茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

風炉ってこんなの

風炉は、鎌倉初期に南浦紹明が、
仏具である台子などと共に中国から持ち帰ったとのこと。
以来、 村田珠光 が四畳半に初めて炉を切り、
武野紹鴎千利休 が炉の点前を定めるまでは、
茶の湯は四季を問わず風炉を用いていたそうです。
この頃の風炉は、唐銅の切掛風炉だったようです。

現在は、5月〜10月までを風炉の季節、
11月〜翌年4月までを炉の季節としているようです。

この二つの大きな違いは、湯をどのように沸かすか(釜をどのように懸けるか)
というとだそうです。
風炉の季節には、風炉を据えて釜を懸けるのに対し、
炉の季節は茶室に炉を切って釜を掛けます。
そのため、風炉は点前の種類や使う道具により据える位置が変わるのだとか。


■千家十職 永樂善五郎
千家十職の土風炉・焼物師(永樂善五郎家)の初代西村宗禅は、
奈良西ノ宮で土風炉を造っていましたが、二代目宗善の時に堺へ
三代目宗全の時に京都へそれぞれ移住するそうです。

さて、初代宗禅は「西京西村」に住んで春日大社の供御器を作っていて、
西村姓を名乗っていたようです。
晩年、堺の武野紹鴎の依頼で土風炉を作るようになり、
土風炉師・善五郎を名乗るようになるとか。
この土風炉を俗に「奈良風炉」というそうです。

三代目宗全は、小堀遠州の贔屓を受けて「宗全」の銅印を賜り、
以降、九代宗巌まで、この印を土風炉に捺印するのだとか。
これを「宗全風炉」と言うみたいです。

四代宗雲の時代には、土風炉が松江重頼編『毛吹草』などにも描かれるほど、
茶の湯者からの需要も多くなったようです。

十代了全は、土風炉の他、茶陶の分野にも進出するみたいです。
了全は、幼年期に両親と死別し、三千家の庇護のもと、育つようです。
非常に器用だったそうで、土風炉の他、灰器・火入などを製作、
交趾釉の研究に力を入れ、「向付」「香炉」「花入」なども製作してたとか。

十一代保全は、永樂焼の家祖だそうです。
交趾・染付・金襴手・赤絵などを用いた華やかな意匠で、
独自の茶陶を開拓するみたいです。
また、紀州徳川家徳川治寶公から「河濱支流」の金印と
「永樂」の銀印を賜ったようです。


■風炉の灰
風炉に灰を盛るのは、火気を盛んにするためと、
風炉中に景色を添えるためだそうです。

風炉の形状に応じて、
「二文字押切」「丸灰掻上」「丸灰押切」「丸灰掻き上げ」
「遠山」「向一文字前谷」の六種類の灰形を基本とするようで、
掻上をしない灰は、形をととのえた最後に、八卦の水の坎(かん)を書き、
薪灰をして仕上げるみたいです。


■風炉の種類
風炉は、その材質から、土を焼いて作った「土風炉」
「唐銅風炉」「鉄風炉」「板風炉」があるようで、
風炉の各部により、
「火口」には木瓜・丸・三角・四角・菱・扇面・団扇・松皮菱・香炉・末広など
「鐶付」には鬼面・獅子面・竜・象・賽・はじき・遠山・松笠・法螺貝・兎・蝙蝠・蝶など
「足」には乳足・軸足・象足・鬼面足・獅子面足・蝶足・唐子足・丸足など
があるそうです。

使用の別では、
五徳を使わず直接風炉の肩に釜をかける「切掛風炉(切合風炉)」
火鉢形で透木を用いて釜をかける「透木風炉」
風炉の中に五徳を据えて釜に掛ける風炉
があるみたいです。

また、その種類によって灰型を使い分け、
火口を引きしるための装飾と
点前座のほうへ火気が発散しないように前土器(前瓦)を用いるようで、
台子・長板・半板・自在棚以外で風炉を据えるときは、
必ず敷板の上に据えるそうです。

一応、土風炉が「真」、唐銅が「行」、
鉄風炉・板風炉・陶磁器が「草」となっているようです。

土風炉には、透木風炉・紹鴎風炉・道安風炉・面取風炉・紅鉢風炉・
四方風炉・鳳凰風炉・色紙風炉・箪瓢風炉、
唐銅風炉には、鬼面風炉・ 朝鮮風炉・琉球風炉・鳳凰風炉などがあるようです。

近松茂矩著『茶湯古事談』には、
秀吉より天下一号の御朱印を下された
初代と二代目の惣四郎の話が載っているとのこと。


■古田織部の拝見

茶の湯入門書『草人木』に 古田織部 のこんな話があるようです。

織田有楽 が、 古田織部 を台子点前に招いたとき、
道具は四つ飾りの二つ置き合わせ、
水指は天下無双の「龍頭」だったそうで、
通常は「水指を拝見する」必要があったみたいです。

ところが 織部 は、水指は拝見せず
「風炉の中を拝見したい」
と所望したとのこと。

不思議に思った 有楽 は勝手の間に入ってから中をのぞいていると、 織部 は、
台子に頭を入れ、風炉の中をのぞき、
炭の熱で頭を引いた時に台子の天板に頭をぶつけて、
二つ置の道具が崩れてしまったのを直してから出ていったそうです。

これにより、 織部
「さっぱり茶の湯の学問がない」
と世間に言いふらされたみたいです。

教訓として、
「名人でも習ってないことではこうなる。
普通の人は、ただ人がしていることを見るだけでは、
何事もしてはならない。
その道が好きならば、その道一筋の師匠の教えを受けるべきです。」
と結んでいるそうです。


■中水をさすとは

稲垣休叟著『松風雑話』にこんな話があるようです。

風炉の茶の湯で中水をさす、ということは、
利休からはじまったことです。

利休が急な来客に茶を点てたとき、
茶碗に茶をすくい入れたあと、
水指の水を柄杓でたっぷり汲み、
釜に入れたことから、
中水をさすという、
このことが何の理由もなく流行しました。

ある人がこの中水を不思議に思い、
その意味を利休に尋ねたところ、
「そのことですが、
その日の朝に急な来客があり、
釜の湯が足りなかったので、
湯を改める意味で水をさしたのです。

定めとして、中水をさすということが、
決してあるわけではありません。

お尋ねがなければ申さなかったことですが、
よく尋ねてくださいました。」
と喜んだといいます。

これを尋ねた人とは、
高山右近芝山監物であったとか。


■風炉は季節を問わない

もうひとつ稲垣休叟著『松風雑話』から、こんな話を。
千道安 は、春のある日、 蒲生氏郷細川三斎芝山監物千利休 の、
四人を茶会に予約したそうです。
その前日、 千利休 が訪ねたのですが、 道安 は留守でだったようです。

利休 は何を思ったか、準備が整っていた茶席の、炉中の灰を炉辺に散らし、
その上、炉壇を欠いて帰ってしまったそうです。

その後、帰宅した 道安 は、少しも驚くことなく、畳を敷き替えさせ、
風炉の趣向にして客を招くことに したそうです。

翌日、客は「今頃の季節に風炉の茶は少し早すぎるのでは。」というと、
利休 は、
「風炉は季節を問うものではない。亭主は、茶の湯の功をよく積んだものとみえる。」
と褒め、
道安は、 お歴々衆に初春のお茶を差し上げるのに、
昨年からの古くなった炉では、春の季にふさわしくないと思い、
風炉にしたのだろう。
その作意は見事だと思う。」と言ったそうです。

現在、風炉は立夏前後から立冬前後まで用いますが、
冬でも炉のないところでは風炉を用いるようです。


■『源流茶話』より
薮内竹心著『源流茶話』にこんな話があるそうです。
昔は、鉄や唐銅の眉のある風炉ばかりでした。

金風炉は熱を含むため、暑い季節の小間では熱が伝わります。
そのうえ、眉があるため、中の炭や、灰の様子が見えず、
なんの風情もありませんでした。

利休は土風炉を考案し、奈良の西京に住む土風炉師の
宗四郎(法名宗善)につくらせ、炭や灰の作法を定めました。

風炉は、大風炉、中風炉、小風炉をつくるようになり、
風炉の形はなつめ、阿古陀形、雲龍形が、
風炉の足は袋足(乳足)、軸足ができました。

その後、織部遠州宗和は、
おのおの好みの風炉をつくりました。


■その他の文献
『茶具備討集』に
「風炉 ○奈良(ナラ)風炉 ○銅(カナ)風炉 ○頬当(ホウアテ)風炉
当世数寄者所言 ○乳足(ニウソク) ○軸足(ジクアシ)」
とあるようです。


■土風炉などの一覧表
以下、土風炉・唐銅風炉・鉄風炉・板風炉について一覧にしてみようと思います。
-------ページ内リンク-------

○土風炉
 眉風炉  透木風炉  紹鴎風炉  頬当風炉  道安風炉  面取風炉  雲龍風炉  紅鉢風炉  四方風炉  箪瓢風炉  雲華風炉

○唐銅風炉
 鬼面風炉  朝鮮風炉  琉球風炉  色紙風炉  鳳凰風炉

○鉄風炉
 鉄丸釜風炉  鉄道安風炉  鉄鬼面風炉  窶風炉

○板風炉
 板風炉
風炉名説明関連文献
土風炉眉風炉
(まゆぶろ)
火窓の上が風炉の口までいかず繋がっていて、
透かしになっている風炉。

眉風炉は、「真」の風炉とされる。
『正伝集』に
「眉ありの風炉と云は、金風炉の口の如く、
上へ切り揚げず、前に狭間を開きたるを云也。
眉ある風炉は多分透木据にする也。
是を真の台子の時用ふと也。
透木据の風炉の内は、廻りに畦を立て、
丸く灰を置廻し候也。前土器は如常立る也。
頬当風炉は、軸足にして多分五徳据也。
是を草の風炉と云也。
当世数多く有之風炉にて子細なし。
但し眉有に軸足もあり、頬当に乳足もあり、
大方は古より定置候共、時節の作意次第と心得べし。
故に宗易時代より以来、口の差別なしに乳足にも、
軸足にも、好みに任せ候也。」
とあるようです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「四方フロ 大小とも利休かた、大は眉なし、小は眉あり」
「鶴首フロ 利休かた、芦屋名物の八寸余の鶴首カマに合せ好み有、
之ゆへ今の鶴首にはフロの格好少し大ぶり也、眉あり、軸足」
とあるみたいです。
透木風炉
(すきぎぶろ)
土風炉で上縁の幅が広く平面になっている風炉。

上縁の部分に透木を置いて、
釜を据えるところからこの名がある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「透木フロ 昔は五徳すくなし、透木フロは珠光より始る」
「四方フロ 大小とも利休かた、大は眉なし、小は眉あり」
「紹鴎フロ 真のフロとも云ふ、
紹鴎の時代より五徳始てできるなり、
外に真のフロと云ふあり、これは透木フロより少し大也、
上の明き鳳皇フロとおなし、何れも軸足」
「鶴首フロ 利休かた、芦屋名物の八寸余の鶴首カマに合せ好み有、
之ゆへ今の鶴首にはフロの格好少し大ぶり也、眉あり、軸足」
とあるようです。
紹鴎風炉
(じょうおうぶろ)
眉風炉で、やや大きめで軸足、
眉の切り方が角ばった形で、
上縁は透木風炉のように平面で幅が狭い風炉。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「紹鴎フロ 真のフロとも云ふ、
紹鴎の時代より五徳始てできるなり、
外に真のフロと云ふあり、
これは透木フロより少し大也、
上の明き鳳皇フロとおなし、何れも軸足」
とあるようです。
頬当風炉
(ほおあてぶろ)
火口の上部が切れている風炉で、
乳足が多く、奈良風炉ともいわれる。

顎から両頬にかけて、
顔面下方を保護するための、
甲冑の小具足である頬当に似ているところから、
この名がある。
『正伝集』に
「頬当風炉は、軸足にして多分五徳据也。
是を草の風炉と云也。当世数多く有之風炉にて子細なし。
但し眉有に軸足もあり、頬当に乳足もあり、
大方は古より定置候共、時節の作意次第と心得べし。
故に宗易時代より以来、
口の差別なしに乳足にも、軸足にも、好みに任せ候也。」
とあるようです。
道安風炉
(どうあんぶろ)
口は折口で、胴はほぼ垂直でわずかに膨らみを帯び、
鐶付はなく、火口は口から腰まで大きく刳り、
底は浅い丸底で、腰の低い足をつけた風炉。

道安風炉は、土風炉を写した
唐銅風炉・鉄風炉もある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「道安フロ 軸足、道安好、何れのカマに合せしや知らず、
千家には大ばかり也、少庵所持巴蓋のカマ道安フロに取合すよし」
とあるようです。
面取風炉
(めんとりぶろ)
火口の上部が切れている前欠の上縁の角を、
削り取った形の風炉。

初期の利休好みの風炉に面を取った「利休面取風炉」や
道安風炉の面をとった「面取道安風炉」などがある。

面取風炉は、土風炉を写した
唐銅風炉・鉄風炉もある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「面フロ 大小共利休形、何れの釜にも用ゆ、
小の方如心斎好、二つとも軸足、如心斎好は竹台子によし」
とあるようです。
雲龍風炉
(うんりゅうぶろ)
火口は前欠きで大きく丸く括られ上端が、
少し内側に巻き込まれて、
胴は柔らかい丸みを帯び、
鐶付がなく、底は浅い丸で、乳足の風炉。

雲龍風炉は、土風炉を写した唐銅風炉もある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「雲龍フロ 大小とも利休かた、乳足」
とあるようです。
紅鉢風炉
(べにばちぶろ)
火窓を半円形に切った擂鉢形の風炉。

紅の顔料を摺る鉢の形に似ているところから、
この名がある。

紅鉢風炉は、鉄や陶製のものもある。
四方風炉
(よほうぶろ)
四方形の風炉で、利休形は大小あり、
軸足で、大は眉がなく、小は眉がある。

四方風炉は、唐銅風炉・鉄風炉にもある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「四方フロ 大小とも利休かた、大は眉なし、小は眉あり」
とあるようです。
箪瓢風炉
(たんぴょうぶろ)
上部の膨らみが大きく、下部の膨らみが小さな、
瓢箪の逆さまにしたような形で、火口が前欠きになった風炉。

箪瓢風炉は、唐銅風炉・鉄風炉にもある。
雲華風炉
(うんげぶろ)
白色の素地にぼやけた黒斑を出した、
運華焼(うんげやき)で焼かれた風炉。

運華焼(うんげやき)は、
表面に雲がかかったように、
黒や灰色のむらを出したもの。
唐銅風炉 鬼面風炉
(きめんぶろ)
切合(きりあわせ)で、乳足(ちあし)、
鐶付が鬼面で仕付鐶になった風炉。

中国より渡来した最も古い形といわれ、
真正の風炉。
台子(だいす)に用いられ、台子風炉とも呼ばれた。

鬼面風炉は、鉄のものもある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「金風呂 金フロの始りは唐物鬼面乳足台子風炉也、
南浦紹明持渡り崇福寺より大徳寺へ伝来す、
後、応仁の乱に焼失す、このフロの鐶付鬼面にあらす、
鳳凰のよし、とさかあり、灰は押きり也」
とあるようです。
朝鮮風炉
(ちょうせんぶろ)
肩の張った切掛風炉で、三つ足がやや長く、
上部の立ち上がりに透し紋、
前後に香狭間透の眉がある風炉。

古くは寺院の香炉を転用したものか、
形を写したものではないかともいわれる。

真形釜を合わせるのが約束とされている。
琉球風炉
(りゅうきゅうぶろ)
切掛風炉で、欄干の付け根に段があり、
前後に香狭間(こうざま)の窓がある。
丸肩で胴部が短く、長い乳足(ちあし)をもつ風炉。

表千家六世覚々斎原叟宗左が、
唐銅琉球風炉に「田口釜」を添えている。

表千家十二世惺斎好の壷々透唐銅琉球風炉や、
唐錦琉球風炉などがある。

大西美術館に北向道陳所持という、
この形状の「立休庵風炉」があり、
「立休」が「琉球」と呼ばれるようになった
という説もある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「琉球風炉 原叟琉球作のフロに田口釜を製しもちゆ、
灰二文字おしきりなり」
とあるようです。
色紙風炉
(しきしぶろ)
丸みのある胴に乳足がつき、
口が色紙形に切り込まれている風炉。

遠州好みといわれ、定林の作が知られている。

欄干の透かしのあるものと、
ないものがある。
鳳凰風炉
(ほうおうぶろ)
側面に鳳凰の文様を鋳出した風炉。

本歌は表千家四世江岑宗左の息女が、
紀州家の家臣へ嫁がれる時に、
持参した調度の一つとして好まれたもので、
唐物薬缶を懸けたと伝えられている。

表千家六世覚々斎原叟が百佗釜を、
七世如心斎が累座富士釜を添えている。

裏千家八世又玄斎一燈宗室が
阿波焼で好んでいる。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「鳳凰風炉 江岑の息女を紀州の家中某へ嫁せられし時、
居間台子のフロに好まれたるもの也、
唐物の薬缶を懸る、其後故ありて不縁になり、
手道具尽く千家へ返る、
如何なるにや風炉のみ千家に伝はり、
薬缶はさつまやの所持となる、
今浄益にて写を製す、
鳳凰の模様は台子フロの鳳凰を全身にしたるもの也、
その後原叟百佗をを仕くはせ用ひられてより茶事に用るようになりたり、
如心斎は累座富士を製し此フロにもちゆ、灰二文字にノ蒔灰」
とあるようです。
鉄風炉 鉄丸釜風炉
(てつまるがまぶろ)
丸釜に添えられた、鉄製で軸足の前欠風炉。

利休形で大小がある。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「鉄丸カマ風炉 鉄、与二郎作、
尤大ぶり、千家伝来、利休所持、如心斎箱書付」
とあるようです。
鉄道安風炉
(てつどうあんぶろ)
軸足の前欠風炉で、土風炉の道安風炉を写したもの。

表千家八世そつ啄斎が初めて好んだ。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「同道安フロ 千家にては?啄斎始て製す、
土フロ道安形よりは少し小ふり也」
とあるようです。
鉄鬼面風炉
(てつきめんぶろ)
切合(きりあわせ)、乳足(ちあし)、
鐶付が鬼面で仕付鐶になった、唐銅鬼面風炉を写した風炉。

表千家六世覚々斎原叟が腰万字釜に合せて好んだ。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「鬼面フロ 尤古きカタあれども千家にては原叟好、
香サマ、浄味作始り也、腰万字、灰かきあげ」
「腰萬字 原叟好、丸釜、切かけ、
こしに卍字有て覚々斎の字あり、
鬼面鐶付、鉄の鬼面風呂に添ふ、浄味作」
とあるようです。
窶風炉
(やつれぶろ)
風炉の欄干や口縁部などが破損したり、
欠けたり、割れを鎹で継いだりした風炉。

鉄風炉は腐食で口縁部や甑などが、
欠け落ちることが多いが、
茶人はそこに風情を見出して、
そのままか、割れを継いだり、
破れに鎹を打って、
その詫びたさまを景色として賞して使われた。

大きな鬼面風炉の姿が多く、
元来が釜と切合であったものを、
風炉の上端を打ち砕いて欠き、
異なった釜を掛けるようになったとか。

江戸中期以降は最初からやつれたものに作ることが多く、
十月の名残のころに使用される。
板風炉
(いたぶろ)
四方を板で囲い内側を炉のように壁土を塗った風炉。

利休が小田原陣中で好んだのが始まりといわれる。

利休好みは、杉材で土壇を丸く塗り上げたもの。
宗旦好みは、桐材で土壇を角に塗り上げたもの。
表千家六世覚々斎原叟好みは、
松材で上板を四方切り落とし二つに割ったもの。

風炉灰ではなく炉灰を使い、五徳は使わず透木を用い、
名残の茶事などに使われる。

別途、板風炉のページでも説明しています。
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「板風炉 利休小田原陣中にてこのむと云ひ伝れども
千家にては元伯土斎へ好み遣すが始なり、
杉木地塗上け、五徳なし透木、
原叟は百佗を合す、初に用し釜は不知」
とあるようです。

作品名:眉風炉(真塗)
作者:月松斎
寸法:尺0
備考:紙箱入

眉風炉(真塗)
※画像を押すと拡大できます。
眉風炉(まゆぶろ)は土風炉(どぶろ)の一種で、
火窓の上が風炉の口までいかず繋がっていて、
透かしになっている風炉です、火窓の上部と口縁との間のつながった部分が、
眉に似ているところからこの名があるのだとか。

現在は、暑い時期に、火気がなるべく客に感じられないように、
使われることが多いみたいです。


■土風炉(奈良風炉)
土を焼いて作った風炉のことで、本体は土器や瓦のように素焼で、
それを丹念に磨き上げたり、漆を塗ったりして仕上げるそうです。

村田珠光が奈良の春日大社の神器をつくる土器師に作らせたのが、
はじめのようです。

土風炉は、「唐銅切合風炉」の形状を模した眉風炉「透木風炉」から始まり、
「紹鴎風炉」⇒「利休形眉風炉」⇒「前欠風炉(頬当風炉)」
 ⇒「利休面取風炉」「道安風炉」「道安面取風炉」
などが作られたそうです。

土風炉は、眉のあるものを「真」、
眉のないものを「行」とするみたいです。

谷川士清著『倭訓栞』に
「ふろ 風炉と書り、茶炉也、
奈良風炉あり、西土にいふ運泥炉にして土風炉也」
とあるそうです。


作品名:唐金道安風炉
作者:一ノ瀬宗也
価格:28,000円
備考:木箱入

唐金道安風炉
※画像を押すと拡大できます。
道安風炉(どうあんぶろ)は、土風炉の形状のひとつのようです。
土風炉を写した唐銅風炉・鉄風炉もあるみたいです。

口は折口で、胴はほぼ垂直でわずかに膨らみを帯び、
鐶付はなく、火口は口から腰まで大きく刳り、
底は浅い丸底で、腰の低い足をつけた風炉だとか。

千道安が好んだところからこの名があるそうで、
「前欠風炉」や「前切風炉」とも言うようです。


■唐銅風炉
唐銅風炉は、銅・錫・鉛で鋳造した風炉で、台子とともに伝来した、
仕付鐶のついた「鬼面風炉」がはじめだそうです。

後に鐶をはずしたものが「切掛風炉」となり、
さらに肩が張った足の長い「朝鮮風炉」、やや撫肩で足の短い「琉球風炉」がつくられ、
土風炉の形を写した「道安風炉」「面取風炉」「雲龍風炉」「透木風炉」や、
「色紙風炉」「鳳凰風炉」「老松風炉」「つぼつぼ風炉」「夕顔風炉」などの
好みものなど多様の風炉が制作されるようなったとか。


作品名:五行棚

作品名:雲龍釜
作者:高橋敬典

作品名:真塗紅鉢 尺0

五行棚
※画像を押すと拡大できます。
紅鉢風炉(べにばちぶろ)は、土風炉(どぶろ)の形状のひとつだそうで、
火窓を半円形に切った擂鉢形の風炉のようです。

紅の顔料を摺る鉢の形に似ているところからこの名があるとか。


■土風炉
土風炉は、土を焼いて作った風炉で、
本体は土器や瓦のように素焼で、それを丹念に磨き上げたり、
漆を塗ったりして仕上げるそうです。

写真の五行棚には、土風炉を使うことが約束となっているみたいです。

土風炉は、村田珠光が奈良の春日大社の神器をつくる、
土器師に作らせたのが、始めだそうで、
「奈良風炉」とも言うようです。

土風炉は、眉のあるものを「真」、
眉のないものを「行」とするとか。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「土風呂は金フロより後也、
金風呂は至て古し、
風呂のわれ損したるをつくろうにカスガヒうつ事あり、
梅はち也、宗全好、張ふろは渋紙に張る也、
宗匠へ尋ね張様心得申げみ也」
とあるそうです。

『倭訓栞』に
「ふろ 風炉と書り、茶炉也、
奈良風炉あり、西土にいふ運泥炉にして土風炉也」
とあるようです。


■雲龍風炉
また、雲龍釜を載せるために造られた、
雲龍風炉(うんりゅうぶろ)というものもあるそうです。
通常、土風炉だそうですが、唐銅や鉄風炉もあるようです。

雲龍風炉は、上端が少し内側に巻き込まれて丸く、
胴は柔らかい丸みを帯て、底は浅い丸みたいです。
火口は前欠きで、口から胴に大きく丸く括られているとか。
乳足で鐶付はなく、灰は二文字に限るそうです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「雲龍フロ 大小とも利休かた、乳足」
とあるようです。

※紅鉢風炉の説明はこちらにもあります。


作品名:唐金朝鮮風炉釜
作者:金森紹栄(風炉)
備考:木箱入

唐金朝鮮風炉釜
※画像を押すと拡大できます。
朝鮮風炉は、
肩の張った切掛風炉で、三つ足がやや長く、
上部の立ち上がりに透し紋、
前後に香狭間透の眉がある風炉だそうです。

朝鮮風炉は、古くは寺院の香炉を転用したものか、
形を写したものではないかといわれているとか。

朝鮮風炉は、真形釜を合わせるのが、
約束とされているみたいです。


■炭手前での扱い
朝鮮風炉の場合、通常の風炉と違う扱いをするようです。

掃き方は、初掃で、眉風炉の中掃のように、
風炉の上を、左・右・手前の順で掃き、
眉風炉の中掃では、眉の部分は掃きませんが、
朝鮮風炉では掃くそうです。

後掃も、風炉の上を、左・右・手前の順で掃き、
眉の部分は、眉風炉の後掃同様、
左・右・手前の順みたいです。

他に、切掛風炉・琉球風炉も、
同様に扱いが特殊みたいです。



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