作品名:色紙掛
(表千家好) (切箔松葉本金) 価格:12,000円 備考:桐箱入 |
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ここでは、截金(きりかね)について説明しようと思います。
細金(ほそがね)とも呼ばれるようで、 金箔・銀箔・プラチナ箔を、数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、 筆と接着剤を用いて貼ることによって、文様を表現する伝統技法だそうです。 細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔、 箔をある形に截り透かした裁文、 これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を、 截金文様というみたいです。 ■截金の歴史 ヘレニズム時代(紀元前300年〜30年頃)の地中海沿岸で製造されたようです。 当時は、金箔による植物文様を2層の透明ガラスの間に挟み込んだ、 ゴールドサンドイッチガラス(金箔入りガラス)と呼ばれるものみたいです。 中国では北斉時代(550年〜577年)の菩薩像2体に截金が見られるそうです。 朝鮮半島では6世紀前半、 百済の忠清南道武寧王陵出土の王妃木製頭枕に、 朱漆と思われる赤色に着色された表面に、 幅をもたせて帯のように切られた線状の金箔による、 亀甲文様が施されているとか。 日本においては、7世紀半ばの飛鳥時代に、 朝鮮半島や中国大陸より仏像彫刻や仏画とともに伝わったようです。 法隆寺所蔵「玉虫厨子」の須弥座上框下の請花花弁先端部分に、 小さな長菱形の截箔が施されているそうで、 これが国内に現存する最古の截金作品なのだとか。 奈良時代には、東大寺法華堂(三月堂)の、 国宝・乾漆造四天王立像の衣や甲冑の装飾、 塑造四天王像(東大寺戒壇堂)の着衣の地文に 直線文と点綴文の截金が使用されているそうです。 鎌倉時代には、仏師快慶の活躍により新しい文様が生まれたようです。 室町時代〜江戸時代にかけては次第に形式化し、 金箔に代わって金泥による文様も普及したため、 それ以降は継承者が少なくなっていったそうです。 近世以降は、東西両本願寺の庇護のもとで、 限られた人にのみ伝承される技になったみたいです。 現代になりその技法を伝えようとする人々が現れ、 講演会や文化教室を通じて徐々に認知されつつあるとか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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作品名:色紙掛
(裏千家好) (唐松本金) 備考:木箱入 |
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唐松(からまつ)は、マツ科カラマツ属の落葉針葉樹で、
日本の固有種だそうです。 日本の針葉樹の中では、ただ一つの落葉性の高木みたいです。 枝は長枝と短枝という二形性を示すようで、 長枝は10cm〜50cm、短枝1.0mm〜2.0mmだとか。 葉は針形で、白い粉に覆われた薄い緑色で、長さは2.0cm〜5.0cm、 秋には葉は黄色く色づき、褐色の冬芽を残して落葉するようです。 ■唐松の利用 森林を造林する際に用いる樹木として、 重要な種であるとされていたそうです。 北海道では、明治30年代〜昭和30年代後半まで、 本格的なカラマツの造林が行われたようです。 折しも当時の北海道は、大規模な山火事が各所で頻発したため、 育苗が簡単で成長が速い特徴の唐松は、 被災跡地や無立木地に一斉造林が盛んに行われたみたいです。 長野県でも根づきやすく成長が速いことから、 戦後大規模な植林が行われ、造林面積の約50%が唐松林となったのだとか。 材は硬く丈夫なものの、螺旋状に繊維が育つため、 乾燥後に割れや狂いが出やすく、板材としては使いにくい材料だそうです。 現在は構造用合板やLVL(単板積層材)に加工され、 木造建築で幅広く用いられているようです。 電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他、 建築財・船舶材・バルブ原木の材料としても用いられているとか。 その他、盆栽の材料としても広く利用されるみたいです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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作品名:色紙掛
(裏千家好) (雲鵬裂・銀杏) 備考:紙箱入 |
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雲鵬紋は、鵬(ほう/おおとり)に雲が散りばめられた模様みたいです。
鵬は、中国に伝わる伝説の鳥だそうで、 その体の大きさから大鵬(大鳳)とも呼ばれるとか。 『荘子』逍遥遊篇に、 「北の果てにある海に棲む鯤(こん)と呼ばれる、 体が数千里にも及ぶ巨大な魚が、 これもまた背が数千里にも及ぶ巨大な鳥・鵬と化す。 鵬は天を覆う雲のような翼を広げ、 荒れ狂う嵐に乗って、 南の果ての海すなわち天の池へと向かう。 そのときには、九万里、上空まで飛び上がって舞う。」 とあるそうです。 清代の小説『続子不語』には、 「鵬の羽根は10戸以上の家の上を覆いつくすほどで、 この巨大な羽などが家を壊し、人命を奪うことすらある。」 とあるようです。 鵬は『西遊記』や『封神演義』など、数々の中国小説にも登場しているとか。 西遊記に登場する雲程万里鵬は「一飛び」で九万里を飛ぶみたいです。 その壮大なイメージから、大鵬は、力士の四股名として用いられたみたいです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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作品名:色紙掛
価格:3,000円 備考:紙箱入 |
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ここでは、さまざまな裂地について解説しようかと思います。
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作品名:色紙掛
備考:紙箱入 |
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ここでは、和紙の種類について、その一部を説明しようかと思います。
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作品名:色紙掛
価格:3,000円 備考:紙箱入 |
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ここでは、和紙の加工や加飾について説明しようかと思います。
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作品名:色紙掛(茶)
価格:3,000円 備考:紙箱入 |
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ここでは、三色紙(さんしきし)について説明しようと思います。
三色紙(色紙の三絶)とは、平安時代屈指の「かな書」の名筆(古筆)、 『継色紙』『寸松庵色紙』『升色紙』の総称だそうです。 色紙と呼ばれるのですが、もとは冊子本で、 それが分割されて色紙形になったようです。 伝称筆者は、『継色紙』が小野道風、 『寸松庵色紙』が紀貫之、『升色紙』が藤原行成、 とされてきたみたいですが、 今日では否定され、筆者は不明なのだとか。 書写年も未詳になるのですが、 『継色紙』が10世紀半ばから11世紀前半、 『寸松庵色紙』と『升色紙』が11世紀後半とされているようです。 ■『継色紙(つぎしきし)』 もと粘葉装の冊子本であったと考えられるそうです。 粘葉装とは、多くの場合2ページにわたり、 『古今和歌集』『万葉集』などの歌を、 紫・藍・赭・緑などに染めた鳥の子紙に1首ずつ書写したものだとか。 東京国立博物館にある「切」は、薄藍の染紙に 「なつのよは まだよひながら あけにけり くものいづこに 月かくるらん」 (『古今和歌集』巻第3・夏、清原深養父) の歌を散らし書きにしたものみたいです。 その書風は、情感あふれた優美なもので、 余白と点画・行の間隔や傾き・墨継ぎの妙など、 心憎いばかりの空間処理で、実に見事な散らしだそうです。 この散らし方の巧妙なことは、他の古筆に匹敵するものがないとか。 何の苦もなく高低をつけ、4〜5行に書いているように見えながら、 広狭浮沈・濃淡などのうまさがあるようです。 漢字的用筆の残った「かな」は枯淡の境地を成立せしめ、 極めて格調の高い作品であるとか。 ■『寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)』 『古今和歌集』四季の歌を抜き書きしたもので、 もと粘葉装冊子でだったものが、分割され色紙形になったそうです。 織田信長の家臣で茶人だった、 佐久間実勝の塔頭・寸松庵の旧蔵であったことからこの名があるとか。 寸松庵は、大徳寺龍光院の境内に築かれ、 前庭一面に小松を植えていたので寸松庵と名付けられたみたいです。 東京国立博物館にある「断簡」は、 「秋のつき 山へさやかに てらせるは おつるもみちの かすをみよとか」 (『古今和歌集』秋歌所収の1首) の歌を散らし書きにしたものみたいです。 書風は典麗高雅。線は勁く緩急自在の変化は見事で、 古来、散らし書きの絶品といわれるようです。 ■『升色紙(ますしきし)』 元は清原深養父の歌集を書写した冊子本だったものが後に分割され、 現在は、殆ど掛物に改装されているそうです。 料紙の升の形からこの名があるようです。 料紙は、高野切とほぼ同じ鳥の子の、 白紙・淡藍紙・染紙・雲紙などを用いているそうですが、 すべて雲母が蒔かれていて高雅であるとか。 東京国立博物館蔵のものは、 「いまはゝや こひしなましを あひみむと たのめしことぞ いのちなりける」(『清原深養父集』) の歌を散らし書きにしたものみたいです。 優雅婉麗な書風で平安朝の名にふさわしい趣があるそうです。 字は宛転して滞るところがなく、古筆の中で最も細く品のよい線が用いられ、 散らしの美しさも優れているみたいです。 線がふっくらとして実に艶美な感じを与えるそうですが、 濃淡の変化の際立った墨つぎと、太い線と細い線を絡ませてゆく技巧とが、 この色紙に一段と精彩を添えているとか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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作品名:色紙掛
(染布地) 価格:5,000円 備考:紙箱入 |
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染物は、大きく浸染系(無地染め)と、捺染系(柄染め)に分かれるそうです。
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作品名:幅広色紙掛
価格:15,000円 寸法:長さ124cm/横幅44.5cm 備考:紙箱入 |
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ここでは、「小倉色紙」について簡単に説明しようかと思います。
「小倉色紙」は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある、 宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、 藤原定家が作成した色紙で、 飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、 100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、 年代順に色紙にしたためたものだとか。 13世紀前半「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」 「小倉色紙」などと呼ばれたものが、 後に、小倉山で編纂したという由来から 「小倉百人一首」という通称が定着したそうです。 室町時代後期に連歌師の宗祇が著した 『百人一首抄(宗祇抄)』によって研究・紹介されると、 小倉百人一首は歌道の入門編として、 一般にも知られるようになったのだとか。 定家から蓮生に送られた「小倉色紙」は、 蓮生の子孫にも一部が受け継がれたそうです。 室町時代に茶道が広まると、 「小倉色紙」を茶室に飾ることが流行し、 珍重されるようになったみたいです。 戦国時代の武将・宇都宮鎮房が、 豊臣秀吉の黒田長政に暗殺され、一族が滅ぼされたのは、 鎮房が豊前宇都宮氏に伝わる「小倉色紙」の提出を、 秀吉に求められて拒んだことも一因とされるそうです。 「小倉色紙」はあまりにも珍重され、価格も高騰したため、 贋作も多く流布するようになったようです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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