茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

色紙掛けってこんなの

色紙掛けは、色紙を掛けるための掛軸みたいです。

表装するもの(台紙貼り表具)と違い、
ただ紐などにひっかける簡便なものだそうです。

通常の掛軸のように縦長のものもあれば、
正方形の台紙の上部に紐を通しただけのものもあるようです。

また、色紙額といった額縁もあるみたいです。

色紙掛けや色紙額は、色紙のサイズにより様々な種類があり、
縦型以外に、横型もあるのだとか。


■台紙貼り表具
台紙貼り表具は、日本で考案された掛軸の仕立て方だそうです。
色紙や短冊など小さな本紙を台紙に張りこんで、
大きく表装する方法で、連台表具と言う台を重ねたものもあるようです。

台入れ表具・台表具・台張表具とも言われるとか。

当初は、色紙を茶室に掛けるためにできたものだそうで、
後に、短冊その他に用いられたみたいです。

軸を掛ける場所などによって、表具の大きさに限度があるので、
小さな本紙や形の変わった本紙を表具にする際には、
便宜上台紙が必要になるそうです。

台紙は本紙の邪魔をせず、本紙を引き立てるのが当然とされ、
また、その余白によって趣きがでるので、
色合いやその間の取り方が重要になってくるようです。

本紙は、歌切れ・懐紙・詠草・色紙・書画などが多いので、
行の表具(幢ほえ)や、草の表具(輪ほえ)に仕立てられる事が多いみたいです。

台紙貼り表具は、色紙掛けと違い、
本紙の形状に関わらず用いることができるそうです。
色紙や短冊の他、斗形(ますがた)・円形・洲浜・扇面・団扇などにも使えるのだとか。

連台表具(れんだいひょうぐ)といい、台を重ねたものもあるそうです。

『和漢装コウ志』に
「短冊台表具寸法 竪一尺八寸一分、横七寸六分、
 短冊押而上四寸、下二寸一分明け候也、
 本紙両脇二寸八分宛明き候也、
 短冊寸法 竪一尺二寸 横二寸也。
 風帯寸法、一文字はヾ一寸なれば、七分か七分半也、
 一文字無之表具、宗易好也、
 風帯をつくるに、両脇と中程の明たる寸法同程也、
 啄木は表木にて風帯付る所の外に付る也、
 風帯付たる所より、一分半程明きて付る也、
 風帯一文字と見合申うちに、
 一文字よりは半分か一分程平たくする也、
 附風帯の紙は、馬糞紙の色さびたる好也、
 一文字なく、中風帯の表具は、草にてさびたる方に付る也、
 短冊表具に、其短冊を左か右かへよせて、ふらりとはる事也、
 程らひ有、大方其短冊ほどよせて好也、
 道圓老に、宗旦翁の短冊有、如此仕様也、
 恰好さびて面白き也」
とあるとか。


■関連リンク
「掛軸」について

「色紙」について
作品名:色紙掛
(表千家好)
(切箔松葉本金)
価格:12,000円
備考:桐箱入

色紙掛(表千家好)

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、截金(きりかね)について説明しようと思います。
細金(ほそがね)とも呼ばれるようで、
金箔・銀箔・プラチナ箔を、数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、
筆と接着剤を用いて貼ることによって、文様を表現する伝統技法だそうです。

細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔、
箔をある形に截り透かした裁文、
これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を、
截金文様というみたいです。


■截金の歴史
ヘレニズム時代(紀元前300年〜30年頃)の地中海沿岸で製造されたようです。
当時は、金箔による植物文様を2層の透明ガラスの間に挟み込んだ、
ゴールドサンドイッチガラス(金箔入りガラス)と呼ばれるものみたいです。

中国では北斉時代(550年〜577年)の菩薩像2体に截金が見られるそうです。

朝鮮半島では6世紀前半、
百済の忠清南道武寧王陵出土の王妃木製頭枕に、
朱漆と思われる赤色に着色された表面に、
幅をもたせて帯のように切られた線状の金箔による、
亀甲文様が施されているとか。

日本においては、7世紀半ばの飛鳥時代に、
朝鮮半島や中国大陸より仏像彫刻や仏画とともに伝わったようです。

法隆寺所蔵「玉虫厨子」の須弥座上框下の請花花弁先端部分に、
小さな長菱形の截箔が施されているそうで、
これが国内に現存する最古の截金作品なのだとか。

奈良時代には、東大寺法華堂(三月堂)の、
国宝・乾漆造四天王立像の衣や甲冑の装飾、
塑造四天王像(東大寺戒壇堂)の着衣の地文に
直線文と点綴文の截金が使用されているそうです。

鎌倉時代には、仏師快慶の活躍により新しい文様が生まれたようです。

室町時代〜江戸時代にかけては次第に形式化し、
金箔に代わって金泥による文様も普及したため、
それ以降は継承者が少なくなっていったそうです。

近世以降は、東西両本願寺の庇護のもとで、
限られた人にのみ伝承される技になったみたいです。

現代になりその技法を伝えようとする人々が現れ、
講演会や文化教室を通じて徐々に認知されつつあるとか。


作品名:色紙掛
(裏千家好)
(唐松本金)
備考:木箱入

色紙掛(裏千家好)

※画像を押すと拡大できます。
唐松(からまつ)は、マツ科カラマツ属の落葉針葉樹で、
日本の固有種だそうです。
日本の針葉樹の中では、ただ一つの落葉性の高木みたいです。

枝は長枝と短枝という二形性を示すようで、
長枝は10cm〜50cm、短枝1.0mm〜2.0mmだとか。

葉は針形で、白い粉に覆われた薄い緑色で、長さは2.0cm〜5.0cm、
秋には葉は黄色く色づき、褐色の冬芽を残して落葉するようです。


■唐松の利用
森林を造林する際に用いる樹木として、
重要な種であるとされていたそうです。

北海道では、明治30年代〜昭和30年代後半まで、
本格的なカラマツの造林が行われたようです。

折しも当時の北海道は、大規模な山火事が各所で頻発したため、
育苗が簡単で成長が速い特徴の唐松は、
被災跡地や無立木地に一斉造林が盛んに行われたみたいです。

長野県でも根づきやすく成長が速いことから、
戦後大規模な植林が行われ、造林面積の約50%が唐松林となったのだとか。

材は硬く丈夫なものの、螺旋状に繊維が育つため、
乾燥後に割れや狂いが出やすく、板材としては使いにくい材料だそうです。

現在は構造用合板やLVL(単板積層材)に加工され、
木造建築で幅広く用いられているようです。

電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他、
建築財・船舶材・バルブ原木の材料としても用いられているとか。

その他、盆栽の材料としても広く利用されるみたいです。


作品名:色紙掛
(裏千家好)
(雲鵬裂・銀杏)
備考:紙箱入

色紙掛(雲鵬裂・銀杏)

※画像を押すと拡大できます。
雲鵬紋は、鵬(ほう/おおとり)に雲が散りばめられた模様みたいです。

鵬は、中国に伝わる伝説の鳥だそうで、
その体の大きさから大鵬(大鳳)とも呼ばれるとか。

『荘子』逍遥遊篇に、
「北の果てにある海に棲む鯤(こん)と呼ばれる、
 体が数千里にも及ぶ巨大な魚が、
 これもまた背が数千里にも及ぶ巨大な鳥・鵬と化す。
 鵬は天を覆う雲のような翼を広げ、
 荒れ狂う嵐に乗って、
 南の果ての海すなわち天の池へと向かう。
 そのときには、九万里、上空まで飛び上がって舞う。」
とあるそうです。

清代の小説『続子不語』には、
「鵬の羽根は10戸以上の家の上を覆いつくすほどで、
 この巨大な羽などが家を壊し、人命を奪うことすらある。」
とあるようです。

鵬は『西遊記』や『封神演義』など、数々の中国小説にも登場しているとか。
西遊記に登場する雲程万里鵬は「一飛び」で九万里を飛ぶみたいです。

その壮大なイメージから、大鵬は、力士の四股名として用いられたみたいです。


作品名:色紙掛
価格:3,000円
備考:紙箱入

色紙掛

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、さまざまな裂地について解説しようかと思います。
種類備考
金襴/銀襴
(きんらん/ぎんらん)
綾地や繻子(しゅす)地に文様を平金糸で織り込んだもの。
中国では、宋代にはじまり、織金と呼ばれた。
日本には鎌倉時代に伝来する。
金糸の代わりに銀糸を使用したものを銀襴という。
緞子(どんす)斜文組織の光沢がある織物で、
経糸(たていと)・緯糸(よこいと)との二色で文様を織り出す。
起源は中国で、日本では天正年間に堺で中国の明から織技が入った。
間道(かんどう)縞や格子模様のこと。
間は混じるの意、道は筋の意味で、中国江南の俗語。
鎌倉時代以降に舶載された縞織物が中心となり、
室町時代以後、名物裂と称される裂の中に数多く見られるようになる。
錦(にしき)二色以上の色糸を用いて文様を織り出したもの。
経糸で文様も地も出す経錦と、緯糸で文様を出す緯錦の二種類ある。
中国では漢代から製作され、日本でも飛鳥時代には製作されていた。
印金(いんきん)羅地(らじ)・紗地(しゃじ)・綾裂に、
漆(うるし)または膠糊(にかわのり)などの接着剤で文様を型押(かたおし)し、
金箔を押しつけた裂。金更紗や摺箔と技法的に共通点もある。
金紗/縫紗/紗金
(きんしゃ/ぬいしゃ/しゃきん)
紗(しゃ)の地合いに平金糸で文様を縫いつけた裂。
日本では、元和年間に明から製法が伝わった。
更紗(さらさ)木綿地に手描き・型染・防染などで多色の紋様を染めたもの。
金泥が使われているものは金更紗と呼ぶ。
インド・ペルシャで発達し、日本へは室町末期に南蛮船によってもたらされた。
中国では、印華布・金華布と称している。
海気(かいき)室町末期〜江戸初期に更紗などと共に、オランダ人によって舶載された。
経緯糸に本練絹糸を使った平組織の織物。
布面は平滑ですべりが良く、光沢があり、絹鳴りするなどの特徴がある。
風通(ふうつう)表裏に異色の糸を用いて平織(ひらおり)の二重組織とし、
文様の部分で表裏の糸が反対になるように織る。
表裏の糸が交差するところの他は袋状になり、
表と裏とは文様と地合いの色とが反対となる裂。
蜀ハ(しょくは)中国明代末期の紋織物で、種々の色の経緯糸を使って綾織物風に文様を描き出したもの。
細かい横のくずし綾、または山形状の地紋を持つ。
文様は、雲版形の花・蓮牡丹・童児遊戯図・横段の幾何学文などがある。
綾(あや)平織・繻子織とともに織物分類組織の一つで、斜文組織の絹織物。
錦などと同様、古代より織られた。仏画の掛物にはよく使われる。
絽(ろ)平織と紗織とを混用した組織で、緯糸三本・五本・七本など奇数の間を、
経糸日本でからめて織ってある。横方向に隙間が見え、軽く通風性がある。
文織による文絽・金糸を織り込んだ絽金などがある。
羅(ら)からみ織、もじり織組織で、網目状に薄く透けている。
中国古代にはじまり、日本には、奈良時代に渡来した。
羅の組織には細かい網目状の網もじりと、
粗くて籠目状の籠もじりがあり、
この二者を併用し、文様を織り出したものを文羅という。
繍(ぬい)刺繍を施した小袖や打掛(うちかけ)などの裂。
室町時代以降、辻ヶ花の染模様や金銀の摺箔などと共に併用され、
平繍と称する色糸による刺繍が流行。
金糸や多彩な色糸による刺繍が見られる。
摺箔(すりはく)桃山〜江戸時代初期に盛んに行われた、裂地に文様を箔置きする技法。
中国宋代に印金の技法から発達し、平絹・繻子・綸子(りんず)などに形紙を置き、
糊または膠(にかわ)などを引き、乾きかけたところに金箔や銀箔を置いて、
刷毛で摺り付けて仕上げる。


作品名:色紙掛
備考:紙箱入

色紙掛

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、和紙の種類について、その一部を説明しようかと思います。
種類備考
楮紙(こうぞし)楮の樹皮繊維を原料として漉いた紙のこと。
楮は、クワ科の植物で、ヒメコウゾとカジノキの雑種である。
麻紙や斐紙に比べて美しさには劣るとされているが、
丈夫であったために重要な公文書や、
経典・書籍など長期間の保存を要する文書の用紙として用いられて、
長く和紙の代表的な存在とされてきた。
檀紙・奉書紙・杉原紙などはいずれも楮を材料としており、
また和傘や障子、襖の材料としても用いられている。
雁皮紙(がんぴし)雁皮から作られる紙のこと。
雁皮は、ジンチョウゲ科ガンピ属の落葉低木。
雁皮の成育は遅く栽培が難しいため、雁皮紙には野生のものの樹皮が用いられる。
古代では斐紙や肥紙と呼ばれ、その美しさと風格から紙の王と評される事もある。
繊維は細く短いので緻密で緊密な紙となり、紙肌は滑らかで、
赤クリームの自然色(鳥の子色)と、独特の好ましい光沢を有している。
三椏紙(みつまたがみ)三椏を原料とする紙のこと。
三椏は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木で、
皮が和紙の原料として用いられる。
明和年間以後に、甲斐や駿河で三椏を使った和紙(駿河半紙)が本格的に作られて、
天明3年(1783年)には駿河で三椏の栽培が開始された。
麻紙(まし/あさがみ)綱麻、大麻、苧麻などを原料として作られた紙のこと。
麻紙は最も古い形態の紙の1つと考えられているが、
麻の繊維は強靭で長いために抄造作業は困難であった。
中国では、前漢時代の遺跡から麻紙が発掘された。
日本では、奈良時代から平安時代にかけて、
詔書・勅書・宣命と言った重要な公文書の原紙(黄紙)や写経の材料として用いられた。
竹紙(ちくし)竹の表皮や竹の子の繊維を原料として作った紙のこと。
主として中国・江南で作られていたが、日本でも和紙の一種として一部において作られていた。
薄く破れやすいが墨引が良く、虫に対して丈夫なために書画に用いる紙として文人達に愛された。
古くは東晋において竹の産地として知られていた会稽郡の竹紙が著名であったが、
脆弱性と耐久性の無さから長く下質な紙として扱われてきた。
北宋時代に改良が加えられてより丈夫になったこと、
また王安石や蘇軾がその光沢や墨の発色ぶりと保色性を高く評価してこれを寵愛した事から、
従来の高級紙であった藤紙や麻紙に代わって、書簡や書画に用いられるようになった。
藤紙(とうし)陸羽著『茶経』には藤皮紙で茶を包んだという記事がある。
藤紙が唐代に盛んに使用された。
薄墨紙/漉返紙
(うすずみがみ/すきがえしがみ)
使用済みの和紙(反古紙)を漉き直して作った中古の和紙のこと。


作品名:色紙掛
価格:3,000円
備考:紙箱入

色紙掛

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、和紙の加工や加飾について説明しようかと思います。
種類備考
継ぎ紙(つぎがみ)歌・物語などを書写して鑑賞効果を上げるため、
色や質の異なる紙を数種継ぎ合わせて1枚の料紙としたもの。
墨流し墨汁を水に垂らした際に出来る模様、またはその模様を染めた物。
もっぱら、越前で行われている。
西洋では「マーブル紙」という同じ手法を絵具で行ったものがある。
打ち曇り鳥の子の加工紙。
簀(すのこ)の上に漉き上げたばかりの湿紙の上に、
染めた繊維の懸濁液(けんだくえき)を流すと模様ができ、
紙の天地にこの液を流し、雲が流れるようにしたもの。
江戸千代紙/折り紙日本の伝統的な遊びである折り紙を作るために使われたり、
紙人形の衣装、工芸品や化粧箱に装飾の目的で貼られる、
紋や柄の豊かな和紙で作られた正方形の紙のこと。
洋紙で作られたものを折り紙とし、和紙で作られたものを千代紙として扱う場合もある。
檀紙(だんし)楮(こうぞ)を原料として作られた縮緬状のしわを有する高級和紙のこと。
古くは主に弓を作る材料であった、ニシキギ科の落葉亜喬木であるマユミ(檀/真弓)の、
若い枝の樹皮繊維を原料として作られたためにこの名がある。
『源氏物語』や『枕草子』にも「陸奥紙」として登場するなど、
平安時代以後、高級紙の代表とされ、
中世には讃岐国・備中国・越前国が産地として知られていた。
大礼紙(たいれいし)楮の比較的短い繊維束が、
紙の表面にパラパラと散乱した状態で配置された楮紙のこと。
この繊維が更に長いものを「雲龍紙」と言い、これも越前の技法である。
大礼紙は、昭和天皇が即位された時に行われた大礼の儀式にちなんで作られた。
漉き模様生漉き紙を乾燥する以前に、技術的な処理や器材を使って装飾した紙に仕上げるもの。
懸濁液の流し方により、様々な絵模様を描くことができる。
紙の天地に連続的に流した「打ち雲り」、
連続的な雲にしないで点々とした「飛雲」、
水圧を利用した「水玉紙/落水紙」ほか、
レース紙・透かし入れ紙・抜き模様(置き模様)・漉き合せ・引掛けなどがある。
詠草料紙歌集用の紙のこと。打雲・飛雲・墨流しなど、様々な製紙技術や、
切り継ぎ・破り継ぎ・重ね継ぎなどの加工技術が施されている。


作品名:色紙掛(茶)
価格:3,000円
備考:紙箱入

色紙掛(茶)

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、三色紙(さんしきし)について説明しようと思います。

三色紙(色紙の三絶)とは、平安時代屈指の「かな書」の名筆(古筆)、
『継色紙』『寸松庵色紙』『升色紙』の総称だそうです。

色紙と呼ばれるのですが、もとは冊子本で、
それが分割されて色紙形になったようです。

伝称筆者は、『継色紙』が小野道風、
『寸松庵色紙』が紀貫之、『升色紙』が藤原行成、
とされてきたみたいですが、
今日では否定され、筆者は不明なのだとか。

書写年も未詳になるのですが、
『継色紙』が10世紀半ばから11世紀前半、
『寸松庵色紙』と『升色紙』が11世紀後半とされているようです。


■『継色紙(つぎしきし)』
もと粘葉装の冊子本であったと考えられるそうです。
粘葉装とは、多くの場合2ページにわたり、
『古今和歌集』『万葉集』などの歌を、
紫・藍・赭・緑などに染めた鳥の子紙に1首ずつ書写したものだとか。

東京国立博物館にある「切」は、薄藍の染紙に
「なつのよは まだよひながら あけにけり
 くものいづこに 月かくるらん」
(『古今和歌集』巻第3・夏、清原深養父)
の歌を散らし書きにしたものみたいです。

その書風は、情感あふれた優美なもので、
余白と点画・行の間隔や傾き・墨継ぎの妙など、
心憎いばかりの空間処理で、実に見事な散らしだそうです。

この散らし方の巧妙なことは、他の古筆に匹敵するものがないとか。
何の苦もなく高低をつけ、4〜5行に書いているように見えながら、
広狭浮沈・濃淡などのうまさがあるようです。
漢字的用筆の残った「かな」は枯淡の境地を成立せしめ、
極めて格調の高い作品であるとか。


■『寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)』
『古今和歌集』四季の歌を抜き書きしたもので、
もと粘葉装冊子でだったものが、分割され色紙形になったそうです。

織田信長の家臣で茶人だった、
佐久間実勝の塔頭・寸松庵の旧蔵であったことからこの名があるとか。
寸松庵は、大徳寺龍光院の境内に築かれ、
前庭一面に小松を植えていたので寸松庵と名付けられたみたいです。

東京国立博物館にある「断簡」は、
「秋のつき 山へさやかに てらせるは
 おつるもみちの かすをみよとか」
(『古今和歌集』秋歌所収の1首)
の歌を散らし書きにしたものみたいです。

書風は典麗高雅。線は勁く緩急自在の変化は見事で、
古来、散らし書きの絶品といわれるようです。


■『升色紙(ますしきし)』
元は清原深養父の歌集を書写した冊子本だったものが後に分割され、
現在は、殆ど掛物に改装されているそうです。

料紙の升の形からこの名があるようです。
料紙は、高野切とほぼ同じ鳥の子の、
白紙・淡藍紙・染紙・雲紙などを用いているそうですが、
すべて雲母が蒔かれていて高雅であるとか。

東京国立博物館蔵のものは、
「いまはゝや こひしなましを あひみむと
 たのめしことぞ いのちなりける」(『清原深養父集』)
の歌を散らし書きにしたものみたいです。

優雅婉麗な書風で平安朝の名にふさわしい趣があるそうです。
字は宛転して滞るところがなく、古筆の中で最も細く品のよい線が用いられ、
散らしの美しさも優れているみたいです。

線がふっくらとして実に艶美な感じを与えるそうですが、
濃淡の変化の際立った墨つぎと、太い線と細い線を絡ませてゆく技巧とが、
この色紙に一段と精彩を添えているとか。


作品名:色紙掛
(染布地)
価格:5,000円
備考:紙箱入

色紙掛(染布地)

※画像を押すと拡大できます。
染物は、大きく浸染系(無地染め)と、捺染系(柄染め)に分かれるそうです。
系統種類備考
浸染系原料染紡績前の状態で染める方法。
コットンの場合は原綿染、ウールではバラ毛染と言われる。
糸染織り・編みの前段階、糸の状態で染める。
糸巻きに巻いたまま染めるチーズ染めと、昔ながらのかせ染めがある。
反染織物・編物の反物の状態で染める。
この状態の加工が浸染系の主流を占めている。
製品染縫製し製品になった状態で染める。
ドラム染色機・パドル染色機・オーバーマイヤー等が使われる。
捺染系手捺染(ハンドスクリーン) 台の上に置いた布の上に紗張りの型を置き、
染料または顔料を擦(こす)って染める。
オートスクリーン色数分用意された型の下を、布が走行して自動的に染める。
ロータリースクリーンたくさんの小穴の空いた円筒状の金属スクリーン型を使う。
オートスクリーンより高速に染められるが、
円筒状の型の外径分のリピート柄しか出来ない。
ローラー捺染凸凹のロールに染料や顔料が付けられ布に染め付ける。
直接捺染染料または顔料を直接布に擦り、柄を染める。
抜染無地染めした生地に抜染剤(漂白剤)を擦り柄を出す。
防染防染糊を布に擦ってから染める。
防染糊のついた部分には染料顔料は付かず後で糊を洗い落とす。
その他ろうけつろうを溶かして布に付け、
硬くなった後生じた割れ目に沿って染料を染み込ませ柄を出す。
注染和紙の型紙を使い柄を防染糊で付けながら折り返して行き、
数十枚重ねた状態で、染料を手で掛けながら真空ポンプで引き抜く。
インクジェットプリント布に直接染料・顔料を付着させる。
転写プリントアイロンプリントシートの原理で布に顔料インクを転写する。


作品名:幅広色紙掛
価格:15,000円
寸法:長さ124cm/横幅44.5cm
備考:紙箱入

色紙掛

※画像を押すと拡大できます。
ここでは、「小倉色紙」について簡単に説明しようかと思います。

「小倉色紙」は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある、
宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、
藤原定家が作成した色紙で、
飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、
100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、
年代順に色紙にしたためたものだとか。

13世紀前半「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」
「小倉色紙」などと呼ばれたものが、
後に、小倉山で編纂したという由来から
「小倉百人一首」という通称が定着したそうです。

室町時代後期に連歌師の宗祇が著した
『百人一首抄(宗祇抄)』によって研究・紹介されると、
小倉百人一首は歌道の入門編として、
一般にも知られるようになったのだとか。

定家から蓮生に送られた「小倉色紙」は、
蓮生の子孫にも一部が受け継がれたそうです。

室町時代に茶道が広まると、
「小倉色紙」を茶室に飾ることが流行し、
珍重されるようになったみたいです。

戦国時代の武将・宇都宮鎮房が、
豊臣秀吉の黒田長政に暗殺され、一族が滅ぼされたのは、
鎮房が豊前宇都宮氏に伝わる「小倉色紙」の提出を、
秀吉に求められて拒んだことも一因とされるそうです。

「小倉色紙」はあまりにも珍重され、価格も高騰したため、
贋作も多く流布するようになったようです。



トップページ 商品 特別品
メニュー一覧 売買方法 水屋
ひと口知識 お茶室