裂地名 | 備考 |
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御召 | 平織りの先練織物で、縮緬の一種。徳川家斉が好んだところから「御召」の名がある。 |
紬(つむぎ) | 紬糸で織られた先練織物。 |
縮緬(ちりめん) | 平織りにして作った後練織物。 |
羽二重 | 経糸、緯糸に生糸を用いて平織りにした後練織物。 |
塩瀬(塩瀬羽二重) | 経緯ともに生糸を使用した重めの後練織物。畝(うね)のある羽二重(はぶたえ)の一種。 |
あしぎぬ | 古代日本に存在した絹織物。 |
黄八丈 | 八丈島に伝わる草木染めの絹織物。 |
桐生織 | 群馬県桐生市において特産とされる絹織物。その起源は奈良時代まで遡る。 |
西陣織 | 京都の先染め織物の総称。 |
シフォン | 織物の一種。薄く柔らかい織物、またはそれを使った衣類の装飾。 |
シャンタン | 山東絹。縦が普通の絹糸、横が絹の玉糸で織られた先練りの平織物。 |
紗 | 捩織(もじりおり)で織られた、薄く透き通る絹織物。 |
ジョーゼット | 非常に薄く、軽く、緩やかに編まれたちりめんの織物。 |
緞子 | 繻子織地に繻子織の裏組織で模様を織り出した織物。 |
博多織 | 博多地区で特産とされる絹織物。 |
ブロード | ポプリン。羊毛でできた目の詰んだ織布で綿織物・毛織物。 |
ベルベット | 天鵞絨。平織か綾織の経糸にパイルを織り出したパイル織物の一種。 |
本しゅす | 絹・ナイロン・ポリウレタン・アセテート・ポリエステルなどで作ったしゅす織りの織物。 |
羅(ら) | 絡み織を用いた、目の粗い絹織物。 |
絽(ろ) | 捩織(もじりおり)で織られる薄く透き通った絹織物。 |
綸子(りんず) | 繻子織地に繻子織の裏組織で模様を織り出した絹織物。 |
作品名:紅帛紗(朱)
作者:土田友湖(千家十職) 備考:紙箱入 |
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ここでは、土田友湖(主に初代)の説明をしようと思います。
袋師、土田友湖の当主の通称は、半四郎で、 隠居して剃髪すると友湖を名乗るそうです。 五代目までは仕覆を生業としていたみたいですが、 以降は茶道具の茶入の仕覆・帛紗・角帯などを作っているようです。 ■土田家の祖先 土田家の祖先は近江国蒲生郡土田村の出身の侍・土田七大夫で、 後に初代彦根藩主・井伊直政に仕官、 鉄砲組頭を代々務めた家柄なのだとか。 ■土田半平 七大夫の四代後の子孫「半平」は、本来跡取りであったが、 実母が早くに亡くなり、後妻に入った継母が男子を生んだ為、 その異母弟に家を譲って武士を廃業、 「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となったそうです。 その傍ら袋物の仕立ての修行をし、 覚々斎原叟宗左に引き立てられて、 茶入の仕覆などを縫うようになったみたいです。 半平の仕立ての修行は、袋師亀岡二得の子、宗理に習い、 最終的に、奥義一切を伝えられるに至ったそうです。 ■初代亀岡二得 この亀岡二得は、初代が春日神社の田楽法師で、 茶入などの袋物の名手だったようです。 利休や細川三斎の袋物も製作していたとか。 ■二代目亀岡二得 二代目二得は、茶道を好み、 元伯宗旦に「飯後軒」の軒号を贈られ、 それを茶亭に掲げて、飯後の茶事を楽しんだそうです。 ■宗理 この二代目二得の子が宗理で、 この人も茶道を好み、家事一切を半平に譲り、 自身は勢州久居城主の藤堂家に茶頭として仕えたみたいです。 ■初代土田友湖 土田半平は、中村宗哲家の三代目彭祖(ほうそ)と共に、 俳諧を通じ、如心斎天然宗左と交わり、 如心斎から「友湖」の号を賜るそうです。 また、この初代土田友湖(不染斎)は、 二代目二得から伝わっていた「飯後軒」の額を掲げ、 よく茶事をしていたようです。 又玄斎一燈宗室は、その口切りの茶事に招かれて、 「口切りや松葉もなしに飯後軒」 という句を残したのだとか。 1765年、77歳で死去し、辞世の句は 「仏物不滅 我亦常住 法身妙体 是妙法蓮花経 七十七歳 不染斎」 だそうです。 |
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作品名:染帛紗
作者:土田友湖 備考:紙箱入 /塵外清楽 /淡々斎自筆の染 |
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帛紗は、点前の場合、亭主が茶器や茶杓を拭くのに用いる、
方形の布だそうです。 八つ折にして懐中し、茶席に入る前に腰に着けるようです。 大きさは八寸八分×九寸三分(曲尺)が利休形とされるとか。 仕立て方は、三方縫いで、縫い目のない折りめの一辺を「わさ」というそうです。 帛紗の色は、表千家は、男性は紫、女性は朱(緋)、 裏千家は、男性は紫、女性は赤、 武者小路千家は、男性は紫、女性は朱、 をそれぞれ用いるそうです。 ■帛紗の扱い 帛紗の扱いは、流派により異なるみたいで、 三千家のたたみ方一つみても、 表千家は、縫い目のない「わさ」を「左」にして、 人差し指と親指で帛紗の上の両角を持って広げるのに対し、 裏千家・武者小路千家は、縫い目のない「わさ」を「右」にして、 人差し指と親指で帛紗の上の両角を持って広げる、 といった具合に、差があるようです。 ■使い帛紗と出帛紗(出し帛紗) 帛紗には、使い帛紗と出帛紗があるようで、 使い帛紗は、点前のときに、茶器や茶杓を拭き清め、 釜の蓋などの熱いものを取り扱う時に使い、 出帛紗は濃茶のとき茶碗に添えて出す帛紗だそうです。 裏千家では出帛紗には、 主に古帛紗(寸法が5寸2分×5寸で出帛紗より小さい)を使うようです。 用いる裂地は、使い帛紗の場合、主に塩瀬(畝のある羽二重)だそうで、 出帛紗の場合は、名物裂などみたいです。 なお、 「使い帛紗」について 「出帛紗」について 「古帛紗」について は、それぞれ別ページで説明しています。 ■帛紗の寸法 帛紗の寸法は、千利休の妻・宗恩の作意によるものだそうです。 『逢源斎書』に 「ふくさきぬの事、 休、被成候も、ちいさく角をこし二つけ申候、 小田原陣二休御越之時、そうおん、ふくさきぬ大キぬい候て、 薬つゝミニと御申候て被進候、 休、御らん候て、此かつかう一段よく候、 これよりも此様二ふくさきぬハいたし候へと御申候、 ふくさ物と申事あしく候、 ふくさきぬよく候 大キサ十七め、十九め尤二候」 とあるようです。 『不白斎聞書』に 「寸法は畳の目十九ト貮拾壹目也、 此寸法は利休妻宗音より、利休戦場江御供之時、 服紗に薬を包被贈、此ふくさ寸法能候、 今日より是を可用とて、此寸法に極候也」 とあるみたいです。 また、三千家申合せで帛紗の寸法を定めたようです。 木津松斎の『一啜斎の聞書』に 「一 色は紅・黄・紫三色なり。 近年一啜斎にて、栗かわ茶出来申候。 紅は十五歳巳下と、古稀以上の人用ゆるなり。 寸法ハ九寸五分ニ八寸五分なり。 是ハ真伯時代ニ、三家共申合、此寸法ニ極め、 其時より一文字屋三右衛門方ニ而申付る。 則ふくさ上つつみの紙の書付ハ、如心斎筆跡なり。 右寸法相極候より前ハ、少し大きく而、 とくときまりし事も無之由に御座候。 濃茶之節、茶碗江ふくさを添而出し候事ハ、 茶碗あつき斗ニあらず。 本焼の茶碗をおもんじての事なり。 依而楽茶碗ハ草なるもの故に、 ふくさハ添不申候。楽ハわびもの故、草なり。」 とあるそうです。 |
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作品名:帛紗(赤)
作者:亀井昭斎 備考:紙箱入 /少し折り跡有り |
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初代・亀井昭斎は、十職の八代・友湖(淡雪)の
ご息女のようです。 父のもとで修行した後、 亀井家に嫁ぎ「昭斎」を名乗ったのだとか。 当代で三代目となるそうです。 三代・亀井昭斎は、 昭和59年12月に三代を継承したようで、 当代(十一代)土田友湖は、その甥にあたるみたいです。 |
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