茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

短冊ってこんなの

短冊は、短籍・短尺・短策・単尺などとも書き、「たんじゃく」とも読むそうです。
また短冊は、鎌倉末期、藤原定家の曾孫の二条為世と頓阿が初めて作ったようです。
当時の寸法は、懐紙を竪に八等分にし、巾一寸八分・長さ一尺のものだったみたいです。
今では、巾二寸・長さ一尺二寸と、一回り大きくなっているそうです。
現存する最古の短冊は「宝積経要品紙背短冊」だとか。

ちなみに「紙背文書(しはいもんじょ)」又は「裏文書」というのは、
和紙の使用済みの面を反故(ほご)として、
その裏面を利用して別の文書(古文書)が書かれた場合に、
先に書かれた面の文書のことをいうそうです。
後で書かれた文書が主体となるので、
先に書かれた文書が紙背(裏)となるようです。

国宝『宝積経要品』について、ちょっと説明すると、
足利尊氏と、その弟・直義、夢窓疎石の三人による写経で、
直義が高野山金剛三昧院に奉納したそうです。
夢で得た「南無釈迦仏全身舎利」の十二文字を頭にする和歌を募り、
光厳院や足利尊氏・直義兄弟、兼好などが詠んだ和歌短冊百二十枚を貼り継いだ
『高野山金剛三昧院奉納和歌短冊』を紙背とするとのこと。

短冊の料紙は、鎌倉末期は杉原紙で白無地のの簡素なものだったようです。
室町時代以後、和歌の会で短冊を用いることが定着して、
素紙に雲形を漉き込んだ打曇紙(うちぐもり)がほとんどだったみたいです。
室町時代の末には、金泥・銀泥で下絵を描いたものが用いられたとか。
桃山時代には、華麗な装飾や下絵を描いたものが用いられたそうです。

読み:たんざく(せんりどうふう)
作品名:短冊(千里同風)
作者:而妙斎宗左

短冊(千里同風)
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「千里同風」とは、
世の中がよく治まっていて平和であること、
または、逆に世の中全体が混乱していることをいうときもあるみたいです。
「千里」は遠く離れた地域のこと、
「同風」は同じ風が国土の隅々まで行き渡っている意味なんだそうです。
この言葉の出展は『論衡』の第六巻「雷虚篇」のようです。

表千家第十四代家元の而妙斎宗左は、襲名以前は宗員と称していたみたいです。
第十三代即中斎の長男として1938年に生まれ、
1967年に大徳寺の方谷浩明老師より「而妙斎」の号を与えられて宗員となったようです。
1980年2月28日に十四代宗左を襲名したとのこと。
1990年の利休四百年忌には、法要をいとなみ茶事を催したそうです。


読み:たんざく(はくうんスイランをメグル)
作品名:短冊(白雲スイランをメグル)
作者:淡々斎宗匠

短冊(白雲スイランをメグル)
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「白雲繞翠密」の翠密(すいらん)は小さな山岳の事で、白雲が翠密を繞る(めぐる)様を表しているようです。

淡々斎碩叟は、1893年に東京で生まれた裏千家十四世家元。
十三世円能斎の長男で幼名は政之輔だったそうです。
三十歳で家元を継承し、1940年に淡交会を結成したようです。
また、1947年に国際茶道文化協会を設立し、茶道の海外普及につとめたとか。
後に紫綬褒章を受章しているみたいです。

ちなみに「淡交会」というのは、
@家元指導方針を会員が遵守。
A裏千家茶道の基本的な点前作法を全国的に統一。
B茶道文化に関する研究調査を行う。
C裏千家今日庵の目的事業の後援・振興ならびに茶道を修好する方々の研修・福利厚生を図る。
D日本文化の興隆発展に寄与する。
という目的を持っているそうです。

また「国際茶道文化協会」というのは、
日本の伝統文化茶道をもって、世界平和のために貢献し、
国際親善に寄与することを目的としているようで、
@世界各国に対する茶道の普及および紹介。
A茶道に関する展覧会、催事、映像などの企画制作および紹介。
B茶室の建築様式および庭園等の紹介。
Cその他茶道の宣伝普及に関する対外事業。
D青山グリーンアカデミーをはじめとした国内における茶道文化事業の育成および指導。
といった活動をしている団体みたいです。


作品名:短冊(山花開似錦)
作者:小林太玄師(直筆)

短冊(山花開似錦)
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「山花開似錦(山花開いて錦に似たり)」は、
中国宋代の禅僧・大龍智洪禅師が弟子の問いの応じたものだそうです。

『碧巌録』八十二則「大龍堅固法身」に
 「舉す、僧、大龍に問う、色身敗壊す。
 如何なるか是れ堅固法身。
 龍云く、山花開いて錦に似たり、
 澗水湛えて藍の如し。」
とあるみたいです。

意味は、
 「肉体が滅んだ後には永遠不滅の真理はどうなってしまうのか、
 と大龍に問うた。
 大龍は、山に花が咲いて錦のようだ、
 谷川の水は藍のようだ、と答えた。」
となるようです。


■弟子の考え
『般若心経』に「不生不滅」という言葉があるそうです。
この「不生不滅」というところから、「堅固法身」というのは、
生じることも滅することもなく、常住不変であるという、
悟りの境界(きょうがい)を言うそうです。

仏教では、死は決して終わりではなく、
生も死も、永遠の生命が常住していく上での、
存在形態の変化にすぎないとしているようです。

また、色身というは、人間の肉体のことみたいです。

弟子の問いは、
 「色身敗壊 如何是堅固法身
 (肉体が滅んだら全部終わりだ。
 どうすれば、永遠に変わらない状態を得ることができるのですか)」
ということになるでしょうか。

「肉体(色身)は滅するが、生命(法身)は不滅だ」と思っている弟子が
師匠の大龍禅師に、
「その通りだよ」と言ってほしくて問うた質問のようです。


■大龍禅師の教え
大龍禅師の教えの「堅固法身」を一言で言うと、
「色身即法身 法身即色身
(肉体が滅んでも輪廻転生して、生死を繰り返している。
存在形態を変化させて行くのだから、
永遠に変わらない状態などない。)」
ということだそうです。

このことを、自然の景色に例えて、
「山花開似錦 澗水湛如藍
(今美しく咲いている山桜は、一夜の嵐で吹き散ってしまう。
谷川に青々と湛えられている水もまたしかり。
これが、堅固法身ということだ。)」
と言ったみたいです。


作品名:短冊(白雲自去来)
作者:小林太玄師(直筆)

短冊(白雲自去来)
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「白雲自去来(はくうん おのずから きょらいす)」は、
『禅林句集』にある五言対句の
「青山元不動 白雲自去来
 (青山もと不動。白雲自ら去来す。)」
から来ているようです。

雲が次から次へと湧き起こり去来しても、
山は元の姿のままそこにあるように、
人間には本来、仏性があり、
これに気づくなら煩悩や妄想の雲に惑わされることはない、
という意味だそうです。


■仏性とは
仏性というのは、仏の性質・本性のことで、
主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理で「覚性」とも言うとか。
また『法華経』では、「仏種(仏に成る種)」、
『勝鬘経』では、「如来蔵」と言うようです。

天台宗の説に「十界互具(じゅっかいごぐ)」という言葉があるそうです。
これは、素質として誰しも、
以下の十種類の境界(きょうがい)を持っているとしたものみたいです。
 地獄界:いかりと苦悩の絶えない境界。
 餓鬼界:貧欲(とんよく)に囚われ、満たされない境界。
 畜生界:本能的欲望にしばられた境界。
 修羅界:異常な嫉妬・競争心に満ちた境界。
 人間界:人間としての穏やかな境界。
 天上界:先天的な福運により恵まれた境界。喜びの境界。
 声聞界:真理の探求に生きがいを持つ境界。
 縁覚界:一道一芸に秀でた境界。
 菩薩界:自らは悟りを求め、他を救わんとする慈悲の境界。
 仏界:完全な智慧で一切諸法の真実を知り得、大慈悲を持った境界。

この中の「仏界」を素質として持っているというのが、
仏性となるでしょうか。

『涅槃経』に
「大慈大悲は常に菩薩にしたがうこと影の形にしたがうがごとし。
一切衆生ついに定めてまさに大慈大悲を得べし。
このゆえに説きて一切衆生悉有仏性といえるなり。」
とあるとか。

「一切衆生」というのは、人間に限らず、この世に生を受けた
すべての生き物(草木国土など)も指すようです。


■仏法で仏になるとは
仏法というのは、生命の真実の相(すがた)を知ることで、
「成仏」という永遠に崩れない幸福境界を得る実践法なのだそうです。

問題は、過去世・現世・来世の三世に渡り、影響が出てくることで、
現世の状況しか見えない私たちには、よくわからないのが普通です。

そこで『法華経 薬草喩品』には
「現世安穏 後生善処
 (現世では安穏に生きることができ、来世も善い世界に生まれることができる)」
とあるそうです。

また、『法華経 普賢菩薩勧発品』に
「亦於現世 得其福報
 (また、現世に於いて其の福報を得ん)」
とあるようです。

『法華経 普賢菩薩勧発品』の偈には
「当於今世 得現果報
 (まさに現世に於いて現の果報を得べし)」
とあるみたいです。

つまり仏法上、仏性が生じ、成仏できる状態というのは、
現当二世に渡り大利益が現われることとなるのだとか。
この、現当二世というのは、現世と来世のことみたいです。

ちなみに、埼玉県狭山市には、庚申信仰の「現当二世安楽の供養塔」
というものがあるそうです。
仏法同様、現当二世の安楽を願って立てられたもののようです。


■白雲自ら去来す
茶道として見るとき、この語は、
 「時に迷い、時に留まることがあっても、
 茶の道に精進し、努力するとき、
 利休七則を自然と実践できる人物になっている。」
となるでしょうか。

利休七則は、茶道では、当たり前のことを伝えていますが、
それぞれ、以下のような心があるみたいです。
 茶は服のよきように:心をこめる。
 炭は湯の沸くように:本質を見極める。
 夏は涼しく、冬は暖かに:季節感をもつ。
 花は野にあるように:いのちを尊ぶ。
 刻限は早めに:心にゆとりを持つ。
 降らずとも雨の用意:やわらかい心を持つ。
 相客に心せよ:たがいに尊重しあう。

自分自身に迷い(白雲)が生じることがあると思います。
そんな時、ふと、
「青山元不動 白雲自去来」
を思い浮かべてみてください。
正しき道(青山)を見出す術が、必ず見つかるはずです。
答えは、きっと当たり前のように既にあるのですから。


作品名:短冊(且座喫茶)
作者:大橋香林師(直筆)

短冊(且座喫茶)
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「且座喫茶(しゃざきっさ)」は、
禅語というよりは、民間でも使われていた日常語で、
「まあ座ってお茶をおあがり」といった意味だそうです。

禅語「喫茶去(きっさこ)」と同じ意味みたいです。


■且座喫茶の由来
三聖慧然著『臨済録』に以下の話があるそうです。

 臨済が、とある三峰山に行った時、
 平和尚:「どこから来た。」
 臨済:「黄檗から来た。」
 平和尚:黄檗はどんな教えをする。」
 臨済:「金の牛が昨夜ひどいめに遭い、そのまま今になっても姿が見えない。」
 平和尚:「秋風に玉の笛を吹くようだ、誰がこれを聞き分ける人があろうか。」
 臨済:「あらゆる関門を透過した晴れ渡った大空のような境地にも留まらない。」
 平和尚:「おまえの答えは、たいへん高姿勢だ。」
 臨済:「龍が鳳凰の子を生み、青い大空を破くように翔けまわっている。」
 平和尚:「まあ坐って、お茶をおあがり。」

 平和尚:「ところでどこから来た。」
 臨済:「龍光。」
 平和尚:「龍光はちかごろどんな様子か。」
 臨済はさっさと立ち去った。

この、平和尚:「まあ坐って、お茶をおあがり。」の部分が「且座喫茶」です。

以下、少々難しい言い方になってしまうのですが、
禅宗は、特定の経典に依拠せず、「直指人心、見性成仏」
「教外別伝、不立文字」といった行(ぎょう)の宗教で、
特に、南宗頓悟の流れを汲む禅は、煩瑣(はんさ)な教理・教相の学や、
上品な表現を嫌い、端的に根源に迫ることを好むものなのだそうです。

つまり、禅家の用語は、具体的で日常生活に即した真理を愛し、
そうした端的な表現を愛するものみたいです。

そのため禅語は、禅宗の栄えた唐・宋時代の日常語や民間の俗語に基づくものが
少なくないようです。

今回の「且座喫茶」は、その典型例のようです。


■喫茶去の由来
ここでは、「喫茶去」について説明しようと思います。
以下、中国唐時代、禅僧の趙州の話だそうです。

 「曽って此間に到るや 曾って到る 喫茶去
 曾到るや 曾到らず 喫茶去」

 趙州:お前さんはかってここに来たことがおありかな?
 僧A:はい、以前にも参りました。
 趙州:さようか、ならばお茶でも一服おあがりなさい。

 またあるとき別の修行僧がやって来た。

 趙州:お前さんはかってここに来たことがおありかな?
 僧B:いいえ、ここに来たことはありません。
 趙州:さようか、ならばお茶でも一服おあがりなさい。


■茶の湯の本意
茶事は、究極的には「且座喫茶」に尽きるのかもしれません。

南坊宗啓著『南方録』の利休の言葉に
 「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也。
 是仏の教え、茶の湯の本意也。
 水を運び、薪をとり、湯を沸かし、
 茶をたてて、仏に供へ、人に施し、我ものむ。
 花をたて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也。」
とあるそうです。

めまぐるしく変わる世情。ストレスの絶えない社会。
茶事では、俗世から離れた一種独特の世界が広がります。

さて皆さんも、短冊を眺めながら、ゆっくり茶を飲み、
一息ついてみてはいかがでしょうか。
茶道の良さや、新たな一面が見えてくるかもしれませんよ。


作品名:短冊(閑座聴松風)
作者:前田昌道師(直筆)

短冊(閑座聴松風)
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「閑座聴松風(かんざしてしょうふうをきく)」は、
一切の雑念を捨て、静かに座ってただ松風の音を聴く。
という意味みたいです。

茶道で「松風」といえば釜の煮えの音ですが、
禅宗でいう松風とは、どんな音なのでしょうか。


■『寒山詩』の「微風吹幽松 近聴声愈好」
「微風吹幽松 近聴声愈好
(微風幽松を吹く 近く聴けば声愈好し)」は、
「閑座聴松風」の「松風」と同様の聴き方をしているようです。

意味は、
 自然と溶け合い、幽松の松籟を聴いている。
 自分が、いつのまにか松に、そして松籟となって、
 天地一枚の風光、境地にいる。
となるそうです。


■虚堂智愚の『聴雪』の偈「耳聞不似心聞好」
 寒夜風無く竹に声あり
 疎々密々松櫺(しょうれい)を透る
 耳聞(にもん)は心聞(しんもん)の好きに似(し)かず
 歇却(けっきゃく)す灯前半巻の経

「耳聞不似心聞好」は「耳聞に似(し)かず 心聞の好(よ)きに」
とも読むようです。

意味は、
 竹は雪の重みにしなりながらも耐えかねて、はね返し雪を払う音。
 寒夜の寂然の世界だからひとしお耳にひびいてくる。
 無心に降りしきる雪と竹は枝葉に重くのしかかる。
 積もる雪を
 「迷惑だよ」と払いのけるのか、
 「ごめんよ」といって払うのか
 竹の意思が聞がきこえる。
となるようです。

ここでの「聞く」というのは、
 自然の趣と言うのは単に、五感(眼・耳・鼻・舌・身)では分からない。
 心で聞き、心の眼で見ることがなければ、
 本当のところは分からないし、あじわえないものである。
となるみたいです。


■『臨済禅道歌』大燈国師の詩
鎌倉時代末期、宗峰妙超(大燈国師)は、
「耳に見て、目に聞くならば疑わじ、おのずからなる軒の 玉水」
と詠んだそうです。

意味は、
 吾吾凡人は目でみて、耳できいて判断するが、
 それだけでは先入観だらけで、物事の本質を見誤る。
 五感夫々の単独の働きだけでなく、
 五感の相互作用、 全人格で当たらないと本質理解には至らない。
という意味だそうです。


■馬麟「静聴松風図」
中国宋代に描かれた図だそうです。

前景に帽子をかぶり紗の衣をまとった高士がおり、
左足を折り曲げ右足を伸ばしている。
胸元はややはだけ、右手で軽く帯を掴んでいる。
その傍らの地面にはちり払いが置いてある。
高士は耳を澄まして何かに聞き入っているようで、
松葉や藤蔓が風に吹かれて翻り、
うねうねと流れ行く川や、
遠方に見える山々に囲まれた空間に松風の音が響いている。

この図には、
南宋の第五代皇帝、理宗の書「静聴松風」の下に「丙午」、
「御書」という印璽の押捺が二つあり、
左下に「緝熙殿宝」という印があるそうです。


■閑座聴松風とは
私は、茶席でただ釜の煮えの音、特に松風の音を聞いていると、
心が落ち着いてくる気がします。

禅の心は、まだまだ理解できませんが、この松風には、
まだ見ぬ、新しい味わい方があるように思います。


作品名:短冊(松風伝古今)
作者:細合喝堂師(直筆)
価格:5,000円

短冊(松風伝古今)
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「松風傳古今(しょうふうここんにつたう)」は、
松を吹きぬける風は、昔も今も全く変わらない。
それと同じように仏の心理の教えも、
太古から現在まで少しも変わることがない。
という意味だそうです。

季節を問わず使える短冊みたいです。


作品名:短冊(青山緑水)
作者:西垣大道師(直筆)

短冊(青山緑水)
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「青山緑水(せいざんりょくすい)」は、
『千江映月』から取られているようです。

龍牙居遁著『千江映月』に
「木食草衣心似月 一生無念復無涯
 若人居何処住問 青山緑水是我家」
とあるそうです。

意味は、
 木の実を食べ草の衣を着て生活すれば、
 自分の心も月と同じようになる。
 一生は無念にして またかぎりも無い。
 仮に、ひとから住居は何処かと問われたら、
 即座に青山緑水是我家と応える。
となるようです。

これは、方々を行脚する雲水(修行僧)の境涯を詠ったもので、
青々とした山、草木の緑が映える水、
この自然が自分の住処だと言っているのだとか。

春、木々は青々と輝き、草や水も生命力に満ち溢れています。
大自然の力強さ、新しい生命の誕生、木々から差し込む太陽のぬくもり。

茶葉は、自然の恵みから生まれます。
茶室の「青山緑水」に大自然を感じながら、
その恵みを味わうことが出来るのも、
茶道の醍醐味ではないでしょうか。


作品名:短冊
(夏雲多奇峯)
作者:久田宗也
備考:紙箱入

短冊(夏雲多奇峯)

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「夏雲多奇峯(かうん きほうおおし)」と読むようです。

陶淵明著『四時詩』の句
 春水満四沢:春水(しゅんすい)、四拓(したく)に満つ、
 夏雲多奇峰:夏雲、奇峰多し、
 秋月揚明輝:秋月(しゅうげつ)、明輝(めいき)を揚(あ)げ、
 冬嶺秀孤松:冬嶺(とうれい)、孤松(こしょう)秀(ひい)ず。
から取られたものみたいです。

意味は、
 春には、雪解け水が沢という沢に満ち溢れ、
 夏には、峰のような入道雲(積乱雲)がむくむくと湧き起こり、
 秋には、名月が皓々と輝き、
 冬には、寒々とした山嶺の中に緑の松だけが一本高くそびえている。
となるようです。

元々、顧ト之著『神情詩』の一部を陶淵明が取ったものみたいですが、
古来、陶淵明の『四時詩』としての方が通りが良いそうです。


■夏雲多奇峯とは
変わりやすい自分の心に対する怖れと、
厳しい現実に対する批判を含んでいるのだとか。

陶淵明が、在職わずか80日、みずから職を捨てて去る時の言葉で、
「五斗米のために腰を折って、
 拳々として郷里の小人に事うるあたわず」
というのがあるようです。

五斗米は、下級官吏の最高の俸給、
拳々は、大いに務めて励む姿、
郷里の小人は、同郷の先輩が、上役づらして威張る屈辱に、
自ら堪えられない気分を示すそうです。

張彦遠が『歴代名画記』で、気韻生動について述べているそうです。

気韻生動というのは、中国画の理想で、
生気が満ちあふれていることや、
気高い風格や気品が生き生きとしている様を指すのだとか。

美しい水、さわやかな空気、そして無限の空想を誘う白い雲、
それらの田園の風光。
家の周りに五本の柳を植え、五柳先生と名乗った陶淵明。

仕事を辞め、新たな生き方を模索した陶淵明は、
この気韻生動を、現実世界で目指していたのかもしれません。


■文献
張彦遠著『歴代名画記』画の六法を論ずに、
「台閣・樹石・車輿・器物に至り手は、
 生動の擬す可きなく、気韻のたぐう可きなし。
 直(た)だ、位置向背を要するのみ。
 顧がい之曰く、
 人の画くこと最も難く、
 次ぎは山水、次ぎは狗馬なり。
 その台閣は一定の器なりのみ。
 差や為し易きなり、
 と。
 斯の言これを得たり。
 鬼神・人物に至りては生動の状(うつ)す可きものあり。
 神韻を須ちて後全し。
 若し気韻周(あま)ねからざれば、
 空しく形似を陳べ、筆力未だつよからず、
 空しく賦彩を善くすれば、
 妙に非ずと謂うなり。」
とあるそうです。



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