茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

懐紙(かいし/ふところがみ)ってこんなの

懐に入れて携帯するための小ぶりで二つ折りの和紙の「懐紙」。
手にして持ち歩いている紙という意味で「手紙(てがみ)」、
畳んで懐に入れる所から「たとうがみ」とも言うみたいです。

ここでは、まず「紙(和紙)」の説明をしたあと、「懐紙」の説明の続きをしようかと思います。


■紙の歴史■
世界最古の紙は、紀元前150年頃のもので、前漢時代の地図が書かれたものだそうです。

紀元前140年〜87年頃の「紙」は銅鏡などを包む包装紙だったようで
「ハ橋麻紙(はきょうまし)」と呼ばれるとのこと。これは、主要な原料が大麻だったみたいです。

史書に残された「紙」の最初の記録は『後漢書』で、
「105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上した」
という記述があるそうです。
蔡倫は、中国後漢代の宦官で、実用的な紙の製造方法を定めた人なのだとか。
この紙は特に「蔡侯紙」呼ばれ、軽くかさばらないところから、
記録用媒体として、従来の木簡・竹簡・絹布に代わって普及したようです。

その後、唐時代には、樹皮を主原料とした紙や、竹や藁を原料として混ぜた紙が作られ、
宋や明の時代には、出版が盛んとなったため大量の紙が必要となり、竹紙が盛んに作られたそうです。
明時代末の1637年に刊行された『天工開物』には、竹紙と樹皮を原料とした紙の製法を取り上げているみたいです。

日本への「紙」の伝来は、4世紀〜5世紀だそうです。

また、日本への紙漉きの伝来は『日本書紀』の
「紙は610年に高句麗から伝来した」
といった内容の記述が最初なのですが、
それ以前の513年、五経博士が百済より渡来して以降、
「漢字」「仏教」が普及しはじめ、写経が仏教普及の大きな役割をはたしたことから
既に「紙漉き」は伝来していたという説もあるとのこと。


■和紙の歴史■
「和紙」は、日本が独自の発展させたもので、ガンピ・コウゾ・カジノキなどが原料なのだそうです。

日本への紙漉き技術の伝来に関して、もう少し補足すると『日本書紀』には
「飛鳥時代の推古天皇18年(610年)に高句麗の僧侶曇徴は紙漉きと墨を上手に作る事が出来、
横型水車動力による特殊な石臼も造れ、石臼製造のみ本邦初である」
との記述があるそうです。

曇徴(どんちょう)は、高句麗から渡来した僧で、いろいろと"伝説"がある人みたいです。
例えば、
「聖徳太子が曇徴を斑鳩宮に招いて、その後に法隆寺に止住させた」とか、
「法隆寺金堂壁画は曇徴の手による」とか、
「曇徴は日本における製紙の創製者」とか、
「僧侶でありながら、儒学にも通じ、工芸面にも暗くなかった」とかなどですが、
日本で「曇徴」の記述が見られるのは、『日本書紀』の上記の一文だけだそうです。

年代のわかるものとして現存する最古の和紙は、正倉院に残る702年の美濃・筑前・豊前の戸籍用紙のようです。

『正倉院文書』には、
「天平9年(737年)には、美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙漉きが始まった」
とあるそうで、製紙技術の伝来から100年程経過してから、本格的な紙の国産化が始まったみたいです。

『大宝律令』によって国史や各地の『風土記』の編纂のために図書寮が設置され、
紙の製造と紙の調達も管掌したようです。
この「図書寮」には、34人の定員の内、写書手が20人、紙漉きを行う造紙手が4人いたみたいです。

天平11年(739年)には、写経司が設置され、写経事業のために紙の需要が拡大、
『図書寮解』には信濃・上野・越前・佐渡など20もの産地が記載されているそうです。


■和紙の材料■
以下に、和紙の原材料別の種類を説明しようと思います。
名称備考
麻紙 大麻や苧麻の繊維で作られた、最も古くから漉かれた紙だそうです。
麻布を細かく刻み、煮熟するか織布を臼で擦り潰してから漉いたようです。
穀紙 カジノキやコウゾの若い枝の樹皮繊維を原料とした紙だそうです。
「穀」というのは「カジノキ」や「コウゾ」のことを指すみたいです。

麻紙と同様に煮熟して漉いた。表面の肌理がやや荒いが、繊維が長いため丈夫な紙となったとのこと。
麻紙に比べ、取り扱いが容易で、増産に適した紙だそうです。
雁皮紙(斐紙) 雁皮紙は、古代では斐紙や肥紙と呼ばれたようです。

繊維が短くて光沢のある「雁皮」を原料とした紙で、繊維は細く短いので緻密で緊密な紙となり、
紙肌は滑らかで、赤クリームの自然色(鳥の子色)と独特の好ましい光沢を有しているそうです。
その風格から「鳥の子紙」とも呼ばれるとか。

「雁皮」は、ジンチョウゲ科の植物で、成育は遅く栽培が難しいため、
雁皮紙には野生の樹皮を用いるようです。

厚い雁皮紙は漉きにくく、水分を多量に吸収すると収縮して、
紙面に小じわを生じる特性があるために太字用としては不適とされ、
かな料紙・写経用紙・手紙などの細字用として使われるのが一般的みたいです。

平安時代には、厚さによって厚様(葉)・中様・薄様と言われたそうで、
越前産のやや厚目の雁皮紙(鳥の子紙)が最上とされたようです。
この鳥の子紙は、雁皮とコウゾを混ぜたものみたいです。
檀紙(陸奥紙) コウゾを原料として作られた縮緬状のしわを有する高級和紙で、
厚手で美しい白色が特徴だそうです。
主として包装・文書・表具などに用いられるのだとか。

古くは主に弓を作る材料だったそうで、
ニシキギ科の落葉亜喬木であるマユミ(檀/真弓)の若い枝の樹皮繊維を原料として作られたことから
この「檀紙」という名前があるようです。

平安時代以後、高級紙の代表とされ、紫式部著『源氏物語』や清少納言著『枕草子』にも
「陸奥紙」として登場しているみたいです。
また、徳川将軍による朱印状も原則として檀紙が用いられていたそうです。



■懐紙とは■
懐紙(ふところがみ/かいし)は、畳んで懐に入れる所から「たとうがみ」「てがみ」と称したそうです。
後には和歌などを正式に詠進する詠草料紙を意味するようになったのだとか。

平安時代の貴族の必需品で、男性は檀紙を、女性は薄様の雁皮紙、
正式の詠草料紙には色の違う薄様を二枚重ねて使用したみたいです。

今日では、茶道の他に、和装の際や和食の中でも特に会席料理などの改まった席で使用するようです。
大きさは男性用が17.5×20.6cm程度、女性用が14.5×17.5cmのものが一般的で、特に「本懐紙」と言うそうです。

男性用は白無地が多いようです。一方、女性用の懐紙は多様な色柄があるみたいです。
例えば、絵柄入りの「絵懐紙」・季節柄の懐紙・「浮き彫り懐紙」・
季節を問わず使える「模様懐紙」・透かしの入った懐紙などさまざま。

水分を多く含む菓子には、水気が滲みにくい「硫酸紙(グラシン紙)」と呼ばれる半透明の薄い紙を重ねたり、
防水加工がされた専用の懐紙を用いるみたいです。また、袋になったものもあるそうです。


■関連リンク
「両面懐紙」について

「小袖懐紙」について

「硫酸紙」について

「袋たとう紙」について

「袂落し」について

「袖落し」について

「残肴入」について

「残菜入」について

「ハンカチ」について

「湿し小茶巾」について

は、それぞれ別ページで説明しています。


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