真塗(しんぬり) |
黒蝋色漆の塗装を施した漆工品。
油分を含ませた上質の黒漆を上塗りし、 木炭で平らに研ぎ、炭粉・砥粉(とのこ)などで胴ずりを行い、平滑とし、 摺漆(すりうるし)をして少量の油と角粉(つのこ)で磨き、 漆黒な光沢をあらわしたもの。 総黒(そうくろ)とも言う。 |
摺り漆(すりうるし) |
木材素地に生漆(きうるし)をすり込んだもの。
極薄い飴色(あめいろ)の漆膜を通して木地の美しさがあらわれる。 拭き漆(ふきうるし)とも言う。 |
溜塗(ためぬり) |
漆器の上塗りに透漆をかけたもので、
下塗りなどの半透明に見える美しさがある。 朱漆の上に透漆をかけたものを紅溜(べにため)という。 |
青漆(せいしつ) |
青い漆を塗ったもので、
塗りの色と下地の美しさが見どころ。 |
緑漆(りょくしつ) | 漆の色合いの美しさを鑑賞する。 |
蒔絵(まきえ) |
漆器の表面に漆で絵や文様・文字などを描き、
それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を 「蒔く」ことで器面に定着させる技法。 日本独特の技術として完成した蒔絵は、 華麗なものであり、 多様な意匠に様々な美しさが見られます。 |
堆黒(ついこく) |
黒漆を塗り重ねて、模様を彫刻したもの。
香合などに多くみられる。 |
堆紅(ついしゅ) |
朱漆を塗り重ねて、模様を彫刻したもの。
中国では宋の時代頃から盛んになった。 |
刷毛目塗(はけめぬり) |
漆器の塗装の一つ。
漆塗面を意識的に刷毛目をみせてきたもの。 |
蒟醤(きんま) |
タイ・ミャンマーに産する漆器。
竹で編んだ素地に漆を塗り、 文様を線彫りし、 色漆をつめて研ぎ出したもの。 国の伝統的工芸品に指定されている。 |
存清(ぞんせい) |
中国漆器によく見られる技法で、
蝋色漆で上塗して研いだ面に彩漆で文様を描き、 乾いてから輪郭をくくるように線彫りしたもの。 存清とは和名で、中国では、 彫填(ちょうてん)とか填漆(てんしつ)と称す。 国の伝統的工芸品に指定されている。 |
彫漆(ちょうしつ) |
陶器・金属または木地に厚く漆を塗り重ねて、
その上に彫刻を施す技法。 堆朱(ついしゆ)・堆黒(ついこく)などがある。 国の伝統的工芸品に指定されている。 |
後藤塗(ごとうぬり) |
後藤塗は、高松藩士後藤太平が、
下絵に付いた墨の模様にヒントを得て創案した、 渋みのある漆塗り技法。 素地固めした器に中塗りをした表面を、 朱塗りに呂色漆を加えた渋みのある漆でぬり、 さらに良質の透明漆を薄く塗りこんで 仕上げたもの。 国の伝統的工芸品に指定されている。 |
象谷塗(ぞうこくぬり) |
江戸末期の漆工、玉楮象谷(たまかじぞうこく)が、
タイの蒟醤(キンマ)と中国の存星(ぞんせい)などの 漆器を独自に消化して創始した塗り物。 中塗りの上に草花などを彫刻し、 青・黄・紅などの色漆をつめて研ぎ出し、 仕上げ塗りをしたもの。 高松市の名産。 国の伝統的工芸品に指定されている。 |
螺鈿(らでん) |
貝殻の内側、虹色光沢を持った、
真珠層の部分を切り出した板状の素材を、 漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法。 螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。 技巧的でありながら、貝の散りばめは自在に行うもので、 独特の貝の味わいと蒔絵の組み合わせが見どころ。 主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる。 |
白檀塗(びゃくだんぬり) |
金・銀箔を漆塗の表面に貼り、透漆(すきうるし)を
その上にかけたもの。 |
蝋色塗(ろいろぬり) |
油分を含まない上質漆で上塗りし、
乾燥後、表面を研磨して艶上げしたもの。 他の塗料の及ばない塗り肌の美が 蝋色ぬりの美しさ。その独特の色合いが見どころ。 |
花塗(はなぬり) |
油分の入った漆を塗り放しにしたもの。
塗立(ぬりたて)とも言う。 |
津軽塗(つがるぬり) |
青森県弘前市を中心に生産される変塗りの漆器。
素地には県特産のヒバ材が用いられる。 素地に生漆を塗って下地とし、 さらに地の粉・米糊・砥粉と生漆を混ぜたものを、 繰り返し塗り重ねる本堅地造(ほんかたじづくり)の製法。 「唐塗」「ななこ塗」「紋紗塗」「錦塗」「変塗り」がある。 |
春慶塗(しゅんけいぬり) |
木地を砥粉(とのこ)などで目留めした後、
黄(くちなし)・赤(鉄丹・洋紅)に着色し、 透明な春慶漆で上塗りしたもの。 漆幕を透かして木地をあらわしている。 漆の色合いと木地の模様が見どころ。 |
輪島塗(わじまぬり) |
石川県の輪島に産する漆器。
材料に付近の小峯山の 粘土を焼いて造った輪島地粉(じのこ)を用いたもの。 装飾法は沈金(ちんきん)を特色とする。 |
掻合せ塗り(かきあわせぬり) |
下地を施さずに上塗りをおこなったもの。
黒・潤(うるみ)・朱などの各塗がある。 木地の木目が感じられるところが見どころ。 素雅な趣きがある。 |
拭漆(ふきうるし) |
木地に生漆を直接摺り込み、
余分な漆を拭き取り、 乾いたら磨く工程を繰り返す技法。 「摺漆(すりうるし)」とも言う。 木地の美しさが現われ、見どころとなっている。 |
根来塗(ねごろぬり) |
正応元年に高野の僧が紀州根来に移って寺院を創設した。
その寺院で日用の漆器を僧が制作した黒・または朱塗の漆器。 漆を重ね塗りして研ぎ、 下漆の自然に出た斑紋を味わいある文様として 漆肌の雅味を賞玩する。 |
秀衝椀(ひでひらわん) |
奥羽の南部地方で作られた椀。
大形の切箱を置き色漆の文様を描いたい、 浄法寺椀とも呼ばれる。 |
いじ塗り(いじぬり) |
漆塗りの一つ。仕上げ塗りをした面に、
さらに漆を塗ってたんぽで、 表面に細かい波紋をたたき出すもの。 武具の装飾に多い。 「いじいじぬり」とも言う。 |
つまぐれ |
黒漆或いは青漆の漆工品。
外縁を朱漆でふちどったもの。 棚物に多くある。 |
曙塗(あけぼのぬり) |
下地塗を朱漆で、その上に黒漆を塗り、
研ぎ出して朱が浮かぶ妙景を生み出したもの。 根来塗と見た目の色調が反対になる。 |
折撓(おりため) |
檜(ひのき)、杉などの木地をへぎ、
それを折りためて漆を塗って造られたもの。 侘びた肌合いが見どころ。 |
一関張(いっかんばり) |
木製の原型を使って漆や糊で紙を張り重ね、
型から抜き取ったもの素地とした漆器のこと。 和紙の柔らかい風合いと侘びた風情が見どころ。 初めて飛来一閑(ひきいっかん)が造った。 飛来一閑は、千家十職の一閑張師。 |
曲(まげ) |
杉・桑・檜(ひのき)などの木地を曲げて、
桜皮などで綴じたものを素地として、 漆を塗ったものを塗曲という。 木目の塗り肌が特徴。 折撓・一関とともに二つと同じものがないところが、 味わい深いところ。 |
張貫(はりぬき) |
木製の原型を使って紙を張り重ねて形をつくり、
乾くと抜き取って漆を塗る一関張と同じ手法で、 表面に型模様などが入れられる意匠のあるところが見どころ。 |
木地(きじ) |
古材などが使われることが多く、
材質もさることながら古材の木味を楽しむもの。 塗りをかけないで使う。 |
ガラス |
塗ではないですが、ガラスの棗もあるようです。
古くはガラス製の器を見立てて使われたが、 現代では薄茶器として造られている。 爽やかさがあり、文様や色なども見どころ。 夏期の取り合わせなどに好まれている。 |
杢目塗(もくめぬり) |
木目に似せた塗で、
木地に木目を錐(きり)先で彫り、 その上に漆を塗ったもの。 または黒漆を塗り、 その上に朱漆で木目を描いたもの。 鎌倉時代の漆工品に見られる。 |
松皮塗(まつかわぬり) |
変塗(かわりぬり)の一種。
錆漆で松皮形の文様を描き、 松皮色の色漆を塗って研ぎ出したもの。 |
その他 | 他にも「布目研ぎ出し」など、 いろいろあります。 |
宗哲 |
中村宗哲。京都の人で、初代は八兵衛翁勇山と言ったようです。
仙叟 ・ 江岑 ・一翁等の好み物を作るほか、庸軒好の「凡鳥棗」を作ったそうです。 三代目漆桶は、中でも名工で、俳句をよくしたとのこと。 与謝蕪村・几菫・堀内仙鶴らと親交を結んでいたそうです。 この三代目、「彭祖棗」として、七十の賀に七種の棗各百個を作ったみたいです。 七代目得玄も名工。五代の次男で、六代(兄)から家督を譲られたようです。 それぞれの代表作を以下に記載してみます。 初代:江岑好・独楽香合、庸軒好・凡鳥棗など。 二代目:乱菊中棗など。 三代目:覚々斎好・ブリブリ香合、少庵好・彭祖棗など。 四代目:三斎好・野風茶器など。 五代目:認得斎好・蔦蒔絵中棗など。 六代目:認得斎好・祇園攘疫棗・群亀棗・宝船棗など。 七代目:名取川硯箱・夕顔台子皆具(浄雪・七代浄益・旦入の合作)など。 八代目:碌々斎好・既望棗、玄々斎好・曙棗など。 九代目:玄々斎好・溢梅雪吹大小・溜ミル貝雪吹溜松木下張棗・粒菊蒔絵溜雪吹・黒絵玉書詰平棗、惺斎好・鱗鶴大棗・松摺漆丸卓など。 十代目:惺斎好・笹蒔絵硯箱・雛用柳桜茶具(合作)・雛用懐石家具・近江八景棗など。 十一代目:惺斎好・唐崎松中棗・醍醐枝垂桜大棗、即中斎好・四季 誰が袖蒔絵茶器など。 十二代目:而妙斎好・吉祥松溜雪吹・春野旅箪笥など。 |
五郎 |
羽田五郎。
珠光
時代、奈良の人で、法界寺門前に住んでいたので「法界門塗」とも言うみたいです。
まれに棗の作があって、杉木地板目で「黒塗り」だそうです。 ちなみに、この人の作った四方盆は「羽田盆」と言うようです。 |
余参(よぞう) | 紹鴎 時代、京都の人で、棗または中次の作者だそうです。 |
記三(きぞう) | 紹鴎 時代、京都の人だそうです。棗の作品が多いようです。 |
盛阿弥 |
京都の人で、法名を紹甫というそうです。
秀吉 から天下一の号を与えられた名工だったみたいです。 この人の棗は「盛阿弥棗」というわれる特定の形をしていて、 器底に「盛」の一字が針彫しているとのこと。 家は三代まで続いたようです。 |
秀次(ひでつぐ) |
篠井秀次(俗称:弥五郎)。
利休
時代、奈良の人で、中次や棗の作品が多いようです。
盛阿弥同様、この人の作品にも、針彫で署名しているそうです。 |
藤重(ふじしげ) |
藤重藤厳。本姓は樽井で、
利休
時代の人。なぜかこの人は姓を以って呼び慣わすみたいです。
余技とした塗物が名人と称せられ、 大阪落城後の灰の中から取り出された名物茶入を補修して一躍名を馳せた人だとか。 その後、徳川氏に召されて江戸に住んだようです。 中次に秀でていて、器底に針彫で署名があるそうです。 |
宗長 | 関宗長。 宗旦 時代、京都の人。棗類が多く、漆で書銘があるそうです。 |
道恵 |
初代の近藤道恵。京都の人。
遠州
・
石州
に引き立てられ、その好みが多いそうです。
漆で「恵」の書銘と、共箱があるようです。 この時代ごろから「共箱」が登場するみたいです。 |
道志 |
初代道恵の子。
石州
の好みなどがあるようです。
特に「位地塗(石地塗)」と言って、斑点紋のような塗り方を発明したそうです。 |
光悦 |
本阿弥光悦。刀剣の鑑定・研磨・浄拭(ぬぐい)を家業とする京都の本阿弥光二の長男として生まれたそうです。
書家として「寛永の三筆」の一人に数えられ、 陶芸・漆芸・出版・茶の湯などにも携わったマルチアーティストとして活躍した人とのこと。 「光悦蒔絵」呼ばれる蒔絵の代表作に「芦舟蒔絵硯箱」「舞楽蒔絵硯箱」 「子日蒔絵棚」「樵夫蒔絵硯箱」「扇面鳥兜蒔絵料紙箱」「鹿蒔絵笛筒」なんかがあるようです。 ただ、薄茶器は少ないみたいです。 ※ちなみに「寛永の三筆」の残り二人は近衛信尹と松花堂昭乗だそうです。 |
光琳 |
尾形光琳。「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖で、
江戸時代中期を代表する画家の一人みたいです。 画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もあるようです。 蒔絵や大画面の屏風のほか、香包・扇面・団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖などの作品もあるとのこと。 蒔絵としては、青貝や錫・鉛を象嵌して独特の世界を作ったとか。 1701年には法橋の位を得ているそうです。 ※ちなみに「法橋」は本来は高僧に与えられる僧位のひとつで、 後に絵師、仏師などにも与えられるようになったみたいです。 |
道甫 |
五十嵐道甫。三代目は織豊時代、京都の人で、
後に、前田利家に聘せられ、加賀蒔絵の祖となったそうです。 代々道甫と称して同家に仕えたようです。 |
彦兵衛 |
梶川彦兵衛。寛永時代(1624年〜1645年)、江戸の人で、幕府の御用を蒙ったとか。
印篭蒔絵の名手で、茶器も作るそうです。 門人の久次郎が梶川家の跡を継いで、寛文年間(1661年〜1672年)幕府に仕え、江戸中橋に住んだようです。 |
休意 |
古満休意。御用蒔絵師だったようです。
蒔絵家伝書『幸阿弥家伝書』には、1680年、上野寛永寺の家綱廟の蒔絵装飾に参画した旨の記載があるそうです。 休意の作風は、室町時代以来の伝統様式の蒔絵にさらに精細の度を加えたものだとか。 代表作に「柴垣蔦蒔絵硯箱」があり、蓋裏に「古満休意作 同休伯安章極之」の銘があるみたいです。 |
休伯 |
古満休伯。門下に古満巨柳・野村休甫がいるそうです。
古満家は、三代将軍徳川家光の治世、1636年に初代古満休意が召抱えられたのが、 はじまりのようです。以後、十二代古満清兵衛まで代々徳川将軍家の御蒔絵師だったとか。 家格は御細工頭支配の御蒔絵師で、代々のしきたりとして以下のことが許されていたそうです。 ・年始に御扇子献上、御目見。 ・五節句・八朔・歳暮共に御目見。 ・御代替・将軍宣下の節に御扇子献上、御目見。 ・御上棟の節に布衣着用。 ・旅御用の節に伝馬証文頂戴。 ・旅行並非常の節に帯刀。 これらの格式を持ち、町屋敷まで拝領するなど、 旗本に准ずる扱いを受けていたそうですが、俸給はなかったようです。 |
春正 |
山本春正。初代は舟木と号し、1610年生まれの京都の人で、
「春正蒔絵」という優艶な技法を用いたみたいです。 特に茶器が多いようです。 国学者の漆山天童は春正を 「多芸多能なること本阿弥光悦以後ただ一人」 と評し、同時代では雛屋立圃に比せられるのみと賞賛したそうです。 |
破笠(はりつ) | 小川破笠。蒔絵の一部に陶器を象嵌することに成功した人で、「破笠細工」というみたいです。 |
横笛 |
長野横笛。江戸中期、京都の人で、武蔵野茶入二百個の製作があったそうです。
橘屋を号して、三代まで続いたようです。 |
友治(ゆうじ) | 永田友治。江戸中期、京都の人で、号は金書子・青々子、琳派の名手、「友治上」を工夫したそうです。 |
羊遊斎 |
原羊遊斎。江戸の人で、通称は久米次郎、更山と号したようです。名工として知られるそうです。
この人、蒔絵師というよりも工房の主催者に近いものであったらしく、 常に権門勢家に出入りし、中山胡民をはじめとする多くの門人を擁して蒔絵作品の制作に当たったみたいです。 作品には、「羊」「羊遊斎」「羊遊斎作」などの銘が記されているとか。 |
長寛 |
佐野長寛。1794年生まれの京都の人だとか。
1814年ごろに諸国の名工・名品を求めて遍歴し、漆技の研鑽を重ねたそうです。 1825年京都新町三条の家に帰り、高麗の名工張寛に私淑して、 自ら張寛五代目の末葉と称し長寛と号したようです。 無欲で弊衣蓬髪を恥じず,常に斬新な意匠の創意を試みたとのこと。 |
胡民 |
中山胡民。1808年生まれの江戸の人だとか。
原羊遊斎に入門して蒔絵を学び、精巧精緻な技巧で知られたそうです。 後に法橋に叙せられ、泉々と号すようです。 自筆注文控「塗蒔絵控」「蒔絵註文控」によれば、櫛・硯箱・手箱・茶道具類を多く制作したみたいです。 門人に小川松民がいるとのこと。 |
漆壺斎 |
小島漆壺斎。小島家の五代目清兵衛が、
松平不昧の命により製作した「秋野」大棗が公の趣意にかない、漆壺斎の号をもらったそうです。 原羊遊斎に師事して蒔絵を学び、不昧公お好みの茶器などを数多く製作したみたいです。 |
勝軍木庵(ぬるであん) |
初代は勝軍木庵光英、二代目は勝軍木庵春光。
初代の本名は三島屋宗悦で、松江市白潟灘町に住む蒔絵師だったとか。 九代藩主斉斎(直指庵)の命で江戸の蒔絵師・梶川清川に師事したそうです。 その後、直指庵の好み物を多く作ったので、直指庵は彼に「勝軍木庵」の号を与えたようです。 棗・香合・印籠等小物に傑作が多いみたいです。 |
一閑 | 飛来一閑。千家十職の一つ、一閑張細工師の当主が代々襲名している名称だとか。 |
宗哲 | 中村宗哲。説明省略。 |