茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。

作家な人々

道具を作った人々の中で、本ホームページ上で出てきた人物を中心に人物紹介をしようというページです。

あ行
氏名 阿山人
経歴
コメント

作品:細水指竹画


氏名 赤沢露石
経歴 ■初代・赤沢華峯(赤沢元次郎)
田能村直入に南画を習う。
五条坂において画の指導を行う。
のちに転じて陶芸に携わる。

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■二代・赤沢露石(赤沢修三)
初代元次郎の子。
華峯の跡を継ぎ、露石と号し、陶芸に携わる。
昭和18年に技術保存認定を交趾焼の作品により認定。
京都伝統作家協会の設立に携わり、同協会会員となる。

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■三代・赤沢露石(赤沢静尾)
二代修三の妻。
若くより茶の湯に親しみ、家業を助ける。
京都伝統作家協会会員。

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■四代赤沢露石(赤沢正中)
昭和16年 生まれる。
昭和59年 京都大丸「現代の陶芸百人香炉 名品展」出品。
昭和63年 交趾焼四代露石襲名する。
平成19年 京都高島屋にて「京都伝統陶芸家 協会50周年記念展」出品。
昭和56年 日本橋三越本店・京都大丸等 各地で個展。

二代修三の孫。
線文様をモチーフにした、
近代的な交趾焼により日本工芸会正会員となる。
京都伝統作家協会会員。
日本陶芸展第1回、第2回展入選。
コメント 赤沢家は関山慧玄の上洛に同行し以後、
代々行者として江戸末期までその一家を成したようです。

明治維新以後、廃仏毀釈により、
行者の職を失い、以後、絵画、陶芸に携わったとか。

作品:黄交趾菓子鉢


氏名 東竹園斎
経歴
コメント

作品:松山籠炭斗


氏名 足立泰道(あだち たいどう)
経歴 1937年 12月生まれ。
1969年 雲澤寺副住職。
1975年 雲澤寺住職。
1986年 大徳寺派前住職。
1987年 施大徳寺改衣式。
2009年 閑栖。
コメント

作品:掛軸横物(うちわ・涼風)


氏名 荒井正春
経歴 1947年から蓑輪一星の師匠。
コメント

作品:芽張柳蒔絵中棗


氏名 石崎靖典
経歴
コメント

作品:菱馬水指


氏名 石田陶春(いしだとうしゅん)
経歴 1944年 兵庫県加古川生まれ。
1965年 陶芸を志し各陶郷を巡学。
1967年 丹波立杭森本陶谷先生に師事。
1970年 相野に登窯を築窯独立。
1974年 穴窯築窯。
1984年 大穴窯築窯。
1992年 小登窯築窯。
コメント

作品:丹波茶入


氏名 一后一兆(いちごういっちょう)
経歴など 1898年 石川県生まれ。
1991年 没。
コメント 漆芸家、蒔絵師。

輪島塗「最高峰」ともいわれる蒔絵師だそうです。

作品:金地源氏車平棗




氏名 一ノ瀬宗辰
経歴 初代 一ノ瀬宗辰
明治八年 初代一ノ瀬長太郎は鋳銅職として業を起こす。

二代目 一ノ瀬宗真
明治二十三年 二代目宗右衛門(宗真)は、
滋賀県能登川町の「亀文堂」波多野正平氏(現在京都の畑象六氏の本家)の隠れ職人となる。
日英同盟博覧会に出品し最高の金賞受賞。
また万国博・商工展・文展・帝展等においても幾多の特賞及び大賞を受賞。
名工として高く評価されたが、
高岡銅器の振興のため子弟の養成や指導にも尽力し、今日の基礎をつくった。

三代目 一ノ瀬宗辰
三代辰男(宗辰)は、先代宗真の秘技そのまま受け継ぐ。
特に京都で茶道を習い、京銅器・茶器・花器等の金工と着色の粋を学び厳しく修行。
日本美術茶器・花器振興展に出品し、昭和三十八年と四十八年の二回文部大臣賞を受け受賞。

四代目 一ノ瀬宗辰
四代新太郎(宗辰)は先代宗辰を襲名し、
先祖代々の秘技を受け継ぎ、そのうえ古美術、茶道具を収集研鑽。
現在富山県作家協会会員、高岡市美術作家連盟会員、高岡市美術友の会理事として活躍中。
コメント 一ノ瀬宗辰は金工師。
金工の製造工程は、以下のようになるみたいです。
モデル(原型):製品寸法より大きくする「縮みしろ」を計算して鋳造品用の原型を作る。
鋳造(鋳金):鋳型の空洞部に金属類を流し込んで凝固させ「鋳物」を作る。
鍛金(打ち物):打ち延ばしたり、縮めたりして製品を作る。
金属を塊から打ち伸ばす「鍛造」と金属板を加工する「鍛金」があるとか。
仕上げ:金属研磨・彫金・溶接などで求める表面を作る。
伝統的着色(古代色):酸化処理や硫化処理をして完成。

作品:唐金エフゴ建水

作品:唐金口糸目建水(淡々斎好)

作品:唐金槍鞘建水


氏名 市野信水(いちのしんすい)
経歴 昭和32年 丹波立杭に初代信水氏の長男として生まれる。
昭和55年 丹波立杭にて作陶。
昭和58年 県工芸美術展 文化協会賞受賞。
昭和59年 県工芸美術展 協会賞受賞。
平成元年 茶の湯の造形展 入選。以後数回入選。
 日本伝統工芸展 入選。以後数回入選。
平成05年 日本工芸会正会員に認定される。
平成14年 克明を改め二代「市野信水」を襲名。
コメント 日本工芸会正会員、兵庫県工芸美術作家協会会員
信水窯。

先代信水が昭和43年に尾中の地に窯を開き、
二代目信水が跡を継ぎ作陶しているとか。

作品:丹波内海茶入



氏名 一ノ瀬宗也
経歴
コメント 富山県高岡市の鋳物師で、その技術には定評があったとか。

作品:唐金道安風炉



氏名 伊東桂楽
経歴など 初代 寄神宗白に師事。
コメント 桂窯で、茶の湯のやきもの一筋に30余年活動。

作品:黒楽茶碗

作品:七福神香合



氏名 伊藤表正
経歴 1935年11月 京都生まれ。
1955 初代 田中表阿弥 二代目 田原表阿弥に師事。
1975 師より表正を受ける。
以降、個展、展示会多数開催。
コメント 漆工芸家の伊藤表正は、塗師である田中表阿弥と田原表阿弥に師事してのち、
茶道塗師として活躍、主に裏千家好写の棚をたくさん作ったとか。

作品:五福香合


氏名 伊藤征隆(蒲池窯)
経歴 1973年 蒲池焼を再興。
コメント 蒲池焼(かまちやき)は福岡県柳川市及び瀬高町で焼かれる焼き物だそうです。

蒲池焼天正二十年に肥前国の名護屋にて土器を焼いていた彦三郎方親の作品が、
名護屋城在陣中の豊臣秀吉に目を留められ激賞、
御朱印を与えられたのが始まりみたいです。

家長彦三郎は、元々美濃国の陶工で、佐賀の鍋島直茂に従っていたため出征(文禄の役)し、
朝鮮で土器の技法を習い、さらに朝鮮の陶工をつれてかえるみたいです。
以後、肥前名護屋(佐賀県)で陶業をおこし、
秀吉から陶工の長としての朱印状をあたえられたのだとか。

秀吉没後、柳川藩主立花氏の目に留まり、
筑後国土器司役の役職を授かり、当時の三潴郡蒲池村で、
藩の御用窯として土器を焼くことになり、幕府にもその作品が献上されたそうです。

明治になると藩の保護を失い、廃窯。その後、1973年に伊藤征隆が再興に成功し、
現在は数件の窯元が伝統的な技法を用いた器を焼いているそうです。

作品:灰器炉用


氏名 いとまん窯
経歴
コメント 琉球焼きいとまん窯
営業時間 9:00〜18:00(年中無休)
シーサーペア:1500円 シーサー作り体験 2000円
沖縄県糸満市福地155
電話 098-997-2387
アクセス バス停:波平入口から徒歩約1分

作品:琉球焼茶碗



氏名 一峰
経歴 吉田一峰
昭和29年9月生まれ。
昭和43年 これより6年間荒井正春先生より蒔絵技術の指導を受け、兄弟子蓑輪一星氏と共に棗専門に勉強する。
昭和51年 独立。
コメント

作品:寿輪棗

作品:糸巻棗

作品:日出棗


氏名 井上東也
経歴 井上東也(鏡山窯)
1942年生まれ。
1966年 日本大学卒業。学生時代から古窯跡の発掘をし、唐津焼の陶片を集め調査を行う。陶芸家・塗師淡斎に師事。
1969年 唐津市鏡山山麓に開窯。日本橋三越、新宿伊勢丹等、各地で個展を開催。
1983年〜2010年 唐津焼協同組合理事長。
2008年 ロサンゼルスにて個展。
コメント 井上東也は、昭和17年の唐津生まれ。
日大に進み、帰郷後に鏡山の麓に窯を築き、昭和44年に開窯。
唐津焼協同組合の理事長を務め、唐津焼の更なる発展に尽力しているとか。

作品:唐津焼火入

作品:唐津建水



氏名 宇田川聖谷(うだがわせいこく)
経歴 1940年 山口県に生まれる。
1963年 三輪休和の弟子である玉隆山・吉田萩苑に師事する。
1972年 朝鮮にて開源窯の築窯などを学び、帰国し三連房窯を作る。
1973年 開窯(丹妙山窯)し聖谷と号す。
1991年 相国寺派管長・梶谷宗忍老大師より、号「玄翁」を拝領する。
コメント

作品:萩茶入




氏名 上田義山
経歴 1891年 生まれ。
1972年 享年81歳。

大徳寺塔頭高桐院、元住職。
コメント 臨済宗の僧。大徳寺五百十世。
諱は良忠。大徳寺高桐院住持。

作品:茶杓 銘:祥雲




氏名 永豊(斉藤永豊)
経歴
コメント 袋師だそうです。

作品:訶梨勒




氏名 大西清右衛門
経歴 初代 浄林 (1594 - 1682) :(五郎左衛門)
二代 浄清 (1594 - 1682) :(五郎左衛門)
 古田織部、小堀遠州らにつかえ、茶釜師としての大西家の基礎を確立した。
三代 浄玄 (1630 - 1684) :(仁兵衛)
四代 浄頓 (1645 - 1700) :(清右衛門)
五代 浄入 (1647 - 1716) :(新兵衛)
六代 浄元 (1689 - 1762) :古浄元(清右衛門)
 表千家中興の祖七代如心斎天然につかえ、家元好みの釜を多数つくった。
七代 浄玄 (1720 - 1783) :くろ玄(清右衛門)
八代 浄本 (1747 - 1785) :(清右衛門)
九代 浄元 (1749 - 1811) :左兵衛浄元
十代 浄雪 (1777 - 1852) :(清右衛門)
 表千家十代家元吸江斎のころの人。
 家元より「弄鋳軒」の軒号を受ける。名物釜を調査し、記録に残した。
十一代 浄寿 (1808 - 1875) :(清右衛門)
十二代 浄典 (1841 - 1869) :(清右衛門)
十三代 浄長 (1866 - 1943) :(清右衛門)
十四代 浄中 (1888 - 1960) :(清右衛門)
十五代 浄心 (1924 - 2002) :(清右衛門)
当代 清右衛門 (1961 - )
コメント 千家十職の釜師で、大西家は、
室町時代後期から400年以上続く京釜師の家だそうです。

四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、
代々の当主は清右衛門という名を継いだようです。

京都市中京区の三条釜座(かまんざ)に工房があり、
「大西清右衛門美術館」も併設されている。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「浄林 姓は大西、浄味の弟子」
「浄清 浄林の弟也、兄弟共に織部公に随て関東へ行く、
 浄林は江戸に足を止め御釜師となる、浄清は京へ帰り住す」
「浄元 浄清の子也、浄頓(浄元の子)、浄入(浄頓の子)、
 浄元(浄入の子)、これより道翁死後千家へ出入となる、
 浄玄(浄元の子)、清右エ門(浄玄の子)早世す故に弟子與兵佐兵衛家をつぐ、
 後浄元と云ふ、其子清右エ門大西にかへる、弟佐兵衛奥平と云ふ、
 清は大西、入は廣瀬、初の元井上、後の元細野、佐兵衛より大西」
などとあるようです。

作品:沈金松竹梅蓋置




氏名 大野桂山
経歴 三代目 大野桂山
清水焼の桂窯。初代崇白、二代崇白に師事。

1956年 京都に生まれる。
1988年 桂窯に入り、檜垣青子に師事。
 以来茶の湯の焼物に打ち込み、現在にいたる。
コメント 桂窯は、古くより神社仏閣の瓦を作っていた窯の流れをくむ、
土風炉師の寄神崇白が始めたものだそうです。
その後、岳父崇白に師事していた桧垣崇楽が、茶碗を主とした窯として継ぎ、
初代亡き後は、妻(崇白長女)が二代目崇楽を名乗り現在に至るようです。

作品:黒楽馬絵茶碗

作品:火入(青楽)



氏名 大野芳光(おおの よしみつ)
経歴など 昭和元年 火鉢・瓶掛等、鋳造を学ぶ。
昭和13年 独立自営、花器等を製造。
昭和21年 軽金属製造を行う。
昭和23年 茶道具・花器等を製造。
昭和52年 高岡市工芸保持者に認定。
 ※各博覧会・伝統展等 多数受賞。
昭和60年 日本伝統工芸展入選。
平成02年 日本伝統工芸展入選。
コメント

作品:唐金エフゴ建水




氏名 大橋香林
経歴 1901年 岐阜県生まれ。
 花園大学を経て円山伝衣に学ぶ。
 大徳寺塔頭興臨院、那智勝浦円心寺、三重県龍王寺の住職を務め、
 大徳寺前住にすすんだ。
1983年 死去。享年82歳。
コメント 紹真香林、龍王紹真と同じ人みたいです。

作品:赤楽茶碗 銘:千歳

作品:色紙(柳緑花紅)

作品:色紙(吟風一様松)

作品:短冊(且座喫茶)




氏名 大樋長左ェ門
経歴 ○初代 大樋長左ェ門
はじめ土師・長左衛門と称する。
楽家四代目一入に学んだのち、
1666年に加賀藩5代藩主前田綱紀から茶堂として招かれる。
裏千家家元・四代目千宗室(仙叟)に同道し、
楽焼の脇窯である大樋焼を金沢で始める。
1686年に仙叟が帰京したあとも金沢に残り、
河北郡大樋村で藩の焼物御用を務めて、地名から大樋姓を許される。

○五代 大樋長左ェ門勘兵衛
1799年 四代大樋勘兵衛(土庵)の長男として誕生。
1816年 家督を継ぐ。
1850年 十一代将軍家斉の前で陶技を上覧に供した。
1856年 死去。享年58歳。

○六代 大樋長左ェ門(朔太郎)
1829年 五代大樋勘兵衛の長男として誕生。
1847年 松の御殿焼物御用手伝を仰せ付けられた。
1856年 死去。享年28歳

○九代目 大樋長左ェ門
陶芸家、金沢生まれ。
昭和09年 大樋焼本家窯元九代目を襲名。
中興の祖である五代勘兵衛に匹敵する名工といわれた。
日本工芸会正会員。

○十代目 大樋長左ェ門
昭和02年 金沢市に生まれる。九代大樋 長左衛門の長男。
昭和62年十代襲名。日展理事、審査員。
 文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員・大樋焼十代継承者日展顧問・
 現代工芸美術家協会理事長・石川県美術文化協会理事長石川県陶芸協会会長・
 金沢卯辰山工芸工房工房長金沢学院大学副学長・ロチェスター工科大学名誉博士。
コメント 初代大樋長左衛門は江戸時代の人で、
楽家四代目一入に学んで楽焼の脇窯である大樋焼を金沢で始めたそうです。
現在は十代目で、長男の大樋年雄は、将来十一代目になるのかな?

九代目は、中興の祖である五代勘兵衛に匹敵する名工といわれたそうで、
TV「なんでも鑑定団」に出た「空中(本阿弥光甫)作、銘:寒月」の写しは、鑑定額350万円だったとか。すごいですね。

大樋焼の名は、裏千家四代仙叟が金沢へ行くとき、楽家の弟子を連れ、
大樋という土地に窯を築かせたことが始まりだそうです。

五代大樋長左ェ門の銘印は千家から貰ったものの他、
楷書の「大樋」の丸と、
二重小判形の中に「お本ひ」と仮名書のものを用いるようです。

七代大樋長左ェ門は、道忠といったそうです。

八代大樋長左ェ門宗春は、茶道に通じ、松涛と号し、
裏千家十三代円能斎より以玄斎の号を与えられたみたいです。

作品:大樋飴茶碗




氏名 岡田節哉
経歴 大正3年 新潟県中浦原郡村松町生れる。
昭和5年 竹工芸製作に入る。
昭和22年 日展に入選。
昭和26年 新潟県工芸試験場佐渡竹工試験場長となる。
昭和26年〜昭和42年 16年間佐渡の竹工芸の指導にあたる。
昭和45年 会員推薦により日本工芸会員となる。
コメント

作品:清風籠炭斗




氏名 岡田裕
経歴 昭和21年 山口県生まれ。
昭和43年 慶応義塾大学法学部卒業 。父、八代仙舟に指示。
昭和48年 山口県美術展入選(以後毎年入選)。
昭和50年 九州山口陶磁展受賞。
昭和51年 日本現代工芸美術15周年記念展入選 一水会陶芸展入選(以後数回入選)。
昭和52年 西部工芸展入選(以後数回入選)。
昭和54年 日本陶芸展入選 日本伝統工芸展入選。
昭和55年 外務省お買い上げ。
昭和56年 西日本陶芸展入選(以後数回入選) 日本陶芸展入選。
昭和57年 九州山口陶磁展受賞 山口県美術展受賞。
昭和58年 日本陶磁展入選 日本伝統工芸展入選。
昭和59年 茶の湯造形展優秀賞受賞 日本伝統工芸展入選。
昭和60年 茶の湯造形展奨励賞受賞 九州山口陶磁展受賞 山口県美術展受賞 日本陶芸展入選 日本伝統工芸展入選。
昭和61年 西日本陶芸展山口県知事賞受賞 伝統工芸新作展NHK賞受賞 日本伝統工芸展入選。
昭和62年 日本陶芸展入選。
昭和63年 伝統工芸新作展支部長賞受賞 日本伝統工芸展入選 山口県美術展受賞。

やきもの探訪「白のぬくもり」(NHKテレビ) 、連続ドラマ「緋が走る」(NHKテレビ)陶芸監修 。
山口県無形文化財認定・日本工芸会正会員。
コメント 萩焼窯元「晴雲山」の岡田裕は、日本陶芸展・日本伝統工芸展などに多数入選していて、
NHKテレビの陶芸監修などもしているみたいです。

作品:萩焼三閑人蓋置




氏名 岡本陽斎
経歴 昭和7年 京都生まれ。
コメント 岡本陽斎は、昭和7年京都生まれの塗り師。
工房は石川県中山町にあるのだとか。
この作家の棗は、とてもきれいですよね。

作品:朱手桶水指

作品:黒手桶水指

作品:老松割蓋茶器

作品:糸巻莨盆

作品:柳蒔絵中棗



氏名 小川長楽
経歴 初代 小川長楽(大治郎)
明治07年 生まれ。小川左右馬法眼源正幸の次男。
明治19年 楽家十一代慶入の弟子となる。
明治37年 楽家十二代弘入の令を受け、別家する。
明治39年 健仁寺派第四代管長竹田黙雷より「長楽」を賜る。
明治44年 上京区宮の脇町に移窯する。
昭和14年 死去。享年65歳。
※楽吉左衛門家より独立、「長楽窯」を五条坂若宮八幡宮畔に開窯。

二代目 小川長楽
明治45年生まれ。
昭和14年 二代長楽を襲名。
昭和15年 今日庵14世淡々斎宗匠の推挙にて、建仁寺派第5代管長古渡庵頴川老師より「景雲」の号を賜る。
昭和18年 芸術保存作家の指定を受ける。
昭和30年 芸楽釉楽窯による、白薬・焼貫七彩釉の焼成に成功。

三代目 小川長楽
昭和22年生まれ。
平成04年 三代長楽を襲名。
コメント 初代小川長楽は、今のところ楽家から唯一独立を許された人物。
現在の小川長楽は、醍醐寺座主より「松風軒」の号を賜り、
三代長楽を襲名したとのこと。
皇太子殿下ご成婚の際には、「赤・白一双茶碗」を献上したみたいです。
三代目長楽曰く「土も自分で見つけます。ただ、すぐにはつかえず、
土を空気や雨にさらして寝かせ、作品になるまでには二、三十年ほどかかります。」
とのこと。かなり大変そうな道ですね。

作品:赤楽茶碗




氏名 奥村吉兵衛
経歴 1618年〜1700年9月 初代吉右衛門。いみな「清定」、出家後法名「宗勢」。
正保03年(1646年) 上洛、武士から商人に転業。
承応03年 表具屋業を開業、屋号「近江屋吉兵衛」を名乗る。
妻は売茶翁の友人で能書家として知られた亀田窮楽の伯母。
現在も奥村家の玄関にかかる「表具師」ののれんの揮ごうはこの窮楽の筆による物とされる。

1633年〜1719年12月 二代目吉兵衛(千家職方)。号「休意」。初代の長男。
元禄11年(1698年) 表千家6代・覚々斎の取りなしで紀州徳川家御用達、また表千家御用達となる。
二代目吉兵衛の長男(吉九郎)は、25歳にて早世。

1666年〜1743年3月 三代目吉兵衛。出家後法号「休誠」。近江国浅井郡馬渡村の松山家の出身。
二代目吉兵衛の婿養子。狂歌の作者、能書家として知られる。

1737年〜1781年11月 四代目吉五郎。近江国伊香郡高月村の田辺家出身。三代目吉兵衛の婿養子。法名「道順」。

1755年〜1825年8月 五代目吉兵衛。出家後法号「了誠」。近江国伊香郡高月村の松井家出身。三代目吉兵衛の婿養子。
天明8年(1788年) 天明の大火に遭遇、家伝などの一切を消失。
三千家合作の三幅対として有名な土佐光孚筆の絵のうち、
表千家・了々斎(宝珠)、裏千家・認得斎(小槌)の2作の賛を得て、表装を行う。

1780年〜1848年8月 六代目吉兵衛。号「休栄」。近江国伊香郡高月村の宮部家の出身、四代目吉五郎の婿養子。
史料編纂に興味を持ち、天明の大火で失った家伝の再編纂を決意。
 「奥村家系図」、「千家御好表具并諸色寸法控」乾巻・坤巻を著し、
茶道具の様式や、茶会のルールなど、貴重な資料を後世に伝える功績を残す。

1795年〜1837年9月 七代目吉次郎。号「休音」。六代目吉兵衛の婿養子。義父に先立って死去。

1804年〜1867年7月 八代目吉兵衛。号「てい所(ていは木偏に聖)」「鶴心堂」。歴代中最も「表具の達人」と言われる。
当人は学問の方に興味があり、後に彦根藩家老となった岡本黄石を師として儒学を学び、
その紹介により梁川星巌、紅蘭夫妻と親交を結ぶ。後に出家し「蒿庵」と号する。

1840年〜1908年11月 九代目吉兵衛。名「義道」。八代目吉兵衛の長男。
小川町上立売(現京都市上京区)から、現在奥村家のある釜座通夷川(現京都市中京区)へ転居。
明治15年(1882年)に、「三千家合作の三幅対」のうち未完であった「天秤計り」に
武者小路千家・一指斎の賛を頂戴し、発起より60年後に完成させる。

1869年5月〜1944年9月 十代目吉次郎。九代目吉兵衛の長男。

1901年〜 十一代目吉兵衛。十代目吉次郎の長男。

?年〜 十二代目吉兵衛。十一代目吉兵衛の子息。当代。
コメント 奥村吉兵衛は、千家十職の表具師(経師)。

奥村家は佐々木氏の末裔を称し、
近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされるそうです。
二代・吉兵衛は表千家六代・覚々斎の取りなしによって、紀州徳川家御用達となり、
家運興隆の基礎を作ったみたいです。
六代・吉兵衛は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、
家系図はもちろん、歴代の表具作成の記録などを文書化したようです。
八代・吉兵衛は歴代の中でも最も名手といわれるけど、明治維新後の文明開化により茶道が衰退して、
九代・吉兵衛はこの困難な時代に名跡を継いだようです。
当代は十二代目みたいです。

千家十職(せんけじっそく・せんけじゅっしょく)は、茶道に関わり三千家に出入りする
塗り師・指物師など十の職家を表す尊称だそうです。
千家好みの茶道具を作れる職人は限定されていて、行事や年忌における役割もあるため、
徐々に職方は固定されていったようです。

代々の家元によってその数が変動したみたいですが、
明治期に現在の十職に整理されたとのこと。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もあるとか。)

千家に出入りする職家が十家になっている最古の記録の一つとして、
1758年に行なわれた千宗旦・百年忌の茶会の最終回には、表具師・奥村吉兵衛の名もあるそうです。
江戸時代は、道具を納めていた職家が二十家以上あったといわれているみたいです。

作品:紙釜敷(五色)

作品:紙釜敷

作品:紙釜敷(五色)


氏名 桶谷定一
経歴 二代目桶谷定一(桶谷洋)
昭和10年 京都東山の窯業地に生まれる。
昭和30年 京都伏見高校陶磁器科卒業。日展陶芸家。父定一に作陶を学ぶ。

日本工芸会会員
京都美術工芸作家協会会員
京都クラフト展 銀賞
京都工芸美術展 優賞
京展・他工芸展 受賞
日本伝統工芸近畿展 10回受賞
日本伝統工芸展 3回入選
コメント 二代目桶谷定一(桶谷洋)は、1935年、京都東山に生まれたそうです。

大正末期に東山区今熊野蛇ヶ谷の現在地で、父定一が開窯、帝文、日展に出品、各展で受賞。
天目釉を得意とした父に製陶を習い、自身も日展、各展に出品、受賞。
二代を継ぎ美術陶芸品を作る。なお、純出品作品には本名を使う。

大正末期に東山区今熊野蛇ヶ谷に開釜した初代の桶谷定一は、
帝文、日展に出品、各展で受賞し、天目釉を得意としたそうです。

作品:丸壺茶入

作品:油滴天目茶碗

作品:貴人茶碗(白)

作品:肩付茶入

作品:天目茶碗(油滴)



氏名 小野光臣(おのみつおみ)
経歴 1952年生まれの萩焼陶芸家。
初代兼田佳炎に師事。
コメント 窯は、椿秀窯(ちんしゅうがま)

萩焼窯元・椿秀窯
有限会社 萩陶苑(しゅうとうえん)
〒758-0061 山口県萩市大字椿3775
TEL:0838-22-2441 FAX:0838-26-0330
営業時間:9:00〜17:00(土日祝日を除く)

作品:萩焼茶碗




氏名 御室窯
経歴 江戸初期に開窯。
コメント 江戸初期 名工野々村仁清が金森宗和の指導により、
仁和寺宮の許しで御室仁和寺門前にて御室窯を開いたそうです。

江戸末期 旧地に永楽和全が一時期新しく窯を築き「おむろ」印を用いたのだとか。

作品:水指(紫交趾さざえ)

作品:三点セット(花丸)




か行
氏名 かい次郎
経歴
コメント 加藤かい次郎(「かい」は金偏に皆)は、Webで検索すると「泉窯」と出てきます。

作品:青磁七種蓋置




氏名 加賀瑞山
経歴 明治29年 桑名市に生まれる。
 伯父、寅次郎の教えを受け、陶芸を志す。
大正06年 独力で開窯。桑名萬古の再興を目指す。
昭和17年 工芸技術保存資格者選定。
昭和54年 桑名市無形文化財に指定を受ける。
昭和57年 86歳で死去。
コメント

作品:青海波蓋置

作品:水玉蓋置(トルコ釉)

作品:菖蒲蓋置


氏名 影林宗篤
経歴 本名:清一
昭和21年 奈良県生駒山に生まれる。
昭和40年 稼業の茶道竹工芸を学ぶ。
昭和45年以降 三玄院の藤井誠堂老師や、黄梅院の宮西玄性老師の指導を受ける。
コメント 茶杓師影林宗篤は、昭和21年、奈良県生駒高山に生まれたそうです。
昭和45年以後、大徳寺藤井誡堂師、宮西玄性師の指導を受けたみたいです。

影林宗篤は、福本積應・堀内宗心・小林太玄などの書付を受けた人みたいです。
小林太玄は、昭和13年に奉天(今の中国遼寧省の瀋陽)で生まれた人で、
昭和50年には大徳寺塔頭黄梅院住職に就任したとのこと。

作品:竹蓋置一双

作品:銘入茶杓・清流(セイリュウ)

作品:歴代茶杓(裏千家)


氏名 賀集正夫
経歴
コメント

作品:飾海老




氏名 勝見永泉
経歴 明治32年 初代光山京都五条坂に開窯

昭和09年 二代目光山の長男として生まれる
昭和45年 京都山科清水焼団地に開窯
昭和57年 京都清水焼展 市長賞受賞

クラフト市長賞、
清水焼デザインコンクール陶展
各賞受賞
コメント

作品:交趾松葉蓋置




氏名 桂窯
経歴 昭和15年ごろ 寄神崇白が、京都市西京区樫原鴫谷2に窯を築く
コメント 桂窯は、古くより神社仏閣の瓦を作っていた窯の流れをくむ、
土風炉師の寄神崇白が始めたものだそうです。

崇白は、国宝などの再建の折の美術瓦を製作し、
趣味の茶花道を通じて土風炉・茶碗なども手がけ、
昭和15年ごろに、京都市西京区樫原鴫谷2に、窯を築いたのがはじまりだとか。

作品:黒楽茶碗




氏名 加藤忠三朗
経歴 ■初代 久佐衛門
 ?年 尾張の国 東春日井郡守山村で生まれる。
 慶長6年 清州に移住。
 慶長16年 那古野に移住。藩許の鋳物師となる。
 以後、尾張徳川家の方針で、水野家及び加藤家のみが鉄鋳物を作ることとなる。

■二代目 久佐衛門

■三代目 新六郎

■四代目 新六

■五代目 加藤嘉佐衛門庸貞(忠三朗)

■六代目 加藤忠三朗

■七代目 加藤忠三朗氏貞

■八代目 加藤忠三朗氏章
 天保元年生まれ。
 明治26年 隠居。玉斎と号す。
 明治40年 死去。

■九代目 加藤忠三朗氏政
 安政元年4月11日生まれ。
 大正15年8月5日 死去。

■十代目 加藤忠三朗
 明治17年5月6日生まれ。
 昭和3年 死去。

■十一代目 加藤忠三朗
 大正2年1月1日生まれ。
 ?年 10代の頃のより香取秀真に師事・
 昭和11年 23歳で文展に初入選。以後、昭和17年まで連続入選。
 昭和22年 再開した文展に再入選。
 昭和57年 死去。

■十二代目 加藤忠三朗(了三)
 昭和23年1月22日生まれ。
 昭和57年 家業を継ぐ。
 平成3年10月 十二代加藤忠三朗を襲名。
コメント 加藤忠三朗家は、慶長16年(1611)より尾張藩において、
茶道具「茶釜」を作り続けているそうです。

作品:車軸釜




氏名 金重利陶苑
経歴
コメント 備前焼窯元六姓金重家の総本家で、代々利右衛門を襲名するようです。
備前窯元で最も古い伝統をもつのだとか。

作品:備前焼茶碗




氏名 金谷宗林(かなたにそうりん)
経歴
コメント 高岡で茶道具を作る鋳物師でしょうか。

作品:唐金朝顔蓋置




氏名 金森紹栄
経歴 二代目金森紹栄
1930年高岡市上北島25生まれ。一門工房、本名:栄一郎。
金沢美大にて金工・鋳芸を学ぶ。
京都紫野の大西三四郎先生に師事。
コメント 鋳師金森紹栄。
初代は、高岡の唐銅風炉の創始者として唐銅製茶道具の研究と力作に励んだ人で、 大徳寺清涼和尚より紹栄を授号されたそうです。
二代目は1930年、高岡市上北島生まれ。
金沢美大にて金工・鋳芸を学び、京都紫野の大西三四郎に師事したようです。
ちなみに大西三四郎は、十三代大西清右衛門浄長の息子で1930年富山高岡生まれだとか。

作品:唐金竜耳波紋

作品:唐金口糸目建水

作品:唐金朝鮮風炉釜


氏名 金谷五良三郎
経歴 江戸初期よりの京都の金工師。
「金屋」を称していたが、明治になり九代目から「金谷」と改める。
コメント 金谷五良三郎は、寛永年間に京都に創業した金工の名家だそうで、、
緋銅色・黄銅色の金属着色法を「五良三色」というようです。

当代は十五代目みたいです。
初代 道円(屋号は「金家」。)
二代 日随
三代 即円
四代 円心
五代 一良
六代 宗円
七代 一乗
八代 日円
九代 良器(「金谷」と改めた。)
十代 日祐
十一代 道器
十二代 常行
十三代 作善
十四代 鷹司(1932年、十三代金谷五良三郎の長男として誕生。)
十五代 五良三郎(当代。2005年に継承。)

作品:灰匙風炉用




氏名 金谷浄雲
経歴など 昭和8年 高岡市生まれ。
昭和33年 日本工芸会会員。
般若勘渓氏に師事。
コメント 般若勘渓氏に師事して以来、40年にわたり
般若鋳造所において、唐銅風炉を主とする、
茶道具製作に従事し現在に至るとか。

作品:唐金突羽根蓋置




氏名 亀井昭斎
経歴など 昭和59年12月 三代・亀井昭斎を継承。
コメント 初代・亀井昭斎は、十職の八代・友湖(淡雪)の
ご息女のようです。

父のもとで修行した後、
亀井家に嫁ぎ「昭斎」を名乗ったのだとか。

当代で三代目となるそうです。

三代・亀井昭斎は、
昭和59年12月に三代を継承したようで、
当代(十一代)土田友湖は、その甥にあたるみたいです。

作品:帛紗(赤)




氏名 亀井楽山
経歴 1945年 高取焼味楽窯十四代味楽の弟として生まれ。
1961年 高取焼味楽窯十四代味楽に師事。
1977年 大徳寺管長の方谷浩明老師より「楽山」の号名を受ける・福岡市美術展審査員となる。
1980年 第二十七回日本伝統工芸展入選・第一回毎日陶芸展入選 。
1981年 第一回西日本陶芸展入選(以来連続入選)・九州陶代表作家展出品。
1984年 第三十一回日本伝統工芸展入選。
1986年 県美術協会推選 第三十三回日本伝統工芸展入選。
1987年 第三十四回日本伝統工芸展入選・日本工芸会正会員認定。
1992年 ビエンナーレ茶道美術公募展入選・福岡市技能優秀者受賞。
2001年 福岡県優秀技能者賞受賞。
2004年 第24回西日本陶芸展県知事賞・第五十一回日本伝統工芸展入選。
2005年 第52回日本伝統工芸展入選。
2008年 第55回日本伝統工芸展入選・日本工芸会正会員・ 日本陶磁協会博多支部理事・福岡県美術協会会員・ 福岡県陶芸作家協会会員・福岡文化連盟会員 。
コメント 亀井楽山は、高取焼味楽窯14代味楽の弟で、 大徳寺管長の方谷浩明より「楽山」の号名を受けた人らしいです。
この味楽窯、小石原鼓から今の西新町に1686年に移窯したものみたいです。
ちなみに亀井楽山の窯は楽山窯というそうです。

作品:高取水指




氏名 亀井味楽
経歴 十四代味楽
陶芸家。昭和6年(1931)福岡生。
遠州七窯の一つ、高取焼の十四代目。
日本工芸会正会員。文化連盟理事。福岡市無形文化財保持者。

十五代味楽
1960年 十四代味楽の長男として生まれる。
1981年 21歳 京都市嵯峨美術大学陶芸科卒業。福岡県美術展奨励賞受賞。
1982年 22歳 福岡県美術展豊田賞受賞。
1983年 23歳 西日本陶芸美術展入選。以後連続入選。福岡県美術展朝日新聞社賞受賞。
1987年 27歳 博多大丸にて初個展開催。
1988年 28歳 大丸にて親子展開催。
1989年 29歳 池袋西武百貨店にて個展開催。
1990年 30歳 西部工芸展福岡市長賞受賞。
1991年 31歳 米国セン・チュリー大学芸術博士号取得。
1992年 32歳 市民大学講座講師任命(朝日新聞社)。
1993年 33歳 福岡市美術展福岡市長賞受賞。
1994年 34歳 京都大丸にて個展開催。
1995年 35歳 日本陶芸展入選。
1999年 39歳 西日本陶芸展福岡県知事賞受賞。
2001年 41歳 十五代亀井味楽襲名。
2005年 45歳 日本伝統工芸展入選。以後連続入選。
2006年 46歳 福岡市技能優秀賞受賞。
2007年 47歳 十五代襲名後全国各地にて襲名記念展開催。
以下、役職など。
・米国センチュリー大学芸術学博士
・福岡県美術協会会員
・福岡県陶芸作家協会会員
・日本陶磁協会博多支部理事
・朝日カルチャースクール講師
・福岡県立文化センター陶芸教室講師
・福岡市立福翔高等学校陶芸講師
コメント 高取焼味楽窯の第十三代亀井味楽は、1944年に農商省より技術保存者として認定されたそうです。

第十四代亀井味楽は、1931年福岡生まれ。日本工芸会正会員、文化連盟理事、 福岡市無形文化財保持者だそうです。
祖父の第十三代亀井味楽に師事したみたいです。

当代の第十五代亀井味楽は、1960年生まれ。2001年に「第十五代味楽」襲名したようです。
現在は地域の催事をはじめ、日本各地にて講師として陶芸の魅力を広めたり、 陶芸教室などにも力を入れているとか。

作品:高取竹節水指

作品:高取肩衝茶入



氏名 川崎和楽
経歴 川嵜和楽。
文政年間 創業。初代短冊屋七左衛門。
大正07年 東郷平八郎より直筆で「和楽」の号を受ける。
コメント 現在、七代目。
窯元は、京都東山、八坂神社のすぐ南にあるとか。

作品:赤楽馬上杯

作品:青楽金松画方盆



氏名 川瀬表完
経歴 昭和08年 京都に生まれ。(本名:厚)
平成05年 伊勢神宮式年遷宮に際し御神宝復元に従事。
平成18年 ロンドンにてフラワーアレンジメントとコラボレーションで漆展開催。
 モントリオール国際芸術展入選、受賞多数。
コメント 江戸末期 木村表斉を祖師とする、
京漆の主流「表派」の技法を継承する京漆師三代目だそうです。

初代千太郎、二代繁太郎、当代にわたり、
各種茶道具、調度品などの漆芸作品を主に手掛けているようです。

二代繁太郎より「表完」の号を名乗るとか。

伝統の京漆技法を継承する一方、
新素材などを用いた新しい漆芸の制作に着手するなど、
現代に合わせた独創的な作品を創作し、注目を集めているみたいです。

作品:干菓子盆(丸)

作品:独楽丸盆

作品:三和棚



氏名 川端近左
経歴 初代 川端近左
幕末のころ、京都で油屋を営んだ。
屋号が近江屋、名前は佐兵衛。そこで雅号を「近左」とした。

二代目 川端近左
初代の長男の川端玉章は、明治の有名な日本画家。
弟の川端近左は、漆芸で二代目を継いだ。
1864年 蛤御門の変で火災に遭い、京都から大阪に疎開。

五代目 川端近左(玉章)
大正四年、奈良に生まれ。
昭和三年、12歳で四世近左に入門。
昭和十六年、養子となり、三十八年、五世近左を襲名。
奥の深い茶道具の世界にひかれ、三十五年頃より茶器製作に専念 。
大阪府にて知事賞、大阪市展で市長賞受賞。日本美術院展数回入賞。
昭和五十六年、五十九年、大阪府工芸功労賞受賞。

六代目 川端近左
1947年 大阪市に生まれる。
五代目近左に師事。
2000年9月 六代目襲名。
コメント 初代川端近左は、幕末の京都の油屋で、屋号が近江屋、名前は佐兵衛。
そこで雅号を「近左」(佐→左)としたみたいです。

初代川端近左の息子「川端玉章」は、明治の日本画家で川端画学校を開くなど画壇の重鎮だったそうです。

川端近左の6代目は2000年に襲名。「襲名記念 六代 川端近左漆芸展」(2001年5月)なんかも開かれたみたいです。

作品:利休形真塗中棗




氏名 菊地正直(きくち まさなお)
経歴 十五代 菊地正直
1959年 山形市生まれ。
1984年 武蔵野美術大学 彫刻科卒 日本工芸会正会員。
1992年 伝統工芸日本金工展日本工芸会賞受賞。
1995年 日本芸術文化振興財団より褒賞受賞。(対象 和銑釜の研究及び作品)
コメント ■十四代 菊地正直
1925年生まれ。
幼少の頃より厳しい教育を受け、鉄瓶、茶の湯釜の製作に日夜研鑚を重ねたようです。
昭和26年より人間国宝長野垤志氏と共に、
日本古来の砂鉄を使用しての砂鉄釜の研究を始め、
以来15年間の長い年月をかけ砂鉄釜の製作に成功を納めたのだとか。

昭和33年初入選以来、日本伝統工芸展入選18回、同特選2回(昭和56年当時)を受け、
全国各地で個展を開くなど、幅広い活動を展開し、
昭和56年6月より全国伝統的工芸品審議会委員として活躍したようです。

山形鋳物工芸協同組合理事長、山形県鋳物協同組合専務理事の要職にあって、
業界の指導育成に貢献したそうです。

■十五代 菊地正直
1959年 山形市生まれ。
 武蔵野美術大学彫刻科卒、卒業制作最優秀賞受賞。

1604年 城主最上義光公御用鋳物師にて発祥した菊地家に生れ、
幼年より伯父・長野垤志(人間国宝)の指導を受け、
実父・十四代 菊地正直に師事する。
日本工芸会正会員。

作品:撫肩釜(炉用)




氏名 北村葵春
経歴
コメント 平安 北村葵春。

作品:文箱莨盆(一閑塗)

作品:鈴虫雪吹棗

作品:手向山香合

作品:秋草蒔絵中棗

作品:香次棗(溜塗)

作品:唐草蒔絵菓子盆(糸目彫)


氏名 木津喜楽
経歴
コメント

作品:岩城文琳茶入




氏名 義峰
経歴 土居義峰
昭和39年 下地師土居家の長男として生まれる
昭和55年 前端雅峯に入門。下地技法を主に修得の後、漆蒔絵と幅広く漆芸を修める
平成06年 「94年淡交ビエンナーレ」茶道美術公募出品
平成07年 「漆芸グループ雅」下地部門主任となる
平成11年 伝統工芸仕の称号を授かる(通産大臣認定)
平成18年 愛知県在住のミュージシャン「ポーク・えのもと」にギターに蒔絵を依頼され試みる
平成19年 伝統工芸と楽器のコラボレーションが完成。同月に愛知県常滑市文化会館にて初使用話題を誘う
コメント 土居義峰は、前端雅峯の弟子。平成11年に伝統工芸士の称号を授かったそうです。

作品:大堰川棗




氏名 木村清雲
経歴
コメント 伝統工芸作家。

作品:南鐐七宝蓋置




氏名 木村清五郎
経歴 二代目 木村清五郎
昭和24年 新潟県三条生まれ。
昭和48年 金属加工修練の後、初代清五郎に金工製造を師事する。
平成04年に二代目木村清五郎を襲名、南鐐製品では清雲という号で襲名する。
金工・南鐐部門で市展で入選。
コメント 金工師二代目木村清五郎は、1949年新潟県三条市生まれ。
1973年、金属加工修練の後、初代清五郎に金工製造を師事するそうです。
1992年、二代目木村清五郎を襲名、南鐐製品では清雲という号で襲名するようです。
金工・南鐐部門で市展で入選しているとか。

略歴を書くと、以下のようになるみたいです。
初代木村清五郎
大正07年新潟県三条市生まれ
昭和09年県立三条商工学校卒
昭和21年復員後金工製品の製造を習得
昭和29年茶道具・華道具を制作
昭和42年水指にて中小企業庁長官賞を受賞
※南鐐製品では清雲という号で襲名

二代目木村清五郎
昭和24年三条市に生まれ
昭和48年初代清五郎に金工製造を師事
昭和49年中小企業庁優秀賞受賞
平成04年に二代目木村清五郎を襲名
平成21年伝統技術に新しい手法で「割カン」を完成
※南鐐製品では清雲という号で襲名

作品:火箸・灰匙 風炉用セット

作品:火箸・灰匙 炉用セット

作品:釜鐶(菊桐象嵌入)

作品:釜鐶(松竹梅象嵌入)

作品:釣釜セット

作品:火箸・炉用

作品:飾り火箸(菊頭四方すかし)

作品:火箸・灰匙(風炉用)



氏名 京峯
経歴
コメント 京峯窯。

作品:黄交趾菓子鉢




氏名 清瀬一光(きよせいっこう)
経歴 ■二代目 清瀬一光 1942年 石川県金沢市生まれ。
1986年 二代一光を襲名。
1995年 通産大臣認定伝統工芸士。
コメント 本名、進。蒔絵師初代清瀬一光の長男。
高校卒業後、大坂にて就職するも、
父の跡を継ぐべく、75年帰沢。
以来、修業を重ねる。

作品:御所車大棗




氏名 九行
経歴 大野九行
コメント 京都府亀岡市で楽焼を専門に作陶していた人なのかな。

作品:赤楽筒茶碗




氏名 久世久宝(くぜ きゅうほう)
経歴 初代久世久宝
1874年〜1947年 本名は彦五郎。
幕末の僧・仁渓の子として生まれる。
仁浴と号して、作陶を始め太田垣連月らとも親交を深めていたが、
その後、裏千家圓能斎よりその技量を認められ久宝の号を拝受。
歴代久宝を継承。
現在は四代目。
コメント 初代久世久宝(彦五郎)は、1874年生まれ。
裏千家圓能斎よりその技量を認められ久宝の号をもらったそうです。
作品は伝統の京焼、粟田焼の優雅さをだした色絵や仁清写を得意としたみたいです。
陶印は丸印「久宝」、枠無押印「仁彦」などだとか。

四代久世久宝は、1925年京都府生まれの陶芸作家。
二代久世久宝に陶芸を学び、1987年、四代久世久宝を襲名、
仁清写色絵付・青金襴手・染付などを手がけているそうです。

作品:青磁雲鶴蓋置




氏名 久保良斎
経歴
コメント 奈良県生駒市高山の茶筅の歴史は古く、安土桃山といわれているようです。
大和鷹山(高山)城主の二男高山宗砌(たかやまそうさい)と茶人・村田珠光との出会いがあり、
鷹山氏の没後、十六人の職方にその製造の秘伝が伝えられたそうです。
徳川時代にも茶筅の製造は秘伝で、高山では幕府の御用を賜り、
以来、茶筅製造の技法は、宗砌の一族だった久保家が代々伝承し現在に至るとか。

久保良斎は、奈良県生駒市高山にて代々茶筅作りを家業とする家柄で、現・当主で二十五代目となるようです。
伝統工芸師として活躍していて、茶筅や柄杓の他にも花入、茶杓、蓋置等の竹のお道具を制作しているそうです。

久保良斎
住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町6659-3
電話:0743-78-0390
業種:茶道具、竹製品

第二十四代久保良斎の次男久保左京(左京工房)らの生駒・高山の茶筌は、 全国の八割を占めるとか。

作品:銘入茶杓・銘:瑞雲(ズイウン)

作品:銘入茶杓・銘:無尽蔵



氏名 熊谷保興
経歴 十六代 熊谷保興
1940年 十五代熊谷紅陽の長男として福岡県に生まれる。
1962年 金沢美術工芸大学彫刻科を卒業後、東京で辻清明に師事。
1968年 西部工芸展で朝日優秀賞を受賞。
1970年 西部工芸展で朝日優賞、市長賞を受賞。
1971年 西部工芸展で教育委員会賞を受賞。
1973年 日本工芸会正会員。西部工芸展で教育委員会賞を受賞。
1975年 上野焼・熊谷本窯十六代を襲名。
1981年 西部工芸展審査員に就任。
1984年 国指定伝統工芸士に認定。
1990年 秋篠宮殿下に献上の花入を制作。
天皇陛下がとびうめ国体で福岡行啓の際に献上の茶入を制作。
皇太子殿下に献上の花入を制作。
1995年 作品がイギリス大英博物館に収蔵された。
1996年 作品が福岡県立美術館に買い上げられた。
コメント 熊谷保興は、現代上野焼の第一人者で、温厚な人柄みたいです。

作品:上野肩衝茶入




氏名 窪田常之
経歴 昭和27年 京都府綴喜郡井手町に生まれる。
昭和44年 京都府立陶工職業訓練校終了。初代加藤如水先生に師事。
昭和57年 上絵陶芸展において京都市長賞を受賞。
平成03年 上絵陶芸展において京都市商工会議所会頭賞を受賞。
平成10年 上絵陶芸展において京都市商工会議所会頭賞を受賞。
平成12年 独立。築窯。京田辺の地にゆかりの深い、一休禅師の名前にちなんで、壱休窯と名付ける。
コメント 窪田常之は、昭和27年生まれ。
平成12年に独立して窯を作った際、
京田辺の地にゆかりの深い、一休禅師の名前にちなんで、壱休窯と名付けたそうです。

話はずれて、京都府京田辺市は、現在、京都市・奈良市・大阪市のベッドタウンになっていて、
人口は2010年の時点で67,904人、年々増加傾向にあるようです。
同志社大学、同志社女子大学があって20代前後の人が多いみたいです。
1889年に綴喜郡田辺村、1906年に田辺町、 1997年に和歌山県田辺市との重複を避けるため、
京都府の「京」を冠して京田辺市となったとのこと。

作品:仁清地紙草花茶碗




氏名 黒田正玄
経歴 千家十職の一つで、竹細工・柄杓師を務めるそうです。

歴代は、以下のようになっています。
初代 正玄(天正6年(1578年)〜承応2年(1653年)8月8日(旧暦))
二代 正玄(寛永3年(1626年)〜貞享4年(1687年)4月14日(旧暦))
 初代の三男。
三代 正玄(明暦5年(1656年)〜享保2年(1717年)10月2日(旧暦))
 二代の長男。徳川綱吉、表千家覚々斎、久田宗全の御用達を務める。
四代 正玄(元禄5年(1692年)〜享保16年(1731年)7月26日(旧暦))
 三代の長男。将軍家・三千家御用を務める。
五代 正玄(宝永5年〜安永7年(1778年)7月15日(旧暦))
 勝見五郎兵衛家から養子に迎えられる。
 徳川吉宗、表千家・如心斎、裏千家・又玄斎、
 武者小路千家・直斎の御用を務める。
六代 正玄(延享4年(1747年)〜文化11年(1814年6月2日(旧暦))
 五代の長男。柄杓師としては徳川家治、家斉、
 表千家・卒啄斎、裏千家・不見斎、武者小路千家・一啜斎の御用を務める
七代 正玄(明和5年(1768年)〜文政2年(1819年)12月7日(旧暦))
 六代の養子。
 徳川家斉、表千家・了々斎、
 裏千家・認得斎、武者小路千家・好々斎の御用を務める。
八代 正玄(文化6年(1809年)〜明治2年10月15日)
 七代の長男。
 三千家御用達柄杓師を務める。
九代 正玄(天保8年(1837年)〜安政6年(1859年)10月20日(旧暦))
 八代の長男。
十代 正玄(文政8年(1825年)〜明治33年12月22日)
 八代の婿養子。
十一代 正玄(明治2年〜明治44年8月15日)
 十代正玄と八代正玄の娘の間に生まれた長男。
 表千家・碌々斎、裏千家・又妙斎、
 武者小路千家・一指斎の御用を務める。
十二代 正玄(明治39年〜昭和63年)
 十一代の長男。
十三代 正玄(昭和11年〜)
コメント

作品:丸紋透篭花入




氏名 慶安窯
経歴
コメント 慶安窯は、昭和48年に韓国広州で茶道具処オオタカが作った窯だそうで、
大徳寺再住 桂堂老師が命名したようです。

作品:鶴亀蓋置一双入




氏名 景雲
経歴 明治15年 島根県出雲市上塩冶町に生れる。
明治35年 京都で、今尾景年・梅村景山に師事四條派を修得する。
明治37年頃 帰郷、郷里において画に専念。
昭和22年 没。享年66歳。
コメント 石川景雲。
塩冶の生家が紺屋業を営んでいたため、若年の頃より幟絵を描いていたといわれているそうです。
梅村景山に師事し、丸山・四条派の伝統的な技法を修得するのだとか。
なかでも、花鳥画は景山の影響を色濃く受けているみたいです。

作品:染付桜川水指




氏名 景山
経歴
コメント

作品:伊賀肩衝茶入




氏名 厚東建信
経歴 1947年 山口県生まれ。
1975年(28歳 乙卯) 西部工芸展に初入選。以後連続入選。
1977年(30歳 丁巳) 西部工芸展にて朝日新聞社賞を受賞。
1984年(37歳 甲子) 南青山グリーンギャラリーにて個展を開催。

厚東孝明(Koto Komei)
日本工芸会 萩陶芸家協会 会員。
1975年8月 萩市生まれ。
1997年 大阪美術専門学校美術工芸学科卒業。
1998年 大阪美術専門学校芸術研究科。浪速短期大学デザイン美術科卒業。
2002年 京都造形芸術大学芸術学部美術科卒業。
2002年 父建信に師事。
2002年 萩焼新進作家展出品(下関大丸)。
2003年 厚東建信・孝明父子陶展(福岡天神岩田屋)。
2004年 萩焼新進作家展出品(下関大丸)。
2005年4月 西日本陶芸美術展 山口県知事賞受賞。
2005年10月 萩陶芸家協会選抜展出品。(世田谷美術館区民ギャラリー/萩 伊藤博文別邸)。
2006年5月 第29回伝統工芸新作展。朝日新聞社奨励賞受賞。
2007年4月 第42回西部工芸展 入選。
2007年10月 第3回萩市美術展 佳作。
2008年4月 第43回西部工芸展 入選 *練上壷 〜花譜〜。
2008年5月 第27回西日本陶芸美術展 入選 *回遊(カイユウ)。
2008年10月 第4回萩市美術展 奨励賞 *彩椿(あやつばき)。
2010年10月 第6回萩市美術展 萩市長賞受賞。
2011年12月 山口県美術展 入選。
2012年3月 田部美術館茶の湯造形展 入選。
コメント 陶芸家厚東建信(ことうけんしん)は、1947年山口県生まれの日本工芸会正会員。
2003年、息子の厚東孝明と親子展を開くなどしている。

厚東孝明(小萩窯)より一言、
「当小萩窯元としましては、萩焼の古来の良き伝統を損なうことなく、
現代的感覚を加味して気品高いものを製作するよう絶えず技術の研究向上をはかり、
広くご愛用賜りますよう努力致しております。」
とのことです。

作品:萩焼茶碗

作品:萩茶碗



氏名 光山
経歴
コメント

作品:黄交趾七宝蓋置




氏名 弘峰
経歴
コメント

作品:染付山水香合




氏名 五陶
経歴
コメント 加藤五陶。

作品:四滴茶入(色変)

作品:七種蓋置(色変わり)



氏名 後藤陶逸
経歴 犬山焼窯元、後藤陶逸陶苑。
コメント 犬山焼は、江戸時代の初めごろ、犬山市東部の今井に窯を築いたのが始まりのようです。
その後、80年ほどで廃窯し、それから20年ほど経ってから、
犬山市北部の丸山に窯を築いたみたいです。
近世犬山焼は京都や瀬戸・名古屋などから陶工・画工(職人)を招いて
「赤絵」を描くようになったのだとか。

犬山焼窯元 後藤陶逸陶苑は、愛知県犬山市犬山相生14にあるそうで、
犬山駅より名鉄バス「モンキーパーク」バス停から徒歩1分
みたいです。

作品:赤絵香合




氏名 小西陶古
経歴
コメント 備前焼 窯元 小西陶古。

作品:備前花入

作品:備前花入



氏名 小林幸斎
経歴
コメント

作品:桐 扇棚




氏名 小林太玄
経歴 昭和13年 奉天生まれ。
昭和50年 大徳寺塔頭黄梅院住職に就任。
コメント 小林太玄は、昭和13年に奉天(今の中国遼寧省の瀋陽)で生まれた人で、
6歳のとき出家し、花園大学卒業後相国寺僧堂の大津櫪堂に参禅。
昭和50年には大徳寺塔頭黄梅院住職に就任したとのこと。

とても達筆であることで有名なのだとか。

作品:掛軸一行書(歩々是道場)

作品:掛軸一行書(清風萬里秋)

作品:短冊(山花開似錦)

作品:短冊(白雲自去来)

作品:銘入茶杓 銘:無尽蔵

作品:掛軸一行書(歩々是道場)


氏名 小堀定泰(こぼりじょたい)
経歴 明治44年 佐賀県生まれ。
 虎渓山僧堂で修行。
昭和13年 滋賀県浅井町の大徳寺孤蓬庵の住職に就任。
コメント 小堀遠州の末裔で、1965年に長年朽ち果てていた、
近江の狐篷庵(小堀家菩提寺)の本堂及び庭の再興に着手したようです。

印名は「孤篷定泰」などがあるとか。

自信はないですが、大徳寺孤蓬庵の住職は、
十六代? 小堀定泰
十七代 小堀実道
十八代 小堀卓巌
十九代? 小堀亮敬
となっていると思います。

作品:色紙画賛(山是山水是水)




氏名 小室大心
経歴 小室大心(こむろ だいしん)
昭和24年 大徳寺派・長楽寺住職に就任
コメント 小室大心は、昭和24年、大徳寺派・長楽寺住職に就任した人のようです。

臨済宗大徳寺派長楽寺は、
〒521-1123 滋賀県彦根市肥田町424
稲枝駅[出口]から徒歩約19分だそうです。

作品:銘入茶杓
銘:瑞雲(ズイウン)書付

作品:掛軸一行書(清流無間断)

作品:掛軸一行書(春水満四澤)

作品:掛軸一行書(秋空一声雁)

作品:掛軸一行書(清秋竹露深)

作品:掛軸一行書(紅葉舞秋風)

作品:掛軸一行書(雪裡梅花只一枝)




氏名 庫山窯
経歴
コメント 和陶のブランド名みたいです。

作品:薩摩焼角大鉢





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