作品名:色紙(清風明月共一家)
作者:立花大亀老師(直筆) |
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『虎丘紹隆禅師語録』に
「青山緑水は元より旧に依り、明月清風共に一家」 というのがあるそうで、 四字熟語「清風明月」と、禅語「明月清風共一家」から取ったものと思われます。 ■清風明月 そのままの意味を取ると、明るい月夜の静かで清らかな様子や 明月と清らかな風の中の静かですがすがしいたたずまいの形容を指すそうですが、 風雅な遊びのことも意味するようです。 中国の仏教書『碧巌録』には、「明月清風」とあるそうで、 明るい月と清々しい風は、爽快な風物に一切のとらわれない 解脱の境地・悟りの世界の快さが象徴されているのだとか。 ■青山緑水元依奮、明月清風共一家 青山緑水は元通りで変わりはないし、明月清風も昔通りに同じ、 つまり悟ってみれば、青山緑水も名月清風も昔の通りで何も変わりがない ということなのだとか。 ■國破山河在、城春草木深 杜甫の詩『春望』にも、変わらぬ自然が詠まれているようです。 「国破れて山河在り、城春にして草木深し」 杜甫を尊敬していた松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭、 「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、 笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。 夏草や 兵どもが 夢の跡」 と記載しているそうです。 ■花天月地 明るい月夜、澄みわたる風。 空一面に花が舞い、月光が地上を照らす。 壮大な景色が、一幅の色紙に凝縮され、茶室の一角を彩ります。 『維摩経』に、維摩詰の方丈(四畳半の間)を訪れた文殊菩薩とその一行が、 その狭い空間に全員収ることができたという逸話があるそうで、 仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方があるみたいです。 「清風明月共一家」からは、 一期一会のえにしに、亭主と客の一体感を高める演出として、 無限に広がる宇宙と一体化した仏の境界(きょうがい)を示すと共に、 大自然の変わらぬ美しさが見えるのではないでしょうか。 |
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作品名:色紙(開門落葉多)
作者:武田士延老師(直筆) |
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『禅林句集』五言対句の
「聴雨寒更盡 開門落葉多 (雨を聴いて寒更尽き 門を開けば落葉多し)」 から来ている言葉のようです。 脚注に、 「無可上人の詩なり、是落葉を雨声に比するなり、 詩人玉屑九多の字を深に作る」 とあるそうで、唐代の僧、無可上人の禅語なのだとか。 意味は、以下のようになるみたいです。 「秋深き草庵に閑居して、外の寒さに侘しい思いも募る夜長、 屋根に当たる雨の音が聞こえる。 早朝、いつものように戸を開けると、 そこには、一面に敷きつめられた落ち葉。 昨晩の雨の音は、実は木の葉が散って屋根にあたる音だった。」 禅語としての解釈は、 諸行無常の心を感じ取り、寒更尽きる時を凌ぐと言うところから、 徹っしきり、尽くしきったところに開ける、 新しい悟りの境涯をあらわした言葉みたいです。 紀貫之は、この禅語を基に 「秋の夜に雨と聴こえて降りつるは 風にみだるる紅葉なりけり」 『拾遺和歌集 巻三:秋 208』 と詠ったとか。 ■秋雨の降る原因 夏から秋に季節が移り変わる際、 真夏の間本州一帯に猛暑をもたらした太平洋高気圧が南へ退き、 大陸の冷たい高気圧が日本海や北日本方面に張り出すそうです。 この性質の違う二つの空気がぶつかる所は、 大気の状態が不安定になり、秋雨前線が発生するのだとか。 梅雨とは反対に、末期よりも初期の方が雨が強いようで、 曇りの天気が続いたり、しとしとという弱い雨が降ることが多いみたいです。 梅雨と違って、始まり・終わりが明確でないことが多く、 梅雨入り・梅雨明けに相当するような気象庁からの発表はないそうです。 また、東南アジアから東アジアまでの広範囲で起こる梅雨とは異なり、 日本周辺にのみ見られる現象なのだとか。 秋雨(あきさめ)は、 秋の長雨・秋霖(しゅうりん)・すすき梅雨とも言うようです。 ちなみに、同じ秋の雨でも区別されているのが「秋時雨(あきしぐれ)」だそうです。 平野部より山の外周部に降るとか。 晴れているのに降ってきたり、降ってもすぐ止んで、 思いがけなく秋の虹を見せてくれたりもするみたいです。 ■秋雨の短歌・俳句 以下のようなものがあるそうです。 ○秋の雨にぬれつつをれば賤しけど 吾妹が屋戸し念ほゆるかも (大伴利上『万葉集』) ○鼬啼いて離宮に暮るる秋の雨 (与謝蕪村 『夜半叟句集』) ○秋の雨胡弓の糸に泣く夜かな (暁台 『暁台句集』) ○秋雨や旅に行きあふ芝居もの (召波 『春泥発句集』) ○馬の子の故郷はなるる秋の雨 (小林一茶 『享和句帖』) ○秋雨や俵編む日の藁一駄 (河東碧梧桐 『碧梧桐句集』) ○と見る間に秋雨の庭暮れて無し (松本たかし 『石魂』) ○秋雨や蕎麦をゆでたる湯の匂 (夏目漱石 『漱石俳句集』) ○石山の石洗ひけり秋の雨 (藤野古白 『古白遺稿』) ○電球のほのかにぬくし秋の雨 (長谷川櫂 『天球』) |
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作品名:色紙(清風払明月)
作者:細合喝堂師(直筆) |
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禅語としては、
清風払明月 明月払清風 「清風明月を払う、明月清風を払い」 があるようです。 清々しい風が吹き過ぎる大地を、明るい月が照らし出すさまと、 明るい月に照り映える広野に、涼風が吹き来るさまとを並べて、 秋の夜の爽やかさを強調した名句なのだとか。 清風と明月が、互いに主人となったりお客になったりしながら、 その美を極めている、 あらゆる執着や妄想を除き去った後の清々しい心境が、 秋の夜の爽やかさに喩えられているのだとか。 また『洞山録』に、 師曰。賓主相見有何言説。山曰。清風拂白月。 「師曰く。賓主相いまみえて何の言説かある。 山曰く。清風は白月を払う。」 とあるそうで、 『禅語字彙』には、 「本體が作用となり、作用が本體となりて、 一方に固定せざるをいふ」 【清風拂明月明月拂清風】 とあるようです。 ■吟風弄月(ぎんぷうろうげつ) 花鳥風月を題材に詩を読むことだそうです。 「吟風」は風に吹かれて詩歌を吟じること、 「弄月」は名月を観賞することなのだとか。 茶道の根本は、自然体のままで季節感を大切にし、 「もてなし」と「しつらえ」を基本にした 生活文化と言うことができるそうです。 秋、澄みわたった空に輝く月。 亭主と客が一体となり、演出する茶会。 静かに聞こえる松風の音。 茶室にある色紙に自然を感じながら、 茶人の互いにもてなしあう心を、 詩歌の様に、後世にも伝えて行けるとよいですね。 |
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作品名:色紙(秋空一声雁)
作者:長谷川寛州師(直筆) |
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秋の空模様は変わりやすいといいます。
これは、9月〜10月にかけ、夏の高気圧(太平洋高気圧)が勢力を弱めて南へ後退し、 北の高気圧が次第に勢力を広げてくるためだそうです。 上空のジェット気流は強くなり、移動性高気圧が周期的にやってくる来たり、 夏の高気圧と北の高気圧の境目にある秋雨前線があり、 ぐずついた天気をもたらしたりするようです。 またこの時期、しばしば台風が接近するため、 前線の活動が活発になって大雨になることもあるようです。 10月中旬には、秋雨前線が南に下がり、 日本列島は移動性の高気圧に覆われることが多く、晴れの日が続くみたいです。 夏から秋にかけて空が透明度を増すようです。 ■天高く馬肥ゆる秋 「天高く馬肥ゆる秋」は、杜審言の詩『蘇味道に贈る』の 「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」 に基づいているそうです。 昔、中国では、北方の騎馬民族の匈奴が収穫の秋になると、 大挙して略奪にやってきたので、前漢の趙充国はそれを見抜き、 「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と、 警戒の言葉として言ったようです。 しかし匈奴が滅びた後は、現在の意味で使われるようになったのだとか。 「天高く」とは、空気も澄んでいて、空も高く感じられるという意味ですが、 秋は、春や夏よりも「空の透明度が高いため」みたいです。 これは、秋の移動性高気圧(大陸育ちの高気圧)の影響だそうで、 夏の太平洋高気圧(海育ちの高気圧)よりも、 空気中に含んでいる水蒸気の量が少ないため、 空の青さが濃く、空が澄んで見えるようになるためなのだとか。 春も秋と同様に大陸育ちの高気圧に覆われますが、 春の空は霞んでいて秋の空は青い印象があるみたいです。 その違いは、春は雪や氷が融けたばかりで、 土や砂が舞い上がりやすくなっているせいと言われているとか。 逆に秋は、夏の間に草が生い茂るのでホコリが立ちにくくなるそうです。 さらに、陽射しが弱まって気温が低くなり、 対流(太陽で暖められた空気が上昇する)が起こりにくく、 地面近くにある汚れた空気の層が空の低いところに留まる傾向にあるみたいです。 ■飛行高度について 雁の飛行高度は、9000mだそうです。 つばめは3000m、飛行機は1万mなのだとか。 高く飛べば飛ぶほど周囲の空気が薄くなるので、 飛行機の場合、機体にかかる空気抵抗が少なくなって、 前に進みやすくなるようです。 ただ、1万m以上の高度では、空気の濃度が薄すぎて、 圧縮しても、燃焼しにくくなり、飛行機はだんだんと前に進まなくなってしまうそうです。 ■雲の高さ 雲は、その雲が発生しやすい高さによって、 上層雲・中層雲・下層雲にわかれるようです。 それぞれ、 上層雲:5000m〜13000m(すじ雲・うろこ雲・うす雲) 中層雲:2000m〜7000m(ひつじ雲・おぼろ雲・あま雲・ゆき雲) 下層雲:2000m以下(うね雲・わた雲・きり雲・かみなり雲) となるとか。 だだし、かみなり雲(積乱雲)は、一つで2000m〜13000mまでの高さを持つ雲だとか。 うろこ雲(巻積雲)は、秋に美しい姿を見せる雲で、 形が崩れやすく、美しい姿を長くはとどめないことが多いそうです。 天高くに、白色で陰影のない非常に小さな雲片が多数の群れをなし、 水面の波のような形状をしたうろこ雲。 その中を泳ぐように渡る雁の群れ。 雁の一声は、澄みわたる空一面に響くことでしょう。 |
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作品名:色紙(壷中日月長)
作者:吉田桂堂師(直筆) |
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「壷中日月長(こちゅうじつげつながし)」は、
壷中とは、別世界・仙境のこと。 日月長しは、悟りの世界に時間はない。 という意味だそうです。 これは『虚堂録』の 「寿崇節上堂。至人、化を垂れ、形儀ありと示す。 満月の奇姿を開き、山天の瑞相を蘊む。 会すや卓主丈。 ただ池上に蟠桃の熟すを知り、壺中日月長きを覚えず。」 から来ているそうです。 その『虚堂録』は、 『後漢書』巻八十二下の「方術列傳」費長房を参照しているようです。 「費長房は、汝南人なり。 かつて市掾を為す。市中に売薬の老翁あり、 肆頭に一壺を懸け、市を罷るに及び、すなわち壺中に跳び入る。 市人これを見る莫かれど、ただ長房楼上に於いて之を見る、 異ならんや、因りて往きて再拝して酒脯を奉ず。 翁、長房の意その神なるを知り、之に謂いて曰く、 子、明日更に来るべし。長房、旦日復た翁を詣る、 翁すなわちともに壺中に入る。 唯だ見る、玉堂厳麗にして、旨酒甘肴、 その中に盈衍するを、共飲おわりて出ず。」 『桃花源記』によれば、 そこにいけば仙人同様になれる聖地を、 故事になぞらえ桃源郷と呼ぶこともあるようです。 つまり、上の書き下し文は、 老人は、桃源郷(壺の中)の主人(仙人)で、 費長房が客として数日滞在し、 元の世界に帰ったら数十年過ぎていた。 という桃源郷のお話の一部みたいです。 ■壺の中と茶室 仏典『法華経』には「無量無辺」という言葉があるそうです。 時間・空間などが計り知れないほど、広大で限りない様を言うようで、 仏界に至ることで、無量無辺の功徳(利益や福運)が得られるみたいです。 道教は自ら道を探す宗教、 仏教は仏が説いた教えを実践することで仏に至る宗教だそうです。 「壷中日月長」は、やや道教よりの思想に感じますが、 別世界が広がる壺の中に、 仙人に至る道(道教)→仏に至る道(仏教)が示され、 最終的に、無量無辺の功徳(仏教)が得られる。 時を忘れ、茶室の主人・客共に切磋琢磨することで得られるものが、 無量無辺の功徳に至ると考えれば、 利休時代の武士や僧侶たちが行っていた茶道は、 また、別の観点から見ることができるような気がします。 |
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作品名:色紙(無一物)
作者:吉田桂堂師(直筆) |
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禅語「本来無一物」の「無一物(むいちもつ)」は、
本来、人は良い事も悪いことも何もない状態から始まるという意味のようです。 禅宗では、六波羅蜜を達成することで、自利利他の境涯を得て、 解脱することができるとあるようです。 簡単に言えば、仏の修行によって「自分を利益し、他人をも幸福にできる人」になれる ということでしょうか。 ■本来無一物の原典『六祖壇経』 禅宗の初祖達磨禅師から法灯を守る五祖の弘忍大満禅師が、 次の継承者を決めるにあたり、 「自ら会得した境地を偈にして示せ」 と言ったそうです。 一番弟子の神秀上座は、 身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し 時時に勤めて払拭せよ 塵埃を惹かしむること莫れ (意味: この身は悟りを宿す樹である 心は曇りのない明鏡のようにすっきりしている だからいつも精進して心を払い浄めなければならない そのために煩悩妄想の塵や埃で汚さないことである) と言ったのだとか。 それを聞いた、新参の慧能行者は、 菩提本(もと)樹無く 明鏡も亦(また)台に非ず 本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん (意味: 身は菩提樹と云われ、心は明鏡台と云われたが 禅で言う空の世界・無の世界には もともと菩提も無く煩悩も無く身もなく心も無く 本来無一物である なんで塵や埃がつくことがあろうか、 ましてや払ったり拭ったりすることもない) 結果、禅宗六祖には慧能がなったそうです。 ■茶禅一味 利休が楽長次郎に作らせた赤楽茶碗「無一物」。 当然、上記の「本来無一物」に当てはめたのだと思われます。 『山上宗二記』珠光一紙目録の項に「紹鴎末期の言」として、 大林宗套(大徳寺)の言葉の 「料知茶味同禅味 汲尽松風意未塵」 (料知す。茶味と禅味同じなること 松風を吸い尽くして、こころいまだ汚れず) が、記載されているようで、 これが、「茶禅一味」のはじまりみたいです。 この「一味」というのは、 「如来の教えが、説き方はさまざまであっても、 その本旨はただひとつであること」 という仏教語だそうです。 茶道では、まず掛軸を拝見します。 私は、この「無一物」という言葉を拝見した後、 茶事に移り、ふと、 「何れの処にか塵埃を惹かん」 を思い浮かべると、 茶道の中で、悟りを開けるのではという気になります。 いつしか死んでゆく「無一物」の私たちを、 仏の境涯へと導くのは、 茶道を追及していくことなのかもしれませんね。 |
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作品名:色紙(福寿無量)
作者:吉田桂堂師(直筆) 価格:5,000円 |
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「福寿無量」は、
『観音経』の最後にある一節 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼 の「福聚海無量」から出来た四字熟語みたいです。 「福聚海無量」は、 「観世音菩薩(観音菩薩)の功徳(利益や福運)は、 福を聚(あつ)めた大きな海のように量に限りが無い」 という意味だそうです。 「福聚海無量」を「福寿海無量」としたのは、 一幅の軸物として、あえてめでたさを強調する意図で 「寿」の字を当てることがあるからなのだとか。 観音菩薩は一切の功徳を持っているため、 観音菩薩を信仰することで、 人生のあらゆる苦難・苦厄を除き、 勇気を与えてくれるそうです。 「福寿無量」は、めでたさの中に、 人生のあらゆる苦難・苦厄を除いてほしい という思いが込められているのではないでしょうか。 |
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作品名:色紙(山呼萬歳声)
作者:西垣宗興師(直筆) 価格:3,000円 |
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『漢書』武帝紀に「山呼萬歳声」に関する記述があるそうです。
紀元前110年正月元日、時の天子武帝は、 大勢の臣民とともに中国五岳の一つ嵩山に登り、 天子自ら恭しく祭壇を造って、山の神々に、 天下泰平、国家鎮護を祈念するそうです。 それを見守っていた臣民たちは感激し、 天子の武運長久を祝して歓呼の声をあげるようです。 それが五岳の山々にこだまして、 「万歳、万歳、万々歳」と大きく三度聞こえたといわれるとか。 この故事に由来する語句が「山呼萬歳声」だそうです。 今日では、一般的にめでたいときに「万歳」と呼ぶ習わしになったみたいです。 この「万歳」という言葉、元々「千秋万歳」の後半を取ったものだそうです。 万歳は一万年で皇帝の寿命を示す言葉で、 皇帝に対して以外では、使わなかったのだとか。 諸侯の長寿を臣下が願うときは「千歳(せんざい)」を使っていたようです。 ■茶の効能 萬歳とは万年のことで、昔は長寿を慶事として祝う慶賀の言葉だったそうです。 茶には「カテキン」という成分が含まれています。 「殺菌作用」の他、「抗酸化作用」「血圧・血中コレステロール値抑制作用」 「血糖値抑制作用」「発ガン抑制作用」などなど、 体にとても良いもののようです。 明菴栄西はその著書『喫茶養生記』に 「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり」 と記載しているそうです。 健康を望める「お茶」と、長寿を祝う言葉「万歳」。 茶道をしながら、いつまでも健康で長生きしたいものです。 |
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作品名:色紙(柳緑花紅)
作者:大橋香林師(直筆) 価格:5,000円 |
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11世紀の蘇軾の詩で、蘇東坡が言う言葉に
「柳緑花紅眞面目」 (柳は緑、花は紅、これが本来、ありのままの姿だ) というのがあるそうです。 7世紀の薛稷著『餞唐永昌』には、 「花紅柳緑宴浮橋」 (柳は緑、花は紅、云々) とあるようです。 禅語「柳緑花紅」は、自然のあらゆるものが、 そのままの真実を具現している様を表わしているそうです。 ■花は野にあるやうに 「花は自然に入れなさい」ということなのですが、 「自然そのままに」再現するというのではなく、 一輪の花に、野に咲く花の美しさと自然から与えられた、 命の尊さを盛りこもうとすることに、 真の意味があるのだとか。 7世紀の薛稷、11世紀の蘇軾、そして16世紀の利休。 自然の中に、命の尊さを見出す目は、 今も昔も変わらないようです。 茶室に掲げられた色紙には、 命の重さも宿っているかもしれません。 |
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作品名:色紙(吟風一様松)
作者:大橋香林師(直筆) |
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寒山著『寒山詩』に、
泣露千般草 吟風一様松 (露に泣く 千般一様松 風に吟ず 一様の松) とあるそうです。 「寒山(天台山)の山路にしげる、さまざまな草は秋露に濡れて、 あたかも涙をこぼして、泣いているかのような、 物悲しさ表しているかのようだ。 山路の大小の松は、時に、 吹く風に颯々とした一様の妙音を奏でてかのようである。」 という意味になるみたいです。 寒山は、天台山の別名だそうですが、作者の名も寒山です。 そのため、山の風光明媚な自然を詠ったと共に、 僧である、寒山自身の心境を表したものなのだとか。 ■森鴎外著『寒山拾得』 『寒山拾得』は、6000字程度の短い作品で、 台州刺史の閭丘胤(りょきゅういん)が頭痛に苦しみ、 豊干の治療を受けた時に、 豊干から「天台山に寒山文殊、拾得晋賢なる賢者あり」と聞き、 みずから登山して国清寺に至り、 寺の台所でかまどの火に向って大笑している二人を見て礼拝した 寒山・拾得は手をとりあって「豊干がしゃべったな」と、 笑い叫びながら走り去り寒巌の隙間穴に入ってしまった。 という話を元にしているようです。 寒山は、中国で唐代に浙江省にある天台山の、 国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名前なのですが、 初めは寒山という名ではなかったそうです。 天台山という夏でも雪が残るような高山に住んで、 この山を自分で寒山と表現したところ、 いつしか自分も寒山と呼ばれるようなったようです。 寒山は、拾得という僧と仲が良く、 いつも子供のように遊び回っていたそうです。 その様子があまりに風変わりだったため、 後世の人によって特別視され、 寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とする説が生まれたとか。 拾得の名前は、豊干禅師に拾われて仕事を得たのが、由来だそうです。 ■天台宗 中国仏教の最初の宗派・天台宗の誕生の地である天台山国清寺は、 海に近い浙江省東部の天台県にあるようです。 境内には大小の寺院が十数カ所あり、僧侶は数百人を数えるとか。 その天台山の中腹に、国清寺の塔頭があり、 鬱蒼とした松の林が広がっているそうです。 中国の天台宗の場合、日本の天台宗と違い、『法華経』の他、 『摩訶般若波羅蜜経』『大智度論』『涅槃経』に基づいて教義を組み立て、 『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の三大部を天台宗の要諦としているそうです。 天台宗関連の典籍は、鑑真和上が来日して伝えているそうです。 井上靖著『天平の甍』では、この時の遣唐使の姿が、 ドラマチックに描かれているようです。 次いで、伝教大師最澄が日本に天台宗を伝え、 「三一権実諍論」のような法論の中、 仏法の根本原理は『法華経』のみという考えを、 後世に残しているそうです。 ■松風 『寒山詩』の全文は以下のようになっているみたいです。 可笑寒山道、而無車馬蹤。 聯溪難記曲、疊嶂不知重。 泣露千般草、吟風一樣松。 此時迷徑處、形問影何從。 笑うべし寒山の道、しかも車馬の蹤なし。 連渓曲を記し難く、畳嶂重を知らず。 露に泣く千般の草、風に吟ず一様の松。 この時径に迷う処、形は影に問う何れ従りかせんと。 利休は、野外で茶を飲むことが好きだったようです。 久保長闇堂著『長闇堂記』に 「茶弁当はと云ふは、是も利休初めての作なり。」 とあり、点前道具一式を収納して持ち運びするための箱を、 わざわざ作ったみたいです。 風に吹かれ、一斉に鳴く松の音。 大自然の中で、点てる茶は、利休にとって、 この上もない贅沢だったのかもしれません。 その情景を、茶室の釜の音(松風)と重ね合わせて、 ひとときの休息を与えるくれるのも、茶道ならではでしょうか。 |
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作品名:色紙画賛(山是山水是水)
作者:小堀定泰師(直筆) |
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禅語「山是山水是水(山は是れ山、水は是れ水)」は、
@悟りに至らない段階:山は山、水は水にしか見えない。 A本来無一物の境地に至る: 一切が無差別平等。山は山でなく、水も水でなくなる。 Bさらに修行が深まって悟りの心さえも消え去ってしまった時: 山が山として水が水として新鮮に蘇ってくる。 と、悟りの段階により、見方が変わってくるようです。 最終的には、人々の個性を知り、 存在を認めあってこそ円満でいられる。 という意味になるのだとか。 ■四規「和敬静寂」 村田珠光が、足利義政から茶の精神をたずねられたとき、 「和敬静寂」と、答えたとも言われるそうですが、 この禅の精神を表す言葉「和敬静寂」の出典は、 よくわかっていないようです。 今更かもしれませんが、 「和(わ)」は、お互いに心を開いて仲良くするということ。 「敬(けい)」は、尊敬の敬で、お互いに敬(うやま)いあうということ。 「清(せい)」は、清らかの意味で、目に見えるだけの清らかさではなく、 心の中も清らかであるということ。 「寂(じゃく)」とは、どんなときにも動じない心ということ。 となっています。 茶道をするにあたり、色紙や掛軸から亭主の心を連想し、 亭主も、個々の客に対してそれぞれのテーマ性を持ってもてなす。 亭主と客が和合し、茶会において一座建立が果たされ、 互いの思いやりが敬という理念に表されるのですが、 「山是山水是水」には、まさに「和」と「敬」の心が、 あるのではないかと思います。 「山是山水是水」は「渓水山風共清」同様、 6月に掲げられることが多いようですが、 「季節感と共に亭主と客の一体感が生まれる」 そんな言葉として見るのも一興かもしれません。 ■文献 雲門文偃著『雲門廣録』に 「諸和尚子莫妄想。 天是天地是地。 山是山水是水。 僧是僧俗是俗。」 とあるようです。 また圜悟克勤著『圓悟佛果禪師語録』に 「雲門一日示衆云。 和尚子莫妄想。 山是山水是水。 僧是僧俗是俗。」 とあるそうです。 大慧宗杲の撰した『正法眼蔵』に 「古佛云、山是山水是水。 この道取は、やまこれやまといふにあらず、 山これやまといふなり。 しかあれば、やまを參究すべし、 山を參窮すれば山に功夫なり。 かくのごとくの山水、 おのづから賢をなし、聖をなすなり。」 とあるみたいです。 江味農居士著『神經喜喜』に 「古コ又云。不悟時、山是山、水是水。 悟了時、山不是山、水不是水。 山是山水是水者、只見諸法也。 山不是山水不是水者、惟見一如也。 又有悟後歌云。青山還是舊青山。 蓋謂諸法仍舊也、而見諸法之一如、 則青山雖是舊、光景煥然新矣。」 とあるのだとか。 |
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作品名:色紙(山呼萬歳声)
作者:福本積應師(直筆) 価格:3,000円 |
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禅語「山呼萬歳声」は
「山呼(さんこ)萬歳(まんぜい)の声」又は、 「山は呼ぶ萬歳(ばんざい)の声」 と読むみたいです。 山彦は、大気中を伝わる音波が固体面によって反射され、 音源の方向に戻って来る現象で、 「こだま」とか「エコー」とも言うそうです。 長寿を慶事として祝う慶賀の言葉「万歳」。 お正月など、おめでたい時に茶室を彩ることでしょうね。 |
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作品名:干支色紙(越前和紙)
価格:2,000円 備考:五枚限り |
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国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、
2014年11月27日、フランス・パリで政府間委員会を開き、 日本政府が推薦した「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」を、 無形文化遺産に登録することを決めたみたいです。 この無形文化遺産登録された和紙に、 越前和紙は残念ながら含まれていないそうです。 理由は、技術を継承するための団体がなく、 組織として国の重要無形文化財に指定されていないからなのだとか。 越前和紙は、福井県の嶺北地方で製造される和紙だそうで、 証券や証書(卒業証書等)などに「正式の用紙」として使用されるようです。 越前和紙は、約1500年の歴史を誇り、 手すきの生産量や事業所数が多く、国内最大の産地みたいです。 2000年に越前市の岩野市兵衛が人間国宝に認定され、 2014年3月には製作用具や製品2523点が、 国の重要有形民俗文化財に指定されたようです。 ■紙漉きの紙祖神「川上御前」の伝説 今から約1500年前、大滝の岡本川の上流に美しい姫が現れて村人に、 紙漉きを教えたという言い伝えが残されているそうで、 これが、川上御前の伝説みたいです。 男大迩王子(おおとのおおきみ)(のちの継体天皇)が、越前にいたころ、 五箇村を流れる岡太川の上流に、美しい姫が現れ、 「この村里は谷間にあって田畑も少なく、暮らしに難儀をしているが、谷間の水は美しい。 この水で紙をすき、暮らしを立てると良い。」 と言い、姫は、紙のすき方を教えたそうです。 喜んだ里の人が名を尋ねると「岡本川の川上に住む者」とだけ答え、 姿を消えてしたのだとか。 以来、里の人たちは、この姫(女神)を「川上御前」と呼んでこれを崇め、 その地に神社(岡太神社)を建立、以後、紙すきを「神わざ」として代々伝たえたそうです。 |
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作品名:色紙画賛
(東籬佳秋色) 作者:西垣大道 |
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「東籬佳秋色(とうりしゅうしょくよし)」とは、
東の籬(まがき)を見ると秋色が美しい、 という意味だそうです。 これは、陶淵明著『飲酒二十首 其五』に 盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり 菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る 山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る 此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る から取られたもののようです。 禅語としては、 「采菊東籬下 悠然見南山 (菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る)」 の部分が、それにあたるみたいです。 「東籬佳秋色」というのは、その後の、 「山氣日夕佳 飛鳥相與還 (山気に日夕に佳し 飛鳥相い与に還る)」 も含めた情景と心境をとらえた語みたいです。 ■東籬佳秋色 「秋の日」というのは、俳句では、 秋の太陽や日差しを指していう場合が多いそうです。 夏がすぎ、心地よくなったある秋の日の朝、 東の生垣を見ると、日の出が望めるという風景は、 一瞬、何かを悟った気になれるのかもしれません。 これを、深山幽谷・静寂の地に求めるのではなく、 現在の都会の喧騒に、この心境を持ってこそ、 この語(東籬佳秋色)の意義があるようです。 さて「山気に日夕(にっせき)に佳し 飛鳥相い与(とも)に還る」の部分は、 「山の光景は夕方が特に素晴らしい。 鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく。」という意味だそうです。 清少納言著『枕草子』に 「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、 烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。」 とあります。 あくまで想像ですが、 『飲酒二十首』が書かれたのが5世紀、『枕草子』は10世紀なので、 清少納言が、陶淵明の有名な詩「山気に日夕(にっせき)に佳し」に 「秋」をプラスしたのかもしれません。 ■詩以外の陶淵明文学 辞賦・散文に12篇の作品があるそうです。 「帰去来の辞」や「桃花源記」が特に有名だとか。 前者は彭沢令を辞任した時に書かれたとされ、 陶淵明の「田園詩人」「隠逸詩人」としての、 代表的側面が描かれた作品みたいです。 後者は、当時の中国文学では数少ないフィクションで、 「桃源郷」の語源となった作品だそうです。 他にも自伝的作品とされる「五柳先生伝」や、 非常に艶やかな内容で、隠者としての一般的なイメージにそぐわないことから、 愛好者である昭明太子に「白璧の微瑕」と評された「閑情の賦」などがあるとか。 ■無弦の琴 陶淵明は、無弦の琴を携え、 酔えばその琴を愛撫して、 心の中で演奏を楽しんだ、 という逸話があるそうです。 この「無弦の琴」については、 『菜根譚』にも記述が見られるようで、 意味を要約すると、 「存在するものを知るだけで、 手段にとらわれているようでは、 学問学術の真髄に触れることはできない」 と記しているのだとか。 無弦の琴とは、中国文化における一種の極致、 といった意味合いが含まれているみたいです。 ■文献 『飲酒二十首 其五』の詩(原文)に 「結廬在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 採菊東籬下 悠然見南山 山氣日夕佳 飛鳥相與還 此中有眞意 欲辯已忘言」 とあるようです。 意味は、 「人里に家を構えている。 しかも来客が車や馬の音にのって騒がしく訪れることもない。 [なぜそんなことがありえるのか]と問われるが、 心が世間から遠く離れているから、 住んでいる土地も自然に人少ない趣きにかわるのだ。 東の垣根の下で菊を摘むと、 遠く遥かに廬山が目に入る。 山の光景は夕方が特に素晴らしい。 鳥たちが連れ立って山の巣に帰っていく。 この光景の内にこそ、真実の境地が存在する。 しかし、それをつぶさに説き明かそうとすると、 言葉を忘れてしまうのだ。」 となるそうです。 |
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