茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

茶の湯な人々4(仮)

ここでは、私が独断と偏見で選んだ茶人について、説明していこうかと思います。
そのため、本ホームページには、まったく出てこない人物もいます。

以下、このページで説明している人です。
重宗甫
山岡宗無(住吉屋宗無)
万代屋宗安 - 利休の女婿。
山上宗二
南坊宗啓
松平不昧
井伊直弼
山田宗偏(宗旦四天王)
藤村庸軒(宗旦四天王)
藪内剣仲
杉木普斎(宗旦四天王)
久須美疎安(宗旦四天王)
千宗拙(宗旦の長男)
有馬豊氏
益田鈍翁(益田孝)
野崎幻庵(野崎広太)
松永耳庵(松永安左エ門)

読み:じゅうそうほ
重宗甫

生年月日
不明
戦国-織豊時代の茶人。
和泉(いずみ)堺の町人。
千利休にまなび、豊臣秀吉の茶頭八人衆のひとりとなる。
のち宇喜多秀家につかえた。
『天王寺屋会記』に名がみえる。屋号は櫛屋。


読み:やまおか そうむ
山岡宗無

生年月日

 〜1595年8月20日
室町末・安土桃山時代の堺の富商、茶湯者。
千利休の莫逆の友であり、武人の面影の濃い典型的な堺衆。
名は久永、通称捨十郎。道号は南渓。

松永久秀の庶子といわれ、堺の酒造業者山岡宗瑞(住吉屋)に育てられた。
住吉屋宗無ともいう。

利休より6・7歳の年少と推定されるが、
武野紹鴎の茶に会い、剣を上泉伊勢守秀綱に学ぶ。
今井宗久と共に早く織田信長に参伺し、豊臣秀吉との交流も深い。

大徳寺の春屋宗園に参禅して、堺に薬仙寺を開創。
子に宗外があり、孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持に出世している。

松本茶碗、宗無肩衝(唐物茶入)、飯銅の茶壺など名品の所持も知られる。

生没年を天文3〜慶長8年(1534〜1603)とするもの、
また安室宗閑を子とするものもあるが、
いずれも史料的に認めがたい。


読み:もずや そうあん
万代屋宗安

生年月日

 〜1594年6月12日
安土桃山時代の堺の富商、茶湯者。千利休の女婿。
姓は渡辺、通称新太郎。竹渓、一咄斎と号した。父は了二。
妻の名は創作だが万代屋お吟として知られる。

義兄弟の千道安、少庵、利休の甥の千紹二と共に、
利休の大徳寺三門金毛閣造営に尽力した。
金毛閣は利休が自像を安置したことで知られる。

道安の娘が子の宗貫と婚姻し、宗賢(高畠重右衛門)を設けた。

経済都市堺の実力者であり、
村田珠光伝来の投頭巾の茶入を秀吉に献上することで、
利休の助命を企図したが成功しなかった。

博多の興隆に対する堺の凋落を象徴するといえる。

好みの釜「万代屋釜」、所持の名物裂に「万代屋緞子」がある。

堺の南宗寺に供養塔が存する。


読み:やまのうえ そうじ
山上宗二

生年月日
1544年
 〜1590年5月14日
安土桃山時代の堺の茶人。千利休の高弟。屋号薩摩屋。瓢庵と号した。
堺の商人山上宗壁の子。

永禄8(1565)年ごろから茶会を行う。初め織田信長に仕えてその茶会に参仕。
天正2(1574)年には信長による奈良東大寺の沈香蘭奢待の切り取りにも同行した。


読み:なんぼうそうけい
南坊宗啓

生年月日
不明
織豊時代の僧、茶人。
堺の商人淡路屋の生まれ。
堺の禅通寺で得度し、のち臨済宗南宗寺集雲庵の住職。
千利休の高弟で、文禄2年(1593)茶の秘伝書『南坊録』をあらわしたとされる。

おなじく集雲庵の住職で、
利休茶杓(ちゃしゃく)の下削りをした慶首座(しゅそ)と同一人ともいわれる。

別称に慶蔵主(ぞうす)、隣首座。号は集雲庵。法名は宗慶とも。


読み:まつだいらふまい
松平不昧

生年月日
1751年2月14日
 〜1818年4月24日
江戸時代中期の出雲松江藩主。
宗衍 (むねのぶ) の子。幼名は鶴太郎,初め治好,のち治郷と改めた。
不昧は致仕後の号。

明和4 (1767) 年 17歳で襲封。
当時松江藩は享保の飢饉によって打撃を受け藩財政は窮乏のどん底にあった。


読み:
井伊直弼

生年月日
1815年10月29日
 〜1860年3月3日
幕末の政治家。近江国彦根藩主。大老。
父は第十三代藩主井伊直中で、十四男として生まれる。
掃部頭。号は宗観。


読み:やまだそうへん
山田宗偏

生年月日
1627年
 〜1708年5月21日
江戸前期の茶匠。
東本願寺末寺の京都長徳寺に生まれる。
小堀遠州・千宗旦に茶を学び,三河小笠原家に茶頭として仕官。

『茶道便蒙抄』を著し,晩年には江戸に出て利休正伝の茶法をひろめた。

宗偏流の祖。


読み:ふじむらようけん
藤村庸軒

生年月日
1613年
 〜1699年10月10日
江戸前期の茶人、千宗旦の高弟。茶道庸軒流の祖。

京都の呉服商。屋号は十二屋、名は源兵衛、政直、当直。反古庵と号した。

西洞院下立売に住み、藪内を、次いで小堀遠州に茶を学び、
のち千宗旦について皆伝を得る。


読み:
藪内剣仲

生年月日
1539年
 〜1627年6月20日
室町時代の茶人。茶道藪内流の祖。
幼名九助。諱 は宗胤。紹智、藪中斎、宗胤、燕庵と号した。

摂津尼崎の人。
茶人として知られた藪(藪内)宗巴の養子となり、藪内家を継ぐ。
武野紹鴎の弟子となり、一字を譲られて紹智と名乗った。


読み:すぎきふさい
杉木普斎

生年月日
1628年
 〜1706年
母は杉木美津。伊勢山田の人。

伊勢神宮の御師(おんし)(神職)の家をつぐ。

千宗旦に入門、山田宗偏とならぶ高弟となる。

播磨など各地をめぐり、茶の湯をひろめた。


読み:くすみそあん
久須美疎安

生年月日
1636年
 〜1728年6月15日
江戸中期の茶人。
千宗旦の弟子藤村庸軒の女婿。
名は小兵衛。洗竹庵、鷯巣などと号した。

京都上京新在家の人。
のち鴨東の岡崎に住し、石河自安、京極高広(安智)らと共に岡崎三隠士と呼ばれた。

茶を宗旦、庸軒に学んだので、宗旦門下ともされる。


読み:せんそうせつ
千宗拙

生年月日

 〜1652年
江戸時代前期の茶人。

千家三代千宗旦の長男。
金沢藩前田家に茶頭としてつかえたが、ほどなく辞す。


読み:ありまとようじ
有馬豊氏

生年月日
1569年
 〜1642年11月21日
江戸初期の大名、筑後国久留米藩藩主。
播磨国三木に有馬則頼の次男として生まれる。
母は別所志摩守忠治の娘お振。幼名万助。
従五位下玄蕃頭、従四位下侍従。

初め豊臣秀吉に仕え3000石、その後加増され3万石を領す。


読み:ますだ どんおう
益田鈍翁

生年月日
1848年11月12日
 〜1938年12月28日
実業家・茶人。新潟県生。
名は徳之進、のち孝、別号に観涛・雲外・宗利。

佐渡の幕臣の家に生まれるが、上京し大蔵省に入る。

後、三井物産を創業し、財界の頂点に立つ。


読み:のざきげんあん
野崎幻庵

生年月日
1859年6月19日
 〜1941年12月2日
実業家。岡山県生。中外商業新聞社社長・三越百貨店社長。


読み:まつながじあん
松永耳庵

生年月日
1875年12月1日
 〜1971年6月16日
実業家。長崎県生。名は安左衛門、耳庵は号。

東邦電力会社会長として活躍、「電力の鬼」といわれ東都財界に君臨した。

茶道に精通し古美術の蒐集でも知られる。





茶の湯な人々 目次

■茶の湯な人々1
嵯峨天皇
 ・日本の茶園
 ・喫茶の普及
 ・嵯峨天皇の人物像
 ・陸羽著『茶経』
明菴栄西
 ・禅宗の茶
 ・茶の木
 ・源実朝の頭痛
 ・栄西著『喫茶養生記』とは
 ・建仁寺
 ・明恵上人(栂尾上人)について
佐々木道誉
 ・現代の茶香服
 ・倒幕までの流れ
 ・建武の新政と雑訴決断所
 ・南北朝から室町幕府成立期
 ・室町幕府の最高権力者
 ・晩年
 ・花見の会での「闘茶」
能阿弥
 ・同朋衆について
 ・能阿弥の成果
 ・三阿弥(能阿弥・芸阿弥・相阿弥)
 ・『君台観左右帳記』・『御飾書』
一休宗純
 ・一休宗純の略歴
 ・諸悪莫作・衆善奉行
 ・白居易の逸話
 ・仏祖三経について
 ・一休の禅と珠光の茶
足利義政
 ・書院飾りと唐物荘厳
 ・義政時代の茶室と書院の茶
村田珠光
 ・弟子と伝来の茶道具
 ・四畳半の茶座敷
古市播磨
 ・淋汗茶湯(りんかんちゃのゆ)と珠光の茶
 ・『心の文』(『珠光茶道秘伝書』)
石黒道提
鳥居引拙
 ・引拙棚と道幸
 ・文献
松屋久政
 ・松屋三名物
 ・松屋会記と松屋一族
神農
 ・神農の茶
 ・神農が発明したもの
 ・神農と茶


■茶の湯な人々2
武野紹鴎
 ・武野紹鴎の茶
 ・紹鴎の茶道具
 ・武野紹鴎と千利休
 ・紹鴎のわび茶:『山上宗二記』より
 ・紹鴎のわび茶:『わびの文』より
 ・紹鴎のわび茶:『紹鴎門弟への法度』より
 ・歌道との共通点
 ・禅と茶の湯
 ・仏になるために
 ・総括
北向道陳
 ・利休と紹鴎の出会い
 ・「松花」の葉茶壷
 ・道陳の人柄
織田信長
 ・名物狩りと御茶湯御政道
 ・信長、部下の功績を称える
 ・信長と今井宗久
 ・信長と津田宗及
 ・信長の茶頭
 ・信長と千利休
 ・信長と利休と秀吉
 ・本能寺の変
 ・大名物「九十九髪茄子(つくもなす)」
千利休
 ・利休七哲
 ・切腹の日
 ・最後の茶会
 ・利休の逸話集
豊臣秀吉
 ・父・木下弥右衛門について
 ・信長に仕官するまで
 ・功績を挙げる秀吉
 ・茶の湯との出会い、信長との別れ
 ・利休との関係
 ・古田織部(重然)との関係
 ・北野大茶会(きたのだいさのえ)
 ・利休切腹の理由
丿貫
 ・丿貫とは
 ・北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)
 ・雪駄の発明
 ・ノ貫と利休
津田宗及
 ・商人・津田宗及
 ・茶人・津田宗及
 ・津田宗及の茶
 ・茶会の記録(茶湯日記)
今井宗久
 ・堺の町と矢銭徴課の意義
 ・信長と今井宗久
 ・秀吉と今井宗久
 ・雪中の作意
東陽坊長盛
 ・茶室「東陽坊」
 ・文献
千宗恩
 ・宗恩の創作品
千少庵
 ・夫婦の関係
 ・茶杓「矢瀬」
 ・八瀬の文
 ・利休の死後
 ・香箱の文
 ・蒲生氏郷との別れ
千道安
 ・道安の逸話
 ・なぜ千家を継がなかったのか
 ・堺千家、断絶説
 ・道安、うつ病になる説
 ・道安、死亡説
 ・道安、商人説


■茶の湯な人々3
蒲生氏郷
 ・文芸について
 ・蒲生氏郷が京都にいなかった理由
 ・葛西大崎一揆とは
 ・一笑一笑
 ・茶人・蒲生氏郷
 ・千鳥の香炉
 ・秀吉の炭手前
 ・茶道の通弊
細川三斎(細川忠興)
 ・本能寺の変
 ・利休を見送る
 ・千道安との関係
 ・一尾伊織(三斎流一尾派)
 ・阿弥陀堂の釜
 ・武具を見せた三斎
 ・二重切の花入
 ・虚堂(きどう)の墨跡
牧村兵部
 ・利休との関係
 ・茶会の記録
 ・兵部、茶の湯をやめる
高山右近
 ・キリシタン大名
 ・茶人・高山右近
 ・茶室「皆如庵」、右近の茶室説
 ・キリスト教と茶道
 ・十文字の炭手前
芝山監物
 ・所持した茶道具
 ・利休と芝山監物
 ・墨蹟の為に天井を高くした監物
 ・床の柱
瀬田掃部
 ・利休と瀬田掃部
 ・勢多の茶杓
 ・覚悟の脇指
古田織部
 ・利休と古田織部
 ・織部焼(織部陶)
 ・織部の手作り茶道具
 ・織部の茶室「燕庵」
 ・燕庵形式の茶室
 ・織部流の新たな茶
 ・瀬田の擬宝珠(ぎぼし)
 ・露地の樅(もみ)の木
 ・波の打ち寄せる景色
 ・細口の釜には・・・
 ・古田織部の他の逸話
織田有楽
 ・武人・織田長益
 ・茶室如庵
 ・台子の伝授
 ・茶入の蓋のサイズ
 ・清めの病
 ・有楽流は、武家茶・大名茶
小堀遠州
 ・小堀遠州の生涯
 ・天下一の宗匠へ
 ・綺麗さび
 ・小堀遠州と千宗旦
 ・小堀遠州の発明「洞水門」
 ・茶室・密庵席
 ・織部燈籠
千宗旦(元伯宗旦)
 ・茶室・今日庵
 ・千宗旦の出自
 ・宗旦四天王、及び東福門院
 ・宗旦銀杏
 ・花の香りを楽しむ
 ・柄杓の置き方
 ・客を待つ宗旦
千宗守(一翁宗守)
 ・官休庵
 ・吉文字屋のその後
 ・茶杓
千宗左(江岑宗左)
千宗室(仙叟宗室)
金森宗和
片桐石州


■茶の湯な人々4
重宗甫
山岡宗無
万代屋宗安
山上宗二
南坊宗啓
松平不昧
井伊直弼
山田宗偏
藤村庸軒
藪内剣仲
杉木普斎
久須美疎安
千宗拙
有馬豊氏
益田鈍翁
野崎幻庵
松永耳庵


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