茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

灰器ってこんなの

古くは「灰焙烙(はいほうらく/はいほうろく)」と言ったそうで、
最初の焼き芋は、江戸本郷で1793年に焙烙を使って蒸したものを売ったとのこと。
小型の焙烙は伝法(でんぼ/でんぼう)と呼んで、
これを用いて焼く場合は「でんぼ焼き」と言ったりもしたようです。

1816年の稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「炮烙之部。甕蓋 南蛮のツボの蓋なり。
島物。備前、信楽。楽素焼 利休形なり。
同薬懸 利休形、風炉に用ゆ。
同焼抜 如心斎好、長入より前になし。
同ノンカウ形 素焼に押判あり。
同内薬 卒啄斎好、炉に用ゆ。
金入 了々斎好、善五郎作、黒に金入、炉に用ゆ。」
とあり、当時から灰器は、風炉と炉で区別があったようです。今は、
風炉:小振りで釉薬のかかったもの
炉用:大振りで湿り灰(濡灰)を入れるため釉薬のかかっていない素焼のもの
といった区別をしているみたいです。

読み:はいきふろ
作品名:灰器(風炉)
作者:備前焼なんざん窯
価格:2,000円
備考:桐箱よごれ有

灰器(風炉)
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岡山県では備前陶芸なんざん窯の伝統工芸見学を開催しているようです。
備前焼の体験もできて、登窯だと4,200円、電気釜だと3,150円なんだとか。

ここでは備前焼の「窯変(ようへん)」について説明しようかと。

窯変は、陶磁器の焼成中、釉の組成や火炎の性質などが複合した原因となって、
予期もしなかった釉色や釉相の変色を言うそうで、 以下の種類があるみたいです。
胡麻
(ごま)
窯焚の最中に、薪の灰が融けて生地にくっ付く事によりできる模様だとか。
桟切り
(さんぎり)
金・青・灰色などのさまざまな模様だとか。
ひだすき 藁を巻き鞘などに詰め直接火の当たらない場所で焼くことによって、 生地全体は白く、藁のあった部分は赤い模様になるとか。
牡丹餅
(ぼたもち)
焼成時に作品の上にぐい呑みなどを置くことで、該当部分が白くなるとか。
そのカタチが牡丹餅のようになることからこの名がつけられたみたいです。
青備前
(あおびぜん)
通常備前焼き締めは酸化焔だけど、還元焔になることで青くなるとか。
青備前は窯中で空気があたらない箇所で焼成されると出来るのだとか。
黒備前
(くろびぜん)
古備前の時代に焼かれた備前焼の一つで、残っている当時の作品は少なく、
近年、再現する技法が研究され、
備前焼窯元の六姓の一つ森家の大窯や、著名な備前陶芸家の間でも焼かれているみたいです。
伏せ焼
(ふせやき)
薄い焼き物は その形を維持できずにゆがんだり変形したりするけど、それを防ぐための特別な焼き方だとか。


読み:うんげやきはいき
作品名:雲華焼灰器(炉用)
作者:寄神崇白

雲華焼灰器(炉用)
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炉用は、無釉焼〆・素焼きなどを使うそうです。焼は南蛮・ハンネラ・備前・信楽・楽などがあるとのこと。 形は炉縁に掛からないように底が小さくなっているとか。
風炉用は、炉用よりも小さく底が平たくなっているそうです。 焼は釉の掛かったものが使われ楽焼・萩などがあるそうです。

雲華焼とは、焼成中の操作により器の表面に雲がかかったように黒や灰色のむらを出したものだそうです。
灰器の他、香合・蓋置・前瓦などにも見られる焼き方のようです。


読み:うんげやきはいき
作品名:雲華焼灰器(炉用)
作者:寄神崇白
備考:中古品

雲華焼灰器(炉用)
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三代目の寄神崇白は、1937年に風炉師・二代目寄神崇白の子で京都生まれ、 1957年に京都市立工業試験場窯業科を卒業したそうです。
器体の表面に黒い斑紋を出す伝統技法「雲華焼」をベースに、黒色と用の美を追求し、 土風炉、灰器などに特徴を示すようです。
1975年、三代目寄神崇白を襲名。

寄神崇白の桂窯は、神社の瓦や土風炉を焼きながら、昭和15年頃桂に窯を築いたのが始まりだとか。
その後、岳父崇白に師事していた桧垣崇楽が、茶碗を主とした窯として継ぎ、 初代亡き後は、妻(崇白長女)が二代目崇楽を名乗ったみたいです。


作品名:灰器風炉用
作者:西尾彦四郎
価格:2,000円
備考:信楽焼/紙箱入

灰器風炉用
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信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる伝統陶磁器・b器で、
日本六古窯のひとつに数えられるそうです。

信楽の土は、質がよいことで名高く、昔から無釉陶器を作っていたみたいです。
無釉陶器としては、信楽の他、伊賀、常滑、丹波などがあるそうです。

ケイ石や長石が多く、胎土に含まれる鉄分や焼成の具合で、
発色は主に灰色から赤茶、稀な例では黒褐色と様々になるとか。

室町・桃山時代以降、茶道の隆盛とともに「茶陶信楽」として
千利休ら、いにしえの茶人に珍重されたようです。

信楽焼の見どころは「ビードロ釉」みたいです。
釜中の炎の勢いにより器物にかかる「灰かぶり」という現象から、
窯変が生み出す釉薬のかかり方が独特になるそうです。

西尾彦四郎は、1950年信楽町生まれ。
1969年から京都の手塚央氏に師事したそうです。


作品名:灰器炉用(備前焼)
作者:南燦窯英作
備考:木箱入

灰器炉用(備前焼)
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日本六古窯の一つ備前焼(びぜんやき)は、
岡山県備前市周辺を産地とする陶器だそうです。

釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、
「窯変」によって生み出され一つとして同じ模様にはならないのが特徴みたいです。
また、窯変瓦(ようへんがわら)という、
釉薬を使わずに備前焼と同じ製法で色調を出す瓦もあるようです。
※「窯変」の種類については別途表にしています。

備前焼の魅力である茶褐色の地肌は、
「田土(ひよせ)」と呼ばれる田んぼの底から掘り起こした土と、
山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を含む土で焼かれるそうです。

人間国宝になった人は、金重陶陽、藤原啓、
藤原雄、山本陶秀、伊勢崎淳など何人かいるみたいです。

南燦窯の備前焼は 「美しく・強く・使いよく」 、
しかも現代感覚溢れる斬新な作品を生み出し続けているそうです。


作品名:灰器炉用
作者:寒川栖豊(紀州焼葵窯)
備考:木箱入

灰器炉用
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紀州焼(偕楽園焼)は、紀州徳川家の御庭(おにわ)焼きのことだそうです。
文政(1818〜1830)ごろ、十代藩主治宝(はるとみ)が、別邸西浜御殿内の偕楽園で、
京都の楽(らく)焼の陶工や永楽保全らに焼かせたのに始まるようです。
交趾焼の写しなどを主に作ったのだとか。

永楽善五郎(千家十職の土風炉・焼物師)が携わった偕楽園焼は、紫と浅葱色と呼ばれる
トルコブルーを基調にした法花の和製の作風みたいです。

偕楽園の名は、天保十二年(1841年)水戸九代藩主徳川斉昭が別邸を創設し、
偕楽園と称したことに始まるようです。
明治六年(1873年)茨城県が、公園地としてこれを経営することとなったみたいです。

明治四十年、広田松翁が、公園内に楽窯を作り、偕楽焼と称したそうです。
「軽い軟陶に白釉がけ」の茶碗を主に作り「偕楽」隷書印を用いたようです。

昭和十一年、風戸元愛が、水戸市緑町に偕楽焼の継承のために
茨城陶器研究所を設立、板谷波山、城戸夏男らが協力し、焼成したみたいです。
このときの銘印は「偕楽」丸印・小判印を用いたのがとか。
その後「偕楽」印は、茨城工芸指導所に受け継がれ、
昭和二十四年、笠間市に茨城県窯業指導所が開設されるまで、
偕楽焼を製作したそうです。


作品名:灰器炉用
作者:伊藤征隆(蒲池窯)
備考:桐箱入

灰器炉用
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蒲池焼(かまちやき)は福岡県柳川市及び瀬高町で焼かれる焼き物だそうです。

蒲池焼天正二十年に肥前国の名護屋にて土器を焼いていた彦三郎方親の作品が、
名護屋城在陣中の豊臣秀吉に目を留められ激賞、
御朱印を与えられたのが始まりみたいです。

家長彦三郎は、元々美濃国の陶工で、佐賀の鍋島直茂に従っていたため出征(文禄の役)し、
朝鮮で土器の技法を習い、さらに朝鮮の陶工をつれてかえるみたいです。
以後、肥前名護屋(佐賀県)で陶業をおこし、
秀吉から陶工の長としての朱印状をあたえられたのだとか。

秀吉没後、柳川藩主立花氏の目に留まり、
筑後国土器司役の役職を授かり、当時の三潴郡蒲池村で、
藩の御用窯として土器を焼くことになり、幕府にもその作品が献上されたそうです。

明治になると藩の保護を失い、廃窯。その後、1973年に伊藤征隆が再興に成功し、
現在は数件の窯元が伝統的な技法を用いた器を焼いているそうです。


作品名:灰器飴釉(風炉用)
価格:3,000円
備考:紙箱入

灰器飴釉(風炉用)
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陶磁器にかける鉄分を含んだ釉薬のことで、
焼き上がりは光沢のある黄褐色(飴色)になるそうです。

透明釉に鉄またはマンガンを5〜10%加えて、
酸化で焼くと褐色の飴釉になるようです。

鉄分の加え方で、黄色っぽくなったり(酸化焼成時)、
緑色や黒っぽくなったり(還元焼成時)するみたいです。

飴釉にいろいろ混ぜると、他の釉薬になるみたいです。
「ざっくり」と書くと、こんな感じになるようです。

飴釉 = 石灰釉+鉄分(8%程度)
黒釉 = 飴釉+マグネシア+長石+カオリン
天目釉 = 石灰釉+鉄分(10%以上)
柿釉 = 天目釉+アルミナ
鉄砂釉 = 柿釉+珪酸分

飴釉と天目釉の違いは、
飴釉は、比較的石灰分が多く入っていて、
天目釉はこれが少ないということだそうです。


作品名:備前焼灰器(風炉用)
作者:木村陶峰
備考:紙箱入

備前焼灰器(風炉用)
※画像を押すと拡大できます。
灰器は、炭手前において、
風炉の灰形の景色として蒔く「藤灰」や、
炉中の灰の崩れを補い、
炭火の火付きをよくするために蒔く「湿し灰」を、
灰器に入れて持ち出すそうです。

風炉の時は小ぶりで、
釉薬はかかっているものを用い、
初炭、後炭ともに、
藤灰を少量盛って持ち出すのだとか。

炉の時は、大ぶりで素焼か焼締のものに、
初炭は、湿し灰をたっぷり、
後炭は初炭の使い残しの、
約半量ほどをもって持ち出すそうです。

灰器には、古来、南蛮や琉球をはじめ、
伊賀・信楽・備前などが喜ばれるのだとか。

他に、楽や雲華・交趾釉、
国焼の侘びた風情のものが用いられるようです。


■灰器が炉縁に当たらぬように
小間では、木地の炉縁、
四畳半以上の茶室では、
塗炉縁を使うことが多いそうです。

炭手前をするときは、
炉縁に灰器の縁がかかるように置いて、
灰を撒くのだとか。

その際、灰器が炉縁に当たって傷がつかないように、
炉縁は畳表面より1分(3mmほど)下げるのが、
正式な炉縁の設定だそうです。


■灰器に入れる灰の量
風炉の蒔灰の場合、釉薬のかかった灰器に、
少量の藤灰を盛るようです。

炉の場合、無釉の灰器に湿し灰を
たっぷり盛るのだとか。


■灰器以外の灰の盛り方
巴半田の場合
 素焼きの大きい方の半田は、
 乾き灰を入れ、
 底取で、中心から右回りに
 巴状の渦を描くのだそうです。

筋半田の場合
 釉薬のかかったやや小さい方の半田は、
 湿し灰を入れ、
 火箸で横筋を書き入れるのだとか。

焙烙の場合
 焙烙の正面を正し、
 中央より向かって右側に、
 湿し灰を盛るようです。
 
 灰匙に練香を載せて、
 灰の上に置くのだとか。

 そのほか、羽根・鐶・火箸・釜敷、
 など仕組むようです。




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