読み:かみかましきごしき
作品名:紙釜敷五色 作者:奥村吉兵衛 備考:千家十職 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
奥村家は佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされるそうです。
二代・吉兵衛は表千家六代・覚々斎の取りなしによって、 紀州徳川家御用達となり、 家運興隆の基礎を作ったみたいです。 六代・吉兵衛は奥村家の功績をまとめるために調査を重ね、家系図はもちろん、 歴代の表具作成の記録などを文書化したようです。 八代・吉兵衛は歴代の中でも最も名手といわれるけど、明治維新後の文明開化により茶道が衰退して、 九代・吉兵衛はこの困難な時代に名跡を継いだようです。 当代は十二代目みたいです。 |
|
|
読み:かみかましき
作品名:紙釜敷 作者:奥村吉兵衛 備考:白地縁ブルー・千家十職 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
千家十職(せんけじっそく・せんけじゅっしょく)は、茶道に関わり三千家に出入りする
塗り師・指物師など十の職家を表す尊称だそうです。 千家好みの茶道具を作れる職人は限定されていて、行事や年忌における役割もあるため、 徐々に職方は固定されていったようです。代々の家元によってその数が変動したみたいですが、 明治期に現在の十職に整理されたとのこと。 (大正時代に三越百貨店が命名したという説もあるとか。) 千家に出入りする職家が十家になっている最古の記録の一つとして、 1758年に行なわれた千宗旦・百年忌の茶会の最終回には、表具師・奥村吉兵衛の名もあるそうです。 江戸時代は、道具を納めていた職家が二十家以上あったといわれているみたいです。 |
|
|
読み:かみかましき(ごしき)
作品名:紙釜敷(五色) 作者:奥村吉兵衛 備考:千家十職 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
奥村吉兵衛は、千家十職の表具師(経師)。
ここでは、表具に関して少々説明しようかと思います。 表具は、布や紙などを張ることによって仕立てられた 「巻物」「掛軸」「屏風」「襖」「衝立」「額」「画帖」などのことで、 それらを仕立てる「表装」も含むそうです。 平安時代〜鎌倉時代にかけて中国から伝来した技術と伝えられ、 「経巻」「仏画」などを保護・装飾することから始まったようです。 室町時代には寺院の床の間を民間がまねて設けるようになり、 桃山時代に鑑賞用の表具がめざましい発展を遂げるみたいです。 この時代、茶の湯の世界で珍重された牧谿ら中国画人の作品であっても、表装が貧弱では売れず、 高価な絵ほどそれに見合った表装が必要という意識があったようです。 第二次世界大戦以降、1946年には「東京表具組合」が発足し、 表具・経師・内装インテリアの三部門をもつ組織として活動しているそうです。 |
|
|
読み:かみかましき(しろ)
作品名:紙釜敷(白) 作者:山崎吉左衛門 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
山崎吉左衛門は、宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士のようです。
敬宮愛子内親王の命名の折、名前を書いた紙は吉左衛門氏の紙なんだそうです。 山崎吉左衛門紙業は、福井県越前市不老町にある製紙業者みたいです。 少々話はずれますが、愛子様は字がとても上手いそうです。 (※出典:新しい国語:三年《下》「もうどう犬の訓練」) |
|
|
作品名:紙釜敷五色 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
ここでは、紙釜敷に関する文献をいくつか掲載しようと思います。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に 「釜置 紙は美濃紙一尺一寸横七寸五分を四つに折る」 とあるようです。 山田宗偏著『茶道要録』に 「炭斗小して難載、則紙を四半に折て懐中して用此紙、 折目を客前へなし、二方の切目を勝手の方へすべし、 釜を掛て後に懐中するなり、末流に釜置を釜敷と云り、誤れり」 とあるみたいです。 茶書『千家茶事不白斎聞書』に 「一釜置紙、柳川と小菊を用。」 とあるそうです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(檀紙水色流し)
作者:山崎吉左衛門 備考:木箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
ここでは「檀紙」について説明しようと思います。
檀紙(だんし)は、楮(こうぞ)を原料として作られた、 縮緬状のしわを有する高級和紙のことだそうで、 厚手で美しい白色が特徴なのだとか。 主に包装・文書・表具などに用いられるようです。 古くは主に弓を作る材料であったニシキギ科の落葉亜喬木である、 マユミ(檀/真弓)の若い枝の樹皮繊維を、 原料として作られたためにこの名があるみたいです。 また、陸奥国を主産地としたために 「みちのくのまゆみ紙」後に転じて陸奥紙(みちのくがみ)とも呼ばれたとか。 『源氏物語』や『枕草子』にも「陸奥紙」として登場するなど、 平安時代以後、高級紙の代表とされ、 中世には讃岐国・備中国・越前国が産地として知られていたそうです。 なお、徳川将軍による朱印状も原則として檀紙が用いられたのだとか。 |
|
|
作品名:紙釜敷(白)
備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
紙釜敷は、主に初炭手前に用い、
炭手前を略して炭道具を荘る場合や、 香合のみを荘る時は、 わさ(折目)を掛物の方へ向けて置くようです。 千利休が「吉野紙」を重ねて四つ折りにし、 懐中して持ち出したのが「紙釜敷」の始まりみたいです。 他に、美濃紙・奉書紙・杉原紙・湊紙・檀紙などが用いられ、 紅色・五色・金銀・染紙もあるそうです。 現在は美濃紙が最も多く用いられれるようです。 小堀遠州が備中広瀬(岡山県)の檀紙を好んでからは、 檀紙も用いられるようになったとか。 紙質・流儀・好みによって、枚数は一定ではなく、 20〜48枚を四つ折りにして用いるとか。 なお、後炭手前では、組釜敷を使うようです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(渦巻)
価格:1,000円 備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
裏千家の場合、
初炭手前で懐中する紙釜敷の 「わさ(折り目の方)」の方向が、 炉と風炉で異なるそうです。 紙釜敷を懐中より取り出す時、 右手で取り出し、左手であつかい、 右手でわさが火の方に向くように、 手なりに炭斗の前に置くようです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(緑地老松絵)
価格:2,000円 備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
香合を床の間や書院に荘る場合は、
紙釜敷が基本になるそうです。 帛紗や古帛紗を用いる場合もあるとか。 床の間に荘る場合、 紙釜敷のわさを床の間の中心に向け、 上座に置くそうです。 また、帛紗の場合は、 上座下座関係なく、 わさを右にして荘るのだとか。 |
|
|
作品名:紙釜敷(黄色地)
備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
炭手前の時に、引き上げた釜を載せるものとして、
利休の前までは、 組物しか使用していなかったそうです。 1626年刊行の『草人木』に 「昔の釜すへハ組物也、 当世ハ紙也、 紙の上に釜ををけは、 紙しめりて釜の底に付、 居なからにしれは、 必かみもミくさと成て悪し。」 (昔は組釜敷だけだったが、 当世では紙釜敷になってしまったので、 紙に湯跡がつくし、 釜を載せたままにじり寄せれば、 もみくしゃになって悪い。) とあるようです。 藪内竹心著『源流茶話』に 「古へ、 釜しきハ唐物組物のたくひに候へとも、 利休より侘は吉野紙を四ツニ折り、 懐中して釜敷に披用候。」 (昔は、釜敷は唐物の組物のたぐいだったが、 利休よりわび茶人は、 吉野紙を四つに折って懐中して、 釜敷に使いました。) とあるみたいです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(檀紙水色)
備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
山科道安著『槐記』に
「釜敷ノ紙ハ、 一通リ釜敷トテ、之アリ、 半紙ヨリハ大ニ、 美濃紙ヨリハ小ク、 少シ厚キ紙ナリ、 夫ヲ四ツ折テ、 十九枚ヨリ二十一枚マデノモノナリ、 紙ノ厚薄ニヨリテ 紙数ノ違ヒアリ」 (釜敷の紙は、 半紙よりは大きく、 美濃紙よりは小さい厚い紙である。 それを19枚〜21枚まで重ねて、 四つ折りにしたもので、 枚数は紙の質によって替えるのが良い。) とあるそうです。 紙の折り方については、 同じく山科道安著『槐記』に、 「兼テ折リテ、 押シヲ掛テ置ガ好シ、 其紙ヲ置クニ、 今ノ人ハ態(わざ)トユガメテ置ク、 是レ必ズユガメルコトニ非ズ、 紙ヲ投シタルナリニシテ、 自然ニ正直ニナキ形ヲ 本トスル事ナリ」 (紙は前もって折っておき、 押しをつけておくのがよい。 今の人は、最初からわざと歪めて、 折るようにするが、 それはよくない。 自然と歪んでくるのならば仕方がない。) とあるようです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(檀紙グリーン)
価格:2,000円 備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
紙釜敷の扱いについて、
山科道安著『槐記』に 予楽院近衛家煕から教えられたこととして、 「直シヤウハ、 紙ノ重リタル方ヲ先ト勝手ヘナルヨウニ、 折目ヲ客付ト我方ニナルヨウニ置クコトナリ、 ナゼナレバ、 釜ヲ置キサマニ、 タクレヌヨウニトノコトナリ」 (折り目が客付と亭主側になるようにして、 使用するのが良い。 なぜなら、釜を置いたときに、 折り目が亭主側にあれば、 まくれてしわが寄らないからだ。) とあるそうです。 |
|
|
作品名:紙釜敷(銀地五色)
備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
紙釜敷は、利休が吉野紙を使うようになったことで、
普及するようですが、 吉野紙というは、吉野地方産のコウゾを原料とした、 薄手の和紙のことだそうです。 奈良紙の流れをくみ、 江戸時代、漆を漉すのに用いたことから 「漆漉し」ともよばれたようです。 吉野紙(漆濾紙)の制作は、 1999年、文化財保存技術に選定されたみたいです。 きわめて薄い楮(こうぞ)紙でありながら、 引っ張りに強く、ふっくらとした紙の地合いが、 濾過に適しているそうです。 江戸時代以来、漆や油を濾(こ)す濾紙として使用されてきたのだとか。 また白い紙色と柔軟な紙肌から「吉野和良(やわら)」「やわやわ」とも呼ばれ、 女性の懐中紙としても愛用されたみたいです。 吉野紙の製作工程では、漆濾しの用途に適するよう、 特に入念な作業が行われるとか。 ■濁出(にごだ)しの工程など 原料処理に特に手間をかけて純粋な繊維のみとし、 漉(す)き上げた濡れ紙を、 干し板に直接貼って天日乾燥する「簀伏(すぶ)せ」を行うため、 干し板には柿渋や胡粉(ごふん)を塗布し、 乾燥した紙を剥がしやすくしておく必要があるそうです。 また、極薄の紙であるため、 一枚ずつ取り出しやすいよう耳を裁断するとか。 |
|
|
作品名:紙釜敷(金銀砂子)
価格:2,000円 備考:紙箱入 |
|
※画像を押すと拡大できます。 |
砂子技法というのは、
薄い膠液で絵を描いた上に 金砂・銀砂をふりかけるように蒔いてから研ぎ、 模様を出す技法だそうです。 振り金砂子とも呼びようです。 接着剤は筆で塗り、乾燥する前に手早く砂子を振り落とすのだとか。 砂子は、竹筒または金属筒の一方に、 金網を張った砂子筒に「切り廻し箔」を入れ、 刷毛で筒の中の箔をもみながら落とすとか。 「切り廻し箔」というのは、 金箔や銀箔を作る工程で、 箔を規定の寸法に裁断するときに出る屑箔のことみたいです。 砂子筒の金網の粗密によって、 砂子の粒の大きさが決まるようです。 筒の変わりに篩を使う時もあるとか。 砂子技法は、蒔絵のように金銀が友禅の中に、 まるで浮遊しているような表現ができるので、 挿し色を柔らかくしたり、 むっくりした味付けが可能となるそうです。 また、雲取りぼかしのような表現をするときは、 接着剤に直接落とすのではなく、 少し外側に落とし、 筆か綿花をちぎったもので、 掃き寄せるようにして表現するみたいです。 砂子加工ができると、 生地の裏からガーゼや手拭で、 裏まで浸透した接着剤をふき取り、 表からは布や紙で砂子を軽く押え、 生地に密着させて乾燥すれば出来上がりだとか。 |
|
|