茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

野点傘ってこんなの

野点傘(のだてがさ)は、和傘の一種で、野点の際に用いられる傘だそうです。

久須見疎安著『茶話指月集』によると、
北野大茶湯において、
1587年に豊臣秀吉が主催して行われた北野大茶湯の野点において、
丿貫が直径一間半(約2.7m)の大きな朱塗りの大傘を立てて茶席を設け、
人目を引いたみたいです。
このとき、秀吉も大いに驚き喜び、
以後、丿貫は諸役免除の特権を賜ったようです。

諸役免除というのは、夫役(耕作・貢租の運搬など)や軍役、
本年貢以外の租税を免除することだそうです。


■和傘の種類
和傘の内、野点傘には、「妻折(つまおれ)」と「本式野点傘」があるみたいです。

「妻折(爪折)」は、傘の端の部分が湾曲したデザインになっているそうです。
ろくろ周辺には綺麗な「かがり糸(飾り糸)」を多用しているのが特徴だとか。

もともと貴人や高僧へ差し掛けるための傘を大きくした形で、
人を傷つけないよう爪を折ったもののようです。

かがり糸は、魔除けを意味する五色の糸だそうで、
糸によって骨のつながりを強化し、傘全体を支えることによって、
骨の破損などの場合に貴人を傷つけることを防いでいるとか。

上述の、北野大茶湯において丿貫が豊臣秀吉を喜ばせた傘は妻折傘だそうです。

「本式野点傘」は、
1952年に皇太子成年を祝う茶会を催した時、
裏千家十四代家元淡々斎により、「御園棚」といっしょに考案されたものみたいです。

日常の番傘をほぼそのまま大きくした形で、
傘を開いた骨の先はまっすぐに伸び、かがり糸による装飾はないそうです。

傘の部分が、2尺〜3尺程の大きさがあるようです。

その他の和傘は、以下の種類があるようです。
種類備考
蛇の目傘和傘の標準的な普及品のこと。
元禄時代(1688年〜1704年)頃から作られ、
中央と周囲は青土佐紙、中間は白紙張りで、
おもに僧侶や医師が用いた。
番傘番傘の由来は、作者が自分の名前を判で押したから言う説と、
旅館が貸し傘に番号をふったからという説がある。
蛇の目傘と比べると、骨が太く全体的にも太め。
番奴番傘に黒い縁をつけたもの。
大阪では傘をさしたとき主従の関係が解るように黒い縁をつけ、
ご主人様とお供の方を見分けた。
供傘閉じた傘に三本の線が入っているので、
持っているだけで公家のお供と解ったとか。
京都の公家のお供が使った。
舞踊傘(舞傘)日本舞踊の傘。


和傘と似たような傘に「唐傘」があるみたいです。
「唐傘」の名の由来は、
中国の唐からの伝来なので、カラカサと呼ばれるようになったという説と、
初めてみた人は開けたり閉めたりとカラクリのついた傘という事で、
カラクリ傘と言われていたのがカラ傘に省略されたとの説があるとか。

中国から唐傘が伝わるまで、日本の雨具は頭にかぶる「笠(かさ)」だったようです。
今使われている傘の漢字は、広げた中に人が入るという事でできた漢字なのだとか。

なお、
「傘立て台」について
は、別ページで説明しています。
作品名:野点傘
価格:20,000円
備考:3尺(日本製)

野点傘
※画像を押すと拡大できます。
裏千家十四代淡々斎宗室は、
本式野点傘を御園棚(みそのだな)といっしょに考案したそうなので、
ここでは、御園棚について簡単に説明しようかと思います。

御園棚は、野点用の立礼棚みたいで、
庭前の芝生に持ち出して、
気軽に椅子や腰掛にかけて控える客に、
一服の薄茶を差し上げるのだそうです。

これは、1952年に皇太子殿下の立太子式を記念して作ったもののようで、
京都の大宮御所において、その祝賀の茶会を催したときに、
初めて使用したものだとか。

にない棚の形をとっているものの、
七宝透かしの鉋目塗(かんなめぬり)、
両側に朱色の組紐を華鬘結び(けまんむすび)として垂らしたもので、
現在も、幅広く愛用されているそうです。

点前は、左側に釜が嵌めこまれ、
右側に水指、中央で点前が行われるようですが、
点前の順序は、薄茶の運び点前と同じそうです。



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