茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

濃茶ってこんなの

濃茶は、玉露などと同じく若芽や若葉の時期に覆いをかぶせ、
直射日光が当たらないように栽培した茶の古木の新芽を、
蒸して乾燥したものを、茶臼でひいてつくるそうです。
揉捻(じゅうねん)を行わずに乾燥させるのが、
煎茶や玉露との大きな相違点なんだとか。


■喫茶のはじまり
喫茶の風習は元々中国の唐代から宋代にかけて発展したもので、
固形茶を粉末して茶釜のようなもので煎じる団茶法に始まるそうです。
陸羽著『茶経』には、この団茶の効能や用法が詳しく記されているようです。

10世紀頃、点茶法(抹茶)が出来てきたみたいで、
蔡襄著『茶録』や、徽宗著『大観茶論』にその記述があるようです。
これらの文献では、龍鳳団茶に代表される、
高級な団茶を茶碾で粉末にしたものを用いており、
団茶から抹茶が発生した経緯をよく表しているのだとか。
この抹茶を入れた碗に湯瓶から湯を注ぎ、茶筅で練るのが宋時代の点茶法だったそうです。

日本には平安時代初期に唐から喫茶法(おそらく団茶法)が伝えられたようですが、
抹茶が伝わったのは鎌倉時代なんだそうです。

1191年、栄西禅師が、中国から帰国の折に茶種と作法を持ち帰り、
その飲み方などを広めたそうです。
栄西著『喫茶養生記』には茶の種類や抹茶の製法、
身体を壮健にする喫茶の効用が説かれているようです。
1214年には源実朝に『茶徳を誉むる所の書』を献上したのだとか。
この時代の抹茶は、現在のような、緑色ではなく茶色だったみたいです。


■おいしい抹茶の作り方(工場編)
毎年5月〜6月上旬にお茶摘みするそうです。
覆いをかけて日光を遮断し、やわらかくなった新芽のみを丹念に手で摘み取るとか。

手摘みされた新芽は、酸化酵素の働きをとめるため、
すぐに荒茶製造工場で蒸して乾燥させるそうです。
こうして作られた茶葉を「碾茶荒茶」と言うみたいです。

碾茶荒茶は、精製工場に運ばれ、精選・ブレンドされるようです。
葉脈や茎部分は水分が多いために再度乾燥させるのだとか。
更に品質維持と芳香を出すために、乾燥機により火入れが行われるみたいです。
こうして何回も乾燥と火入れを加えられたお茶を仕上茶(碾茶)と言うそうです。

碾茶は密封され、石臼挽きされるまでの間、
品質保持のため-5℃で保管されるようです。

冷蔵庫より出庫された碾茶はクリーンルームで石臼挽きされるそうです。
ここでは室温20℃・湿度35%以下の状態が常に保たれているとか。
石臼で挽かれた碾茶は超微分末(5μm〜9μm)となり、抹茶になるみたいです。

丹念に挽かれた抹茶は綿密な検査の上、
密封包装され梱包されたあと全国に出荷されていくそうです。


■濃茶のいろいろ
茶銘の末尾についている「昔」・「白」という表現は、
現代では濃茶と薄茶の区別として用いられるのですが、
本来は「昔」だけで、後になって「昔」に対して「白」という表現が用いられたのだとか。

昔という字は、最上級の茶の初摘みを行うといわれる旧暦3月20日(廿日)の、
「廿」と「日」を組み合わせたものとの説があるそうです。

白という表現は、三代将軍家光の時代に見られ、
当時の大名茶人が盛んに「茶を白く」と宇治茶師に求めたことがきっかけのようです。

亭主を中心とした少人数の茶事ではひとつの椀の濃茶を主客より順にまわし飲みますが、
濃茶の飲み回し(吸い茶)は、利休が始めたようです。

菓子は主菓子(おもがし)を出すのですが、
濃茶を出さない茶会やもてなしでは、
薄茶でも生菓子(なまがし)を出すことがあるのだとか。


■濃茶の文献
近松茂矩著『茶湯故事談』に
「むかしハ濃茶を一人一服づつにたてしを、
其間余り久しく、主客共に退屈なりとて、
利休が吸茶に仕そめしとなん」
とあるそうです。

『草人木』に
「むかしハ独ニ一服つつの故ミすくい也。
利休よりはすい茶なる故に、猶定なし。」
とあるようです。

立花実山著『南方録』に
「易の云う、濃茶の点前に一段と草あり。
薄茶の点前に極真あり。
この差別よくよく得心すべし。
時により所によることなり。
かろきようにて秘事なりと云々。」
とあるみたいです。

なお、「薄茶」については、別ページで説明しています。
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