茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

出帛紗(出し帛紗)ってこんなの

出帛紗は、濃茶のとき茶碗に添えて出す帛紗で、
用いられる裂地は名物裂などだそうです。

大きさは流儀により異なり、
表千家や武者小路千家では小帛紗は使わず、
使い帛紗と同じ大きさのようです。

裏千家では出帛紗には「古帛紗」と称する
寸法が五寸角で出し帛紗より小さい小帛紗を使うみたいです。

仕立て方は、三方縫いで、
縫い目のない折りめの一辺をわさと言うのは共通でしょうか。

『不白斎聞書』に
「寸法は畳の目十九ト貮拾壹目也、此寸法は利休妻宗音より、
利休戦場江御供之時、服紗に薬を包被贈、此ふくさ寸法能候、
今日より是を可用とて、此寸法に極候也」
とあるそうです。

『逢源斎夏書』に
「ふくさきぬの事、、被成候も、ちいさく角をこし二つけ申候、
小田原陣二休御越之時、そうおん、ふくさきぬ大キぬい候て、
薬つゝミニと御申候て被進候、休、御らん候て、此かつかう一段よく候、
これよりも此様二ふくさきぬハいたし候へと御申候、
ふくさ物と申事あしく候、ふくさきぬよく候 大キサ十七め、十九め尤二候」
とあるようです。

また、
「帛紗(袱紗)」について

「使い帛紗」について

「古帛紗(古袱紗)」について
は、それぞれ別ページで説明しています。
作品名:出帛紗(道元緞子)
作者:土田友湖(千家十職)
備考:桐箱入/未使用品

出帛紗(道元緞子)
出帛紗(道元緞子)
※画像を押すと拡大できます。
ここでは、出帛紗の好み(表千家)を一覧にしようと思います。
表千家歴代出帛紗
覚々斎原叟宗左青海波つぼつぼ金緞子
如心斎天然宗左玉(大/小)金襴裂
卒啄斎件翁宗左瑞雲唐草蜀巴(しょうは)・福寿染
吸江斎祥翁宗左志摩間道裂・鱗鶴緞子裂・青海波鱗鶴金緞子裂
碌々斎瑞翁宗左雲鶴紋海気裂(かいきぎれ)・おしどり紋海気裂・松竹梅染
惺斎敬翁宗左独楽繋金緞子・青海波間道・荒磯緞子・宝尽し緞子・白地鳳凰金襴・
火焔蜀巴織・加比丹裂(かぴたんぎれ)・紺地萌黄遠山霞


作品名:出帛紗
(西陣織)
価格:10,000円
裂地:一つ花長斑モール
備考:紙箱入

出帛紗(西陣織)
※画像を押すと拡大できます。
「長斑」というのは、
「暈繝(うんげん)のない間道のこと」という説があるとか。

暈繝というのは、ぼかしの手法の一つみたいです。

同色系統の濃淡を断層的に表し、
さらにそれと対比的な他の色調の濃淡と組み合わせることにより、
立体感や装飾的効果をもたせる色彩法だとか。

中国では唐代に完成し、日本に伝わったそうです。

奈良時代から平安時代にかけての、
仏像や仏画の彩色装飾、
建築・工芸の彩色文様や染色に応用されているようです。

二つの色を濃から淡に、淡から濃にぼかして、
霞のような美しい色の調和を作り出しますみたいです。

留袖や訪問着、色無地、長襦袢などに、
幅広く使われている技法のようです。

正倉院宝物にうんげん配色の錦織物があり、
それを、うんげん文様とよぶこともあるとか。



作品名:紹巴出帛紗
価格:5,000円
裂地:花鳥
備考:紙箱入
 /即中斎好

紹巴出帛紗
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紹巴(しょうは)は、
経緯ともに強撚糸を用い、
細かい横の杉綾状又は山形状の地紋を持つようです。

地は厚くなく、以前はよく羽織裏などに使用されたみたいです。

紹巴は、その歴史について明確な史実がないとか。

ただ、名物裂金襴のなかにみられる紹巴裂については、
千利休の弟子であった連歌師・里村紹巴(さとむらじょうは)の愛玩したもので、
西陣で製織されたのだとか。
※里村紹巴の名前は「しょうは」ではなく「じょうは」


■里村紹巴
里村紹巴は、本能寺の変の直前に愛宕山で、
明智光秀が張行した連歌・愛宕百韻(あたごひゃくいん)に参加したようです。

本能寺の変後には豊臣秀吉に疑われたようですが、
結果的に、難を逃れたそうです。

連歌論書『連歌至宝抄』を著したほか、
式目書・式目辞典・古典注釈書などの著作も多く、
『源氏物語』の注釈書『紹巴抄(しょうはしょう)』、
『狭衣物語』の注釈書『下紐』などが現存しているとか。


作品名:紹巴出帛紗
価格:5,000円
裂地:和久田
備考:紙箱入

紹巴出帛紗
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和久田紹巴は、水鳥・魚・流水・蓮・花を、
唐草風に裂一面に細かく織り出したものだそうです。

名称は、江戸の和久田家の伝来に由来するもののようで、
同様の裂に、名物裂の「和久田金襴」があるとか。


■江戸和久田金襴
江戸和久田金襴は、名物裂で、
多色の縦縞に細い横縞を入れ、
その上に金糸で、木瓜形に花弁と鹿の文様を織り出した、
華やかな繻子地の織物だそうです。

名物裂の中では、派手な趣をもった裂で、
遠州以降の茶人達の愛好を得たとか。

他に同名で呼ばれ異なった文様のものもあるようです。

名称の由来は、江戸在住の職工和久田某が愛用してきた、
との伝承に基づいていると共に、
16世紀末桃山時代に舶載され、
江戸時代に賞用されたという歴史も示しているのだとか。

金襴は中国・宋代には織り出されたそうで、
日本では、天正年間に明の職工が堺にきて、
この種の織法を伝えたみたいです。

この名称は中国宋代に袈裟を金襴衣と呼んでいたことや、
僧侶の袈裟裂や法衣として輸入された衣に、
金箔糸が織り込んであったことから、
金入りの欄衣ということで、
日本で金襴と呼ばれるようになったのだとか。

綾織地に金糸(平金と撚金とある)を、
緯に打ち込んで紋を織り出したもので、
金糸の代わりに銀糸を用いれば銀欄になり、
更に地が紗織ならば金紗、
緞子地ならば金緞ということになるみたいです。

総称としては金入りという言葉があてられるとか。

金襴は豪華さ、華麗さを持つ織物で、
名物裂の中でも最も尊ばれ、
茶人や武家に盛んに用いられたそうです。

ちなみに、江戸和久田金襴の本歌は、
東京国立博物館にあるようです。



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