読み:じゅうそうほ
重宗甫 |
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生年月日
不明 |
戦国-織豊時代の茶人。
和泉(いずみ)堺の町人。 千利休にまなび、豊臣秀吉の茶頭八人衆のひとりとなる。 のち宇喜多秀家につかえた。 『天王寺屋会記』に名がみえる。屋号は櫛屋。 |
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読み:やまおか そうむ
山岡宗無 |
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生年月日
? 〜1595年8月20日 |
室町末・安土桃山時代の堺の富商、茶湯者。
千利休の莫逆の友であり、武人の面影の濃い典型的な堺衆。 名は久永、通称捨十郎。道号は南渓。 松永久秀の庶子といわれ、堺の酒造業者山岡宗瑞(住吉屋)に育てられた。 住吉屋宗無ともいう。 利休より6・7歳の年少と推定されるが、 武野紹鴎の茶に会い、剣を上泉伊勢守秀綱に学ぶ。 今井宗久と共に早く織田信長に参伺し、豊臣秀吉との交流も深い。 大徳寺の春屋宗園に参禅して、堺に薬仙寺を開創。 子に宗外があり、孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持に出世している。 松本茶碗、宗無肩衝(唐物茶入)、飯銅の茶壺など名品の所持も知られる。 生没年を天文3〜慶長8年(1534〜1603)とするもの、 また安室宗閑を子とするものもあるが、 いずれも史料的に認めがたい。 |
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読み:もずや そうあん
万代屋宗安 |
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生年月日
? 〜1594年6月12日 |
安土桃山時代の堺の富商、茶湯者。千利休の女婿。
姓は渡辺、通称新太郎。竹渓、一咄斎と号した。父は了二。 妻の名は創作だが万代屋お吟として知られる。 義兄弟の千道安、少庵、利休の甥の千紹二と共に、 利休の大徳寺三門金毛閣造営に尽力した。 金毛閣は利休が自像を安置したことで知られる。 道安の娘が子の宗貫と婚姻し、宗賢(高畠重右衛門)を設けた。 経済都市堺の実力者であり、 村田珠光伝来の投頭巾の茶入を秀吉に献上することで、 利休の助命を企図したが成功しなかった。 博多の興隆に対する堺の凋落を象徴するといえる。 好みの釜「万代屋釜」、所持の名物裂に「万代屋緞子」がある。 堺の南宗寺に供養塔が存する。 |
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読み:やまのうえ そうじ
山上宗二 |
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生年月日
1544年 〜1590年5月14日 |
安土桃山時代の堺の茶人。千利休の高弟。屋号薩摩屋。瓢庵と号した。
堺の商人山上宗壁の子。 永禄8(1565)年ごろから茶会を行う。初め織田信長に仕えてその茶会に参仕。 天正2(1574)年には信長による奈良東大寺の沈香蘭奢待の切り取りにも同行した。 |
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読み:なんぼうそうけい
南坊宗啓 |
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生年月日
不明 |
織豊時代の僧、茶人。
堺の商人淡路屋の生まれ。 堺の禅通寺で得度し、のち臨済宗南宗寺集雲庵の住職。 千利休の高弟で、文禄2年(1593)茶の秘伝書『南坊録』をあらわしたとされる。 おなじく集雲庵の住職で、 利休茶杓(ちゃしゃく)の下削りをした慶首座(しゅそ)と同一人ともいわれる。 別称に慶蔵主(ぞうす)、隣首座。号は集雲庵。法名は宗慶とも。 |
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読み:まつだいらふまい
松平不昧 |
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生年月日
1751年2月14日 〜1818年4月24日 |
江戸時代中期の出雲松江藩主。
宗衍 (むねのぶ) の子。幼名は鶴太郎,初め治好,のち治郷と改めた。 不昧は致仕後の号。 明和4 (1767) 年 17歳で襲封。 当時松江藩は享保の飢饉によって打撃を受け藩財政は窮乏のどん底にあった。 |
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読み:
井伊直弼 |
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生年月日
1815年10月29日 〜1860年3月3日 |
幕末の政治家。近江国彦根藩主。大老。
父は第十三代藩主井伊直中で、十四男として生まれる。 掃部頭。号は宗観。 |
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読み:やまだそうへん
山田宗偏 |
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生年月日
1627年 〜1708年5月21日 |
江戸前期の茶匠。
東本願寺末寺の京都長徳寺に生まれる。 小堀遠州・千宗旦に茶を学び,三河小笠原家に茶頭として仕官。 『茶道便蒙抄』を著し,晩年には江戸に出て利休正伝の茶法をひろめた。 宗偏流の祖。 |
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読み:ふじむらようけん
藤村庸軒 |
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生年月日
1613年 〜1699年10月10日 |
江戸前期の茶人、千宗旦の高弟。茶道庸軒流の祖。
京都の呉服商。屋号は十二屋、名は源兵衛、政直、当直。反古庵と号した。 西洞院下立売に住み、藪内を、次いで小堀遠州に茶を学び、 のち千宗旦について皆伝を得る。 |
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読み:
藪内剣仲 |
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生年月日
1539年 〜1627年6月20日 |
室町時代の茶人。茶道藪内流の祖。
幼名九助。諱 は宗胤。紹智、藪中斎、宗胤、燕庵と号した。 摂津尼崎の人。 茶人として知られた藪(藪内)宗巴の養子となり、藪内家を継ぐ。 武野紹鴎の弟子となり、一字を譲られて紹智と名乗った。 |
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読み:すぎきふさい
杉木普斎 |
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生年月日
1628年 〜1706年 |
母は杉木美津。伊勢山田の人。
伊勢神宮の御師(おんし)(神職)の家をつぐ。 千宗旦に入門、山田宗偏とならぶ高弟となる。 播磨など各地をめぐり、茶の湯をひろめた。 |
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読み:くすみそあん
久須美疎安 |
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生年月日
1636年 〜1728年6月15日 |
江戸中期の茶人。
千宗旦の弟子藤村庸軒の女婿。 名は小兵衛。洗竹庵、鷯巣などと号した。 京都上京新在家の人。 のち鴨東の岡崎に住し、石河自安、京極高広(安智)らと共に岡崎三隠士と呼ばれた。 茶を宗旦、庸軒に学んだので、宗旦門下ともされる。 |
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読み:せんそうせつ
千宗拙 |
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生年月日
? 〜1652年 |
江戸時代前期の茶人。
千家三代千宗旦の長男。 金沢藩前田家に茶頭としてつかえたが、ほどなく辞す。 |
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読み:ありまとようじ
有馬豊氏 |
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生年月日
1569年 〜1642年11月21日 |
江戸初期の大名、筑後国久留米藩藩主。
播磨国三木に有馬則頼の次男として生まれる。 母は別所志摩守忠治の娘お振。幼名万助。 従五位下玄蕃頭、従四位下侍従。 初め豊臣秀吉に仕え3000石、その後加増され3万石を領す。 |
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読み:ますだ どんおう
益田鈍翁 |
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生年月日
1848年11月12日 〜1938年12月28日 |
実業家・茶人。新潟県生。
名は徳之進、のち孝、別号に観涛・雲外・宗利。 佐渡の幕臣の家に生まれるが、上京し大蔵省に入る。 後、三井物産を創業し、財界の頂点に立つ。 |
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読み:のざきげんあん
野崎幻庵 |
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生年月日
1859年6月19日 〜1941年12月2日 |
実業家。岡山県生。中外商業新聞社社長・三越百貨店社長。 |
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読み:まつながじあん
松永耳庵 |
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生年月日
1875年12月1日 〜1971年6月16日 |
実業家。長崎県生。名は安左衛門、耳庵は号。
東邦電力会社会長として活躍、「電力の鬼」といわれ東都財界に君臨した。 茶道に精通し古美術の蒐集でも知られる。 |
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