茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

大徳寺塔頭ってこんなの

大徳寺には、24(数え方により22)の塔頭が残っているそうです。

塔頭(たっちゅう)とは、もともと高僧を祀る伽藍の一つであったようですが、
室町後期からはそれと兼ねて、諸大名が自分の菩提寺とするために、
大寺を囲むように建設されたいわば寺の別院を意味することが多くなったみたいです。

大徳寺の中にある数ある塔頭のうち、常時拝観可能な塔頭は
「龍源院」「瑞峰院」「大仙院」「高桐院」の4か院で、
龍光院は全く公開されていないそうです。

(おそらく)現時点の各塔頭の住職は以下のようになっていると思われます。
塔頭住職
徳禅寺橘宗義
龍翔寺高田明浦
如意庵井本晦庵
真珠庵山田宗正
養徳院神波東嶽
龍源院東文洋
大仙院大和良章
興臨院福代洋道
瑞峯院前田昌道
聚光院小野澤虎洞
総見院山岸久祐
黄梅院小林太玄
三玄院長谷川大真
正受院福代孝道
大慈院戸田実山
高桐院松長剛山
玉林院森幹盛
大光院藤田明道
龍光院小堀月浦
芳春院秋吉則州
孤蓬庵小堀亮敬
龍泉院松濤諦雲
来光寺福森利正
雲林院藤田寛蹊



国宝を有する塔頭もあり、以下のようなものがあるそうです。
塔頭名 国宝
高桐院 山水図
聚光院 方丈障壁画
真珠庵 大燈国師墨跡
大仙院 大燈国師墨跡
本堂
龍光院 書院
曜変天目茶碗ほか3点
孤蓬庵 井戸茶碗



現在大徳寺は、別院2、塔頭22を有するそうです。

以下それぞれの詳細を表にしようと思います。
塔頭・別院名住職詳細
徳禅寺(別院) 開山 一世 徹翁義亨
立花大亀
橘了庵
開山 一世 徹翁義亨:大徳寺の第二世。

明治の初めには無住の寺になっていたので、
農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、
臨時の隔離病棟になったこともあったそうです。
龍翔寺(別院) 中村祖順
高田明浦
高田明浦:1943年山梨県中臣魔郡生まれ。昭和58年龍泉庵住職に就任。昭和59年龍翔寺住職に就任。第十五代大徳寺管長に就任。

龍翔院観音堂が、龍源寺境内にある。
養徳院 福本宗応
神波東嶽
神波東嶽:鳥取県生まれ。1971年養徳院住職就任。

足利義満の弟満詮が亡夫人の為に東山祇園に建立した妙雲院を起こりとするそうです。
義満の没後、大徳寺内に移り、満詮の法号養徳院にちなんで寺名としたようです。
普段は非公開とのこと。
龍源院 細合喝堂
東文洋
大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされているみたいです。
大徳寺の塔頭の中で一番古いそうで、
仏恵大円国師を開祖として「能登の畠山義元」「周防の大内義興」「豊後の大友義親」の三氏が創建したようです。

「龍吟庭」「東滴壷」「阿吽」の石庭などの庭が知られるとのこと。
「方丈前」の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られたみたいです。
黄梅院 宮西玄性
小林太玄
小林太玄:1938奉天生まれ。1975年黄梅院住職に就任。

織田信長が建立したようです。
小早川隆景・蒲生氏郷の墓があるそうです。
春林宗俶が創立した黄梅庵を、法嗣の玉仲宗秀が小早川隆景の援助を受けて塔頭として増築したとのこと。
大慈院 開祖 天叔和尚
上坂教道
戸田実山
戸田実山:1941年生まれ。1983年大慈院住職に就任。

大友宗麟の姉見性院・織田信長ゆかりの安養院・村上義明・山口弘定等が、
大徳寺百二十九世天叔宗眼に帰依して創建したようです。
立花宗茂・藤村庸軒の墓があるそうです。
瑞峯院 吉田桂堂
前田昌道
吉田桂堂:大徳寺五百九世住職。前田昌道の妻の父。
前田昌道:大徳寺瑞峰院住職。

大友宗麟が建立したようです。
宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓があるそうです。
興臨院 大橋 香林
山口 大痴
福代洋道
大橋 香林:昭和元年興臨院住職に就任。
山口 大痴(山口 萬拙・大痴 宗秀):大正3年長崎県生まれ。昭和46年興臨院住職に就任。
福代洋道:昭和61年興臨院住職に就任。

能登の畠山義総が大徳寺八十六世の小渓紹ふ(「ふ」は「付」の下に「心」)を開山として建立、
以来畠山家菩提寺となったようです。
重要文化財の椿尾長鳥模様堆朱盆などがあるそうです。
正受院 開祖 清菴宗胃
福代澤堂
福代孝道
天文年間(1532〜1555)に伊勢亀山城主の関盛衡や
越前敦賀城主の蜂屋頼隆が檀越となり、
大徳寺九十三世清庵宗胃を開祖として建立されたようです。
境内には連歌師・里村紹巴とその一族の墓があるそうです。
三玄院 藤井誡堂
長谷川寛州
長谷川大真
藤井誡堂(誡堂宗省[かいどうそういく]):大徳寺五百十五世。
長谷川大真:1957年生まれ。

石田三成・浅野幸長・森忠政が建立したようです。
真珠庵 開祖 一休禅師
山田宗敏
山田宗正
山田宗敏:昭和26年真珠庵住職に就任。平成20年に死去。

一休宗純ゆかりの寺院みたいです。
村田珠光作とされる庭園(史跡・名勝)と、
曾我蛇足・長谷川等伯の障壁画で知られるそうです。
大仙院 開祖 古岳宗亘
一世 傅庵宗器
二世 江隠宗顕
三世 古渓宗陳
四世 仙岳宗洞
五世 蘭淑宗秀
六世 雲英宗偉
七世 沢庵宗彭
八世 紫林宗芳
九世 探玄義達
十世 益州宗進
十一世 南岳恵京
十二世 桃林宗園
十三世 良章宗貴

三世 古渓宗陳:1532年生まれ。不審庵の名付け親。
七世 沢庵宗彭:1573年但馬国出石生まれ。1607年大徳寺首座に就任。
十世 益州宗進:1896年大分県西国東郡上真玉村生まれ。1944年大仙院住職に就任。
十二世 桃林宗園(尾関宗園):1932年奈良県生まれ。1965年大仙院住職に就任。
十三世 良章宗貴(大和宗貴):1959年福岡生まれ。2007年大仙院住職に就任。

国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られるそうです。
芳春院 三重野与雲
秋吉則州
加賀前田家の菩提寺だそうです。
龍泉庵 高田明浦
松濤諦雲
高田明浦:1943年山梨県中臣魔郡生まれ。昭和58年龍泉庵住職に就任。昭和59年龍翔寺住職に就任。第十五代大徳寺管長に就任。
松濤諦雲(まつなみたいうん):昭和17年東京生まれ。昭和60年龍泉庵住職に就任。

初心者でも座禅を体験できるそうです。
如意庵 開祖 言外宗忠
立花大亀
井本晦庵
開祖 言外宗忠(げんがいそうちゅう)
立花大亀(大亀宗雄):明治32年生まれ。

一休の帰依者である泉州堺の貿易商 祖渓宗臨が再興したようです。
1972年、大亀宗雄(だいきそうゆう)が再興したとのこと。
大亀宗雄好み四畳半向切「玄庵(げんあん)」があるそうです。
聚光院 小野澤寛海
小野澤虎洞
跡継ぎの三好義継が三好長慶の菩提のために建立したようです。
狩野永徳筆の国宝障壁画、千利休の墓塔があることで知られるそうです。
総見院 山岸紹僊
山岸久祐
豊臣秀吉織田信長の菩提のために建立したようです。
高桐院 上田義山
松長剛山
松長剛山:昭和18年大阪府能勢町生まれ。昭和46年高桐院住職に就任。久田流有栖川系茶道十三代家元。細川三斉流茶道顧問。

細川氏にゆかりがあり、細川忠興やその室・ガラシャなどの墓があるようです。
出雲阿国のものと伝えられる墓もあるとのこと。
楓だけで構成された方丈の南庭があるそうです。
忠興が北野大茶会の際に使用したとされる茶室「松向軒」、
利休屋敷から移築したという座敷もあるみたいです。
玉林院 開祖 月岑宗印
森宗秋
森幹盛
御所出入りの医師であった曲直瀬正琳が、月岑宗印を開祖として創建したようです。
絹本著色釈迦如来像などの重要文化財がある。
龍光院 小堀南嶺
小堀月浦
黒田長政の建立が建立したようです。茶室「密庵(みったん)」があるそうです。
有栖川宮の墓所(初代 好仁親王〜七代 韶仁親王)があるとのこと。
大光院 小堀明堂
藤田明道
秀吉の弟大和郡山城主秀長は1591年没し大光院と号し、
その子秀俊が古渓宗陳を請じて、大和郡山に文禄年中(1592〜96)大光院を創建したようです。
孤篷庵 十六代? 小堀定泰
十七代 小堀実道
十八代 小堀卓巌
十九代? 小堀亮敬
十八代 小堀卓巌:昭和6年愛知県生まれ。

小堀遠州が建立したようです。茶室「忘筌(ぼうせん)」があるそうです。
来光寺 小国宗碩
福森利正
京都府京都市北区紫野大徳寺町34にあるそうです。
雲林院 藤田寛道
藤田寛蹊
もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成されたようです。
紫野一帯は野の広がる狩猟地だったそうですが、桜の名所でもあり、
文人を交えてたびたび行幸したみたいです。
その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲ったとのこと。

現在の雲林院は、1707年にかつての寺名を踏襲し、大徳寺の塔頭として建てられたもののようです。
境内に本堂はなく、堂宇として同年に再建された観音堂が残るそうです。
松源院 泉田宗健 もと大徳寺塔頭だそうですが、
廃院後、立花大亀が昭和55年奈良県宇陀市大宇陀に松源院を再興したようです。
境内東側に「大亀和尚民芸館」があるみたいです。
天瑞院(廃寺) - 龍翔寺の近くにあり、秀吉生母のお霊屋があったそうです。
金龍寺(廃寺) - この寺の辺りを天狗谷と呼んでいたそうです。
大源庵(廃寺) - 維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していたそうです。

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