茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

作家な人々

道具を作った人々の中で、本ホームページ上で出てきた人物を中心に人物紹介をしようというページです。

ま行
氏名 前田昌道
経歴 大徳寺瑞峯院 吉口桂堂
大徳寺509世、山内塔頭瑞峯院住職、昭和62年示寂・世寿99。
前田昌道の妻の父。
コメント 前田昌道は、大徳寺瑞峰院住職。
キリシタン大名として知られた大友宗麟にちなみ、石を十字に配した瑞峯院の閑眠庭。
前田昌道曰く、
「戦後しばらくは、苔(こけ)だけの庭になっていた。
設計した林泉協会の重森三玲さんと、そこに宗麟の思いをくんだ『現代の庭』を造ろうと考えました。」

瑞峯院は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)で、茶室は、
○餘慶庵:表千家八代目そつ啄斎の好みの席を写したもの。
○安勝軒:表千家第十二代惺斎の好み。大徳寺山内唯一の逆勝手席になったもの。
○平成待庵:千利休の妙喜庵待庵写しの茶室で、平成2年に復元したもの。
があるみたいです。
茶庭は、方丈(本堂)と餘慶庵の間にある露地で、 一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめ、 中央近くに立手水鉢を設けた斬新な茶庭であったそうです。
近年改築されて、松や苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭になっているとか。

作品:短冊(閑座聴松風)

作品:銘入茶杓 銘:心華



氏名 前端雅峯
経歴 1936年 前端春斉の長男に生まれる。
2003年 建長寺(国の重要文化財)修復事業を拝任。
コメント 山中塗の塗師。伝統工芸士。
村田道寛師に茶道漆芸、中村長寛師に石地塗り、保谷美成師に加賀蒔絵を学ぶ。
前端家八代目。

作品:秋がすみ蒔絵大棗




氏名 前端春斎
経歴 前端雅峰の長男、父雅峰に師事。
保谷 美成のもとで加賀蒔絵を学ぶ。
昭和60年、三代春斎を襲名

三代目は、昭和39年生まれ。石川県山中町出身。
コメント

作品:蜑小舟香合

作品:朱金青海波大棗



氏名 増山馨鉄(ますやまけいてつ)
経歴
コメント 初代は、大阪の大国藤兵衛に師事し、茶釜や鉄瓶を製作。
二代は、日本伝統工芸展で新しいデザインの釜を発表して入選を重ね、
 日本工芸会正会員として活躍。

作品:富士釜(雲鐶付)




氏名 松斎
経歴 ■初代松斎
明治初年 清水三寧坂にて専ら陶彫を


■二代松斎(菊次郎)
大正二年 窯を五条から日吉町に移す。(緑居窯)

初代より陶彫の技を継ぎ、
中国古陶の釉薬の研究に没頭。
中でも蘇波釉・海鼠釉・辰砂釉・青磁等に妙技を揮う。


■四代松斎(茂郎)
新匠工芸会会員として作家活動を続ける。
岐阜に所有する登り窯で焼成した作品で数々の賞を受賞。
コメント 清水焼の松斎窯(株式会社 松斎陶苑)は、
京都府京都市東山区今熊野日吉町25にあるそうです。

作品:乾山竹絵筒茶碗




氏名 松永松寛
経歴など
コメント

作品:桐蒔絵大棗




氏名 松本鉄山
経歴 山口錠鉄の次男で母方実家の窯元へ養子となり 後を継ぐ。
コメント 松本鉄山は、山口錠鉄の次男で母方実家の窯元へ養子となり 後を継いだそうです。
愛知県瀬戸市水野町で茶陶を専門としているのだとか。

作品:羽室文琳茶入

作品:瀬戸唐津茶碗

作品:火入(織部松皮菱)

作品:ハジキ香合(織部)




氏名 松長剛山
経歴 昭和18年 大阪府能勢町生まれ。
昭和25年 大阪府長杉寺 松長元祥に のち 京都建仁寺僧堂で、竹田益州に参禅。
昭和46年 大徳寺塔頭高桐院 住職。

三重県上野市龍王寺住職を兼務。
大徳寺禅語録集成編纂委員。
久田流有栖川系茶道十三代家元。
細川三斉流茶道顧問。
コメント 松長剛山は、大徳寺塔頭高桐院(こうとういん)の住職だとか。

高桐院の庭園は、江戸時代初期に造園されたそうです。
もともとは土の庭だったものを、松長剛山住職が一面苔で覆ったのだとか。
庭には、石燈篭が一基と大小多くの楓の木があるそうです。

高桐院は、細川氏にゆかりがあり、細川忠興やその室・ガラシャなどの墓があるようです。
出雲阿国のものと伝えられる墓もあるとのこと。
忠興が北野大茶会の際に使用したとされる茶室「松向軒」、
利休屋敷から移築したという座敷もあるみたいです。
初代住職は玉甫紹j(ぎょくほじょうそう)だそうです。

作品:茶杓 銘:村雲

作品:茶杓 銘:山路

作品:茶杓 銘:春霞

作品:茶杓 銘:松の翠

作品:茶杓 銘:千代の寿



氏名 三浦竹軒
経歴 1900年 京都生まれ。
1921年 三代竹泉を継ぐ。
1931年 竹軒と改号。
1942年 政府認定技術保存者に認定。
1961年 仏交歓陶芸展で入選。
1990年 没。
コメント 三浦竹軒は、1900年京都生まれの陶芸家で、初代竹泉の三男だそうです。
はじめ、1921年に三代竹泉を継いだようですが、
1931年に別家して竹軒と改号したみたいです。

元々、二代である兄が早くに亡くなったため、三代を継いだようで、
二代長男の技術が成熟すると家督を譲り、
二代竹泉の長男に、四代竹泉を継がせたそうです。

金襴手を得意とし、仁清・乾山風の華麗な茶道具や花器を中心に、
作陶したようです。

1942年、政府認定技術保存者に認定されたみたいです。
1961年には、仏交歓陶芸展で入選もしているようです。

京都伝統陶芸家協会員も務め、
1990年に死亡したそうです。90歳だったとか。

作品:乾山桔梗図茶碗




氏名 道場宗廣(みちば そうこう)
経歴
コメント 石川県生まれの漆芸家。

加賀蒔絵・漆芸作家として30余年活躍。
加賀百万石の文化の伝統に支えられた漆芸の町に生まれ、
厳父より漆の技を教えられたとか。

和の鉄人・道場六三郎の兄にあたる。

作品:桐香合




氏名 南口閑粋
経歴 昭和33年 大阪に生まれる。
昭和53年 京都府立陶工高等技術専門校卒業。
昭和53年 初代宮川香雲に師事。
昭和60年 十六代永楽善五郎に師事。
平成元年 開窯独立、これを機に杣山焼を再興、創作活動に入る。
コメント

作品:色絵吉野山茶碗

作品:乾山雪笹茶碗



氏名 三野原晃一
経歴 村上木彫堆朱の伝統工芸士。
平成26年 瑞宝単光章受賞。
コメント 村上木彫堆朱について。
新潟県村上市は古い城下町で、村上地方の漆技は今から600年前、
京都から寺院建築に来た漆工が 始めたものだとか。

約200年前には、江戸詰めの村上藩士達が余技として彫漆の技を学び、
これが村上に広まり今日の 村上堆朱の基になったようです。

名工 有磯周斉は、中国風の図案を加味して品位の向上を図り、
鎌倉彫りの彫法を改良するなどし、 現在の村上木彫堆朱へとつながっているそうです。

昭和51年2月には、伝統的工芸品として通産大臣の指定も受けたみたいです。

作品:堆朱香合




氏名 宮川香雲
経歴 初代 宮川香雲
初代宮川香雲は三代宮川香斎の子として生まれる。
宮川香斎家から分家して龍谷窯を開窯。

二代目 宮川香雲
1938年 四代宮川香斎(初代真葛香斎)の甥で京都府生まれ、六代清水六兵衛に師事。
1980年 二代宮川香雲を襲名。仁清写、乾山写、金襴手を得意とし、華やかで雅趣に溢れた作風を展開。

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初代 宮川香斎
1819年〜1865年
初代宮川香斎は治兵衛春房の長男として生まれ、号を香斎・赤こんと言う。
京都守護職・松平容保の前で轆轤を披露し、「十水五石」の印を授かる。
嘉永年間(1848〜54)の始め頃に初めて「香斎」を名乗る。

二代 宮川香斎
1846年〜1922年
初代宮川香斎の養子。本名を熊二郎、号を香斎、善翁、治兵衛(隠居後)と言う。
真葛ヶ原に開窯していた宮川長造に師事して寅之助(初代宮川香山)達と窯に従事。
1911年に西本願寺の親鸞聖人六百五十年大遠忌で、同寺寺宝の一文字呉器写茶碗の御用命を頂く。
1913年、長男・周造に家督を譲って隠居し、代々の「治兵衛」を名乗る。

三代 宮川香斎
1894年〜1919年
二代宮川香斎の長男として生まれ、本名を周造、号を香斎・光誉と言う。
1913年 三代宮川香斎を襲名。
コメント 初代香雲は、三代宮川香斎の子。
二代目香雲は、昭和13年京都生まれで、 四代宮川香斎(初代真葛香斎)の甥みたいです。
後に、宮川香斎家から分家して龍谷窯を開窯したそうです。
六代清水六兵衛に師事し、昭和55年に二代目香雲を襲名したようです。
仁清写・乾山写・金襴手を得意とし、華やかで雅趣に溢れた作風を展開しているとか。

作品:三島茶碗




氏名 宮崎寒雉(みやざき かんち)
経歴 ■十三代 宮崎寒雉
大正4年 生誕。
昭和39年 十三代寒雉を襲名。


■十四代 宮崎寒雉
当代。
コメント 初代・宮崎寒雉が、仙叟より寒雉菴号の名を受け、以後、宮崎家は代々、
寒雉菴彦九郎を襲名し家業を受け継いでいるようです。

現在も伝統の技術を守り、裏千家の釜師として製作を続けているみたいです。

釜の生産量は年間50個程度で、原料の鋳鉄には、
和鉄・木炭(楢、樫の堅炭)・砂等を用いるそうです。

形状、肌付、肌色などは家伝独特のもので、
特に焼練工法、煮沸しながら仕上げる方法は秘伝となっているとか。


■十三代 宮崎寒雉
大正4年。加賀藩主の御用釜師として寛文年間より続く家系に生まれる。
石川県立工業学校卒業後、父・十二代宮崎寒雉に師事。
昭和39年、十三代寒雉を襲名。

茶室の中で茶人に好まれる釜づくりに徹し、
初代からの伝統ある寒雉釜の重厚さを受け継ぐ。


■初代 宮崎寒雉(〜1712年)
江戸時代中期の金沢の釜師みたいです。
加賀三代藩主・前田利常の御抱鋳物師・宮崎彦九郎吉綱の二男といわれ、
名は義一、通称は彦九郎、晩年剃髪して一艸庵、寒雉、また徳翁と称すのだとか。

京都の名越三昌浄味の門人となったようで、
師は名越昌高・大西浄清・大西定林など諸説あるとか。

仙叟宗室に釜作りの指導を受け、寒雉菴号の名を受け、藩御用釜師となるようです。
柏葉釜・鉈釜・乙御前釜・霰釜・段々釜・大講堂釜・責紐釜・茶飯釜など、
多種多様な釜を鋳ているそうです。
薄作で、釜肌は砂肌でざんぐりしており、焼抜もあっさりと焼き肌に皮を残し、
口際や鐶付などに巣を入れ、蓋も焼抜で薄く、撮にも虫喰があるようです。

釜以外にも仏具類も多く、銅鐘や三具足などが、
金沢市近辺の諸寺に伝えられてるみたいです。

初代寒雉は、男子がなかったため、
辻与次郎の末孫を娘の茂女の婿養子としたそうです。


■二代 宮崎寒雉(〜1729年)
江戸時代中期の金沢の釜師だそうで、名は尚義、通称は彦九郎、寒雉と号すとか。
『釜師双紙』によると、初代寒雉に男子がないため、
近江国栗多群辻村に辻与次郎の末孫があったのを、
娘の茂女の婿養子としたのだとか。

あまり世に知られておらず、作も少ないみたいです。


■三代 宮崎寒雉(〜1774年)
江戸時代後期の金沢の釜師でだそうです。
二代寒雉の子で、名は尚申、通称は彦九郎、寒雉と号すとか。

若年で京都の大徳寺で修業し、歌文をよくし茶事にも通じていたみたいです。

加賀の前田家に召されて帰国し、内匠頭に任じられ、
銭裁許を命じられて鋳貨を司ったため、世に「銭屋寒雉」と呼ばれるそうです。

共箱もあるそうですが、釜作は極めて少ないみたいです。

作品:天猫釜(繰口)




氏名 宮地英香
経歴
コメント

作品:黒仁清海老絵茶碗

作品:仁清雛絵茶碗



氏名 茂作
経歴
コメント 瀬戸焼の山口茂作は、織部で著名な 山口錠鉄 の四男だそうです。





氏名 元比古
経歴 南元比古
昭和25年 新潟県生まれ。
新潟大学長岡付属中学校卒 県立長岡高校卒 日本大学経済学部卒。
昭和49年 ガラス製造会社に入社 営業職。
コメント

作品:切子紅蓋置




氏名 森洞雲
経歴 大徳寺塔頭玉林院の前住職らしい。
コメント 大徳寺塔頭玉林院は、御所出入りの医師であった曲直瀬正琳が、
月岑宗印を開祖として創建したようです。
絹本著色釈迦如来像などの重要文化財があるとか。

作品:掛軸一行書(夢一字)

作品:掛軸一行書(滝)



氏名 守繁栄徹
経歴 昭和05年 生まれる。
昭和42年 萩市江向に開窯する。
昭和44年 文明展に入選(45年、46年にも)。
昭和45年 三笠宮崇仁親王殿下萩井戸茶碗献上。
昭和45年 九州・山口陶磁展で「萩大井戸茶碗」受賞。
昭和49年 萩焼伝統陶磁協会会長就任。
昭和50年 第三文明展で推奨賞受賞。
昭和51年 現在工芸中国展で県知事賞受賞。日本橋東急にて日本で最初の萩井戸茶碗店を開催する(53年にも)。
昭和52年 第24回日本伝統工芸店「萩大井戸茶碗」入選。
古萩の里、川上村惣の瀬栄徹茶碗登窯開窯。九州・山口陶磁展で受賞。
昭和53年 三笠宮崇仁親王殿下萩井戸茶碗献上。
昭和56年 第28回日本伝統工芸店「古萩土鬼萩手大井戸茶碗」入選。
昭和62年 札幌・東京・名古屋・大阪・広島・福岡・高知・旭川・
  帯広・函館・青森・仙台・福島・山形・千葉・横浜・
  今治・松山・徳島・富山・新潟・金沢・長崎・鹿児島・鳥取・岡山にて、
  守繁栄徹開窯20周年記念百碗自薦店を開催。
昭和63年 水指展を開催する。
平成元年 花入展を全国で開催する。
平成03年 第三文明展委託作家。
平成04年 日本文化振興会萩焼芸術文化の社会文化功労賞受賞。
平成05年 世界平和文化財団より世界平和十字勲章受賞。
平成09年 開窯30周年記念店を開催。
平成11年 古希展を全国で開催する。
平成12年 一畑百貨展にて萩井戸茶碗展を開催する。
コメント 守繁栄徹(萩焼窯元:蓮光山)は、昭和05年生まれ。 昭和42年に萩市江向に開窯したそうです。
昭和49年に萩焼伝統陶磁協会会長就任、
日本文化振興会萩焼芸術文化の社会文化功労賞(平成4年)や、
世界平和文化財団より世界平和十字勲章(平成5年)を受賞したようです。

作品:萩焼馬香合

作品:萩みかん香合



氏名 守繁徹
経歴 1976年 拓殖大学卒業・父、守繁栄徹に師事する
1983年 日本陶磁協会会員となる
1990年 第三文明展「萩四面陶火間潮壷」推奨賞・萩市展入賞
1991年 高松にて、守繁栄徹と一門展に出品 第三文明展「白萩釉窯変 夕映へ」 萩市展入選
1992年 仙台、名古屋、東京、札幌、帯広、三原、千葉にて親子展を開催する
 第三文明展入選「萩蓮弁萩陶」 大阪青木邸に陶璧「山雲」製作
1993年 福岡、宇部、長野、福島、高松、富山、長岡、今治、宮崎、上越にて親子会開催
 萩陶芸家協会会員になる
1994年 3月28日国宝「喜左衛門」を拝見する全国陶芸店「萩筆洗茶碗」入選
 同展会友に推奨される 新潟、広島にて親子展を開催する 第三文明展「萩残景乃月」壷入選
1995年 東京池袋三越(躍)個展開催
1996年 第4回淡交ビエンナーレ展 「白萩胴抜喰篭」入選 全国陶芸展「萩割高台茶碗」入選
 アジア工芸展「萩割高台茶碗」入選 第三文明展「白萩胴抜喰篭」
1999年 全陶展「萩櫛目茶碗」推奨賞
2000年 全陶展「白萩四方水指」推奨賞
2001年 全陶展「萩四方戸締壷」入選
2002年 全陶展「萩いどなり茶碗」入選 知新会「白萩四方彫文鉢」福太郎賞
2003年 韓日陶芸 井戸茶碗展 招待出品
2004年 萩陶芸家協会展「萩櫛目箆彫茶碗」 協会賞受賞
2005年 韓国河東郡 特別招待出品
コメント 守繁徹は、1954年生まれ。1983年から守繁栄徹(父)に師事し、
第三文明展や全国陶芸展などで受賞しているそうです。

作品:萩焼茶碗




氏名 森本陶谷
経歴 初代森本陶谷
明治34年生まれ。丹波焼窯元出身。萬古焼清水楽山に師事。
大正04年頃より作陶。
昭和49年、兵庫県無形文化財に認定。

五代目森本陶谷
昭和15年生まれ。兵庫県出身。
県無形文化財指定、姫路展無鑑査、師四代陶谷。
格調の高い丹波焼作家として知られている。
コメント 森本陶谷さんは丹波焼のトップクラスの作家の一人で、兵庫県無形文化財保持者だそうです。

作品:丹波内海茶入





や行
氏名 安本表雲斎
経歴
コメント 安本表雲斎は、京都の漆芸作家。陶芸家 秦玖山の師匠。

作品:一閑塗山道莨盆




氏名 山川巌(やまかわ いわお)
経歴 三代山川巌
全国各地で展示出品。
東京三越、高島屋等、作陶展多数。
コメント 巖窯。
初代石松は、石川県にて九谷焼窯元として創業したようです。
二代目巌は京都に出て茶道陶器を創作したとか。

三代目・山川巌は、
父の薫陶を受け陶芸の修行を積んだみたいです。
後、東山の巖窯を継承したそうです。

作品:三点セット(茶碗)




氏名 山口錠鉄
経歴 初代 山口錠鉄
明治28年3月生まれ。
昭和23年技術保存登録を受ける。

二代目 山口錠鉄
大正09年2月生まれ。
伝統工芸師に認定される。
二男 松本鉄山 大正11年生まれ。
弟 山口茂 大正14年生まれ 。
山口茂の子供 山口重信(県陶磁器資料館陶芸指導員)。

三代目 山口錠鉄(正悟)
昭和30年1月生まれ。
平成11年 三代を襲名。
二代目 山口錠鉄師に師事。
コメント 初代山口錠鉄は第一次陶磁器技術保存登録賞の瀬戸
(以下の6人:加藤唐三郎・山口錠鉄・加藤英一・加藤鼎・加藤麦袋・加藤唐九郎)を受賞、
現在は三代目で、京都南禅寺管長・菊僊老大師に賞されたみたいです。

赤津焼にはこだわってないのか、織部焼や志野焼なんかも手がけてるみたいです。

山口錠鉄は、愛知県瀬戸市赤津町17に窯を構えていますが、
赤津の窯元が開放される「窯の里めぐり(毎年5月と11月)」には登録していないのか、
名前は出てこないみたいです。

作品:肩付茶入

作品:志野蓋置(寸胴松絵)

作品:瀬戸茶入

作品:織部火入




氏名 山国
経歴など
コメント

作品:御所籠セット




氏名 山崎吉左衛門
経歴
コメント 山崎吉左衛門紙業
住所:〒915-0235 福井県越前市不老町14−27
電話:0778-42-0068

山崎吉左衛門は、宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士のようです。
敬宮愛子内親王の命名の折、名前を書いた紙は吉左衛門氏の紙なんだそうです。
山崎吉左衛門紙業は、福井県越前市不老町にある製紙業者みたいです。

作品:紙釜敷(白)




氏名 山田樂全(やまだらくぜん)
経歴 ■初代 山田樂全
1874年 生誕。
1939年 死去。

■二代目 山田樂全
1915年 京都市出身。
 父、漆芸家初代山田楽全に師事。
1924年 発足した六趣園の会員。
1950年 二代楽全を襲名。
1992年 姫路圓山記念日本工芸美術館にて、三代樂全と共に個展開催。
京都府工芸美術作家協会副理事長、京都漆芸家協会委員。
コメント 山田樂全は、現在、三代目みたいです。

作品:彩漆香合(銀杏絵)




氏名 祐哲
経歴
コメント 塗師。

作品:雲錦蒔絵中棗

作品:芽張柳蒔絵中棗



氏名 柳海剛(ゆ へがん・りゅう かいごう)
経歴 初代柳海剛
1894年 ソウル出身。
韓国の陶芸家。失われた高麗青磁の製造技術を復活させる。

二代目柳海剛
1964年 利川郡に窯を築く。
陶芸家。初代の子。韓国で高麗青磁を製作する。本名、柳光烈。
コメント 初代柳海剛はソウル出身の陶芸家で、
失われた高麗青磁の製造技術を復活させた韓国指定文化財(人間国宝)みたいです。
1964年韓国利川郡に窯を築いたとか。
また、二代目柳海剛は、初代の子供で、初代と同じく韓国で高麗青磁を製作しているようです。
ちなみに、韓国京畿道利川(イチョン)市のスローガンは「A・R・T ICHEON」で、
AはActive、RはRich(豊かな都市)、TはTopを表すそうです。

作品:高麗青磁花入

作品:青磁雲鶴文香合



氏名 陽斎
経歴 岡本陽斎(おかもとようさい)
昭和07年 京都生まれ。
コメント 漆芸家岡本陽斎は、京都に在住で、棗・香合・茶器・食器などを主に製作しているそうです。
漆芸の伝統技法をベースとし、蒔絵・螺鈿・独楽塗・黒漆と朱漆のコントラストによる文様描出に高い技術を示すとか。
草花・鶴・その他伝統文様をモチーフとし、均整のとれた空間を構成するようです。
工房は石川県中山町にあるそうです。

作品:朝陽棗




氏名 養心窯
経歴 ■樋口統三
樋口兼治郎の次男として可児郡可児町に生まれる。
昭和8年日本人初の重油によるトンネル窯築窯。
戦後労働省より製陶業における技能者養成者に認定。
昭和47年可児群御嵩町重要無形文化財に指定。

養心窯 多治見市大畑町
養心隠居窯 可児郡御嵩町
養心大萱窯 可児郡可児町久々利字大萱


■樋口力三
昭和10年生まれ。多治見市出身。
父・統三(御嵩町 重要無形文化財)に師事。
人間国宝 鈴木 蔵に師事。
昭和50年、養心窯四代目を継承。
志野焼を代表する作家として活躍。
高島屋など、全国デパート・ギャラリー等での個展多数。
コメント 養心窯当主 樋口統三。


■樋口統三
志野発祥中心の里、可児で桃山のやきもの再現を目指し
志野を中心に、黄瀬戸・瀬戸黒・織部などを、
養心窯当主として作陶。
昭和51年没後は、息子・力三が四代目として養心窯を継承。

作品:志野柿香合




氏名 吉田桂堂
経歴 大徳寺瑞峯院住職。
大徳寺五百九世住職。
コメント 吉田桂堂は、大徳寺五百九世住職。前田昌道の妻の父だとか。

瑞峯院は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)で、茶室は、
○餘慶庵:表千家八代目そつ啄斎の好みの席を写したもの。
○安勝軒:表千家第十二代惺斎の好み。大徳寺山内唯一の逆勝手席になったもの。
○平成待庵:千利休の妙喜庵待庵写しの茶室で、平成2年に復元したもの。
があるみたいです。

茶庭は、方丈(本堂)と餘慶庵の間にある露地で、
一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめ、
中央近くに立手水鉢を設けた斬新な茶庭であったそうです。
近年改築されて、松や苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭になっているとか。

大友宗麟が建立したようで、
宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓があるそうです。

作品:茶杓 銘:豊兆

作品:色紙(壷中日月長)

作品:色紙(無一物)

作品:色紙(福寿無量)




氏名 吉田宗利
経歴 ■吉田華正(本名:利昭)
(加賀蒔絵師:吉田宗利)
昭和15年2月 吉田栄作の長男として石川県小松市に生まれる。
平成10年 伝統工芸士に認定される。

中内輝雄(中内耕峰)に師事、定時制高校卒業。
全国漆器展・日本放送協会長賞、日本伝統漆芸展入選、
全国漆器展・日本漆器協同組合連合理事長賞。山中町産業功労賞
などを受賞。


■吉田昭(吉田華正の長男)
昭和45年 山中町(現、加賀市)に生まれる。
平成09年 吉田華正に師事・研鑽。
平成11年 兼六園茶会工芸展入賞。
平成15年 山中漆器蒔絵展連続受賞。
コメント 茶道具の世界で、はじめてクリスタルガラスに蒔絵を施した人だそうです。
乾漆技法を用いた茶碗の製作なども手掛けているとか。
漆器製造・卸の吉田利昭は、石川県加賀市山中温泉長谷田町ロ360
Tel:0761-78-0738だそうです。

作品:宝船蒔絵平棗




氏名 吉村楽入(よしむららくにゅう)/楽入窯
経歴など 吉村楽入
昭和34年 京都にて吉村楽入長男として生まれる。
昭和57年 同志社大学経済学部卒業。
昭和58年 京都市工業試験場
  伝統産業後継者育成 陶芸コース終了。
昭和59年 京都府陶工訓練校成形課卒業。
 以後、父・楽入に師事。
昭和61年 よりグループ展多数。
 陶芸集団チェラミスタに参加。
平成元年 「楽入窯」創始 「楽入窯」主宰。
平成12年 「重生」印を泉涌寺熊谷龍尚和尚より拝領。
平成13年 伝統工芸士認定。
平成16年 楽入を継承。「萬福堂 吉村楽入」を襲名。
コメント

作品:赤楽瓢香合

作品:光悦写兎の画香合



氏名 寄神崇白(よりがみ そうはく)
経歴 三代目 寄神崇白
1937年 風炉師・二代寄神崇白の子として京都に生まれる。
1956年 京都府立陶工職業訓練校卒業。
1957年 京都市立工業試験場窯業科卒業。
1975年 三代寄神崇白を襲名。
2001年 丹波に移窯。
コメント 寄神崇白の桂窯は、神社の瓦や土風炉を焼きながら、昭和15年頃、桂に窯を築いたのが始まりだとか。
その後、岳父崇白に師事していた檜垣崇楽が、茶碗を主とした窯として継ぎ、
初代亡き後は、妻(崇白の長女)が二代目崇楽を名乗ったみたいです。

作品:雲華焼灰器(炉用)

作品:雲華焼灰器(炉用)




ら行
氏名 利左ェ門
経歴 武村利左ェ門
コメント 唐津焼窯元の利左ェ門窯は、江戸中期には堺を通じ広く世に広め、
藩窯業発展の要の役をなすなどしてきたそうです。

山ほこら碑より利左ェ門窯を命名し創始したのだとか。
十二代目、武村利左ェ門から一言。
「伝統に陶技を重ね、種味のある茶陶唐津を志し、なお手軽に広く親しまれるように的を定め、
御愛陶家の皆様に御愛用いただきますよう努力を重ねていますので、御指導御愛顧のほどをお願い申し上げます。」

作品:朝鮮唐津花入

作品:朝鮮唐津水指

作品:絵唐津水指


氏名 利吉
経歴
コメント

作品:錫燻銚子




氏名 利祥
経歴
コメント 武林利祥。

作品:古伊万里写香合




氏名 龍門司窯
経歴 1598年 朝鮮半島より渡ってきた朝鮮人陶工により、古帖佐焼が始まる。
1688年 龍門司窯が、桜島を望む山ふところに築かれる。
コメント 陶祖山元碗右衛門をはじめ、芳工・芳寿・芳平・芳光¥芳次等、
多数の名工の遺風が、今日まで生き続けているとか。

共同窯方式での焼物作りから、
戦後、龍門司焼企業組合となり、
陶工たちが結集し、伝統技法が守り継がれているようです。

黒釉青流し、三彩をはじめ、
珍しい鮫肌や蛇蝎など多彩な天然釉により、
素朴ながら優美な品格を持ち親しまれているそうです。

粘土や釉薬の原材料は、
地元で採取、精製調合し、
登り窯での焼成は、魅力に溢れる作品となっているみたいです。

薩摩焼は、「苗代川系」「龍門司系」「竪野系」
「西餅田系」「平佐系」「種子島系」
の六つに大きく分かれるそうです。
現在では「竪野系」「龍門司系」「苗代川系」のみ現存しているようです。

別の分け方として、「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と、
「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分ける場合もあるみたいです。

「龍門司系(黒薩摩)」は、朝鮮陶工達の芳珍の子孫山元碗右衛門が、
加治木の山元に窯を築いたものだそうで、
その後、薩摩藩の保護により小山田高崎に窯を開き、
これが、龍門司窯のはじまりとなったようです。

鹿児島県姶良郡加治木町は龍門司焼で有名な町みたいです。

作品:黒釉茶碗





わ行
氏名 和田美之助
経歴 初代 和田信濃大掾藤原国次
京都三条釜座に住し江戸期釜座の座衆取締等、頭として活躍し、天下一釜師の称号を有し、釜・釣鐘等鋳造する。

二代 和田信濃大掾藤原国次(五兵衛)
寛永十三年初代の協力の許に知恩院大釣鐘を鋳造、以来寛永代より専ら釣鐘等大物師として傑作を造り後年入道、元禄二年従五位を賜わる。

三代 和田信濃大掾藤原国次(吉兵衛)

四代・五代・六代・七代・八代・九代迄 作銘同じため省略。
この間江戸期には、各寺院の釣鐘多数鋳造する。
大徳寺、本能寺、妙心寺、黄檗山萬福寺、建仁寺、清水寺奥の院、黒谷金戒光明寺、釈迦銅像、百萬辺知恩院等現存鐘百数十点。

九代 和田信濃大掾藤原国次(吉兵衛 号寿茂)
天保年、時世の移り変わり激しく蛤御門の変にて全焼以来復興できぬまま維新となる。六角堂、壬生寺等の釣鐘鋳造。

十代 和田美之助
京・下京高辻に住み、雨宮金寿堂に学び茶の湯釜、鉄瓶を鋳造する。大正二年没。

十一代 和田美之助
先代の技術を引き継ぎ古作釜等研究し数多くの作品を制作する。昭和三十五年没。

十二代 和田美之助
昭和16年生まれ。
歴代の偉業を受け継ぎこの道一筋に専念、秘法を守りさらに研究改良を重ね製作に精進する。
毎年各所にて展示会開催。
コメント 十代〜十二代まで同じ名前の和田美之助は、1636年に知恩院大釣鐘を鋳造して以来、 九代まで和田信濃大じょう藤原国次として釣鐘を鋳造していたそうです。
十代和田美之助からは、蛤御門の変で全焼した処から高辻に移住し、 雨宮金寿堂に学び茶の湯釜・鉄瓶を鋳造しはじめたとか。

作品:桑柄火箸





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