がなく、点前を終え道具を飾るのだそうです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「飾道幸は畳すれあり、手前は台目はこび手前の通り、芳野スギなり」
とあるとのこと。

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