茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

棚(棚物)ってこんなの

棚は、台子・大棚・小棚・仕付棚・箪笥に大別されるそうです。

日本の棚の歴史は、真台子が日本にもたらされたことから始まるようです。

筑前大宰府崇福寺の開山、大応国師(南浦紹明和尚)は、
南宋理宗皇帝の時代、径山寺虚堂智愚に参じ、
文永四年印可を受けて、帰国する際、
真台子を崇福寺に持ち帰ったそうです。

皆具一式と共に伝わったこの唐物台子は、法嗣大燈に譲られ、
その後、夢窓国師の手に渡り、今日の台子点茶の式が始まるとのこと。
残念ながら、この唐物台子は現在、所在不明だそうです。


■本ページで紹介する棚物
以下は、本ページで紹介している棚物のページ内リンクです。
-------ページ内リンク-------
-------あ行の棚-------
=====旭棚=====   =====荒磯棚=====  
=====糸巻卓=====   =====糸巻棚=====   =====糸巻二重棚=====   =====糸巻透二重棚=====   =====銀杏棚=====  
=====鱗透二重棚=====   =====鱗棚=====   =====梅棚=====   =====烏帽子棚=====   =====雲鶴棚=====  
=====円叔棚=====   =====圓叔棚=====   =====円意棚=====   =====円融棚=====   =====円融台=====   =====円融卓=====  
=====圓能卓=====   =====猿臂棚=====   =====扇棚=====   =====澤潟棚=====  
=====大板=====   =====お壺棚=====   =====温古棚=====   =====折据棚=====   =====大内棚=====  

-------か行の棚-------
=====霞棚=====   =====加寿美棚=====   =====寒雲棚=====   =====寒雲卓=====   =====花月棚=====  
=====佳辰棚=====   =====角棚=====   =====冠棚=====   =====冠台=====  
=====桐小卓=====   =====木屋町棚=====   =====起風棚=====   =====及台子=====  
=====及第台子=====   =====菊寿棚=====   =====吟楓棚=====  
=====桑小卓=====   =====桑扇棚=====  
=====玄々棚=====   =====源氏棚=====  
=====寿棚=====   =====江岑棚=====   =====高麗卓=====   =====高麗台子=====   =====小袋棚(表)=====   =====小袋棚(武)=====  
=====香狭間棚=====   =====小四方棚=====   =====好日棚=====   =====好文棚=====   =====更好棚=====  
=====五行棚=====   =====五行台子=====   =====御車棚=====   =====独楽棚=====   =====行雲棚=====  

-------さ行の棚-------
=====三重棚=====   =====三友棚=====   =====三和棚=====   =====山雲棚=====  
=====秋泉棚=====   =====仕掛棚=====   =====志野棚=====   =====鐘楼棚=====   =====紹鴎水指棚=====  
=====紹鴎棚=====   =====紹鴎袋棚=====   =====七宝棚(裏)=====   =====七宝棚(武)=====   =====真台子=====  
=====自在棚=====   =====品川棚=====   =====知新棚=====   =====春秋棚=====   =====尚歌棚=====  
=====七宝卓=====   =====寿扇棚=====  
=====杉棚=====   =====末広棚=====  
=====扇面棚=====   =====清友棚=====   =====清和棚=====  
=====宗甫棚=====   =====宗和箪笥=====  

-------た行の棚-------
=====玉椿七宝棚=====   =====竹台子=====   =====溜塗二重棚=====   =====台目棚(表)=====   =====台目棚=====  
=====旅卓=====   =====短冊箱=====   =====短冊箪笥=====   =====旅箪笥=====   =====丹頂棚=====   =====誰袖棚=====  
=====竹寿棚=====   =====茶箱=====   =====知足棚=====   =====千歳棚=====   =====中央卓=====  
=====壺々透二重棚=====   =====壷々棚(武)=====   =====壺々棚(裏)=====   =====徒然棚=====   =====爪紅台子=====  
=====鐵中棚=====   =====点茶盤=====  
=====巴棚=====   =====遠山棚=====  

-------な行の棚-------
=====業平棚=====   =====長板=====   =====日月棚=====   =====渚棚=====  

-------は行の棚-------
=====蛤卓=====   =====蛤棚(武)=====   =====蛤棚(裏)=====   =====半台子=====   =====半板=====   =====八景棚=====  
=====瓢棚=====  
=====富貴棚=====   =====袋棚=====   =====文化棚=====  
=====平生棚=====  
=====蓬莱卓=====   =====抱清棚=====   =====豊祥棚=====   =====方円卓=====  

-------ま行の棚-------
=====木瓜棚=====   =====萬寿棚=====  
=====妙喜庵卓=====   =====三木町棚=====   =====水指棚=====   =====御幸棚=====   =====御園棚=====  

-------や行の棚-------
=====矢筈棚=====   =====焼桐棚=====   =====山里棚=====   =====八千代棚=====  
=====葭棚=====   =====四方棚=====   =====四方卓=====   =====吉野棚=====  

-------ら・わ行の棚-------
=====利休箪笥=====   =====利休水指棚=====   =====利休台目棚=====   =====利休袋棚=====   =====利休堂棚=====  
=====嶺雲棚=====   =====溜精棚=====   =====和親棚=====  


■台子とは
ここでは、台子について説明します。

台子には、「真台子」「及台子」「爪紅台子」
「桑台子」「竹台子」「高麗台子」などがあるとのこと。
台子にも真・行・草があり、
それぞれ「真台子」「及台子」「竹台子」とされているようです。

1267年に南浦紹明が宋の径山寺から持ち帰ったものが、
後に京都の大徳寺に渡ったそうで、
これを天竜寺の夢窓疎石が点茶に使用したのが始めみたいです。

足利義政 のころに 村田珠光能阿弥 らともに台子の寸法や茶式を定めたようで、
「書院の台子飾」などは、能阿弥が「書院の七所飾」を参考にしたものだそうです。

ちなみに「書院の七所飾」は『太平記』によると、
導誉が南朝方の軍勢に攻められて都落ちするとき、
茶道具一式を飾りつけ、寄せ手の将に一献をすすめたことがその始まりだそうで、
その時は、本尊・脇絵・花瓶・香炉などの茶道具、
また王羲之の草書の偈と韓退之の文を対幅にしたものだったようです。

松屋家著『松屋会記』の1537年部分に、台子の記述が始めて出てくるそうで、
以降、津田宗凡著『天王寺屋会記』では、津田宗達が流行らせたとあるみたいだけど、
これは自由な飾りを中心としたものだったためか、すぐに廃れてしまったとか。

千利休 の頃には、 利休 の台子点前を 豊臣秀吉 が秘伝として、
ごく限られた者(台子七人衆)に伝授を許したりしたものだから、以降、
台子点前がごく特別なものと位置付けられるようになったようです。

千利休 が台子を使ったという記録はわずかに三回しかないそうで、
古田織部小堀遠州片桐石州 は、
いずれも将軍献茶に台子を用いていない上、
遠州 は、一度も台子を茶会に使わなかったらしいです。

このような経緯からか、逆に台子を高尚なものに押し上げ、
皆伝の証としての台子点前という位置付けが成立していったとかいかないとか。

千宗旦 の頃になると、流派ごとに飾りつけが違うようになっていったみたいです。

○台子の点前

『茶話指月集』にこんな話があるそうです。

 ある時、関白秀吉公がはじめて利休に、
 台子の茶の湯をするようにおっしゃいました。
 その頃には辻玄哉という茶人が古流の台子の法を知っていました。

 利休は玄哉のところへ行き、古流の点前を習い、
 秀吉公の御殿で台子の茶の湯を披露しました。

 秀吉公がご覧になった後に、
 「自分も昔、台子を習ったが、
 そなたの方法は古来の格に合わない所がある。
 どうしたことか。」
 と問いただされました。

 利休は、
 「古流には、そこここに格が多すぎて面白くありませんので、
 少し略していたしました。」
 と申し上げました。

 秀吉公は、
 「古流を知った上でのことならば、
 省略するのはもっともなことだ。」
 と同感された。
 「今後、茶をたしなむ者は、
 利休の台子の法を習うように」
 とおっしゃって、かえってお褒めにあずかりました。

 それより後、千家では、
 古流の茶法ではなく、利休の流を伝承するようになりました。

○道安の台子飾り

『長闇堂記』にこんな話があるそうです。

 大阪で、秀吉公が桑山法印の屋敷へ御成になった時、
 千道安が来て台子飾りを準備しました。
 薩摩屋道七が挨拶に来て、その台子を見て、
 「何者がこのような無知なことをしたのだ」
 と散々に言い、すぐに飾り直しました。

 道安は次の間にいて、その声を聞き、
 他の歴々の人も聞き、
 いかにもおかしかったのですが、
 道安は聞こえない様子でやりすごしたそうです。
 松倉豊後守(重政)がその座にいたので、話して下さいました。

 その時は、豊後守も道七の飾りがもっともように思われたそうですが、
 その仕方を人に密かに尋ねてみると、
 道七は古風の仕方、
 利休道安は当世の仕方でした。

 「台子が道の秘伝です。
 道安はそれを道七に知らせまいとしたので、
 たいへん用心深いことです。」
 とのことでした。

 その時は右構え(逆勝手)だったそうです。

○以下に、台子に関する名称とその内容を記載しようと思います。

名称内容文献
真台子:しんだいす

真台子(大)・唐物写の風炉用は利休形、
真台子(小)の炉用は如心斎天然宗左好だそうです。

長方形の天板と地板を四本の柱で支えた黒塗の
「真」の格の茶道具を飾る棚みたいです。

台子は、飾り方に一定の規式があり、これを台子飾りというそうで、
この規式は能阿弥が「書院の七所飾」を参考に
「書院の台子飾」を制定したようです。
『茶道筌蹄』に
「台子 真 大小。真の台子は唐物写し、
千家所持は盛阿弥作、大の方を当時写し来る、
小の方は利休時代より千家伝来ありしを中頃より伝はらざるよし、
是を如心斎興す」
とあるみたいです。

『千家茶事不白斎聞書』に
「真の台子大小、台は風炉用、小は炉用、是は唐に而高官の膳也、
昔越前永平寺とふけん和尚入唐之節持帰りたる台子を、
日本に而茶の湯之台子に用、珠光譲請用、小に風炉置事なし」
とあるそうです。

『源流茶話』に
「今用る四本柱の台子ハ利休改正にて大円盆を長盆に改め、
茄子又は円壺の茶入に台天目を組合、真行台子の法を被定候」
とあるようです。

及台子(及第台子):きゅうだいす
元来は唐物で、
科挙の進士及第の者のみが通れる門あるいはその門の額を象ったとも、
進士及第の作文を置くための台に由来するともいわれるとか。

天板に筆返しとか落込みと呼ばれる縁取りがあり、
柱の上下に雲形の力板(鰭板)の入った、
二本柱の「行」の格の台子だそうです。

利休好の及台子は、真塗で、炉・風炉ともに用いるとか。
宗旦好の及台子は、桑木地の「桑台子」があるようです、
同じく、宗旦好の「青漆爪紅台子」は、
東福門院へ献茶の折に好んだものだとか。
宗哲作の青漆爪紅の「爪紅台子」があるようです。
『長闇堂記』に
「及第台子と云は、唐の朝廷に、
及第に試るヽ学士の出入する門の額に似たるとて、
此台子を及第と名付しなり、
唐より渡りて、天王寺や宗及有しを、宗凡の世となりて、
織部殿かり写し給ひて、後世に流布せしなり、
棚の内のかさりと云も、天王寺やの外にはしらずとなり、
其棚にての茶に一度逢候なり、江月和尚に有なり、
書棚に似たる物なり、溜ぬりにして下ゲ違の戸袋あり」
とあるようです。

『茶道筌蹄』に
「及台子 唐の及第門の形なりと云ふ説あれども
及第の節作文をおく台ならんか」

「爪紅台子 元来唐物写しなり、
青漆にて刷毛目あるとなきと両様あり、
千家所持は刷毛目なし、
紹鴎門人宗甫所持なるゆへ利休百会に宗甫棚とあるは爪紅の事なり」

「桑台子 原叟好み、爪紅の通りを桑にて写したるなり」
とそれぞれあるみたいです。

竹台子:たけだいす
長方形の天板、地板ともに桐木地で、
竹の四本柱の「草」の格の台子だそうです。

竹台子は、炉用とされているようですが、
風炉に使用するときは小風炉を用いるみたいです。

「真台子」を基本として、
村田珠光が上下の板を桐木地とし白竹の柱を立てることを創案し、
武野紹鴎に伝わり、 紹鴎利休の時代に、
現在見られる大きさになったのだとか。
『茶道筌蹄』に
「竹台子 珠光好み、本歌は山中栄三郎所持、
やりかんな、柱はカサの柄竹をもちゆ」
とあるそうです。

『千家茶事不白斎聞書』に
「竹台子、炉・風炉に用、珠光
とあるようです。

『和漢茶誌』に
「竹台子 和製 下盤上設四柱、冠版為台也、
上版下盤、共用白桐質也、
竹節亦有定数、見図書、或人云、紹鴎始作之」
とあるみたいです。

高麗台子:こうらいだいす
元来は高麗物の黒塗の棚で、
宗旦が使い始め、のち一閑張で好んだといい、
炉で用いられるそうです。

天板の下の周囲に火燈形の幕板を持出し、
そこから四本柱となって地板に接続した形の台子です。
『茶道筌蹄』に
「高麗台子 元来高麗物写しなり、
元伯より持来るは、天王寺屋五兵衛方に所持、
元伯書付あり」
とあるようです。

『千家茶事不白斎聞書』に
「高麗台子 炉に用、是者宗旦より遣初、
好にてなし、只遣ひ初め候也」
とあるみたいです。

爪紅台子(宗甫棚):つまぐれだいす
元伯好は、爪紅台子(小)・唐物写の炉用で、
青漆で刷毛目のあるものもあるそうです。

本歌は宗甫所持なため「宗甫棚」とも言うとか。

爪紅台子は、及台子・桑台子・桐台子と同型だそうです。


長板:ながいた
子の地板を象って、風炉・水指などをのせる長方形の板で、
千家では大小の二種があり、
大きいものは風炉用とし、小さいものは炉用だそうです。

好みは下記のような感じみたいです。
利休形:真塗(大・小)
元伯宗旦:一閑張(大・小)
随流斎良休宗左:桐木地(大・小)
卒啄斎件翁宗左:松摺漆(小)・桑
了々斎曠叔宗左:青漆爪紅(小)、桐掻合(大)
碌々斎瑞翁宗左:一閑張溜(炉・風炉兼用)
惺斎敬翁宗左:青漆爪紅(大)
『茶道筌蹄』に
「長板 大小溜 真の大は利休形、
小は如心斎、溜は宗全、
大一枚松の木地といえども実は檜の木地なり」
とあるそうです。

同じく『茶道筌蹄』に
「同棚大小 一閑大小 桐大小共随流斎好み、
裏にては元伯好と云伝て桐にはしばみ入りたるあり、
小の方なきゆへ一燈桑にて好む、一閑張は大小共元伯好み」
とあるのだとか。

『草人木』に
「板のはヽ・たけ・あつさハ台子の下の板の寸尺に無別儀」
とあるみたいです。

『南方録』に
「台子の上の板を、上段の板、下を長板といふなり。」
とあるようです。

『源流茶話』に
「長板ハ台子の上板より見立てられ」
とあるとか。

別途、「長板とは」にて説明しています。

大板(半板):おおいた
大板は利休好だそうです。

逆勝手や中置きには用いないとのこと。
別途、「大板とは」にて説明しています。



■大棚とは
ここでは、大棚について説明します。

台子系統以外の棚物で、畳の巾に近い棚を総称したものだそうです。
大棚には、紹鴎棚・志野棚・葭棚などがあるようです。

以下に、大棚に関する名称とその内容を記載しようと思います。
名称内容文献
紹鴎棚(紹鴎袋棚):じょうおうだな
武野紹鴎が好んだだそうです。

「我が名をば大黒庵と云ふなれば袋棚にそ秘事をこめたり」
という紹鴎の歌からこの名があるようです。

檜材の春慶塗で、地板の上に白の鳥の子張りで、
引違いの小襖の嵌った高さ六寸一分の地袋が付き、
その上に四本柱が立ち天板がのった、武野紹鴎好の炉用の棚みたいです。
『茶道筌蹄』に
「紹鴎棚 古名紹鴎袋棚と云ふ、今の紹鴎棚の事なり、
紹鴎所持はやりかんなの木地、
引違へのフスマの大縁は萌黄地古金襴、
小縁は金地古金襴、南蛮サハリ水指添ふ、
山中栄三郎所持、
鴎の歌に、
我名をは大黒庵と云ふなれば袋棚にそ秘事はこめけり」
とあるそうです。

志野棚(利休袋棚・袋棚):しのだな
香道の志野宗信が、文房具や化粧道具を置くために、
平安時代以来用いられていた厨子棚をもとにして、
香道具を飾るために桑で作った香棚を、
利休が桐木地で好んだそうです。

中板が違棚で、
左下が倹飩蓋(けんどんぶた)の地袋、
右上が棚板で、
脇板が香狭間透(こうざますかし)となっている、
利休好の桐木地の棚みたいです。
『茶道筌蹄』に
「袋棚 利休形 桑の志野棚を桐にて写したる物なり、
桐は利休形、溜は卒啄斎このみ」
とあるそうです。

『茶湯古事談』に
「志野棚ハ元来香の家たる志野家の香棚なりしを、
利休かり用ひしより今に伝へて遺ひぬ、
志野家の伝にも香の茶のゆの伝ありとなん」
とあるようです。

利休の『百会記』に
「其儘の板にて、麁相なる所に物数寄はありと宣へり。
惣じて、物数寄と云ふは、
麁相にして奇麗に、りこうなるを云ふ也。
結構にこしらへたる事は、
数寄道には用ひがたし。」
とあるのだとか。

葭棚(利休台目棚・台目棚):よしだな
利休好のこの棚は、
藪内紹智に贈られたと伝えられるようです。

炉では炉縁いっぱいに客付の柱を立て、
風炉では踏込畳の向こういっぱいに据え、
台目の構えとする棚で、炉でも風炉でも用いるそうです。

半間巾に一尺四寸五分の袖を付け、
葭簀を張りめぐらせ煤竹で押えた、
利休好の杉木地の棚みたいです。

葭棚の袖は、下部が吹貫となっていて、
客付の柱に一寸五分丸の赤松の皮付丸太を用い、
客付向隅に一尺八寸と八寸四分角の棚板が白竹で吊ってようです。
『和泉草』に
「葭棚 桑の木地に而、四本柱にして、
下に而足をふんばらせて、
上へ付て棚有り、又下へ付て棚有、紹鴎作也」
とあるそうです。




■小棚とは
ここでは、小棚について説明します。

小棚は、大棚の半分程度の棚を総称したもので、
「中央卓」のように、床等に置いて香炉や花入を飾るために用いられた、
唐物の「卓」を用いるようになり、やがて紹鴎の「水指棚」、
今井宗及の「宗及棚」「洞棚」などができ、
利休により様々な小棚が創造されるとのことです。

小棚には、「置き棚」と「運び棚」があるそうで、
「置き棚」は初めから棚の地板に水指を置いておくもので、
「運び棚」は点前を始める時に水屋から水指を運び出して棚の下に置くもので、
運び棚には多くは地板がないのだとか。

『和泉草』に
「唐物之卓を棚に用る事古今に有り、
大振成卓には釜を取合せ、上之重に道具飾也」
とあるみたいです。

以下に、小棚に関する名称とその内容を記載しようと思います。
名称内容文献
四方棚(半台子・利休水指棚・角棚)
桐木地で、天板と地板が四方の、二本柱で、
及台子を二分したものをもとにしているそうですが、
天板の方が地板より大きな形状の棚なのだとか。

寸法は、天板が一尺五寸に一尺四寸の四方、
地板がやや小さく一尺三寸に一尺二寸一分の四方、
高さが一尺四寸三分で、
二本の柱の上下に雲形の力板(鰭板)が付いているようです。

利休好は天地の板が角隅で、江岑好は丸隅になっているみたいです。
また、松木摺漆・青漆爪紅は、惺斎敬翁宗左好、
小四方棚は即中斎無盡宗左好だそうです。
『茶道筌蹄』に
「四方棚 角のあるは利休形、
昔は利休水指タナとも云ふ、又半台子とも云ふ、
角の丸きは江岑好なり」
とあるそうです。

『茶道望月集』に
「此方に余り不用為なれ共、当時専用る四方棚といふもの有、
成程形は古法の物也、真中に二本柱あり、
上下共にヒレ有て、上に成し方の棚板は広く大き也、
下に成し方の地板は小き形なる物也」
とあるみたいです。

高麗卓
琉球より将来した唐物の台子みたいです。

高麗卓は、高麗台子を半分にした、四本柱の棚で、
真塗・一閑・青漆爪紅・溜塗・桐木地製などがあるそうです。

寸法は、天板・地板とも一尺二寸四方、高さ一尺五寸だとか。

真塗は、如心斎天然宗左の門人の鴻池宗知好、
溜布目・青漆爪紅は、惺斎敬翁宗左好、
一閑張は、宗旦好だそうです。
『茶道筌蹄』に
「高麗卓 宗全このみ、一閑張真塗はこのみなし、
高麗台子を半分に切たる物なり」
とあるようです。

水指棚(紹鴎水指棚)
台子や大棚の時代に、
水指だけを飾る棚を好んだことから「水指棚」と称したそうです。

のちに、片桐石州遠州、一灯宗室などの好み物の水指棚ができ、
原型となった紹鴎好は特に「紹鴎水指棚」と称するようになったようです。

水指棚は、溜蝋色の二重棚で、
水の形を表して曲線となった中板がやや上方に付き、
客付と勝手付の両側に、中棚から上には小形、
下には大形の香狭間透しのある板を付けた、
武野紹鴎好の小棚で、炉、風炉ともに用いるそうです。
『茶道望月集』に
紹鴎の水指棚といふもの有、
是は四方共、棚木地板にて中棚もある、
両脇上下の四所に茶碗すかしとて、
志野袋棚の香ざまのごとく成すかし有」
とあるみたいです。

丸卓
中国から伝えられた飾り棚である「卓」を棚物として応用した棚の一種で、
炉・風炉いずれの場合も使用するそうです。

天板、地板ともに丸い、二本柱の棚で、
利休好、宗旦好、卒啄斎件翁宗左好、惺斎敬翁宗左好などがあるのだとか。

利休好は、桐木地で、二本の柱が天板と地板の内側に付き、
地板の裏には低い三つの足がついているそうです。

宗旦好は、黒の一閑張片木目で、
二本の柱は天板と地板の外側に付き、
地板が厚く、足はついていないようです。

卒啄斎件翁宗左好は、檜木地溜塗、
惺斎敬翁宗左好は、松の木摺漆・青漆爪紅などがあるとのこと。
『茶道筌蹄』に
「丸卓 桐 松木溜 桐は利休形、
溜は卒啄斎このみ、木地松」
とあるそうです。

山里棚
大阪城内山里の茶席で初めて使われたという説と、
大阪城山里丸の仕付板を棚とされたという説があるのだとか。

山里棚の本歌は、藪内剣仲に送ったといわれ、
藪内家の代表的な棚となっていて、小棚とも呼ばれているそうです。

山里棚は、杉木地で、長方形の地板と、
寄付が大きく斜めに切り取られた天板を、
五分角総面取の三本で柱が支え、
天板と地板の縁に胡麻竹の割竹が張られた、千利休好の棚だそうです。

地板は砂摺りになっていて、湿らせて使用することが出来るため、
備前や信楽などの素焼きの濡れ水指を用いることができるのだとか。

春慶塗や松木地のものもあるようです。

炉にのみ使用し、茶筅・茶入・薄茶器は流して置かないみたいです。


三重棚(仕掛棚)
元来は、五重の水屋用の棚で、
水屋で準備のできた道具を置くのに用いる棚であったのを、
利休が桐木地で三重に好み直して茶席に用いるようにした
といわれているとか。

四本柱の、地板の他に上に三枚の棚板が三段に重なっている棚で
杉木地は千利休好、一閑張は宗旦好、桑木地は如心斎天然宗左好、
真塗は了々斎曠叔宗左好、黒掻合せは認得斎柏叟宗室好、真塗爪紅は宗全好
桐木地は覚々斎原叟宗左好なのだそうです。
『茶道筌蹄』に
「三重棚 一閑 桐 桑 一閑は宗全このみ、
桐は原叟このみ、桑は如心斎このみ」
とあるようです。



■仕付棚
「道幸とは」にて説明しています。


■箪笥
元々、茶道具を収めるための籠だったものを木で作ったものだそうで、
銭屋宗納が錠前付で持運びができるよう提手が付いた唐物箪笥を所持し、
それから利休が再好みし、さらに幾つかの好みが出来たのだとか。

『南方録』に
「鍵屋宗納、唐の組物の箪笥所持、是名物なり、
茶箪笥に用ひて、常住座敷炉辺に置合たてられしなり、
前に錠がまへありて、茶を立る時かぎにて開き、
仕廻の時又錠をおとされしとなり、
其後休公宗久杯も、又塗物唐の箪笥、右同前に用られしとなり、
今も唐だんすまヽ有、みものなり」
とあるみたいです。

『茶伝集』に
「利休好たんす 是は鍵屋宗納が名物唐物箪笥より、
休の作分ありて、小田原御陣に持行し也、
夫より一名旅だんすとも云、宗納がたんすは錠前有、
手付にて柄杓置所、脇に立仕切板有組物也、休の箪笥は桐なり」
とあるのだとか。


以下に、箪笥に関する名称とその内容を記載しようと思います。
名称内容文献
旅箪笥(利休箪笥):たびだんす
元々水屋用の棚だったものを、1590年、 千利休豊臣秀吉の小田原の陣に従った際、
転々とする宿営に便利なようにと創意したもので、
当時としては、簡便な携行品とされたのだとか。

桐木地の四方箱で、倹飩蓋、
引手金具ともなる落し込みの金具が付き、
左右両面には持ち手の桟があり、
内に二枚の棚板がある、携帯用の点茶用箪笥だそうです。

地板に水指、中棚に棗・茶碗を仕組み、
上棚の左側に切込みがあり、
そこに柄杓を掛けるようになっているとか。

炉、風炉ともに用いるようです。

銭屋宗納が所持していた、
錠前付で持運びができるよう提手が付いた唐物箪笥をもとに、
利休が桐木地で好んだそうです。

柄杓掛の切込みが右にある石州好、
利休形を縦二等分した宗和好、
利休形より中板が一枚少なく、
柄杓掛の切り込みがあるものは、臘月庵仙叟宗室好、
杉で前戸と両側が網代組のものは、玄々斎精中宗室好、
春慶紅葉張は、無限斎碩叟宗室(淡々斎)好、
小型木地(勝手用)は、碌々斎瑞翁宗左好、
桐春慶塗は、惺斎敬翁宗左好、
などがあるようです。
『茶伝集』に
「利休好たんす 
是は鍵屋宗納が名物唐物箪笥より、休の作分ありて、
小田原御陣に持行し也、夫より一名旅だんすとも云、
宗納がたんすは錠前有、手付にて柄杓置所、
脇に立仕切板有組物也、休の箪笥は桐なり」
とあるそうです。

『茶道筌蹄』に
「旅箪笥 利休形、
一説に小田原陣中にて好れしゆへ旅箪笥と云とぞ」
とあるみたいです。

短冊箱(短冊箪笥・宗和箪笥)
:たんざくばこ

金森宗和が考案したようです。

倹飩蓋裏に短冊を貼って、
客付にあけて野点などに用いるところからこの名があるそうです。

短冊箱は、倹飩蓋で、内に三枚の棚板がある、
細長い縦型の携帯用の点茶用箪笥みたいです。

地板に蓋置を仕組んだ平建水、
一段目の棚に水指、
二段目の棚に茶碗、
三段目の棚に棗を置き、
その左側の切込みに柄杓を掛けるのだとか。


茶箱:ちゃばこ

前道具一式を入れて持ち運ぶ際の箱で、
旅行や野点などに用いられ、
形は色々な種類があるようです。

利休形の茶箱は、桐木地で、大小あり、
共に「掛子」とよばれる中蓋が付き、
その一隅に茶筅筒を入れる穴が開いているそうです。

利休所持の茶箱として、
不審庵に伝来した「蒟醤茶箱」一式があり、
茶箱内に、瀬戸内海茶入、笹蒔絵棗、
小井戸茶碗、金襴手茶碗、黒塗茶杓、
染付茶巾筒、曲茶筅筒、
などが調えられているとか。

宗旦好み茶箱は、朱塗一閑張だそうです。

「茶箱」に関する詳細はこちら
『茶式湖月抄』に
「利休 大ノ茶箱 桐。
外法 長七寸一分、巾四寸八分二厘、高四寸二分半。
内法 六寸五分、四寸二分、三寸八分。
板厚三分、キノ高七分、キノ下三寸一分、
蓋カワ高八寸外法一寸、カワ三ツホソ釘二本打、
蓋ノ釘五本ニ三本、底ノ釘四本二四本」
とあるそうです。

同じく『茶式湖月抄』に
「小ノ茶箱 
外法 長六寸、巾四寸二分、
惣高三寸九分、板厚二分二厘、キリ高四分、
長テノハシ釘二本打、蓋カワ高六分外法七分半、
身三ツホゾ釘二本打、蓋底トモ釘四本ツヽ。
内法五寸六分、三寸七半、三寸四分半。
カケゴノ厚一分カヽリ長テ斗、
茶筅ノ穴一寸五分、両方一分アケカケコ深五分内法」
とあるようです。



■その他の棚物
棚物は、好み物が多くあり、
のちの再好み、またその再好みなどがあり、
その種類名称は夥しい数にのぼるようです。

千利休好みには、
真台子、及台子、竹台子、
志野棚、葭棚、冠台、四方棚、
角棚、丸卓、烏帽子棚、山里棚、
三重棚、旅箪笥、一重釣棚、二重釣棚
などがあるそうです。

千宗旦好みには、
桑台子、爪紅台子、一閑及台子、
一閑高麗台子、一閑高麗卓、一閑丸卓、
一閑三重棚、水屋洞庫、置洞庫、炮烙棚
などがあるみたいです。

三千家好みとしては、

「三友棚」があるそうです。

三友棚は、地板が四方、天板が丸で、竹の二本柱の小棚で、
明治初年に大徳寺471世牧宗宗壽和尚が、
三千家の融和の為として大徳寺境内の松と竹を提供して作らせた棚で、
表千家碌々斎瑞翁宗左は松の天板と地板に摺漆、
裏千家又妙斎直叟玄室は竹の二本柱、
武者小路千家一指斎一叟宗守は天板の木口に「溢梅蒔絵」、
をそれぞれに好み、
松竹梅を表して三千家の末永い友好を表し、
これに牧宗和尚が「三友」の銘をつけて、
三千家に三個そして大徳寺に一個と計四個製作した棚なのだとか。

以下に、その他の棚に関する名称とその内容を記載しようと思います。
名称内容文献
三木町棚(江岑棚):みきまちだな
表千家

逢源斎江岑宗左が、
和歌山城下の三木町に居たときに好んだ棚だそうです。
また、覚々斎原叟宗左は桐木地を好んだようです。

紀州徳川家に茶頭として出仕した江岑は、
和歌山城下の三木町に屋敷を賜り、
毎年期間を決めて京都と和歌山との往還が行われましたが、
江岑がこの屋敷滞在中に若党に作らせた棚だそうです。

樅・檜・杉の残材を寄せ木にして棚を好んだという説と、
紀州家より樅の折箱を拝領したのでこれを引き出しにして、
既にあった残材を用い、寄せ木にして棚に好んだという説、
があるとのこと。

天板と地板は杉材、柱は檜材、
天板と中棚の間に樅材で出来た引出しがあり、
竹の摘みが付き、底の四隅には足がある小棚だそうです。
『茶道筌蹄』に
「三木町棚 江岑紀州三木町に滞留中若党の作なり、
樅檜杉の寄木也、ツマミ竹、
江岑伝来の棚は山中善右ヱ門所持、
桐は原叟好み、ツマミは桑なり」
とあるそうです。

『茶式湖月抄』に
「江岑棚 桐 惣高さ一尺四寸六分、
長一尺、奥行一尺六分、板厚さ三分半づヽ、
ハシバミ八分つヽ、柱太さ六分、チリ三分半、
(柱)此間九寸六分、足長さ二寸三分、
厚さ四分、高さ六分、チリ二分」
とあるみたいです。

溜塗二重棚:ためぬりにじゅうだな
表千家

吸江斎祥翁宗左が好んだ棚だそうです。

地板のない二重棚の最も古いもので、
運び水指ができるようになっているとか。

古くは、洞庫をのぞいては、
地板がなく運びの水指を使用するといった棚はなかったそうですが、
溜二重棚は棚を用いながら、
備前・信楽などの素焼きの濡れ水指を運んで、
使う事ができる工夫をしたものみたいです。

塗の四本柱で、中板がやや上方に付き、
地板が取り外せるようになっているとか。


抱清棚:ほうせいだな
表千家

吸江斎祥翁宗左が好んだ棚だそうです。
碌々斎瑞翁宗左は、杉木地を好んだようです。

地板がなく、水の「清」すなわち水指を、
両袖の板が抱くような形ということからこの名称があるといわれるとか。
利休形の道庫を二つ割りにしたものともいわれるそうです。

桐木地の二重棚で、三方を板で囲み、
正面の板に香狭間透しがあり、
両側の板の前方が弓形に刳ってあり、
勝手付の板の内側に柄杓用の竹釘が打たれた、
地板のない小棚なのだとか。

中板を取り外すことができ、
旅箪笥の点前である「芝点」ができるようです。


木屋町棚:きやまちだな
表千家

碌々斎瑞翁宗左が好んだ棚だそうです。

京都木屋町の三井家別邸普請の折りに、
好まれたためこの名があるのだとか。

一閑溜塗爪黒の三本柱で、
天板と中板は三角形の入角で、
向こう二面に香狭間透しのある脇板がつき、
三角形の抽斗があり、
中棚の下の柱に鰭板が付き、
地板は四方形の手前を少し切断した、
五角形になった形の小棚みたいです。

三角形の引出しの中に薄茶器を納め、
抽斗を外すと二重棚として使うこともできるようです。


糸巻棚(糸巻二重棚):いとまきだな
表千家

碌々斎瑞翁宗左が好んだ棚だそうです。
碌々斎瑞翁宗左は、一閑張青漆爪紅糸巻棚で地板がないもの、
桐木地でハシバミのないものや、
地板がある杉木地の糸巻棚などを好んだとか。

惺斎敬翁宗左は、杉木地の他、
地板の無い桐木地のもの、
桑木地、杉木地糸、飛騨塗などを好んだようです。

糸巻棚は、一閑青漆爪紅の四本柱の二重棚で、
中板の各辺を弓形に刳って糸巻の形にした小棚だそうです。


好文棚:こうぶんだな
表千家

惺斎敬翁宗左が好んだ棚だそうです。
大笑11年(1922)、
京都北野天満宮の献茶の折りに好まれた棚だとか。

木屋町棚を元にした棚で、木屋町棚の抽斗がなく、
香狭間透しが梅の花の透しになり、
梅のことを「好文木」と呼ぶことからこの名があるようです。

溜塗の三本柱で、天板と中板は三角形の入角で、
向こう二面に梅の花の透しのある脇板がつき、
中棚の下の柱に鰭板が付き、
地板は四方形の手前を少し切断した五角形になった形の小棚だそうです。


糸巻透二重棚:いとまきすかしにじゅうだな
表千家

惺斎敬翁宗左が好んだ棚だそうです。

三木町棚を元にして、抽斗を取り、
脇板を糸巻透しにしたもののようです。

桐木地の四本柱の二重棚で、
天板と中板の間の左右と向こうの三方に、
糸巻の形の脇板を付けた、
底の四隅に足のある小棚みたいです。


小袋棚:こぶくろだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

風炉、炉ともに用いるのだとか。

紹鴎袋棚の天板と柱を取り去った下の部分をもとにし、
地袋の左を取り去り地板とし風炉も置けるようにし、
左側の地板の部分は取りはずせ地袋だけでもつかえるとか。

地板とその半分の倹飩蓋の地袋のついた形の大棚みたいです。


台目棚:だいめだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

風炉、炉ともに用いるのだとか。

葭棚をもとにして、
広間などでも台目点が出来るようにしたものみたいです。

杉木地で、半間巾に一尺四寸五分の袖を付け、
風炉先が襖張りで、隅柱から襖張の上に三分の一程と、
隅柱から袖の客付の柱まで香狭間透しある板があり、
その入隅に棚板が付き、袖の下部が吹貫となっている大棚だそうです。


扇棚:おうぎだな
表千家・裏千家

即中斎無盡宗左と、
無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐木地の、三本柱で、
天板と地板が共に扇面形で、
扇の要にあたる場所にある向柱の幅が広く、
その向柱に壺々透しが入っている小棚みたいです。

扇面棚:せんめんだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。
而妙斎宗左好みの、檜材で溜塗、
縁と柱が煤竹の「煤竹扇面棚」もあるようです。

溜塗の、竹の三本柱で、
天板と地板が共に扇面形で、
天板と地板の縁に白竹の割竹が張られ、
地板裏の三箇所に足の付いた小棚みたいです。


八景棚:はっけいだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

完成する前に即中斎無盡宗左が亡くなったため、
点前が定まっていないのだとか。
そのため、無限斎碩叟宗室(淡々斎)好「徒然棚」のように、
右手前隅を前にして菱形で用いることもあるようです。

四方二重棚の四本柱の右手前一本を省いた形の三本柱で、
天板と中板の間が戸袋となっていて、
右手前左右に房付の引手があり、
右手前隅から左右に襖を開けるようになっており、
外側四方に八景図、内側四方に四季草花図が描かれ、
地板が共に扇面形で、
中板と地板の縁が矢筈に取ってある小棚みたいです。


好日棚:こうにちだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

風炉の時は障子を外し格子だけ、
炉になると障子を嵌め込むみたいです。

溜塗の、四本柱の二重棚で、中板が小さく、
天板と中板の間の客付と勝手付と向こうの三方に格子を付け、
客付と勝手付の格子の内側に、
障子を嵌め込んだ形の小棚のようです。


旅卓:たびじょく
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

旅卓は、全部折りたたみになる、
携帯用に便利な棚であることからこの名があるとか。

抱清棚に地板の付いた形で、
一閑溜塗の二重棚で、三方を板で囲み、
正面の板に香狭間透しがあり、
両側の板の前方が弓形に刳ってあり、
中板が手前に丸く出ていて、
天板と地板の手前角が入隅になっている小棚のようです。


鱗透二重棚:うろこすかしにじゅうだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

炉と風炉ともに用いるようです。

溜塗の四本柱の二重棚で、
天板と中板の間の左右と向こうの三方に、
三角形の中に鶴の透かしのある鱗鶴の形の脇板を付けた、
底の四隅に足のある小棚みたいです。


鱗棚:うろこだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

炉と風炉ともに用いるようです。

鱗棚は、好文棚の梅の透しを、
鱗(三角形)の透しにした形の棚みたいです。

溜塗の三本柱で、天板と中板は三角形の入角で、
向こう二面に二等辺三角形の透しのある脇板がつき、
中棚の下の柱に鰭板が付き、
地板は四方形の手前を少し切断した、
五角形になった形の小棚だそうです。


小四方棚:こよほうだな
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

炉と風炉ともに用いるようです。

小四方棚は、江岑好みの丸隅の四方棚を、
やや小さめにして、
風炉でも用いられるようにしたものみたいです。

溜塗の爪紅で、
天板と地板が丸隅の四方の二本柱で、
天板の方が地板より大きな形状の小棚だそうです。


蓬莱卓:ほうらいじょく
表千家

即中斎無盡宗左が好んだ棚だそうです。

蓬莱卓は、即中斎無盡宗左が還暦記念に好んだ棚で、
棚が亀甲形で「亀」、
湾曲した柱に朱の線を入れ「鶴」を表し、
両者で鶴亀吉祥としてこの名があるとか。

真塗の四本柱の二重棚で、
天板、中板、地板ともに六角の亀甲形で、
柱が少し湾曲し、
地板と柱に朱の線が入っている小棚のようです。


壺々透二重棚:つぼつぼすかしにじゅうだな
表千家

而妙斎宗左が好んだ棚だそうです。

炉と風炉ともに用いるようです。

壺々透二重棚は、溜二重棚をもとにして、
天板と中板の間に壺々透しのある脇板を付けたもので、
桐木地のものもあるとか。

溜塗の四本柱の二重棚で、
中板がやや上方に付き、
天板と中板の間に壺々透しのある脇板を付け、
地板が取り外せるようになった小棚みたいです。


末広棚:すえひろだな
表千家・武者小路千家

愈好斎聴松宗守が好んだ棚だそうです。
また、有隣斎徳翁宗守は、天板と地板に金砂子を振り、
飾り紐を赤にしたものを好んだとか。

檜扇を模した棚で、桐木地の一本柱、天板と地板が扇形で、
天板の扇の先の両端から紫の飾り紐を垂らし、
扇を閉じた形の柱が扇の要の位置に立ち、
地板に四つの低い足がついた小棚のようです。


矢筈棚:やはずだな
表千家・武者小路千家

直斎堅叟宗守が好んだ棚だそうです。
また覚々斎原叟宗左は、桐木地に赤の紐を好んだようです。

矢筈棚は、堂上家で冠を置く棚(冠卓)に、
真塗で四方に赤い房の下がったものがあり、
これをもとに、直斎が好んだ、
明七宝水指を生かして使うために考案されたのだとか。

矢を弦につがえるために、
凹字形になった矢の頭部を「矢筈」といい、
天板の小口が矢筈状になっていることからこの名があるみたいです。

真塗の背の低い四方棚で、
四本柱の右手前一本を柄杓が通いやすいように省き、
天板の小口に矢筈形の溝を掘って、
それに赤い紐を掛けまわし、
省いた一本の柱の代わりに紅染の総を垂らした、
三本柱の小棚だそうです。

「判の柄杓」と呼ばれる、柄が一寸長く、
柄の部分を煤竹にして裏を黒塗にした柄杓を用いたようです。


小袋棚:こぶくろだな
武者小路千家

直斎堅叟宗守が好んだ棚だそうです。

小袋棚は、志野棚の左側だけを独立させて棚にしたもので、
炉にのみ用いるようです。

戸袋の中に水指を入れ、
倹飩蓋を開けて棚の勝手付にとり、
水指を半分出して使うのだとか。

桐木地の四本柱で、
地板の上に倹飩蓋の戸袋が付いた小棚みたいです。


蛤棚:はまぐりだな
武者小路千家

直斎堅叟宗守が好んだ棚だそうです。
竹柱は、節一つで杓釘がないようです。

また、愈好斎聴松宗守好は、竹柱が節二つで杓釘があるみたいです。
竹柱の杓釘には、竹釘を打ったものと、
節から出た二本枝を切り残したものがあるとか。

愈好斎聴松宗守好の蛤棚には、
客付の切板裾に波透かしを施した「有磯棚」の好みもあるとのこと。

蛤棚は、桐木地で、一枚の四角い板を、蛤形にくり抜いて天板とし、
その残りを客付の側面に立て、
勝手付を竹の一本柱とした小棚だそうです。


梅棚:うめだな
武者小路千家

■旅箪笥

■大棚

■小棚
直斎堅叟宗守が好んだ棚だそうです。

梅棚は、直斎堅叟宗守好は旅箪笥、
一啜斎休翁宗守好は台目構の大棚、
愈好斎聴松宗守好は四本柱の小棚だとか。

旅箪笥の場合は、
土佐光貞の下絵で三代宗哲の作になる「二本松蒔絵茶桶」と、
染付雲堂手の水指を取合せとして好まれた棚みたいです。

青漆刷毛目塗、内側が黒塗の旅箪笥状の形で、
一枚の棚板があり、倹飩蓋で、
摘みの金具が梅の花を裏から見た形の「裏梅」
になっているもののようです。

大棚の場合は、
道具畳の巾の杉木地の天板に一尺四寸五分の袖を付け、
勝手付の柱が白竹の二本柱、
客付の前柱に松皮付丸太を用い、
これに袋釘を打ち、客付向こうの杉柱から前柱まで白竹二本を渡し、
その間に捻梅の透しある桐木地の羽目板をはさみ、
入隅に箱状の隅棚が付き、袖の下部が吹貫となっているそうです。

広間を台目の構えとする棚で、炉でも風炉でも用い、
勝手付の柱が白竹の一本柱のものもあるとか。

小棚の場合は、
一啜斎好みの「壷々棚」をもとに好んだ棚で、
杉木地の四本柱、天板と地板が四方で、
両脇と向こうの三方に捻梅の透かしのある腰板がはめられ、
地板に四つの低い足がついたものだそうです。


妙喜庵卓:みょうきあんじょく
武者小路千家

直斎堅叟宗守が好んだ棚だそうです。

溜塗で下方が外に少し反った四本柱で、
天板に妙喜庵の袖摺松材を用い透き漆が掛けられ、
地板は溜塗にさざ波の蒔絵が施された小棚なのだとか。


自在棚:じざいだな
武者小路千家

一啜斎休翁宗守が好んだ棚だそうです。
また、一指斎一叟宗守が桐木地で好んでいるとか。

自在棚は、戸袋と欄干を自在に置き替えることにより、
炉と風炉、左右いずれの勝手にも用いられるためこの名があるとか。

炉に用いるときは、地板を右、戸袋を左にし、
風炉に用いるときは、地板を左にし、戸袋を右にして使うみたいです。

志野棚の中棚と天板を取り去った下の部分をもとにした棚で、
杉木地で、欄干と腰張りのある地板の上に、
四方に香狭間透のある戸袋を置き、
戸袋は手前側が建具になっていて横引きに開けることができる大棚のようです。


烏帽子棚:えぼしだな
武者小路千家

本来、利休好だったようです。

一啜斎休翁宗守が好んだ棚だそうです。
また、愈好斎聴松宗守好は杉木地みたいです。

松平讃岐守の命により風炉に用いる棚として好んだもので、
本歌は市郎兵衛が作り、
のち駒沢利斎に依頼して組み立て式に改められたのだとか。

中棚が三角形になっているため、
両器拝見のとき中棚になにも載っていないと、
軽すぎて不安定な感じになるのを避けて、
中棚に帛紗を烏帽子折にして飾り、
これを烏帽子飾というようです。

烏帽子棚は、利休袋棚の右側をもとにした二重棚で、
風炉にのみ用いるそうです。

桐木地の二重棚で、天板と地板が四方で、
向こう側柱二本に白竹二本を渡し、
その間に小板をはさみ、
その中央に三角形の中棚の頂点を差し込んだ小棚みたいです。

烏帽子の説明としては、
「風折烏帽子」についてで、詳細を記載しています。
木津松斎の一啜斎からの聞書に
「松平讃岐守様より風呂に用る棚好様依命一啜斎好」
とあるそうです。

壷々棚:つぼつぼだな
武者小路千家

一啜斎休翁宗守が好んだ棚だそうです。

一啜斎休翁宗守が、松平不昧公の江戸大崎の屋敷で、
茶事に招かれた折に用いられていた、
小堀遠州好の「品川棚」を拝見し、
これをもとにして好んだものだとか。

壷々棚は、炉にのみ用いるようです。

杉木地で、白竹の四本柱、
天板と地板が四方で、
両脇と向こうの三方に壷々紋の透かしのある腰板がはめられ、
地板に四つの低い足がついた小棚みたいです。


品川棚:しながわだな
小堀遠州流

小堀遠州好だそうです。

遠州が造営した品川林中の茶亭へ、
三代将軍家光公お成りになった時に考案し、
好んだそうです。

松平不昧公の江戸大崎の屋敷で、
一啜斎を茶事に招かれた折に用いられたようです。


萬寿棚:ますだな
武者小路千家

一指斎一叟宗守が好んだ棚だそうです。

一指斎一叟宗守が兄の碌々斎瑞翁宗左と共に、
一指斎一叟宗守門下の数寄者で近江八幡の豪商、
西川貞二郎家に長期滞在した際、
これを記念して各々が、
西川家の暖簾印曰(なかいち)を意匠した一閑の作だそうです。

一指斎一叟宗守は中棚を一文字形にしたもので、
地板のない運び水指の棚として「青漆爪紅萬壽棚」と名付けられようです。

碌々斎瑞翁宗左は四方を糸巻形に抜いて曰(なかいち)にかたどったもので、
地板が取り外しのできる兼用の棚として「青漆爪紅糸巻二重棚」と名付けられたとか。

萬寿棚は、青漆爪紅の四本柱の四方二重棚で、
中棚を一文字形に抜いた、地板のない小棚みたいです。


清友棚:せいゆうだな
武者小路千家

一指斎一叟宗守が好んだ棚だそうです。
一啜斎休翁宗守好の「壷々棚」をもとに好んだ棚みたいです。

清友棚は、杉木地で、白竹の四本柱、天板と地板が四方で、
両脇と向こうの三方に松葉の透かしのある腰板がはめられ、
地板に四つの低い足がついた小棚のようです。


澤潟棚:おもだかだな
武者小路千家

愈好斎聴松宗守が好んだ棚だそうです。
また、不徹斎宗守が青漆爪紅で好んだとのこと。

澤潟棚は、溜塗の四本柱の四方二重棚で、
中板が少し手前に湾曲し、棚の足、
柱の上下に澤潟の葉を縦半分にした形の鰭板が付いた小棚のようです。

赤漆のものもあるみたいです。


木瓜棚:もっこうだな
武者小路千家

愈好斎聴松宗守が好んだ棚だそうです。
利休好の「四方棚」をもとに好んだ棚だとか。

桐木地で、天板と地板が四方の、
二本柱で鰭板の付き、四隅が木瓜形の小棚のようです。


七宝棚:しっぽうだな
武者小路千家

有隣斎徳翁宗守が好んだ棚だそうです。

青漆爪紅で四本柱、
天板と地板と中板が四方の二重棚で、
中板が七宝透かしになっている小棚だとか。


起風棚:きふうだな
武者小路千家

不徹斎宗守が、起風軒竣工の折に好んだ棚だそうです。

溜塗で白竹の三本柱の二重棚で、
天板が丸、地板が隅をとった四方、
中板が各頂点を三角に抜いた三角の板になっている小棚みたいです。


嶺雲棚:れいうんだな
武者小路千家

不徹斎宗守が、不徹斎宗守の斎号の出典
「雲在嶺頭閑不徹」
にちなみ、
平成十四年初釜にあたり好んだ棚だそうです。

青漆爪紅で二本柱、
天板と地板が四方の二重棚で、
中板が雲形で、
左右が弓なりの横板でささえられている小棚みたいです。


桑小卓(桐小卓・中央卓):くわこじょく
表千家・裏千家

臘月庵仙叟宗室が、床に用いるために好んだ棚だそうです。
また、惺斎敬翁宗左が、秋田春慶・柳小卓を好み、
吸江斎祥翁宗左は、桐木地で好んでいて「桐小卓」ともいうようです。

桑小卓は、元、中央卓(床に飾る卓)だったようですが、
利休が関白秀次公から縄簾の水指を拝領した時、
地板に置いては恐れ多いということで、
中棚を下げて、水指を置いたそうです。
臘月庵仙叟宗室は、桑の中央卓を香炉卓として好んだようです。

桑小卓は如心斎天然宗左が、点前用に用い始めたとのだとか。
この時、如心斎は、楽焼飴薬の平建水を好んだため、
以後、桑小卓には、平建水を用いるようになったみたいです。

臘月庵仙叟宗室は、上に青磁袴腰香爐、
下に瓢の細口花生を取合せたそうです。

桑木地で、総高一尺七寸一分の細長い姿の、
三分角に一分面取した四本柱で、
天板と中板が同じ大きさで、地板がやや大きく、
中棚が地板より二寸高と低い位置にあり、
中棚と地板との間が聖足になっている小棚みたいです。

天板は面を丸くとった唐戸面を施し、
地板は木口を矢羽の後の部分のような矢筈に取ってあるそうです。

柄杓を置く場合、裏千家では、合を伏せて、
表千家では、合を上にして置くようです。

『茶式花月集』によると、
臘月庵仙叟宗室が、逢源斎江岑宗左に贈る際、
共に合を上にしていたものを、
如心斎天然宗左と、又玄斎一燈宗室が、
合を伏せて荘るようにあらため、
表千家は、再び、
合を上にして荘るようにしたためだとか。
『閑夜茶話』に
「利休の桑小卓は、関白豊臣秀次公より、
縄簾の水指を拝領したときに、
地板に置いては恐れ多いということで、
中棚を下げて水指を置かれたそうです。
天倫和尚が話されていました。
利休の作意はもっともなことです。」
とあるみたいです。

『茶道筌蹄』に
「桑小卓 仙叟床に用る卓にこのむ、
青磁ハカマコシの香炉、フクベの細口の花入を取合す、
点茶棚に用るは如心斎始めなり」
とあるそうです。

『茶式湖月抄』に
「桑小卓 惣高さ一尺七寸、
天板中棚九寸一分四方、厚さ四分、
地板大さ九寸四分、厚さ五分、
ハシバミ六分つヽ、
柱太さ四分、下カラ足、
(柱上下)此間一尺三寸八分、
天井カラトメン有り三に一分」
とあるようです。

蛤棚(利休堂棚):はまぐりだな
裏千家

臘月庵仙叟宗室が好んだ棚だそうです。

裏千家利休堂の点前座の向こう壁に、
仕付けられているところから「利休堂棚」とも言うようです。

木地で、長さ一尺四寸、
幅九寸の蛤形の一重棚を白竹で釣った仕付棚なのだとか。
『茶道筌蹄』に
「利休堂 仙叟このみ、杉、蛤タナと云ふ」
とあるようです。

焼桐棚(鐘楼棚):やきぎりだな
裏千家

又玄斎一燈宗室が好んだ棚だそうです。

唐物中央卓を好み替えた棚で、桐を焼いた木地で、
アーチ状の四本柱、高さ一尺七寸四分五厘、
天板は九寸四分五厘の角盆形で筆返しがあり、
勝手付の柱に煮黒目の袋釘を打ち、
地板の下に山形の畳付がついた小棚みたいです。

用材の焼桐というところからの名前だそうです。

水指は又玄斎一燈宗室好の赤楽の八角ぶりぶり水指を用いるのが約束で、
天板には羽箒、香合または棗を飾るようです。

八角ぶりぶり水指の本歌は、
七代目長入の作で塗蓋なのだとか。


寒雲棚:かんうんだな
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。
圓能斎鉄中宗室好みは、
向こう側下部に香狭間透しのある腰板が入ったものだとか。

元々は、1856年10月、
咄々斎元伯宗旦等の裏千家増築及び修繕工事に出入りしていた
大工、木村清兵衛が、残木の寄木でこしらえ、
玄々斎精中宗室が寒雲亭の向切に用いるために、
工夫した台目棚のようです。

赤杉木地で、高さ二尺五分五厘、
二尺九寸二分と一尺五寸六分の長角の天板に、
赤松皮付丸太の四本柱で、
二尺九寸五分と九寸五分の取り外しのできる中板が付き、
地板がなく、幅一寸五分に厚さ一寸二分の畳摺が三方に付いた大棚みたいです。

炉と風炉とも使用できる運び棚で、
中棚は炉のときのみに用い、風炉の時は中棚を外して使うようです。


円融台(円融棚):えんゆうだい
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。

炉と風炉とも使用できる運び棚だとか。

寒雲棚と同じ形の棚で、
向こうと勝手付に籐を張った腰板が付き、
勝手付の腰板には円窓が繰り抜いてある大棚みたいです。

「天板に裏の玄々斎によって
 いくちとせ花も紅葉も月雪も
 圓(まどか)に融(とお)る影をこそ見れ」
の一首が、墨書名判され、
円窓の意味を語っているそうです。

指物師トウ樹の作だとか。

円融卓というものもあるようです。


これも、玄々斎精中宗室が好んだ棚で、
円融台を二分し、用材も同じとのこと。

勝手柱に袋釘があり、
羽箒・仕覆・柄杓を掛けるとか。

炉・風炉共に用いるものの、
小間の扱いはないとのこと。


更好棚:こうこうだな
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。

利休好の三重棚を元に作られた棚で、
天板と下の柱を取って二重棚として好みなおした、
「更に好んだ」というところからこの名のようです。

玄々斎が、虚白斎と名乗っていたころの棚だったため、
当初「虚白斎好 二重棚」と呼ばれていたとか。

材で黒掻合塗爪紅の二重棚で、
天板・中棚・地板ともに一尺四方、
中板・地板は端喰入りで、
地板の底の四隅に小さな雲形の足のある小棚みたいです。

「青漆爪紅」「桐木地紅」「一閑塗」もあるそうです。

炉と風炉ともに用い、水を次ぐ時は水指をおろすようです。


五行棚:ごぎょうだな
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。

陰陽五行説にちなみ、
天板、地板(乾・坤)の間に、
木火土金水を入れることからこの名があるようです。

五行棚は、木(棚あるいは杓)、火(炭火)、土(土風炉・灰)、
金(釜、風炉)、水(湯)を表すということから、
土風炉をのせる約束となっているとか。
中置用の風炉を置く棚で、水指は置かないようです。

焼杉の木目洗出し、天板と地板は方形で端喰入り、
白竹の三本柱で、竹柱を客柱二節、勝手柱三節、
向柱一節に立てた小棚みたいです。

大工木村清兵衛の作の五行棚は、
竹柱一つ節を向こうに、
三つ節を手前客付に、
二つ節を手前勝手付に、
組んでいたそうです。

現在、一般的な五行棚は、
二つ節を手前客付に
三つ節を手前勝手付に
組むようです。
『寸法録』陸羽風呂銘に、
「坎上巽下離干中、
體均五行去百疾、
聖唐滅胡明年鋳」
:かん上そん下 干中に離あり、
 五行たい均しくして 百疾を去る
 聖唐胡を滅して 明年鋳す
とあるそうです。

釜は北方の水坎(すいかん)と
西方の金兌(ごんだ/きんだ)と
天乾(てんかん)に位し
高く山に象(かたど)る
是(これ)水と釜を風呂に載せたるを云。

風呂は東方の木震(もくしん)と南方の火離(かり)と合し
風巽の風にあらずんば火熾(かし)さかんにもゆる事あたはず。

故に木火は下に位し、上の水金を湯となす。
是風炉の火金の湯を熱するに象る
艮坤(こんごん)の二卦は
土の徳にして火を包み萬物の母なり、
是れ風炉は必ず土を以って作るべし。

春夏秋冬五行相生を云々。

春は東より木南方夏の火を生ず是木生火にて相生ず
火土を生ず土金を生ず秋なり。
土生金にて相生ず金水生ず冬なり
金生に水にて相生ず五行各相生じて吉、
故に陸羽體五行を均しくして百疾を去ると銘したり。

因に云、風炉の時四畳半の半畳の敷様は
茶道口の方南西の隅に敷(しく)と云ふは相生の理なり
火の畳の次になる様に廻しびきにすべし
火生土の理なり其次に風炉畳敷也
是土生金なり相生ず。

杉棚(玄々棚):すぎだな
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。

玄々斎精中宗室が田安家の御蔵調べのとき、
蔵にあった不用の薩摩杉の長持を活かし、
この棚に造りかえたみたいです。

本歌は狂句がしたためられ、
京都でもその後出来(しゅったい)、
薩摩杉の杢目が活かされて、
素晴らしい味になっているのだとか。

薩摩杉の木地の二重棚で、天板と地板は方形、
中棚が前後に動き、客付と勝手付が脇板で、
脇板上部に大きな香狭間透し、
勝手付に竹釘があり、下部が糸巻状に刳ってある小棚のようで、
炉と風炉ともに用いるとか。
玄々斎精中宗室が弟子との問答で、
「炉・風炉共、用テヨシ」
「左勝手ニハ不用」
と言ったそうです。

四方卓:よほうじょく
裏千家

又妙斎直叟宗室が好んだ棚だそうです。

赤杉木地の四本柱で、
腰の三方に竹の横桟を入れ、
向こうには竹の桟から地板に腰板を嵌め込み、
地板の下の四隅に足が付いた小棚みたいです。


香狭間棚:こうざまだな
裏千家

又妙斎直叟宗室が好んだ棚だそうです。

玄々斎精中宗室好の杉棚から発展させたようです。

桐木地の白竹四本柱、総高一尺五寸四分、
勝手付と向こうに桐板が嵌り、
勝手付の側板の上下に香狭間透しが二つあり、
勝手付に杓釘が付き、中板は幅が狭く前後に動く、
地板がなく畳摺が三方に付いた小棚みたいです。

水指は運び出しで、
蓋を取る前に中棚を向こういっぱいまで突くという約束事があるとか。


五行台子:ごぎょうだいす
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

玄々斎精中宗室が好んだ五行棚を、
台子の大きさにした形の棚で、
桐木地の白竹三本柱で、
客柱と勝手柱が中央に立ち、
向柱が地板の向こう中央に立つ台子みたいです。


花月棚:かげつだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

棚全体で七事式の花月に用いる、
折据の形を象っているところからこの名があるみたいです。

杉木地で白竹三本柱の二重棚で、
天板と地板は方形で端喰を入れ、
中板が三角形で、柱は勝手付に二本、
客付に一本を立て、勝手付手前の柱に竹釘を打ち、
地板の四方に足の付いた小棚のようです。


日月棚:にちげつだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室の三男の玄妙斎井口海仙が好んだ棚だそうです。

溜塗の三本柱の二重棚で、
天板が円形、中板が三日月形、地板が方形の小棚みたいです。

円形の天板で太陽を象り、
三日月形の中板は月を表現し、陰陽を表現しているとか。


寒雲卓:かんうんじょく
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

寒雲棚を半分に縮めたもので、
赤杉木地、赤松皮付丸太の四本柱の二重棚、
取り外しのできるやや幅の狭い中板を左右の棚桟に渡し、
地板がなく畳摺が三方に付いた小棚で、
炉・風炉とも、四畳半据にしか使用できないみたいです。

勝手柱には釘が打たれ、柄杓・仕覆をかけるようです。


圓能卓:えんのうじょく
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

桐木地で、幅一寸六分で厚さ四分の二本柱で、
総高一尺四寸七分五厘、
天板が径一尺二寸九分五厘で厚さ四分の円形、
地板が九寸九分五厘角の方形で、
ともに端食み入りの小棚で、
炉・風炉ともに使えるみたいです。

天板が大きいため、独特の荘り方をするのだとか。


糸巻卓:いとまきじょく
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。
無限斎碩叟宗室(淡々斎)の桐木地での再好みもあるようです。

咄々斎元伯宗旦の使用印の形が、
糸巻形であったところから、
それに因んだ好み物がいろいろあり、
この糸巻卓も、その一つみたいです。

杉材で黒真塗爪紅の、
天板と地板が入角菱の糸巻の形をした二本柱、
柱はやや中細の扁平な撥形で、
天板表面に朱が入った糸巻の彫のある小棚みたいです。


猿臂棚(鐵中棚):えんぴだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

玩具の「はじき猿」から考案したものだとか。

はじき猿というのは、
節をくり抜き、竹も上面を一部削いで、
弓形に反った割竹が、
猿の臂の如く嵌めてあり、
竹の中に入れた括り猿を、
割竹のバネを利用して、
筒の中からはじき出すものだそうです。

申年生まれの圓能斎鉄中宗室は、
申に因んだ庚申の香合や、
三猿の蓋置などの好みがあるようです。

桐木地で四本柱の二重棚で、
四本柱のうち客付の柱だけが三節の白竹で、
客付に弓張状に刳った脇板を付け、
中板を勝手付に向かって斜めに切った、
地板のない小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


温古棚:おんこだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

大正天皇御大典の節に利休形冠台をもとに好んだ棚で、
「温故知新」に因んでこの名があるようです。

桐材の黒掻合塗爪紅、
天板と地板は長方形で、
八角の四本柱に、ひじり足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


源氏棚:げんじだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

桑の四本柱の二重棚で、総高一尺七寸一分、
棚板は桐木地一尺弱の方形で、
中棚と地板の間の勝手付側面に、
源氏香透しのある桑の腰板が嵌めこまれた小棚みたいです。

この源氏香透しが名の由来だそうです。

炉・風炉ともに用いるようですが、
逆勝手には使用しないとのこと。

大阪の北村木斎の作で、二十五個作ったのだとか。
「若紫」「御幸」「須磨」「明石」などと書付にあるそうで、
源氏物語五十四帖中の香の図が、
取り上げられているみたいです。


吉野棚:よしのだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

吉野太夫を身請けした豪商灰屋紹益が建てた、
「遺芳庵」と「鬼瓦席」を、
大正11年京都高台寺に移築した際の献茶式の記念に、
吉野太夫が好んだという二畳敷の小座舗「遺芳庵」の吉野窓から、
意匠された棚みたいです。

灰屋紹益は、本阿弥光悦と親交があったそうで、
六条柳町の遊里の名妓、吉野太夫を、
近衛信尋と争って身請けし、
妻としたという話があるとのこと。

この献茶式で用いた
「小兵衛・浄益・浄長・正全」から成る
台子一式は現存し、
平成3年11月20日の、
高台寺本坊修築完成法要の献茶式で、
鵬雲斎汎叟宗室が使用したみたいです。

桐材春慶塗で、面皮付吉野丸太の四本柱、
客付に円窓を刳抜いた腰板が付き、
勝手付には炉では障子を風炉では、
葭戸を嵌めるようになった小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


巴棚:ともえだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

腰板に三つ巴の透しのあるところから、
この名があるようです。

桐材の紅溜塗で、竹の四本柱、
天板は一尺九寸余の方形で端喰入り、
勝手付と向こうに高さ三寸の腰板、
客付には小口が白竹張りの、
三つ巴の透しのある高さ八寸の腰板が、
嵌め込まれている小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。

逆勝手には用いないとのこと。


壺々棚:つぼつぼだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室が好んだ棚だそうです。

青漆爪紅で、四本柱、 高さ一尺三寸二分、
客付と勝手付と向こうの三方に、
小口に朱を施した、
つぼつぼ透しのある腰板が嵌め込まれ、
地板の底四隅に低い足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


秋泉棚:しゅうせんだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

東京の大宮御所内に、
貞明皇后のために建てられた、
四畳半の茶室「秋泉亭」の用具として、
紹鴎水指棚をもとに、
昭和6年の秋に好んだものだとか。

今上天皇の皇太子時代のことを「春宮」と呼そうです。
ちなみに、皇太子の住む宮殿も「春宮」と呼び、
それに対して、皇后宮を「秋宮」と呼んだようです。

本歌は宗哲作で、
秋泉亭の余材をもって作られたみたいです。

檜地紅溜塗の二重棚で、中棚が流水形で、
客付と勝手付に、上段に二葉、
下段に一葉の計大小三葉の楓の透しのある、
横板が付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


加寿美棚(霞棚):かすみだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐地黒真塗爪紅の四本柱で、
四本柱の上下に十文字の桟が付き、
方形の天板と地板を、
その上に載せるようになっている小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


豊祥棚:ほうしょうだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
昭和15年に皇紀2600年を祝って好んだもののようです。

桑木地の三本柱で、
楕円形の天板と地板に、
団扇形の透しのある腰板を曲げて嵌め、
地板は蛤端に面を取った小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


千歳棚:ちとせだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
結婚記念に好んだものみたいです。

天板が狭く中棚が広いために、
横から眺めた姿が、
「千」の字に見えるところからこの名があるようです。

桐地紅溜塗の二本柱の二重棚で、
天板が狭く、中棚が広く、
柱と棚板の縁に黒漆で、
松唐草文様が蒔絵された縁板が付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるそうです。

寸法は、
天板:長さ一尺一寸五分、幅七寸七分五厘、厚さ三分
中棚:長さ一尺九分五厘、幅一尺四分五厘、厚さ七分
地板:長さ一尺一寸六分、幅八寸九分五厘、
 厚さ六分五厘が二段で、上部三分、下部三分五厘
みたいです。


徒然棚(業平棚):つれづれだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐地春慶塗と桑木地の二種があり、
菱形で三本柱の二重棚で、
天板の下が二枚引の袋棚で、
二枚の戸には磯馴松の絵が描かれ、
菖蒲皮紐の引手が付き、
袋棚の下に、客付に一段、勝手付に二段の、
業平菱の透しのある腰板が付いた小棚で、
炉にのみ用いるようです。


蛤卓:はまぐりじょく
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
裏千家の利休堂に仕付けられた、
臘月庵仙叟好の釣棚「蛤棚」をもとに好んだものみたいです。

棚板に根杢を使い、
その木目を蛤の貝殻の甲の縞目に、
見立てたところからこの名があるようです。

桐木地根杢の蛤形の天板と地板に、
白竹の三本柱で、竹柱を客柱一節、
勝手柱二節、向柱三節に立てた小棚で、
炉・風炉ともに用いるのだとか。


お壺棚:おつぼたな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

中棚につぼつぼ三個が、
大小透かし彫りしてあることからの名前のようです。

桐木地で四本柱の二重棚で、
高さ一尺五寸八分、
天板と中板ともに一尺角、
板の厚み四分で六分の端喰入り、
中棚につぼつぼ透かしがあり、
地板のない小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


円叔棚(圓叔棚):えんしゅくだな
裏千家

圓能斎鉄中宗室と無限斎碩叟宗室(淡々斎)が、
父子合同で好んだ棚だそうです。

天板と地板の円板が圓能斎鉄中宗室好、
中板の糸巻形が無限斎碩叟宗室(淡々斎)好なのだとか。

圓能斎鉄中宗室の「円」と、
無限斎碩叟宗室(淡々斎)の前号の玄句斎宗叔の「叔」をとって、
名付けたものみたいです。

桐地青漆の二本柱で、
柱の面取部のみ朱塗の二重棚で、
総高一尺五寸七分五厘、
天板と地板が円形、
中棚が糸巻形で、
地板に雲形の鰭板が付き、
底に三本の足の付いた小棚のようです。


旭棚:あさひだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

昭和天皇御大典の際に好んだもので、
用材の縮緬皺を波に見立て、
「旭光照波」の意匠を表したものみたいです。

栃あるいは楓木地の四本柱で、
向板に旭に霞のかかった透しがあり、
客付と勝手付に二段の霞形の桟を付けた、
地板がなく三方に畳摺を付けた小棚のようです。


知足棚:ちそくだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

円形の天板の手前部分がないことから形から、
『老子』の「知足(たるをしる)」に因んでこの名があるとか。

桐地青漆で木口が黒塗の二本柱で、
天板が円形の前方を切り落とした形で、
地板が方形の小棚で、
炉・風炉ともに用い、逆勝手にも仕えるみたいです。


寿棚:ことぶきだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

昭和3年の御大典の際に好んだもので、
当初は八角の桐木地の天板に、
菊置上の「菊寿棚」だったものを改めて好んだものだとか。

松材溜塗で、
地板は一尺一寸四分四方、
天板は八角形で、
天板と地板の木口を黒蝋色塗にし、
柱は四方透かしの二本柱で、
上下に雲形透かしの鰭板がついた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


菊寿棚:きくじゅだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

昭和3年の昭和天皇御大典の際に好んだものみたいです。

桐木地で、天板は八角形で、
菊置上が施され、地板は四方、
柱は白竹の二本柱で、
上下に雲形透かしの鰭板がついた小棚で、
炉・風炉ともに用いるとか。


瓢棚(文化棚):ひさごだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

杉木地で、勝手付の側板を瓢形に刳抜き、
刳抜かれた瓢形の板を天板とし、
客付に立てた竹の一本柱で支え、
取り外しのできる地板が付いた小棚みたいです。

地板は取り外しができるので、
あれば水指を置き、
なければ運び棚として用いるとか。

勝手付に竹の杓釘を差し込めるようになっていて、
仕覆や羽箒もかけることができるようです。


八千代棚:やちよだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
利休好の旅箪笥をもとにして好んだものみたいです。

本歌には無限斎碩叟宗室(淡々斎)の嘉代子夫人の筆で、
『古今和歌集』の
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の
 巌となりて 苔のむすまで」
の小色紙が張ってあることろからこの名があるようです。

桐材紅溜塗の四方箱で、
倹飩の前戸は鳥の子張りに金砂子が霞に撒いてあり、
縁は桐木地、銀の七宝座の摘みが付き、
箱の両側の上部に七宝透しがある箪笥で、
炉・風炉ともに用いるのだそうです。

宝透しの内側に桐木地の板が嵌っていて、
これを引き出して芝点を行う場合に用いることもあるとか。

この棚に似通ったものに、
無限斎碩叟宗室(淡々斎)好の操棚があるようです。


七宝棚:しっぽうだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

天板と地板は焼杉材拭漆で、
皮むき竹の紅溜塗の四本柱、
客付と勝手付に円窓に七宝透しの腰板が付き、
向側腰板には七宝の半裁を透し、
地板の両側下に雲形の地板台が付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


円意棚:えんいだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

本歌は天板裏に
「ものごとに 障らぬものは 円(まどか)なる
 おのがまことの 意(こころ)よりこそ」
の歌が書かれていることから、
この名があるようです。

客付は向こうに、勝手付は手前にして側板を立てるのだとか。

桐木地で、総高一尺二寸、
天板と地板は縦一尺一寸五分と幅一尺二寸の方形で、
円窓を刳り抜いた板を二つ割にし、
互い違いにして左右の側板にした小棚で、
炉・風炉ともに用いるそうです。


折据棚:おりすえだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

地の板の方形に、
中板の菱形の組み合わせが、
七事式の花月に用いる折据を畳んだときの形に、
似ているところからこの名があるようです。

向柱一節、客柱二節、
勝手柱三節に竹を立てるのだとか。

赤杉材で、竹の三本柱の二重棚で、
天地の板は端喰入りの方形、
小口に松を張り花月の蒔絵を施した、
やや小さめの中板を菱形に取り付けた小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


点茶盤:てんちゃばん
裏千家

玄々斎精中宗室が好んだ棚だそうです。
また、鵬雲斎汎叟宗室好は、黒真塗だそうです。

立礼に用いられる点茶用のテーブルで、
明治5年に開催された第一回京都博覧会において、
京都府参事槇村正直から「外人も楽しめるような茶席がほしい」
と依頼された前田瑞雪が、玄々斎精中宗室に相談して、
明治4年に、椅子と卓による点前を考案したものだとか。

黒掻合わせ塗の板を、竹の四本柱が支え、
下部は杉木地の山道形の腰板がはまっており、
中棚も杉木地で桟に載せられているようです。

点茶盤の右側に喫架を置き、
円椅に座り点前をするみたいです。

また「立礼棚」にも詳細を記載しています。


御園棚(春秋棚・知新棚・和親棚):みそのだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
今上天皇立太子礼の記念に好んだもののようです。

京都大宮御所での祝賀茶会に用いられ、
「御園棚」と命名されたとか。

荷負形で両側には朱色の組紐が、
華鬘結びになっているみたいです。

鵬雲斎汎叟宗室好に意匠の少し異なる
「春秋棚(しゅんじゅうだな)」「知新棚(ちしんだな)」が、
坐忘斎玄黙宗室好に「和親棚(わしんだな)」などがあるそうです。


方円卓:ほうえんじょく
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

「水は方円の器に従う」
からこの名がるようです。

溜塗の二本柱で、天板が円形、
地板が方形の小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


渚棚:なぎさだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

裏千家の利休堂にある臘月庵仙叟好の釣棚「蛤棚」を、
置棚として好んだものだとか。

桐木地で勝手付の側板を蛤形に刳って天板とし、
客付に白竹一本柱を立て上部の切込みに天板を差し込み、
地板は長方形で客付向こうを斜めに切り落してある小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


荒磯棚:あらいそだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐木地四本柱の二重棚で、
波頭の透かしがある腰板が三方に嵌り、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いようです。

間に踊る鯉の文様の水指を置いて、
波頭の透かしとあわせて「荒磯文様」となるため、
同じく無限斎碩叟宗室(淡々斎)の好んだ「荒磯水指」を、
合わせるのが約束になっているとか。


誰袖棚:たがそでだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

天板の形が着物の袖に似ているところから、
この名があるようです。

本歌は法隆寺古材で造られ、
表側は古材の味をそのまま残し、
裏側と小口は溜塗となっているとか。

溜塗の三本柱で、天板の右手前が丸く落とされ、
三方の柱の側面に蔓の絵を黒漆で描き、
地板が長方形の小棚で、
炉にのみ用いるみたいです。


丹頂棚:たんちょうだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

天板に鶴の意匠を施したところから、
この名があるようです。

松摺漆の二本柱で、
天板の手前が鶴の首の形に刳られ、
柱は三本の皮付松の枝を木賊張にし、
地板が方形の小棚で、
炉にのみ用いるみたいです。


尚歌棚:しょうかだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

重色紙と短冊と筆を表した意匠で、
歌を尚(とうと)ぶというところから、
この名があるようです。

桐木地の二本柱で、
長方形の天板と地板の対角の角を欠いて重色紙形にし、
七宝透しのある短冊形の桐柱に白竹の柱を添えて、
反対の対角に立てた小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


大内棚:おおうちだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
貞明皇太后の大宮御所での献茶の際に好んだものだとか。

大内桐を透したところからこの名があるようです。

檜地紅溜塗の二重棚で、客付は上に桐で下が菊、
勝手付が上が菊で下が桐の透しのある横板が、
付いた小棚で、炉・風炉ともに用いるみたいです。


溜精棚:りゅうせいだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。
貞明皇太后の大宮御所での献茶の際に好んだものだとか。

裏千家の溜精軒の風炉先にある、
使いふるしの柄杓の柄を組んだ、
下地窓「杓の柄窓」を写したところから、
この名があるようです。

杉木地で、天板と地板は方形、
客付に小柱一本を立て上部に天板を差し込み、
勝手付に半月に刳った横板が付き、
その半月の中に、
柄杓の柄を組み藤蔓で絡み編みした小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


御幸棚(御車棚):みゆきだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

御幸棚は、はじめ「御車棚」と呼ばれていたようですが、
のちにこの名に変わったとのだとか。

桑材の四本柱の二重棚で、天板と地板は四方、
中板は手前を丸く刳り、両側に大きな車輪を付け、
車輪の押え板に巴彫を入れ、上段三方に御簾をかけ、
向こうに葵の透しのある腰板が嵌った小棚みたいです。

炉・風炉ともに用い、逆勝手にも使えるようです。
また、御簾は取りはずしても使えるとか。


独楽棚:こまだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

利休三百五十年忌に好んだものだとか。

桐木地の四本柱の二重棚で、
天板と地板は四方、
中段の三方に独楽透しのある板を嵌め、
地板はなく三方畳摺で鰭板が付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


遠山棚:とおやまだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐木地の四本柱の二重棚で、
天板と地板は四方、中板は雲形で、
天板と中板の間の三方に遠山形の板を嵌め、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


清和棚:せいわだな
裏千家

無限斎碩叟宗室(淡々斎)が好んだ棚だそうです。

桐木地の三本柱の二重棚で、
天板と中板が三角形、地板が長方形で、
勝手付の上段に香狭間透しのある板を嵌め、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。

春慶塗のものもあるとか。


山雲棚:さんうんだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

溜塗の四本柱で、
天板の対角の角を欠き、小口に雲が描き、
地板には流水が彫られ、
客付の手前の柱が向こうに寄っている小棚で、
炉・風炉ともに用いるみたいです。


行雲棚:こううんだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

昭和四十三年に好まれたもので、
行雲と流水の透しがあるため
「行雲流水(こううんりゅうすい)」
からこの名があるみたいです。

天板と地板は松材拭漆、
桑材の四本柱の二重棚で、
中板が楓材、勝手付に桜材の脇板、
客付に行雲透しのある梅材の脇板を渡し、
勝手付と向こうに白竹を渡し流水透しのある、
玉椿材の腰板を嵌め、
客付には黒柿材の横桟を二本渡した小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


銀杏棚:いちょうだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

桐木地の四本柱の二重棚で、
中板が銀杏の葉の形に切り抜かれ、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉に用いるようです。


竹寿棚:ちくじゅだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

黒塗の二本柱で、
天板と地板は八角形で小口に白竹の割竹を張り、
柱の外側に一節の白竹の割竹を縦二本並べて張り、
地板の前後左右に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用い、逆勝手にも使えるとか。


七宝卓:しっぽうじょく
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

黒塗の二本柱の二重棚で、
天板と地板が円形、中棚が糸巻形で、
地板と柱の小口に青貝が象嵌されている小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


寿扇棚:じゅせんだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

昭和五十七年に好まれ、
松竹梅の材と扇形の腰板からこの名があるようです。

紅溜塗の三本柱で、天板の右手前が丸く落とされ、
柱は勝手付手前が白竹、向こうが梅の角、客付向こうが松材で、
棚の向こうと勝手付に横桟を渡し、
扇形の腰板が三方に嵌め込まれ、
地板は四方で四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


三和棚:さんわだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

松竹梅からこの名があるとか。

松材拭漆で白竹四本柱の二重棚で、
五つの梅花の透しのある桐の腰板が、
向こうに嵌め込まれ、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


桑扇棚:くわおうぎだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

桑材の煤竹三本柱の二重棚で、
天板・中板・地板とも扇形で、
天板と中板の間に扇面形と、
扇面透しのある板を嵌め、
地板の三隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


玉椿七宝棚:たまつばきしっぽうだな
裏千家

鵬雲斎汎叟宗室が好んだ棚だそうです。

玉椿材で棚全体で七宝円の形を、
象っているところからこの名があるとか。

玉椿材の三本柱の二重棚で、
天板と地板が長円形、
中棚が糸巻形で、
地板に中板と同形の玉椿材に拭漆をした板を、
嵌め込んだ小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


富貴棚:ふうきだな
裏千家

坐忘斎玄黙宗室が好んだ棚だそうです。

桐木地で白竹四本柱の二重棚で、
客付と勝手付と向こうの三方に、
鰭板のような低い腰板が付き、
中板と地板に色紙重の形の板を嵌め込み、
地板の四隅に足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


雲鶴棚:うんかくだな
裏千家

坐忘斎玄黙宗室が好んだ棚だそうです。

桐木地の四本柱の二重棚で、
天板と中板の間に、
客付と勝手付は鶴の透しのある板を嵌め、
向こうに雲形の板の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


平生棚:へいせいだな
裏千家

坐忘斎玄黙宗室が好んだ棚だそうです。

溜塗の三本柱の二重棚で、
天板が円形、中板が三角形、
地板が方形の小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


佳辰棚:かしんだな
裏千家

坐忘斎玄黙宗室が好んだ棚だそうです。

溜塗の四本柱で、
天板と地板は長方形、
客付と勝手付と向こうの三方の下部に欄干を付け、
地板の四方にひじり足の付いた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


吟楓棚:ぎんふうだな
裏千家

坐忘斎玄黙宗室が好んだ棚だそうです。

溜掻合塗の四本柱で、
天板と地板は長方形、
手前の二本の柱を白竹、
向こうの二本の柱を桐とし、
客付と勝手付と向こうの三方の下部に白竹を渡し、
客付と勝手付には竹の下に、
楓の透かしのある桐の腰板を嵌めた小棚で、
炉・風炉ともに用いるようです。


冠台(冠棚):かんむりだい
裏千家

元々、利休が所持していた冠を載せておく台だそうです。

真塗で四隅に金物が嵌めてあり、
四本柱で天地の板を支え、
短い聖脚が地板についているようです。

藪内家伝来のものは、
正方形の袋棚で、
四本柱、天板に勾欄がついていて、
地袋は倹飩、
内に染付オウムの水指を入れるのが約束みたいです。

公家使用の冠を置く卓から出ているので、
いろいろ種類があるとのこと。




作品名:寿扇棚
備考:中古品/紙箱入
キズなし/鵬雲斎好

寿扇棚
※画像を押すと拡大できます。
裏千家第十五代家元汎叟宗室(斎号は鵬雲斎)好の棚だそうです。

三本柱の角棚で、勝手付の柱が「竹」、
その対手隅が「梅」の角、客付向こうが「松」の自然材、
となっているみたいです。

また、棚の向こうと勝手付には、横桟が亘(わた)され、
扇形の腰板が三方に嵌められているようです。

天板は客付手前が丸く切られ、誰ケ袖形となっているのだとか。

「寿扇棚」の名は、松竹梅の材と扇形の腰板からきているようです。

水指に関しては、低めのものが似合うそうですが、
特に約束はないとのこと。


■一般的な小棚の扱い(水次の水を注ぐ)
三本柱の棚で、水を注ぐ場合、
水指を地板前いっぱいに挽き出して扱うそうです。
これを「半出し」というのだとか。

水指の蓋は、三手で水指の前正面に立てかけるようですが、
場合によっては、両手で扱っても差し支えないのだとか。

四本柱の棚は、水指を畳におろして水を注ぐそうです。
地板のない運び棚は、手前の柱半かかりに置いて、
両手で手前に持ちかえたあと、奥行中央に置き直すのだとか。

二本柱の棚は、水指をそのままにして水を注ぐそうです。

※寿扇棚の説明はこちらにもあります。


作品名:吉野棚
備考:紙箱入/圓能斎好/
地板に少しスリ有

吉野棚
※画像を押すと拡大できます。
裏千家第十三代家元鉄中宗室好の棚だそうです。

吉野太夫が好んだという二畳敷の小座舗「遺芳庵」の吉野窓から、
意匠された棚みたいです。

「遺芳庵」は、二畳敷きの向こうに向板が嵌まり、
壁床で、逆勝手になり、一畳の水屋がついているようです。
左側客の後には、二枚障子に亘(わた)って、
大円窓「吉野窓」があるそうです。

客付は、この円窓を活かして意匠されたみたいです。

桐材は春慶塗で、吉野太夫を表わし、
四本柱は、細い吉野丸太で面皮、数寄屋を表わしているとか。
勝手柱には、柄杓釘が打ってあるようです。

勝手付には、温度寒暖に関係なく炉の時には障子、
風炉の時には葭戸を嵌めるのが約束だそうです。

さて、丸窓といえば、
京都市北区鷹峯にある曹洞宗の寺院「源光庵」が思い出されます。

丸い窓が「悟りの窓」、四角い窓が「迷いの窓」になるようです。

悟りの窓は「禅と円通」の心を表わし、円は大宇宙を表現するそうです。
また、迷いの窓は「人間の生涯」を象徴し、
生老病死の四苦八苦を表わしているのだとか。

※吉野棚の説明はこちらにもあります。


作品名:桐短冊箱
(水指/建水/茶碗×2/
棗/茶筅/茶杓/柄杓)
価格:20,000円
備考:紙箱入

桐短冊箱
※画像を押すと拡大できます。
金森宗和の考案による短冊箱は、宗和箪笥、短冊箪笥とも言うそうです。

点茶に必要な茶器を入れる細長い縦型の箱で、
倹飩開きの戸がつき、ふた裏に短冊を貼って
野掛け(野点)などに用いるのだとか。

「短冊箱」の名は、倹飩蓋裏に短冊を貼って、
客付にあけて野点などに用いるところからきているようです。

※短冊箱の説明はこちらにもあります。


作品名:旅箪笥(桐)
価格:5,000円
備考:蓋に割れ有/稽古用
 /紙箱入

旅箪笥(桐)
※画像を押すと拡大できます。
もともと水屋用の棚だそうです。
利休が1590年、小田原の陣に豊公に従い、
転々とする宿営に便ならしめるために創意したもので、
当時としては、簡便な携行品だったみたいです。

樅(もみ)材のざんぐりしたものもあるそうですが、
総桐材で前戸が倹飩であるから、
地板の手前に溝があり、戸をそれに嵌めて押立て、
掛金を掛けるようになっているとか。


■開け方・閉め方
最初、戸を外す時は、右の拇指と食指で落し込みの金具を外し、
倹飩上部にある鐶に横に差し込み、掴みとして前に倒し、
左手で戸の左横下を持ち、右手で左横の上部を取り、
畳に摺らぬように、縦に向こうを向け、
箱の左側に差し込み、もたせて置くようです。

戸を閉める時は、この反対の手順で、
両手でもたせかけた戸を引き出し、正面で持ち替え、横にし、
下部を下の溝に嵌め、左手を添えたまま戸を押し立て、
掴みの掛け金を鐶より外し、上部の縁についている
チビ壺へ嵌めるそうです。


■使い方
中は二段で、上棚の左方に柄杓を掛ける切り込みがあり、
柄杓は合を向こうにして、右片手で掛けるようです。

上棚には、何ものせず、地板には、柄杓の柄の下に
蓋置を荘るのだとか。点前をはじめる前に、
水指は地板いっぱいに半出しにして置くそうです。

仙叟好みは中棚のみで、柄杓掛の切り込みがあるのだとか。
玄々斎好みは杉で、前戸と両側は網代組になっているようです。
石州好みは、中棚の右に切り込みがあり、
中棚の奥行が上棚より広く、中棚の受桟の向こうが少し短く、
向こうに半分落して水を汲むそうです。


■淡々斎の春慶紅葉張旅箪笥
淡々斎好みは、春慶紅葉張みたいです。
戦前、朝鮮総督府に出張した際、
江原道金剛山に登り、その紅葉の素晴らしさに、
持ち帰り、飛来一閑に命じて好んだのだとか。

参考にした写真が白黒なため、色はわからないのですが、
見た目は、紅葉の葉が全体に散りばめられ、
中は、上板と中板で区切られているみたいです。


■旅箪笥の点前
濃茶の場合、棚を定座に据え、前戸を開けて、
勝手付に表を棚に向けて立てかけ、
中棚中央に薄茶器を荘って、地板手前いっぱいに水指を半出しにし、
棚正面中央に茶入を荘付けそうです。

薄茶だけの場合、棚を定座に据え、中棚中央に薄茶器、
地板中央に水指を置き、柄杓を上棚にかけ、
その下、地板の上に蓋置を於いて、前戸を閉め、
掛金をしておくのだとか。

初炭・後炭手前の場合、棚を定座に据え、
前戸は閉めておくそうです。

初炭の場合は、香合・羽箒を荘ることがあるようですが、
後炭の場合は、荘らないみたいです。

※旅箪笥の説明はこちらにもあります。


作品名:水指棚
備考:紙箱入

水指棚
※画像を押すと拡大できます。
水指棚(みずさしだな)の点前の扱いは、
大内棚とほぼ同じだそうです。

以下、紹鴎水指棚の荘付けについて、
簡単に見ていこうかと思います。


■濃茶点前
荘付けは、棚を定座に据え、中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置き、棚正面中央に茶入を荘付けるみたいです。

ここでは、水指に水を注ぐ場合の説明だけしようかと思います。

水次を持ち出して、棚正面に座り、
水指を棚から畳におろして、
水指の蓋を右・左と二手で開け、蓋は水指の左横に立てかけたのち、
水指に水を注ぐそうです。

水を注ぎ終わったら、水次を戻して、
水指の蓋を左・右と二手で閉め、
水指を元の位置に戻して、
水次を持って下がるのだとか。


■薄茶点前
棚を正座に据えて、中棚中央に薄茶器を荘り、
地板中央に水指を置くようです。


■初炭手前
棚を定座に据え、中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置くそうです。

香合・羽箒を荘る場合は、
天板の左前角に香合を荘り、
羽箒は香合の右の方、斜めに置き、
八の字形、入荘りとするのだとか。


■後炭手前
点前座は、初炭手前と変わらないようですが、
羽箒・香合は、荘らないみたいです。

※水指棚の説明はこちらにもあります。


作品名:桐 扇棚
作者:小林幸斎
価格:10,000円
備考:即中斎好写

桐 扇棚
※画像を押すと拡大できます。
点前の扱いは、丸卓(桐)と一緒だそうです。

以下、丸卓の荘付けについて、
簡単に見ていこうかと思います。


■濃茶点前
棚を定座に据え、
天板中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置き、
棚正面中央に茶入を荘付けるようです。


■薄茶点前
薄茶だけの場合、
棚を定座に据えて、
天板中央に薄茶器を荘り、
地板中央に水指を置くのだとか。


■初炭手前
棚を定座に据え、
天板中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置くようです。

香合・羽箒を荘る場合は、
天板、左手前に香合を荘り、
羽箒は香合の右の方、斜めに置き、
八の字形、入荘りとするそうです。


■後炭手前
点前座は初炭手前と変わらないようですが、
羽箒・香合は荘らないのだとか。、

※扇棚の説明はこちらにもあります。


作品名:溜精棚
備考:紙箱入

溜精棚
※画像を押すと拡大できます。
溜精棚(りゅうせいだな)は、裏千家十四世無限斎の好みで、
裏千家宗家の「溜精軒」の「杓の柄窓」より意匠され、
名付けられたそうです。

「溜精軒」は「寒雲亭」の隣にある六畳間で、
普段は廊下のように通り過ぎるところの、
両側にある障子を閉め切ると、
玄々斎好の間となるようです。

溜精棚は、杉木地で天板と地板とを、
客付は、用材の一本の角柱、
勝手付は、蛤形に刳(く)って、
柄杓の柄を縦三本、横三本の差通し、
月形両種を藤蔓でからめた同材で繋ぎ、
組み立て式なのだとか。
天板・地板とも面は取っていないそうです。

本歌は、大阪職方萩井好斎の作みたいです。

杓の柄は宗家の使用後のものを使うことになっているとか。

溜精棚は、一重棚・三本柱扱いの棚で、
逆勝手には用いないそうです。

ちなみに「溜精軒」は逆勝手の席のようです。

※溜精棚の説明はこちらにもあります。


作品名:瓢棚
備考:紙箱入

瓢棚
※画像を押すと拡大できます。
瓢棚(ひさごだな)は、文化棚とも言うそうです。

以下、瓢棚の荘付けについて、
簡単に見ていこうかと思います。


■濃茶点前
棚を定座に据え、
天板中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置き、
棚正面中央に茶入を荘付けるようです。

地板を用いない場合は、
水指を天板下、畳中央に置くのだとか。


■薄茶点前
薄茶だけの場合、
棚を定座に据えて、
天板中央に薄茶器を荘り、
地板中央に水指を置くみたいです。

地板を用いない場合は、
水指は運びとなるそうです。


■初炭手前
棚を定座に据え、天板中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置くようです。

地板を用いない場合は、
水指を置かないのだとか。

香合、羽箒を荘る場合は、
地板勝手付手前に香合を荘り、
羽箒は、掛釘にかけるそうです。


■後炭手前
点前座は初炭手前と変わらないようですが、
羽箒、香合は荘らないみたいです。

※瓢棚の説明はこちらにもあります。


作品名:三和棚
作者:川瀬表完
価格:50,000円
備考:鵬雲斎好/紙箱入

三和棚
※画像を押すと拡大できます。
三和棚(さんわだな)の点前の扱いは、荒磯棚と一緒だそうです。

以下、三和棚の荘付けについて、
簡単に見ていこうかと思います。


■濃茶点前
棚を定座に据え、
中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置き、
棚正面中央に茶入を荘付けるのだとか。


■薄茶点前
薄茶だけの場合、
棚を定座に据えて、
中棚中央に薄茶器を荘り、
地板中央に水指を置くそうです。


■初炭手前
棚を定座に据え、
中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置くようです。

香合、羽箒を荘る場合は、
天板、左前角に香合を荘り、
羽箒は、香合の右の方、斜めに置き、
八の字形、入荘りにするようです。
これは、二重棚としての扱いなのだとか。


■後炭手前
点前座は初炭手前と変わらないようですが、
羽箒、香合は荘らないそうです。

※三和棚の説明はこちらにもあります。


作品名:寒雲棚
価格:10,000円
備考:紙箱入

寒雲棚
※画像を押すと拡大できます。
寒雲棚(かんうんだな)に地板はなく、
炉・風炉ともに運び点前の扱いだそうです。
同様の棚に、円融棚があるようです。

安政3年(1856年)10月、咄々斎等の裏千家増築、
及び修繕工事に出入りしていた大工木村清兵衛が、
残木の寄木でこしらえ、玄々斎が、
寒雲亭の向切用に工夫して好んだ台目棚だそうです。

用材は、赤杉の木地で、
中板があり、前を除いた三方に桟を亘(わた)すのですが、
取り外しができるみたいです。

四本の松の皮付柱を、
同じく前を除いた地摺りの四隅に立て、
天板をかぶせるそうです。

向こう地摺りの上端より六寸(約18.2cm)の高さに
一本桟を亘してあるのだとか。
この桟のところに香狭間透しの板を入れると、
圓能斎の再好みになるみたいです。

向切の節は炉縁の上に地摺りを被せて据えるようです。
台目切の節は炉縁上座端いっぱいに、
ちょうど、台目柱の立つところに棚の客柱が立つように据え、
四畳半切の節は、畳目十六目に据えるみたいです。

風炉の節は、畳敷合わせいっぱいに据えて、台目据えとすることも、
畳目十六目に据えて、広間据えとすることもできるのだとか。
風炉を中央に据えて中置にもできるようです。
いずれも、風炉の節は、中板を使わず、取り外すそうです。

天板には、袋棚と同じく、
直接点茶に使用する道具は、荘らないようですが、
料紙文庫・硯・巻物・炭斗・花入などは、荘って良いみたいです。

風炉の節は、中棚を外すので、
天板に道具を荘ることができるそうです。

※寒雲棚の説明はこちらにもあります。


作品名:更好棚
備考:紙箱入

更好棚
※画像を押すと拡大できます。
更好棚(こうこうだな)は、通常の三重棚と違い、
柄杓・蓋置は、棚板同じながら中棚に荘り、
薄茶器は天板に置くそうです。

千歳棚も同様の扱いみたいです。

以下、更好棚の荘付けについて、
簡単に見ていこうかと思います。


■濃茶点前
棚を定座に据え、
中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置き、
棚正面中央に茶入を荘付けるそうです。


■薄茶点前
薄茶だけの場合、棚を定座に据えて、
中棚中央に薄茶器を荘り、
地板中央に水指を置くのだとか。


■初炭手前
棚を定座に据え、
中棚中央に薄茶器を荘って、
地板中央に水指を置くようです。

香合、羽箒を荘る場合は、
天板左前角に香合を荘り、
羽箒は香合の右の方に、斜めに置き、
八の字形、入荘りとするそうです。


■後炭手前
点前座は初炭手前と変わらないみたいですが、
羽箒、香合は荘らないのだとか。

※更好棚の説明はこちらにもあります。


作品名:桑小卓
備考:紙箱入

桑小卓
※画像を押すと拡大できます。
桑小卓(くわこじょく)は、裏千家四代仙叟宗室の好みで、
兄の表千家江岑宗左に贈ったものだそうで、
裏千家では長い間用いられることがなかったのだとか。
その後、玄々斎のころより、
端午の節句に用いられるようになったみたいです。

桑小卓(くわこじょく)は、
別名「矢筈棚(やはずだな)」とも言うようです。

材は桑で、四本柱で中棚と地板の間は聖脚になっているそうです。

この棚はもとは、天板と中棚に多くの穴が開けられ、
矢を立てておく、矢台であったものを、
その姿を写して小棚としたものだとか。

地板の側面が矢筈になっているのは、その名残だそうです。

小卓なため、水指は細めのものがふさわしく、
元々白地のオランダ細水指が取り合わされたようです。

また、中棚の位置が低く、地板と中棚の間に、
平建水を荘り付けることができるみたいです。

点前の終わりに、柄杓を勝手付の二本の柱に
斜めに荘り残すのは、この棚の特徴だそうです。

※桑小卓の説明はこちらにもあります。


作品名:杉棚
備考:紙箱入

杉棚
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杉棚(すぎだな)は、はじめ玄々棚と言ったそうで、
後に杉棚の名に変えたようです。

横板には、左右ともに中棚より二分五厘(0.8cm)上に、
香狭間透しの窓があるそうで、
その下がそれぞれ前後半月の刳(く)りになっていて、
更に、畳付中央八寸(24.2cm)を刳り抜き、
その左右が棚脚替りとなっているみたいです。

地板は、長さ一尺一寸(33.3cm)、幅一尺八分(32.7cm)で、
横板下、半月の弧の下端から畳付までの間、
一寸二分(3.4cm)の上目七分(2.1cm)の所に、
畳より浮いて、横板が嵌(は)められているようです。

天板は、長さ一尺三寸(39.4cm)、幅一尺一寸(33.3cm)で、
横板の上に覆いかぶさっているみたいです。

中棚は、長さ一尺一寸(33.3cm)、幅五寸六分(17cm)で、
桟の上に載り、桟は長さ八寸六分(26.1cm)、幅二分(0.6cm)、
厚さ四分(1.2cm)で、横板向こういっぱいより、
手前小口より二寸四分(7.3cm)のところまで打ってあり、
中棚が前後できるようになっているとか。

※杉棚の説明はこちらにもあります。


作品名:五行棚

作品名:雲龍釜
作者:高橋敬典

作品名:真塗紅鉢 尺0

五行棚
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『寸法録』の五行棚の項を説明しようかと思います。

五行棚は、裏千家十一代玄々斎好の棚みたいです。

寸法などは以下の通りだそうです。
 焼杉木目洗い出し
 丸い竹柱:六分五厘
 板:小口より五分入って立つ
 天板:一尺四寸×一尺二寸
 板厚み:五分
 総高さ:一尺六寸八分
 地板:一尺四寸、四方

六十四卦(方位は八卦)によると
坤(地):西南
艮(山):東北
坎(水):北
巽(風):東南
震(雷/木):東
離(火):南
兌(沢/金):西
乾(天):西北
となるようで、
これらを踏まえると、以下のようになるみたいです。


■風炉は土風炉を使う
風炉(水と釜)は、
水坎:北
金兌/天乾:西
にあたるようです。

また、風炉は、
木震:東
火離:南
で、風巽の風でないため、
火は盛んに燃えることはないようです。

風炉(火金)を熱するには、
上卦:木火(震離)=雷火豊
下卦:水金(坎兌)=水沢節
艮坤は、土の徳、火を包み、万物の母。
そのため、風炉は、必ず土風炉を使うそうです。


■季節に当てはめる
それぞれの季節に当てはめると、
春:木(東)→火(南)
夏:火(南)→土(西南)
秋:土(西南)→金(西)
冬:金(西)→水(北)
となって、五行がすべて揃うため、
陸羽はこれを
「五行たい均しくして 百疾を去る」
と言ったようです。


■ちなみに
風炉の時四畳半の半畳を、
茶道口の南西の隅にするのは、
夏:火(南)→土(西南)
から来ていて、次に風炉畳を敷くというのは、
秋:土(西南)→金(西)
から来ているそうです。

※五行棚の説明はこちらにもあります。


作品名:配膳棚
備考:紙箱入

配膳棚
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表千家不審庵に建つ茶室の一つ点雪堂は、
四畳茶室の祖堂と、反古張席(ほごばりのせき)・勝手・水屋からなるそうです。

ここの勝手には、折りたたみ式の「配膳棚」が備え付けられているようです。

点雪堂の勝手は、板の間と三畳敷と土間とからなっており、
一隅に右手に流し、左手に「長炉」がつくられているみたいです。

「長炉」の上部には蛭釘が三つあって、そこに鎖がつくられ、
その蛭釘をレールによって左右に移動できるようにしているとか。
これは懐石の用意をする際にとても実用的な、
他の水屋には見られない工夫なのだそうです。

長炉の右手は、すのこ張りとなっているようで、
その上部に一枚の棚がもうけられているみたいです。

北側の壁は大きく中敷居窓があけられて、
窓の右手に折りたたみ式の「配膳棚」があるそうです。

部屋の西南には明り障子が立てられて、
その外に半畳ほどの竹縁が作ってあるみたいです。


■点雪堂(祖堂)とは
表千家不審庵に建つ茶室の一つ、点雪堂は、
七代如心斎が造立し、天明の大火後、
十代吸江斎が再興した建物みたいです。

四畳茶室の祖堂と、反古張席(ほごばりのせき)・
勝手・水屋などからなっているようです。

祖堂は、利休像をまつった二畳台目の上段の利休堂、
道安囲いの四畳半(四畳半切本勝手)、
堂付風炉先床の床の間からなるそうで、
利休の年忌や特別の茶事にのみ使われるとか。

茅葺屋根の妻に掲げられた扁額は、
大徳寺の竺嶺和尚の筆だそうです。

不審庵は明治39年に火事があったようですが、
その時に焼失を免れたのが「点雪堂」みたいです。
火災の直後、この建物が、家元の応急の仮り住まいとなり、
たいへん重宝な役割を果たしたとか。

「点雪堂」は、露地口を入ってすぐ右手のはね木戸をすすむか、
あるいはまた外腰掛から中潜を経て、
さらに右手へ折れて茅門をくぐるとあるようです。

点雪堂には、反古張席という、
八代卒啄斎好の一畳台目向板入向切の茶室が附属しているそうで、
祖堂の正面から左手の方へ進むと、この席の入口へ導かれるようです。

この席の前面には庇が深く付けおろされ、
北と西の二方を袖壁で囲い、一坪ほどの広さの土間庇を構成していて、
ちょうど御室の仁和寺遼廓亭や如庵の形式と共通するものがあるとか。


■火灯口(かとうぐち)
「点雪堂」の茶道口は、火灯口だそうです。

火灯口は、主に給仕口に用いられる出入口の形式のひとつみたいで、
方立のような枠を用いず、出入口の上部を丸くして壁を塗り廻し、
塗り廻した縁を奉書紙で貼り、
水屋側に鴨居を入れて片引き襖を建てたものみたいです。

裏千家の一畳台目向板入向切の今日庵や、
武者小路千家の一畳台目半板入向切の官休庵なども火灯口だとか。

※懐石道具の説明はこちらにあります。



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