茶道具 翔雲堂
ひと口知識
※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。
長緒(ながお)ってこんなの
仕覆の長緒で、茶入の休め緒としての「花結び」は、
五つの輪ができる綺麗な結びですよね。
茶道雅流では、百ヶ長緒花結びを考案したみたいで、
春夏秋冬ごとに、さまざまな形の花結びが並び、
長緒の花結びの茶会まで開いたそうです。
元々どんな茶入でも長かった緒を、
村田珠光
(一説には千利休)が短くしたそうで、
これにより緒の扱いは非常に簡素になったのだとか。
江戸時代半ばごろから再び長緒が復活するようになったとのこと。
■茶壺の長緒
この章では、表千家の習事八箇条や、裏千家の小習の長緒ではなく、
茶壷の付属品(装束)としての長緒を説明しようと思います。
長緒は、茶壷の蓋の上に被せた口覆の上から、
茶壷の咽喉を結ぶ長い紐のことで、
壷の口に締めて両わなに結んで正面に垂れるそうです。
装束に使われる紐は二種類あって、
長緒一本と乳緒二本からなるようです。
長緒は真の「両わな結び」にのみ使用するのだとか。
■結びの歴史
「結び」という言葉で表現される技術は、石器時代には存在していたそうです。
当時の建物の装飾の断片や、縄文土器に刻まれた模様などから、
少なくとも「片結び」や「一重結び」などの基本的な結びはあったようです。
飛鳥時代頃までには、首飾りや刀剣の飾り、服飾用として、
装飾用の結びが出てくるようです。
奈良時代、仏教文化と共に中国から「染と織」の技術が到来すると、
飛躍的に「結び」がレベルアップするみたいです。
「衣服令」という法令が発布され、身分階級に応じて定められた「くみ帯」を締め、
さらに綬と玉珮をつけたそうです。
また、服の襟には「結紐」や「長紐」と呼ばれる紐がついていたのだとか。
平安時代には、「花結び」が生まれるみたいです。
結びの用途は「作業用」「宗教的なもの」「装飾用」に分かれるそうです。
特に今日まで続く代表的な「装飾用」の結びは、この時代に出そろったと言えるとか。
例えば、水引用の「鮑結び」「片蝶結び」、仏具の「けまん結び」などが、
貴族階級では、逗子・几帳・日笠などの飾りに
「総角(あげまき)結び」が出てくるようです。
鎌倉時代は、武具にその結びが見られるようになるそうです。
「直垂(ひたたれ)」の「蝶結びの胸緒」「八の字結びの菊綴」などが代表的でしょうか。
室町時代〜安土・桃山時代、茶道の大成と共に、
茶の作法の一つとして「結び」が定められるようです。
例えば、
茶入を納める仕覆の口の緒は「打留」と言って、一端を常に結んであるものですが、
「女結び」にすると定めたり、
主君の暗殺を防ぐため、自分一人の封印結びをしたのが事の起こりとされる「茶結び」、
戦国時代後の、花鳥風月を模した結びなどがあるそうです。
江戸時代には、庶民の服装にも「結び」が浸透するようです。
女性の帯結びはその典型みたいです。
■茶壷の長緒の関連文献
『正伝集』に
「壷装束の掛様は、口覆を掛け長緒を両わなに結留候也。
但し口覆の先は乳の間々に成様になし、
偖わなに結びたる余り、壷の中程より少し上にて、二筋余し候也。
長緒を両方にわなを結下る也。但し結様は直伝に有」
とあるそうです。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「乳緒長緒を用ゆるは千家にては随流斎より始る」
とあるみたいです。
また、
「口緒」について
「茶壺」について
「乳緒」について
は、それぞれ別ページで説明しています。