茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

火入ってこんなの

火入は、煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のこと。

最初の頃、火入は、香炉の小振りな物や向付を見立てで使用したそうで、
南京赤絵や染付など、やや大振りのものが使われていたようです。

今日では、志野・綾部・唐津などの筒向付が使われることも多いとか。
銅器や鉄器はふつう用いず、陶磁器が主に用いられるそうですが、
染付・呉須などの「磁器」には真塗や溜塗など、
志野・織部・唐津などの「施釉陶」には一閑張など、
備前・信楽など「自然釉陶」には木地・焼杉などを合わせるようです。

染付では、雲堂、紀三井寺、雲草、口紅や胴紐など明初の香炉の転用品、
やや時代の下がる日月鳳凰、叭々鳥、朱買臣(しゅばいしん)、傘の絵、橋の絵、桶側など、
呉須では、冠手、水玉、芦雁、松鹿などが
型物とされているとか。

国焼には、志野、織部、絵唐津、備前、丹波、瀬戸、萩、薩摩、高取など、
京焼などによる写しものや、楽焼、雲華焼などがあるそうです。

火入の形状は、丸、四角、六角、八角、口四方、沓形、
松皮菱、輪花、分銅、州浜、誰袖、鮟鱇などがあるみたいです。

有名な陶工、乾山・えい川・仁阿弥・保全などの火入には名品が多いとか。


■火入の組み合わせと拝見
煙草盆と火入の組合せは、
材質・形状・煙草盆との大きさ・煙草盆の縁の高さと火入の高さ・
火入の釉色と煙草盆の塗色などが考慮されるそうで、
ピッタリするような取り合わせにかなり苦心するようです。

火入の取合せでは、水指、花入、菓子鉢などと同種のものを用いるのは避けるみたいです。

火舎は茶席の火入としてはあまり用いないそうですが、
南鐐や鍍金で透彫にしたものをときには広間に使うこともあるとか。

素銅、煮黒目などで火口だけ開いたもの、または、
両側に半円形に火口のあいた奴火舎などは野点席に使うとよいようです。

火入は、煙草盆一揃いの中の主座をしめているようです。
煙草盆を拝見する際、その中に組み込まれた火入を一番最初に拝見するそうです。
次いで、煙草入、煙草盆、煙管と拝見するのだとか。


■切炭の埋め方
火入の灰にあらかじめ炭火を入れて灰を温めてから、
炭火を取り出して火箸で灰をならし、
その中央に、客が煙草をつかうときに上部が燃えて灰とならないように、
切炭を黒い部分を残して熾し、熾きた方を下に黒いほうを上にして、
煙管で吸い付けやすいよう正面から見てやや斜めに頭が少し出るように埋め、
灰押で灰を押さえ、火箸で筋を入れるようです。

火入に入れる切炭は、表千家と武者小路千家では右に、裏千家は左に傾けるみたいです。


■文献
『目ざまし草』の香具の説明のところに「火入は香炉」とあるそうです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「火入 元来香炉をかり用ゆ 青磁 染付 嶋物 金類 国焼類」
「楽焼累座 如心斎好、楽焼タンハン又香炉薬もあり」
「同三つ足 卒啄斎このみ、香炉くすり」
「八卦 了々斎このみ、善五郎作、黒八卦金入」
とあるみたいです。
読み:からつやきひいれ
作品名:唐津焼火入
作者:井上東也
備考:高さ9.7cm

唐津焼火入
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近世初頭から肥前国(現在の佐賀県および長崎県)に散在する諸窯で生産された陶器の総称だそうです。
唐津焼の名称は、製品が唐津の港から積み出されたことに由来するとか。
唐津焼の創始は、文禄・慶長の役よりはやや早く、1580年代に開始されたみたいです。

井上東也は、昭和17年の唐津生まれ。
日大に進み、帰郷後に鏡山の麓に窯を築き、昭和44年に開窯。
唐津焼協同組合の理事長を務め、唐津焼の更なる発展に尽力しているとか。


読み:おけがわはっけいひいれ
作品名:桶側八景火入
作者:中村秋峰
備考:高さ9.1cm

桶側八景火入
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桶側は、桶の側面の板のことで、当世具足の一種「桶側胴」なんかが有名でしょうか。
桶側胴は板札(いたざね)とよばれる細長い長方形の鉄板を鋲で留め合わせて作るそうで、 その外観が桶の側面に似ている事から桶側胴の名が付いたようです。

八景は、瀟湘八景や西湖八景のように対象が固定されているものも多いけど、
台湾八景のように時代とともに内容が変遷するものもあるみたいです。

対象が固定されているものの場合、以下のような絵が描かれるそうです。
晴嵐 本来は春または秋の霞。青嵐と混同して強風としたり、嵐の後の凪とする例もある。
晩鐘沈む夕日と山中の寺院の鐘楼の組み合わせ。
夜雨夜中に降る雨の風景。
夕照夕日を反射した赤い水面と、同じく夕日を受けた事物の組み合わせ。
帰帆夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景。
秋月秋の夜の月と、それが水面に反射する姿の組み合わせ。
落雁広い空間で飛ぶ雁の群れ。
暮雪夕方ないし夜の、雪が積もった山。

日本で八景というと広重の『江戸近郊八景』などが有名でしょうか。

中村秋峰(三代目中村幸一)は、昭和22年京都東山生まれの京焼作家。
平成6年、京焼・清水焼伝統工芸士に認定され、 伝統的工芸品産業功労者表彰などを受賞しているそうです。


作品名:黄火入
作者:佐々木松楽
備考:高さ11.7cm/
口径8cm/紙箱入

黄火入
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単色釉で黄色を出す場合、「カナリヤ黄釉」か「バナナ黄釉」があるみたいです。
どちらも焼成温度は1230度〜1300度で酸化焼成するようです。
窯変釉・結晶釉としては、「黄瀬戸釉」「並白釉」「そ麦釉」があるそうです。

黄色が出る釉薬を表にすると以下のようになるでしょうか。
釉薬名 焼成温度 酸化・還元 備考
カナリヤ黄釉 1230度〜1300度 酸化 半透明で明るい黄色
バナナ黄釉 1230度〜1300度 酸化 不透明で沈んだ黄色
黄瀬戸釉 1250度〜1280度 酸化・還元 浅黄色、良く焼ける程美しい
並白釉 1250度〜1280度 酸化・還元 酸化の時淡い黄色、還元の時は淡い青磁
そ麦釉 1230度〜1300度 酸化・還元 酸化にては黄色の結晶、還元にてはオリーブの結晶


作品名:火入
作者:松楽窯
備考:白貫入/紙箱入

火入
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貫入(かんにゅう)は、釉面に現われたひびのことだそうで、
素地と釉薬とでは焼成と冷却の間の膨張や収縮の度合いが違うためにおこるのだそうです。
貫入は一種の装飾効果として、大堀相馬焼・薩摩焼・萩焼・粟田焼などでは多くみられるとか。

貫入には、二種類あるそうです。
 ・直接貫入:窯出し直後、窯出し後冷ました際の貫入
 ・経年貫入:時間を経て自然と発生する貫入

経年貫入が発生するのは、
 @素地(陶磁器系など)のわずかな吸水性により、少しずつ膨張する。(水和膨張)
 A釉薬はガラス質なので膨張しない。
 B@とAの間でズレが生じる。(経年貫入)
といったことによるようです。

松楽窯は、京都・亀岡市の市街地から車で約十五分、
谷あいにある山荘風の建物で、庭は野点傘があるのだとか。


作品名:火入(織部松皮菱)
作者:松本鉄山
備考:木箱入

火入(織部松皮菱)
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松皮菱(まつかわびし)は、大小の菱形を連続させた文様の名前だそうです。
菱紋の一種で、三階菱と同様に大小三つの菱形を重ねて描かれ、
中央のひし形に一回り小さい菱型二枚を上下に重ねたもののようです。

家紋としては、甲斐源氏武田氏の一族の小笠原氏が使用していたみたいです。
『見聞諸家紋』には、
「神功皇后が三韓を征伐したときの鎧が楯無で、
それに松皮菱が有る」
とあるそうです。
ただ、この内容は信憑性がないとのこと。
ちなみに『見聞諸家紋』は、応仁末年〜文明二年に成立したとされる
武家の家紋を集録した家紋集だそうです。

織部焼は、美濃焼の一種で、基本的に志野焼の後に造られたみたいです。
当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたようです。
この名称が用いられるようになったのは、織部の死後しばらく後の寛文年間頃からだそうで、
一般に広まるのは元禄に入ってからなのだとか。

釉薬の色になどにより、織部黒(黒織部)・青織部・赤織部・志野織部などがあるようですが、
緑色の青織部が最も有名なのだとか。
織部黒は茶碗が殆どで、それ以外は食器類が大半を占めるそうです。


作品名:火入(青楽)
(単瓢型)
作者:桂窯
価格:3,000円
寸法:高さ8.7cm/口径9cm
備考:紙箱入

火入(青楽)
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桂窯は、土風炉師の寄神崇白が始めたものだそうで、
檜垣崇楽以下、檜垣青子、檜垣良多などが作陶しているとか。


■火入の種類

ここでは、火入で使われている主な焼物の種類を、簡単に説明しようかと思います。
火入の種類備考
陶磁器・磁器の火入染付中国・朝鮮では青花と呼ばれる釉下彩技法の1つ。
白地に青で文様を表したもの。
呉須陶磁器に用いる顔料の一種。焼成により釉と溶けて青い色を出す。
古赤絵中国明代の赤絵のうち、景徳鎮民窯で万暦以前のものの総称。
下地に染付を用いない。
祥瑞中国の明末・清初に作られた染め付け。
日本の茶人の注文により、中国の景徳鎮で焼かれた。
南京赤絵中国の清代初期に景徳鎮その他の民窯で輸出用に大量生産した赤絵磁器。
青磁陶磁器の一種。釉薬の中に含まれる鉄分が、
還元炎焼成によって青く発色した焼物。
朝鮮系の火入三島灰色の素地に細かい文様を縄状に型押しし、
その部分に白土を象眼したのち透明な釉をかけて焼いたもの。
三島の名は、文様が、伊豆国三嶋明神で版行された摺暦である
「三島暦」の仮名の崩し文字に似ていることから。
雲鶴表面に白土をはめ込んだ象眼青磁で、雲や鶴の模様を表す。
陶器の火入志野美濃で産した陶器。桃山時代に盛んに焼かれ、茶器が多い。
白い半透明の長石釉を厚くかけ、釉の下に鉄で簡素な絵を描く。
織部主に美濃地方で生産された美濃焼の一種。
透明釉薬に酸化銅などの銅を着色料として加え酸化焼成した「織部釉薬」を使う。
絵唐津慶長年間以降、肥前各地で焼かれたもので、
鉄砂釉で描いた文様の上に釉かけられている。
備前慶長年間以降、水簸した細緻な土を用い、
塗り土をした黒褐色の薄手の作品を伊部手と呼び分けており、
備前焼は広義の国焼としての総称。
丹波兵庫県多紀郡今田町立杭周辺で焼かれている陶器で、
立杭焼とも呼ばれる。
瀬戸鎌倉時代、加藤景正が、宋から施釉陶器の技法を伝えたのが創始とされる。
室町末期ごろまでのものは古瀬戸とよばれ、主に唐物を模した茶入で知られる。
山口県萩市、長門市の窯で焼造される陶器。
慶長9年に入府した萩藩主毛利家の御用窯として、
萩城下の東郊松本村中之倉に、
朝鮮から帰化した陶工李勺光と李敬によって開かれた。


作品名:青磁火入
寸法:高さ9cm/口径9.2cm
備考:紙箱入

青磁火入
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青磁は、青磁釉を施した磁器またはb器のことで、
紀元前14世紀頃の中国(殷)が起源だそうです。
青磁の青緑色は、釉薬や粘土に含まれる酸化第二鉄が、
高温の還元焼成によって酸化第一鉄に変化する事で発色しているとのこと。


■火入の炭について
ここでは、火入の炭について簡単に説明しようかと思います。

火入の炭は、点前用に使う丸管炭の中から、
細めのほどよい太さのものを選んで用いるそうです。

切る際は、まっすぐな部分を選んで、ほどよい長さに切るみたいです。

皮目が欠けていない、断面が綺麗な円形になったものが良く、
水で粉を洗い流し、完全に乾かしてから使うようです。
火入の大きさに応じ、炭の太さもバランスの良いものを選ぶとか。

次によく熾した火鉢や、丸炉で焼きあげるみたいです。
ガス台の火で焙って焼くよりも、ムラなく早く火が通るそうです。

炭に火が移ったら、火鉢から取り出すようです。
このとき、片焼けだったり、外側しか焼けてなかったりすると、
火入の中で消えてしまうそうなので、
芯近くまで、まんべんなく焼くことが重要みたいです。


作品名:唐津焼火入
価格:3,000円
寸法:高さ9cm/口径9cm
備考:紙箱入

唐津焼火入
※画像を押すと拡大できます。
ここでは、火入の灰型の作り方を説明しようかと思います。

風炉灰を篩にかけてから火入に適量を入れ、
小さい下火を埋めてよく温めるそうです。
これは、灰を温めて、同時に空気をよく含ませる必要があるからだとか。

少ししたら、この下火を取り出して、灰を底から掻き混ぜ、
また別の少し大きめの下火を入れて温めるようです。
この作業を3〜4回繰り返すみたいです。
この間に下火の中へ火入炭を入れとておくと、丁度良い具合に火が熾るとか。

炭は点炭か丸管炭くらいの太さの炭を1.5〜2.0センチほどに切るそうです。

下火を取り出してから傾斜を付けた山形にした灰の中心に、
むらなく真っ赤に熾った炭を突き刺すみたいです。
山のてっぺんと炭の上面は、同じ高さにするようです。

次に火箸をその斜面に合わせて寝かせ、
滑らせるように動かして灰をならすみたいです。

筋は中心から放射状になるように入れるようです。
火箸は、火入の中心を通るように持つことが大事だそうです。

その後、火箸1本分を空けて次の筋を作るみたいです。
火箸を動かさないで火入の方を手で回してやるとよいのだとか。
また、同じ筋がつくよう、途中で火箸を持ち替えず、一気に作るそうです。

炭を少し回し、灰との間に隙間を作るみたいです。
間隔は炭の皮1枚分、これで火は燃え尽きるまで消えないとか。

裏千家の場合は、最後に炭の左側を押し込むようにして少し傾けるようです。


作品名:染付火入
寸法:高さ8.8cm/口径10.5cm
備考:紙箱入

染付火入
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染付は、磁器の加飾技法の1つで、白地に青(藍色)で文様を表したものだそうです。
中国・朝鮮では「青花」と呼ばれるのだとか。

磁器に釉薬を掛ける前の素地に文様を描く技法(釉下彩技法)の一つみたいです。
呉須(ごす)と呼ばれるコバルトを主成分とする絵具が使われるそうです。

一般的には、磁土を一度素焼きしてから、呉須で図柄を描き、
その上から透明釉を掛けて再度焼成(本焼き)するのだとか。
呉須は焼成後は青(藍色)に発色するそうです。

この技法は中国元時代の景徳鎮窯で創始され、朝鮮・日本・ベトナムなどに広まったようです。
日本では17世紀に伊万里焼が作り始めたみたいです。


■呉須について
江戸期に使われていた天然の呉須は、現在、世界的に枯渇しているそうです。
天然には黒色で、土状の呉須土(鉱物名:アスボライト)として産出するのだとか。

アスボライトの化学式は「(Co,Ni)O-2MnO2-4H2O」みたいです。
酸化コバルト(2〜20%)を備えた酸化マンガンを含んでいる鉱物だそうです。

また、鉱物としては、リチオフォル石というのがあるそうで、
化学式は「Li6Al14Mn2+3Mn4+18O42(OH)42」のようです。

酸化コバルトは、三種類あるそうで、呉須に含まれるものは、
酸化コバルト(II)と言われる黄緑から赤色の結晶、または灰色から黒色の粉末みたいです。

セラミックス産業では青色の釉薬およびエナメルに、
化学産業ではコバルト(II)塩の合成に使われているとか。

酸化コバルト(II)を添加された陶磁器は、
コバルトブルーと呼ばれる深青色に着色されるそうで、
ホームページで表示すると以下のような色になるみたいです。
■■■■■コバルトブルー■■■■■

色材としてのコバルトブルーに用いられる色料は様々で、
単一顔料としてはコバルト青・海碧があるようです。

また、学童向け絵具の分野では、
ウルトラマリン青・フタロシアニン青・チタン白の混合物を使用して
「コバルトブルー」の名前の絵具として売ることもあるとか。


作品名:織部火入
価格:3,000円
寸法:高さ9.5cm/口径9.5cm
備考:紙箱入

織部火入
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ここでは、三部(さんべ)について、
簡単に説明しようかと思います。

謂われ、時代など定かではないそうですが、
開炉の茶事・茶会に「べ」が付くものを三つ取り合わせることを
喜ぶようになったようです。

数寄者のちょっとした戯れ心が、広く茶人の間に広まったのか、
仏教の世界が、仏部・蓮華部・金剛部の三部でなりたっているところから、
その三部にあやかって、三つの部が揃うと目出度いとなったのかよくわかりませんが、
それほど古いことでもないのだそうです。


■織部(おりべ)
織部の場合、茶道具の他に、
織部まんじゅうといったお菓子が出されることもあるようです。

書院に飾られた織部の香炉、露地の井戸の滑車、
手水鉢代わりの織部の甕など、多様な意匠性を道具組にさりげなく活かすと
良いのかもしれません。


■伊部(いんべ)
開炉の道具組は、ともすると華やかになりがちだそうです。
そんな時、広間の茶では、伊部(備前焼)のものを一つ取り合わせることで、
華美に流れるのを引き締める効果が得られるみたいです。

伊部には、花入・水指・茶入・建水・鉢等が見られるようですが、
花入や水指は使う前に、しっかりと水に濡らすのが心得なんだそうです。


■瓢(ふくべ)
開炉の初炭手前には、瓢の炭斗を用いるのが約束なのだそうです。
その年になったもの、由緒あるものが珍重されるとか。

素材が瓢であるものの他、瓢画賛や瓢箪形の道具もよく使われるようです。

中国では古来、瓢の中に別世界があり、
その霊気で不老不死を保つとされたそうです。

また顔回の清貧の逸話と重ね、そのふくよかな姿に通わせて、
開炉の清新なめでたさの象徴として用いるようです。

瓢は、瓢箪の古名だそうで、
茶道具においては、夕顔の実も同名で呼んでいるみたいです。


■顔回の清貧の逸話
千宗旦著『茶話指月集』に
巡礼が腰につけていた瓢箪を、利休が所望し、
花入として愛玩したのが「瓢花入 顔回」である旨が、
記載されているそうです。

花入の銘の顔回とは、孔子の第一の弟子の名前だそうです。
一箪の食、一瓢の飲でこと足り、粗末な庵に住んで学ぶことを
楽しんだようです。

なお「一箪の食、一瓢の飲」というのは、
『論語』雍也篇に
「子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。
 人はその憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。」
とあるそうで、
清貧に甘んじる生活のたとえだそうです。


作品名:染付火入
作者:高野昭阿弥
価格:3,000円
寸法:高さ7.5cm/口径11cm
備考:紙箱入

染付火入
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染付は、磁器の加飾技法の1つで、
白地に青(藍色)で文様を表したものだそうです。

中国・朝鮮では「青花」と呼ばれるのだとか。

この技法は中国元時代の景徳鎮窯で創始され、
朝鮮・日本・ベトナムなどに広まったようです。

日本では17世紀に伊万里焼が作り始めたみたいです。


作品名:仁清雲錦流火入
作者:景雲
寸法:高さ8.8cm/口径9.2cm
備考:紙箱入

仁清雲錦流火入
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野々村清右衛門(野々村仁清)は、
生まれは丹波国桑田郡野々村、
若い頃は丹波立杭窯や京都粟田口などで陶芸の修業し、
その後、瀬戸で轍櫨引きの技術に磨きをかけたそうです。

京都に戻ったあと、1647年に再建された仁和寺の御用窯として、
仁和寺の門前に「御室窯」を開いたようです。

1656年、仁和寺門跡の性承法親王(後水尾院の第七皇子)から
受領号「播磨大掾」と、「仁」及び「藤原姓」を授けられたそうです。

この時、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を併せて、
「仁清」と号すようになったとか。
また、自分の作品に「仁清」の印を捺すことでブランドを主張したようです。

さて、「仁清」という単語からは、
野々村仁清が一人で製作した「逸品」と思われがちみたいです。

ただ、通常、陶磁器生産は、轆轤などによる成形・釉薬の施釉・窯での焼成といった
作業工程ごとに複数の職人が関わる工房製作が基本であるため、
「御室窯」も、窯を統括する窯頭(窯大将)の野々村仁清を中心とした、
陶器製作工房だったのでは、と考えるのが良いみたいです。

もちろん、野々村仁清自身が陶技を披露した記録(文献)もあるそうで、
仁清自身が轆轤を挽ける陶工であったことは間違いないようです。


作品名:織部火入
作者:山口錠鉄
寸法:高さ9.2cm/口径8.2cm
備考:紙箱入

織部火入
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ここでは、古田織部について説明しようかと思います。
なお、織部焼は古田織部が作陶したり、
指導して焼かせたものではないそうです。

茶湯名人と称され古田織部は、1543年か1544年に、美濃で生まれたそうです。
生年には、二説あるようで、
『龍宝山大徳寺誌』では1544年(天文13年)、
『茶道四祖伝書』では「卯ノ年ノ人ナリ」とあり、
1543年(天文12年)としているようです。
後者の方が信憑性が高いのだとか。

「織部」というのは、令制で織物を調達する織部司のことで、
その長官が織部正だそうです。
ただ、自称は次官に当たる織部助(織部佑)で、
晩年の書状『進藤修理宛』には、織部助と自署しているみたいです。
他の書類にも「織部助」と自署していたとか。

ただ、山科言経の日記『言経卿記』には「古田織部正」とあるそうで、
徳川家康の駿府在城時代の記録書『駿府記』にも、
「古田織部正重然」とあるみたいで、
「織部正」が正式な官位だったようです。

千利休との出会いは、信長の茶頭となってからのようです。
師弟の交流は、遠く離れていても絶えることはなかったようで、
「武蔵鐙(あぶみ)の文」は、
武蔵国を転戦中の織部へ、利休が与えた書状だそうです。
これは、竹花入「園城寺」の添状だったみたいです。

天正19年(1591年)2月13日、蟄居を命じられて堺へ下る利休
細川三斎とともに淀へ見送った織部の姿は、
師弟の交情をよく物語っていると言えるようです。

慶長15年(1610年)、織部の茶の湯を好んだ二代将軍徳川秀忠の招きで、
江戸に下向し、点茶の式を伝授するそうで、
これにより、天下一の茶匠の地位を確立するみたいです。

元和元年(1615年)6月11日、織部の家臣木村宗喜が、
京の町に放火を企てた事への引責と、
大阪夏の陣に豊臣方へ内通した罪により、
息子・重広とともに、切腹を命じられ自刃するそうです。


作品名:火入白釉
作者:千弥
価格:2,000円
寸法:高さ9.5cm/口径8.6cm
備考:紙箱入

火入白釉
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ここでは、白釉(乳白釉)の調合例を記載したいと思います。


■乳白釉(錫乳白釉)
酸化錫を6〜10%程度添加して得る乳白釉だそうです。
スペインが発祥の地であり、イタリアにて成熟したのだとか。

一般的にはマジョリカ陶として有名みたいで、
この基本釉に様々な着色剤を添加する事で、
パステル調の色釉を得る事が出来るようです。

@福島長石 40.39% 福島珪石 26.93% 韓国カオリン 6.99%
 石灰石 25.69% 酸化錫6%

A釜戸長石 52.23% 福島珪石 15.23% 韓国カオリン 6.70%
 石灰石 25.84% 酸化錫6%

B平津長石 49.77% 福島珪石 24.60% 韓国カオリン 4.08%
 石灰石 21.54% 酸化錫6%


■乳白釉(ブリストル釉)
石灰・亜鉛による乳白釉で、
通常はブリストル釉と呼ばれる事が多いようです。

各種金属酸化物を添加すると、
石灰釉とは全く違う色調になる事があるとか。

クロムを添加したピンク色は有名みたいで、
タイルなどに多用されているそうです。

@福島長石 38.66% 福島珪石 1.18% 韓国カオリン 34.32%
 石灰石 8.32% 亜鉛華 17.51%

A釜戸長石の珪酸分過多で適合せず。

B平津長石 47.97% 福島珪石 2.95% 韓国カオリン 27.27%
 石灰石 7.02% 亜鉛華 14.79%


■乳白釉(ジルコン乳白)
比較的最近になって使用頻度の増した乳白釉みたいです。

釉に融けきれないジルコンが浮いた物だそうで、
石灰系釉薬よりも、ドロマイト系(マグネシア系)釉薬に、
添加した方が効果が高いとか。

@福島長石 68.93% 福島珪石 8.70% 石灰石 18.27%
 マグネサイト 6.37% 酸化ジルコニウム8%

A釜戸長石の珪酸分過多で適合せず。

B平津長石 76.24% 福島珪石 9.65% 石灰石 13.75%
 マグネサイト 4.79% 酸化ジルコニウム8%


■乳白釉(珪酸質)
通常、珪酸質の乳白釉は、
ワラ灰やモミ灰を使用して調合される事が多く、一般的みたいです。

土石を利用した珪酸質の乳白釉の貫乳に、
墨入れや弁柄を入れた物なども見受けられるとか。

酸化金属を添加した場合の色調の変化には乏しいそうです。

@福島長石 32.25% 福島珪石 45.83% 韓国カオリン 6.91%
 石灰石 12.51% マグネサイト 2.50%

A釜戸長石 41.65% 福島珪石 36.59% 韓国カオリン 6.68%
 石灰石 12.57% マグネサイト 2.51%

B平津長石 41.07% 福島珪石 41.39% 韓国カオリン 4.52%
 石灰石 10.85% マグネサイト 2.17%


作品名:火入(青楽松葉)
作者:川瀬和楽
備考:紙箱入

火入(青楽松葉)
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青楽とは楽焼の中で、
「緑釉」を用いたもののことを言うそうです。


■楽焼用の基礎釉について
楽焼用の釉は、市販されているようですが、
自分で調合することもできるみたいです。

○白釉(透明系)の場合

 @唐土:50、 白玉:50、 日の岡珪石:10

 A唐土:60、 白玉:30、 日の岡珪石:5

 B唐土:10、 白玉:70、 日の岡珪石:20

 C白玉:70、 長石石:30

調合によって、釉の熔ける温度に、差がでるのだとか。


■唐土(とうのつち)について
唐土は、釉の溶剤の働きがあるそうで、
釉を透明にし、流れ易くするようです。

鉛を酸化させて、白い粉にした物のことだとか。

大量に混入すると、熔け易くなるみたいです。


■白玉について
白玉は、硝石のフリットで、釉の厚みを増す役割のようです。

有鉛と無鉛が有るとか。

量を多くすると、耐火度を上げ、熔け難くなるそうです。


■フリットについて
釉に、ソーダ・カリ・硼酸など、
水に溶ける原料が有る場合や、有害な鉛がある時は、
生釉の状態(水に溶かしたままの状態)では、
使えないそうです。

これら一部(又は全部)を、一度高温で熔かし、
ガラス化して、水に投じて、粉末にし、
水に溶けない状態にする、
これをフリットと言うようです。


■楽焼の色釉の調合例
酸化金属の銅・酸化鉄(弁柄)・マンガン・
酸化錫・コバルト・アンチモンなどを、
基礎釉に添加するそうです。

 @[緑釉] 基礎釉:15、 酸化銅:1 又は、 基礎釉:16、 炭酸銅:2

 A[黄色釉] 基礎釉:70、 弁柄:3、 アンチモン:0.2

 B[紫釉] 基礎釉:50、 酸化マンガン:1、 コバルト:0.03

 C[青釉] 基礎釉:50、 酸化コバルト:0.6

 D[黒楽釉] 合成加茂川石粉:100、無鉛白玉:50、
 酸化鉄:3、酸化コバルト:1、二酸化マンガン:3、
 化学糊(CMC)0.3〜0.5%、水50%

釉掛けは、厚めにし、幾分、還元焼成気味にすると、
梨地調になり、金属類は、深みのある色を出すみたいです。



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