茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

花入ってこんなの

花入には、
 「掛花入(中釘や床柱の花釘に掛ける)」
 「釣花入(床の天井や落掛などから吊る)」
 「置花入(床に置く)」などがあるそうです。
また、花入には、
 「真:胡銅・唐銅や唐物青磁など」
 「行:上釉のかかった和物の陶磁器」
 「草:竹・籠・瓢や上釉のかからない陶磁器」
の区別があるとのこと。

茶室においては掛物と花を同時に飾らないのが正式で、
両方一緒に飾るのを「双飾(もろかざり)」と言い、略式の扱いらしいです。
掛物が長い場合、花入は床柱の釘に掛け、
横物の場合、花入は下の床の真ん中に置くとか。


■花入の種類と形状

○花入の種類
 かねの花入:「古銅」「唐銅」「砂張」「青銅」など
 竹の花入:「白竹」「胡麻竹」「煤竹」など
  ※竹の種類:「真竹」「黒竹」「亀甲竹」「絞竹」「四方竹」「孟宗竹」など
 籠花入:「竹」「籐」「籐蔓」「通草蔓」「木の皮」など
 焼物の花入:「青磁」「白磁」「彩磁」などの磁器や陶器など

○花入の耳
花入の耳は花入の種類に関係なく、
 以下のようなものがあるみたいです。

 「鳳凰耳」「獅子耳」「龍耳」「鬼面耳」「管耳」
 「魚耳」「遊環」「笹耳」「不遊環」「鳥耳」
 「鯉耳」「雲耳」「角耳」「蝶耳」など

○花入の形状

以下に、花入の種類ごとの形状を表にしてみました。
-------ページ内リンク-------

-------あ行の棚-------
 油差し  鮟鱇切
 一重切  稲塚
 鵜籠  薄端  鷽切  歌花筒  
 円窓切
 置筒  置尺八

-------か行の棚-------
 桂川籠  加茂川籠  蕪無  通い筒  鏡舟
   経筒
 沓舟

-------さ行の棚-------
 再来切  三徳  三重切  算木
 下蕪  時雨籠  獅子口  尺八
 酢筒  寸銅
 蝉籠  銭筒
 宗全籠  曽呂利  尊式  尊形

-------た行の棚-------
 太鼓舟    旅枕  把綿
 長生丸  
   釣舟  筒舟  鶴首  鶴一声    角木
 手付籠
 徳利  唐人笠
-------な行の棚-------
 鉈籠  中蕪
 二重切  二重鮟鱇


-------は行の棚-------
 初霜  端坊  橋杭
 魚籠
     舟虫
 箆筒
 洞鮟鱇  牡丹籠  洞切

-------ま行の棚-------
 窓二重  丸太舟  繭籠
 耳付籠  神酒筒
 虫籠
 桃底  桃尻

-------や・ら・わ行の棚-------
 山路
 立鼓
 霊昭女
 輪無二重切  鰐口
種類形状備考
かねの花入下蕪(しもかぶら) 筒形の置き花入の胴の下部が、蕪の形に膨らんだものだとか。
鶴首(つるくび)口のあたりが鶴の首のように細長いものだとか。
竹花入の場合は、裏千家の仙叟好で、
やや細長い竹で、花間を長く切ったものだとか。
曽呂利(そろり)座露吏(ぞろり)とも言うとか。
首が細長く、肩がなく、下部がゆるやかに膨らんでいて、
全体に「ぞろり」とした姿なのでこの名が出たとか。

『山上宗二記』に
「一 そろり 古銅無紋の花入。紹鴎。
天下無双花入也。関白様に在り。
一 そろり 右、同じ花入。
四方盆にすわる。宗甫。
一 そろり 右、同じ花入。
京施薬院並びに曲庵所持す。四方盆にすわる。」
とあるそうです。
鶴一声(つるのひとこえ)柑子口で、口が曾呂利より細く、
耳がなく、首が細長く、撫肩で、下部が膨らみ、
底に高い高台が付き、高台には波涛文が鋳出されたものだとか。

松平甲斐守の添状に、
はじめこの花入は「鶴の嘴」と呼ばれたが、
鶴の立ち姿のようにみえるので「鶴一声」と改めた
とあるそうです。
槌(つち)耳がなく、首が長く、肩が張り、
どっしりとした胴を持つ、砧形の古銅花入だとか。

の姿を槌に見立てた名だそうですが、
やがてその形を衣を打つ砧(きぬた)に見立てて、
砧花入と呼ばれるようになり、
青磁花入では砧花入というとか。
角木(つのぎ)口が細く、耳がなく、首が長く、
胴が「く」の字形に張り、底が小さく作られたものだとか。

角木とは、矢尻をいうそうで、
胴が鏑矢の鏑に形に似ているところからの名
ではないかとのこと。
桃底(ももぞこ)細口で耳がなく高台がなく、
畳付が丸く内側に窪んだ無紋の花入を
いうように思われるとか。
桃尻(ももじり)細口で耳がなく下部が桃の形のように膨らみ高台がなく、
上下五段に区切られた文様帯があり、
文様帯の中に饕餮文の退化した文様がある花入を
いうように思われるとか。
把綿(たばねわた)上下で端返り、胴が締まって帯のあるもの。
把綿の形に似ているところからの名だとか。
杵(きね)棒状で端を太くした竪杵に似たところからの名か。
尊式(そんしき)細長い筒型の酒器で、口縁が広がり胴の部分に張りのある形をしている「尊」。
それに似ている花入を尊式あるいは尊形と呼ぶとか。
薄端(うすばた)瓶形などの胴の上に皿形の広口を付けたもの。
広口の部分と胴は取り外しできるらしい。
経筒(きょうづつ)経巻を収納するための筒形容器の、
円筒形タイプに似ているところからの名か。

本物の経筒の筒身は、大部分が円筒形で、六角筒、八角筒もあるそうです。
また数個の短い筒を積み上げて1本の筒形としたものもあるみたいです。
月(つき)三日月型をしているところからの名か。
舟(ふね)釣舟貨狄(かてき)について『山上宗二記』に、
「花の入やう口伝多し。舟に口伝在り」
とあるそうです。
中蕪(なかかぶら)筒形の置き花入の胴の中程が、蕪の形に膨らんだもの
蕪無(かぶらなし)尊形の胴の張った部分を蕪というが、これのない形のもの。

『分類草人木』に
「青磁の筒、蕪なしの様なる結構なる花瓶には、
さびたる花を入るるべし。」
とあるようです。
竹花入寸銅(ずんどう)何かを形成する際の途中の形で、円筒形のもの。
尺八のずっと太いもので、ときに置筒とも言うとか。
置筒(おきづつ)一重切の釘穴がなく後にも窓を開け、
左右に柱を残し吹貫にしたもの。
「吹貫(ふきぬき)」とも言うとか。

藤村庸軒が利休一重切と同じ姿の花入を作り、
その一重切を作り変えたのが始まりだそうです。

『喫茶指掌編』に
「藤村庸軒物数寄にて利休の一重切の姿にて
後の釘穴を広く明て置筒となして旅衣と銘したり、
会後に前後同様に窓を作しとか」
とあるようです。
尺八(しゃくはち)竹を筒切にし、根の方を上にした逆竹として用い、
花窓はなく、一節を真ん中より下に残し、
後方に釘孔を開けたものだとか。
神酒筒(みきづつ)裏千家玄々斎好で、伊勢神宮の神酒筒を写したものだとか。
銭筒(ぜにづつ)花間にすこし背があるもの。
利休が酒屋売場の銭筒を見立て、
銭筒を切直して掛けたので「二度のかけ」と名付けたとか。

『茶湯古事談』に
「二度のかけと云名物の竹花生ハ、
長門の下の関の酒屋か売場の銭筒なりしを、
利休筑紫陳(陣)の時に見付、所望して、
花生に切直してかけしゆへ、二度のかけと名付しとなん」
とあるとか。
酢筒(すづつ)表千家如心斎好で、節溜になっていて、
水溜より上の部分が短くなっているものだとか。

『茶道筌蹄』に
「如心斎始て酢筒を製す、
ヘラ筒の通にてフシトメ也、
ヘラ筒は節なし」
とあるようです。
歌花筒(うたはなづつ)裏千家玄々斎好で、
七節の細長い竹で、下部を一重切にして、
花窓の上部に短冊挟みの切込みをつけたものだとか。
通い筒(かよいづつ)他に花を贈るときの携帯用の筒。
茶席にも置き、花間の両側に耳を残して、
藤蔓で提げ手をつけたものと、
耳を長くして竹の横手を通したものがあるとか。
箆筒(へらづつ)裏千家仙叟好で、水溜の上に背がつき、
そこに釘孔を開け、背の両肩が斜めに切り落としてあるとか。
一重切(いちじゅうぎり)筒形の竹花入の前面に花を生ける窓がひとつ切られたもの。
上端が輪になっていて、水溜の上の後方におぜを取り、
釘穴があけてあるとか。

『茶話指月集』に
「此の筒(園城寺)、
韮山竹、小田原帰陣の時の、千の少庵へ土産也。
筒の裏に、園城寺少庵と書き付け有り。
名判無し。又、此の同じ竹にて、
先ず尺八を剪り、太閤へ献ず。
其の次、音曲。
巳上三本、何れも竹筒の名物なり。」
とあるそうです。
二重切(にじゅうぎり)筒形の竹花入の上下二段に花窓を切ったもの。
上端が輪になっていて、下に窓を二つあけ、
水溜も二つあり、釘穴があけてあるとか。

利休が1590年の小田原攻の折、
箱根湯本で伊豆韮山の竹を取り寄せて「夜長(よなが)」を作ったのが、
二重切の始めだそうです。

ただ『茶道筌蹄』に
「利休二重切に上り亀の蒔絵をなし正親町天皇へ献す」
と1586年のことを言っている記述があるようなので、
「夜長」より前に、二重切を作ったとも考えられるとか。
獅子口(ししぐち)一重切の花入。
太短い竹で、花間を横に大きく切ったものだとか。
鮟鱇切(あんこうぎり)一重切の花入。
切り口の大きいことを安康の口にたとえたもので、
鶴首と獅子口の中間くらいのものだとか。
円窓切(えんそうぎり)一重切の花入。
花窓を丸く開けたものだとか。
窓二重(まどにじゅう)二重切の花入。
上の重が円窓になっているものだとか。
鷽切(うそきり)一重切の花入。
花間の下方を斜めに切り、鶯のくちばしに見立てたものだとか。
再来切(さいらいぎり)二重切の上部の輪と柱を切り除いたものだとか。
輪無二重切(わなしにじゅうきり)とも言うようです。
山路(やまじ)一重切の花入。表千家八代卒啄斎好で、
卒啄斎が江戸へ通う中に使用するために好んだのだとか。

高さが四・五寸の小さなものみたいです。
洞鮟鱇(ほらあんこう)一重切の花入。花間を花頭に開けたものだとか。
三徳(さんとく)置筒の花入。
裏千家十一世玄々斎好で、
置筒を小さくした形に、三つ足があるとか。
掛け・置き・釣りの三つに使い分けられるところからの名みたいです。
初霜(はつしも)置筒の花入。
表千家七代如心斎好で、三方に窓が付いたものだとか。
三重切(さんじゅうきり)二重切にもうひとつ切口があるものだとか。
もとは水屋用のものだったようです。
端坊(はしのぼう)二重切の花入。
特に細長い二重切で、
利休が門人の端坊へ与えたところからの名だとか。
二重鮟鱇(にじゅうあんこう)二重切の花入。
下の重が特に大きくなっているものだとか。
稲塚(いなづか)置筒の花入。
表千家七代如心斎好で、太い竹の根を根節で切り、
逆竹にして、上部を花間としたものだとか。

稲藁束の藁塚に似ているところからの名だそうです。
橋杭(はしぐい)置筒の花入。
筒の花間が、長方形に前後二つあるもの
置尺八(おきしゃくはち)置筒の花入。
表千家七代如心斎好で、
尺八と同じ形状で、逆竹ではなく直竹、
釘穴がなく置いて使うものだとか。

『茶道筌蹄』に
「置尺八 如心斎好、スグ竹ふしなし、千家所持銘伏犠」
とあるそうです。
洞切(ほらぎり)竹檠を見立て団扇形の花窓を刳り抜いたものだとか。
武野紹鴎が所持していたようです。
釣舟(つりふね)竹筒の先端を斜めに切り落として、舟の舳先に見立てたものだとか。
筒舟(つつぶね)釣舟型の竹花入。
横竹の両端に節を残し、中央の上部に花窓を小判形に切ったものだとか。
丸太舟(まるたぶね)釣舟型の竹花入。
筒舟の両端に釣耳を出したものだとか。

『茶道筌蹄』に
「丸太舟 元伯好前後節きり切りたるなり、
原叟此舟に左右へ耳を出す。」
とあるそうです。
長生丸(ちょうせいまる)釣舟型の竹花入。
表千家四代逢源斎好で、
筒舟の軸先にあたる底部を斜めに切り落としたものだとか。
沓舟(くつふね)釣舟型の竹花入。
表千家六代覚々斎好で、
太鼓舟の軸先にあたる底部を斜めに切り落としたもので、
神官などの履く沓に形が似ているのでこの名があるとか。
油差し(あぶらさし)釣舟型の竹花入。
長生丸より、切り落とした部分が長いものだとか。
太鼓舟(たいこぶね)釣舟型の竹花入。
裏千家四世仙叟好で、節合の短い竹を切ったもので、
横から見ると太鼓のような形をしているのでこの名があるとか。

今日庵内の無色軒の猿潜の釘に懸けるためにできたそうです。

『茶道筌蹄』に
「太鼓舟 仙叟このみ根のふし合ひのせまき所にてきり床へかくる由」
とあるようです。
鏡舟(かがみぶね)釣舟型の竹花入。
太鼓舟より花間の切り口がずっと深くなっているものだとか。
瓢の花入瓢(ふくべ/ひさご)自然の瓢箪の芯をくりぬいて花入に仕立てたものだとか。

千利休が巡礼が腰につけていた瓢箪を所望し、
瓢箪の上部を切りとり、
背に鐶を取りつけ掛花入とし
「顔回」と名付けたものが始めだそうです。

「顔回」の銘は、
『論語』の
「子曰、賢哉囘也、一箪食、一瓢飲、
在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂、賢哉囘也」
から名付けたみたいです。

※顔回さんは「一箪食、一瓢飲、在陋巷」という
生活をしていたのだとか。
籠の花入宗全籠(そうぜんかご)久田宗全好みの置籠花入。

女竹を用い、底が長四角で、口は丸く編み上げ、
底と四方に細い女竹を当てて藤蔓で粗く結び、
口縁は真竹を廻して藤で止め、
丸篠を二本合わせた手がついた籠だそうです。

仙叟宗室の依頼により作った置籠に、
創意で手を付けたものだとか。
繭籠(まゆかご)竹で編まれた繭玉状のものだとか。
背面に藤蔓が付き、掛花入にもなるようです。
鉈籠(なたかご)掛花入。鉈の鞘の形をした扁平な竹組の籠だとか。
鵜籠(うかご)鵜籠は本来、鵜の運搬具で、
幅三分の割竹で、縦一筋、横二筋、方一寸くらいの籠目に編みつくり、
檜の四分板で蓋とするものだとか。

この鵜籠に似たところからの名か。

ちなみに、人名で鵜籠と調べると「うごもり」と読むみたいです。
時雨籠(しぐれかご)骨だけの傘を、逆さにした様な形で、
口が放射状に上に開いるとか。
蝉籠(せみかご)掛花入。藤組で短い手が付いているとか。
久田宗全好で、床に掛けた姿が蝉に似ているところからの名みたいです。
唐人笠(とうじんがさ)円柱の胴に、口が大きく水平に開き、
唐人が被る笠に似ているところからの名だとか。
桂川籠(かつらがわかご)置花入。
全体的に丸みを帯び、丸い底に四つの角のような足が立ち、
胴が大きく張り、口が窄んだ形だとか。

口を蛇腹に縁巻し、胴の上半分は少し隙間をあけて編み、
下半分は詰めて編むことで、
上下で網目模様が逆になっているみたいです。

千利休が、京都の桂川の漁師から魚籠(びく)を譲り受けて、
花入に見立てたところからの名だそうです。
魚籠(びく)置花入。
底を四角くおこし、胴が大きく膨らみ、
頸部でいちど絞り、口が外に開いた形だとか。

肩の左右に細い耳が付いていて、
全体をざっくりと編み上げた竹組の籠みたいです。

千利休が、魚籠を花入に見立てた
または、唐物籠として伝来したものを写し、小さな耳をつけた
といった説があるようです。

内箱蓋表「カラ花籠」
内箱蓋裏「利休相伝之花籠ニテ候ヘ共
 貴僧為慰送申候可○○
 八月十二日 三斎 法印 参」(細川三斎)
とあるそうです。
虫籠(むしかご)置花入。
口が丸竹そのままの、撫肩な、
胴が膨らんだ形の竹組の籠だそうです。

竹筒を口になる部分を残して、
節下から割剥ぎしたものを傘状に回し編みし、
下の部分は底を丸く編んでから腰立ちさせて椀形に編み、
上下を肩の部分で組み合わせて作っているとか。

虫籠とは、小形の虫取り用の籠で、
秋に鈴虫を捕り籠の中に入れて口栓をし、
枕元などに置いて、その鳴声を楽しむためのものみたいです。

千宗旦が、その虫籠を花入に見立てたようです。
加茂川籠(かもがわかご)加茂川の名物「蛇籠」から意匠された花入だとか。

蛇籠は、竹または鉄線で粗く円筒形に編んだ籠に、
石を詰めたものだそうです。
河川の水流制御や護岸などに用いるのだとか。

蛇篭の名称は、その形態が蛇に似ているところからの名、
または、昔から河には蛇の伝説がつきものであったため、
それに由来しているという説があるようです。
耳付籠(みみつきかご)唐物籠。
喉や形にハジキ耳その他の耳が付いたものだとか。
置き掛け両用になるものが多い。
手付籠(てつきかご)唐物籠。
手のある籠の総称で、
胴は円筒・丸・菱形・六角・八角等あるとか。
牡丹籠(ぼたんかご)唐物籠。
胴が丸く膨らみ、首は太く短く、
口が大きく外に開き、手が胴から高く作られているとか。

中国では昔から、
牡丹を入れるための籠として用いられたそうです。
霊昭女(れいしょうじょ)唐物籠。
やや長い目の胴に提げ手がついたものだとか。

ホウ居士の娘「霊昭」は、
貧しいため竹籠を売って生計を支えていたと言われる人物で、
少女が竹籠を下げた姿などが、
古くより禅宗の画題として用いられたそうです。

霊昭女は、その絵に描かれた籠からの名前みたいです。
焼物の花入立鼓(りゅうこ)上下が開き、中央がくびれたもの。
鼓を立てた形に似ているところからの名称だとか。

『貞丈雑記』 に
「りうごは立鼓と書くなり。鼓はつづみなり。
つづみを立れば中ほどくびれたる形なり。
これに依り中のくびれたる物をゆうごと云。」
とあるそうです。
算木(さんぎ)紋様が易に使われる算木に似ているところからの呼称みたいです。
徳利(とっくり)見た目が徳利に見えるところからの名か。
筍(たけのこ)皮を剥いだ筍に似た形だとか。
旅枕(たびまくら)本来は、豆類を入れた壷だそうで、
その姿が、旅枕(円筒形)に似ている事からの名前だとか。
粽(ちまき)口と底面が極端に狭く、胴が膨らみ轆轤目のあるものだとか。
南蛮渡来の形だそうです。
蹲(うずくまる)人が頭を垂れて、背中を丸め、
「うずくまる」様子に似ているところからの名前だとか。
舟虫(ふなむし)花入の胴の左右に、
舟虫状の小さな突起が複数個付いたものだとか。
鰐口(わにぐち)神社の拝殿の軒に吊された、金属製の鈴の様な形だとか。



■釣花入の掛け方
立花実山著『南方録』には、
釣花入の掛け方として、
利休・住吉屋宗無は、床の天井の真ん中に小さな蛭釘(ひるくぎ)を打って釣ったみたいです。

また、立石紹林は、床の落掛(おとしがけ)の内に釘を打って釣っていたようです。

そこで利休に対して尋ねたところ、
「昔からの定法はありません。
だからそれぞれ自分の判断で掛ければよいことだけれど、
落掛に釣っては小座敷の花として嫌な気分でよろしくありません。
もしも落下したら床縁の上に当たって、危なかしい心持ちになります。
だから、いつも釣花入は大小ともに真ん中に釣るのです。」
とのことでした。


■小座敷の花入
同じく立花実山著『南方録』に、
「小座敷の花入は、竹の筒・籠・ふくべ(瓢)などよし。
かねの物は、凡そ四畳半によし。小座敷にも自然には用いらる。」
とあるようです。


■昔の花入・利休の花入
藪内竹心著『源流茶話』に
「問、花生はいかがでしょうか。
答、昔は、花生は唐物の金のたぐい、
蕪有(かぶらあり)または蕪無、二重蕪、そろり、経筒、
あるいは青磁、砧(きぬた)、竹の子のたぐいがありました。
しかし、これらは貴重なもので、侘人が手に入れることは難しく、
紹鴎は籠または伊賀焼や信楽焼の風流なものを用いました。
そして利休に至って、竹を使い、
尺八、一重切、二重切などの花生を考案されました。
今、世間で賞賛されている園城寺、音曲(おんぎょく)、
二度のかけなどのたぐいは、 みな利休の作です。」
とあるみたいです。


■「園城寺」の花入

久須見疎安著『茶話指月集』には、こんな逸話があるとのこと。

利休 が「園城寺」という銘の竹筒に花を入れて掛けたところ、
筒の割れ目から水が滴り落ちて畳を濡らしたそうです。
客が 利休
「これはいかがなものでしょう。」
と言うと、
利休
「水が漏れるのがこの花入の命です。」
と答えたそうです。


■「姫瓜」の花入

同じく、『茶話指月集』に、以下の話があるようです。

豊臣秀吉公が薩摩の島津討伐をして大阪城に帰られた時、
利休もお供していました。

その途中、利休は尼崎にいた藪内紹智の屋敷を訊ねました。
お茶を飲み、湯浴みをした後に、
紹智に、
「何か花はないか。生けてみよ。」
と言いました。

紹智は、
「庭に姫瓜の花が咲いていますが、
生けられそうなものとは思いません。
ほかには何もありませんが。」
と答えました。

利休は、
「紹智よ、昔は花がなければ笹の葉だけでも入れたものだ。
姫瓜を生けてみよう」
と自ら庭に出て一枝を切り、
金の花入に姫瓜の蔓を床の縁まで垂らして生けたのですが、
ことに麗しい出来でした。

これ以来、紹智はその花入を秘蔵して
「姫瓜」と名付けました。

紹智が京へ上った後も、紹智の家に伝わっています。


読み:びぜんやきはないれ
作品名:備前焼花入
作者:藤原雄(人間国宝)
備考:高さ29cm

備前焼花入
※画像を押すと拡大できます。
日本六古窯の一つ備前焼は、岡山県備前市周辺を産地とする陶器・b器のことだとか。
六古窯というのは「瀬戸」「常滑」「丹波」「越前」「信楽」「備前」のことで、
最も歴史が古いとされているのが「備前」らしいです。
釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、
「窯変」によって生み出され一つとして同じ模様にはならないのが特徴だとか。

1996年に人間国宝に認定された藤原雄は、同じく人間国宝に認定された藤原啓の息子で、
岡山県備前市の出身だそうです。左目の視力はなく、右目も0.03という状態だったみたいです。
交友関係に衣笠祥雄(元プロ野球選手・野球解説者)がいるとか。


読み:はぎやきはないれ
作品名:萩焼花入
作者:林紅陽

萩焼花入
※画像を押すと拡大できます。
1604年、毛利輝元の命で御用窯を築いたのが始まりとされる萩焼ですが、
朝鮮人陶工の「李勺光(山村家)」と「李敬(坂家)」の兄弟は、
それぞれ別の流派を生み出すみたいです。
坂家の三代までを「古萩」と言って、萩焼の黄金時代なんだそうです。
残念ながら山村家の方は断絶します。
現在は、三輪休雪が明治期に「休雪白」という独特の作風を確立して、
萩焼を再興するらしいです。
三輪休雪は十代・十一代共に「人間国宝」に認定されたようです。
ちなみに三輪窯は江戸時代寛文年間に起こったようで、
代々坂高麗左衛門の坂窯と共に萩藩の御用窯だったみたいです。

林紅陽(紅陽窯)は、坂高麗左衛門の弟子になり、その後独立した人かな・・・。


読み:はぎやきかけはないれ
作品名:萩焼掛花入
作者:渋谷泥詩

萩焼掛花入
※画像を押すと拡大できます。
掛花入の種類には「蹲る(うずくまる)」「末広掛花入」「尺八掛花入」
「蓑虫形掛花入」「雪洞(ぼんぼり)掛花入」「蝉形掛花入」「旅枕(たびまくら)」
「南蛮芋頭掛花入」「冬瓜掛花入」「蔓手花入」「立鼓」などがあるみたいです。
掛花金具(花環)は、金具は鉄製で、割りピン形の物と、
割りピンを通す管(筒・パイプ)と、二枚の座金(ドーナツ状の丸い薄板)からなっているようです。
管の長さは「4.5o」「9o」「15o」「21o」など何種類かあり、
「べた」と言う管の無いものもあるとか。
一般に黒色ですが、銀色などにメッキした物もあるそうです。

渋谷泥詩(しぶやでいし)は、山口県萩市にある御台場窯の萩焼陶芸作家だとか。
平成2年には萩伝統工芸協会の会長に就任したみたいです。


読み:こうらいせいじはないれ
作品名:高麗青磁花入
作者:柳海剛
価格:20,000円
備考:高さ22.5cm

高麗青磁花入
※画像を押すと拡大できます。
青磁は、青磁釉を施した磁器またはb器(せっき)のことで、
紀元前14世紀頃の中国(殷)の「灰釉」が起源なんだそうです。
製造技術は高麗や日本にも伝播して東洋陶磁史の根幹をなしたとか。
特徴的な青緑色は、釉薬や粘土に含まれる酸化第二鉄が、
高温の還元焼成によって酸化第一鉄に変化する事で発色するようです。

高麗青磁は、朝鮮半島の高麗時代(918年〜1391年)に製作された
青磁釉を施した磁器を指していて、
中国(呉越時代)の越州窯の青磁技術を導入し、焼き始められたものだそうです。
越州窯の青磁の色は、中国では「秘色」と呼ばれたみたいですが、
高麗青磁は12世紀前半頃には「翡色」と評され、
朝鮮半島だけでなく中国各地でも名品として高く評価されたようです。
後に、この青磁の技術は失われてしまうそうです。

初代柳海剛はソウル出身の陶芸家で、
失われた高麗青磁の製造技術を復活させた韓国指定文化財(人間国宝)みたいです。
1964年韓国利川郡に窯を築いたとか。

また、二代目柳海剛は、初代の子供で、
初代と同じく韓国で高麗青磁を製作しているようです。
ちなみに、韓国京畿道利川(イチョン)市のスローガンは「A・R・T ICHEON」で、
AはActive、RはRich(豊かな都市)、TはTopを表すそうです。


読み:びぜんやきはないれ
作品名:備前焼花入
作者:日幡光顕
価格:20,000円
備考:高さ19cm

備前焼花入
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備前焼は、平安時代に作られた「須恵器(すえき)」から発展し、
鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれたみたいです。
鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれれたようです。
この鎌倉時代頃に焼かれた備前は特に「古備前」と呼ばれているのだとか。

須恵器は、日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器だそうです。
この須恵器も、登窯と呼ばれる地下式・半地下式の窯を用いていて、
還元炎により焼いて製作されたみたいです。


読み:ちょうせんからつはないれ
作品名:朝鮮唐津花入
作者:利佐ェ門

朝鮮唐津花入
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朝鮮唐津は、桃山時代から江戸初期に焼かれた唐津焼の一種で、
黒飴釉の上に海鼠釉を掛けたりまたその逆海鼠釉の上に黒飴釉を掛けたりしたものなんだそうです。
黒飴釉の部分と海鼠釉の部分とを別々に掛け分けて、
やや重なり合った部分が高温でガラス化し黒の部分と白の部分が溶け合い、
絶妙な色と流れ具合の変化が特徴になるのだとか。
名前の由来は「外国と言えば朝鮮が一番身近、外国と言えば朝鮮」という意味合いから来ていたという説があって、
異国の所産のような唐津焼のことを、朝鮮唐津と伝えるようになったみたいです。

唐津焼窯元の利左ェ門窯は、江戸中期には堺を通じ広く世に広め、藩窯業発展の要の役をなすなどしてきたそうです。
山ほこら碑より利左ェ門窯を命名し創始したのだとか。
十二代目、武村利左ェ門から一言。
「伝統に陶技を重ね、種味のある茶陶唐津を志し、なお手軽に広く親しまれるように的を定め、
御愛陶家の皆様に御愛用いただきますよう努力を重ねていますので、御指導御愛顧のほどをお願い申し上げます。」


読み:からかねりゅうみみつきなみもんはないれ
作品名:唐金竜耳波紋花入
作者:金森紹栄
寸法:高さ27.5cm

唐金竜耳波紋花入
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唐金は、青銅のことで、中国から製法が伝わったところから「唐金」という名がついたようです。
青銅は、銅にスズなどを含む合金で、
十円硬貨は、銅95%・スズ約1%・亜鉛約4%で出来ているそうです。
竜は伝説上の生物で、南宋時代の博物誌『爾雅翼』によると、
竜の姿は、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼あるいは兎、胴体は蛇、
腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似ているみたいです。
ということで、『爾雅翼』を元に考えると、竜耳とは牛の耳に似た形をしているということになるのでしょうか。
少々話がずれますが、龍の下に耳と書く聾唖者(ろうあしゃ)の「聾」。
これは、龍という字が「よく見えない。あいまい。」という意味だからだそうです。
「朧(オボロ)」という字にも龍がついてますよね。

鋳師金森紹栄。
初代は、高岡の唐銅風炉の創始者として唐銅製茶道具の研究と力作に励んだ人で、
大徳寺清涼和尚より紹栄を授号されたそうです。
二代目は1930年、高岡市上北島生まれ。
金沢美大にて金工・鋳芸を学び、京都紫野の大西三四郎に師事したようです。
ちなみに大西三四郎は、十三代大西清右衛門浄長の息子で1930年富山高岡生まれだとか。


作品名:古銅花入
作者:時代
備考:高さ26.3cm/黒塗箱

古銅花入
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古銅(こどう)は、古代の銅器、またそれを写した銅を主体にした錫・鉛の合金で、
古銅花入は花入の中で「真」の花入とされているそうです。
茶道で主に用いられたのは、中国宋から明頃につくられたもののようです。

古銅花入は、日本では鎌倉時代より禅僧や随伴した商人等により、
舶載されたものが仏前供花に用いられるそうです。

室町初期には座敷飾りに用いられるようになり、
室町時代には花生の主役となったみたいです。
室町将軍家や大名家などの座敷で飾られた唐物花瓶が尊重され、
今日に伝えられているとか。

桃山時代になると国焼や竹花入が生まれ、やがて花入の主流になっていき、
古銅花入はあまり用いられなくなっていくそうです。

室町末期の茶書『烏鼠集(うそしゅう)』に、
「古銅の物 かなはたさくりとしたるハ漢也、
又ためぬるりとしたるハ和、
き扨見事なるハ漢、轆轤め有ハ和」
とあるようです。


作品名:手付花生(春慶塗)
価格:5,000円
寸法:高さ16cm/口径12.5cm/
手付高さ43.5cm
備考:紙箱入

手付花生(春慶塗)
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国内で春慶塗という名の漆器は、
・岐阜県高山市の飛騨春慶
・秋田県能代市の能代春慶
・茨城県東茨城郡城里町の粟野春慶
この三つを日本三大春慶塗というようです。

他にも三重県伊勢市の伊勢春慶など、
数箇所の地域で生産されているとか。

千宗室によると、
「春慶塗は金森宗和によって創成されたといえるが、
茶人である宗和の指導があったから、
作意もなく天然の木目を生かした、
素朴で簡素な独特の味わいをもった塗が生れた。」
のだそうです。


■春慶塗の歴史
説は幾つかあるそうです。

1489年、佐竹氏に仕えていた稲川山城守義明が製作したとする説。(粟野春慶塗)

室町時代の応永年間(1394年〜1428年)に、和泉国堺の漆師、春慶が製作したとする説。

春慶塗は慶長十二年に、当時の高山城主重頼の長兄、金森重近公(号宗和)の時代、
木匠高橋喜左ェ門、塗師成田三右ェ門によって、
蛤形の盆が作られ宗和公に献上されたのが創始とする説。(飛騨春慶塗)

この盆の美しさが、陶工の加藤景正の名陶「飛春慶」の茶壷の黄釉と似ていることから、
金森可重により「春慶」と名づけられたのだとか。

能代春慶塗は飛騨春慶塗の技術が伝わったものと言われているとか。


作品名:丸紋透篭花入
作者:黒田正玄
備考:鵬雲斎書付/
鵬雲斎好/木箱入

丸紋透篭花入
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籠花入は、竹・籐・籐蔓などで編んだものを言うそうです。

産別で唐物と和物があるようで、
唐物は編み方が精巧で、変化があり、
口造りや胴などが、いかにも美術的なのだそうです。

和物は唐物に対する呼び方で、
ザングリとした点が喜ばれるようです。

ただ、唐物籠といっても、本当の唐物は少なく、
時代を経た写しの籠が唐物で通用していることがあるみたいです。

籠花入の種類は、手付籠・耳付籠の他、以下のようなものがあるみたいです。
種類備考
桂川籠京都の桂川で、漁夫が使っていた魚籠(びく)を見て、
利休が思いついたという。
宗全籠久田宗全の代表的な好みで、
据え広がりの四方形の胴に、
高い半月の手が付いている。
蝉籠掛花入で、木に止まった蝉に似ているところから。
鉈籠木こりが腰につけて鉈(なた)を入れておく籠で、
それを掛花入に応用したもの。
唐人籠唐人の笠に見立てたもの。
末広籠口造りの方で大きく開いているもの。
餌袋竹組で、鷹狩りの際、
その餌となる鳥を入れたもの。
牡丹籠丸く膨らんだ胴と太短い首、
そして大きく外開きにした口造りで、
牡丹を入れるにふさわしいところからの名称。



作品名:備前花入
作者:小西陶古
価格:8,000円
寸法:高さ19.5cm
備考:桐箱入

備前花入
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須恵器の時代から中国地方を代表する焼物の産地である備前焼。
特徴は、土と無釉だそうです。

須恵器時代は、山から採取した粘土を胎土としたようですが、
鎌倉時代以降にかけては、田土を使ったことで、
一切上に釉は使用せずに土自体を焼き締める方法を取ったみたいです。

古備前の中で、茶碗は熱の伝導が早すぎるため、
あまり賞美されていないようで、数が少ないようですが、
水指・花入・茶入・建水などは、非常に多くが伝来しているのだとか。


■備前の窯
室町末期頃の備前の窯は、北・西・南の三大窯が築かれていて、
座の結成による共同窯で、現在伊部の南部の小丘陵、
姑耶山麓の東200mのところに史跡としてみることができるそうです。

窯の形式は、傾斜面を利用した瀬戸の半地上式の穴窯のようなもので、
その上にアーチ形の蓋を施した登窯の袋に相当する形式で焼いているみたいです。

時代によっては、築き直し共同で窯詰めしては、
30日〜40日ぐらい松割木を燃料として焚き続けて備前焼はつくられたそうです。

桃山末期から「伊部手」といい、友土(ともづち)を溶かして成形した器物の上から、
塗付して焼く手法が用いられたみたいです。
これによって水漏れが防げるそうで、全体に艶をもったものが出来るのだとか。
主として、茶器に多く使われたようです。


作品名:備前花入
作者:小西陶古
価格:10,000円
寸法:高さ22.0cm
備考:桐箱入

備前花入
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小西陶古は、備前焼の窯元で、岡山県備前市伊部640にあるそうです。

明治初期の細工の名工といわれた永見陶楽の孫にあたる初代小西陶古が、
窯元を設立したみたいです。

『桟切の陶古』『細工物の陶古』として知られているようです。

小西陶古では、備前焼の説明として、
「備前水甕、水が腐らぬ」
「備前徳利お酒がうまい」
とあるみたいです。


作品名:唐金鶴首花入
寸法:高さ27.5cm
備考:紙箱入

唐金鶴首花入
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花入の始まりは、仏前の供華から花入として形作られた
「五具足」「三具足」の花瓶がもとだそうです。

ここでは、花入に関する真・行・草をみていこうかと思います。

■薄板
薄板の種類で見ると、
 真:矢筈板に載せる。
 行:蛤端に載せる。木地の蛤端の場合は、草になる。
 草:丸香台に載せる。
籠花入は、薄板を使わないようです。


■花入の材質
花入の材質は、以下のようになるみたいです。
真・行・草種類備考
唐金(紫銅)青銅の古称。
砂張金工で用いられる銅と錫の合金。
青磁磁器の一種。釉薬の中に少量含まれる鉄分が、
還元炎焼成されて酸化第一鉄となり青緑色に発色した磁器。
赤絵赤を主とする多彩の上絵付。色絵ともいう。
白磁のまま、若しくは磁体に染付などほどこし透明釉薬を掛けて焼成させた後、
赤色を主体に二・三色の顔料で上絵をほどこし再焼成してつくられる磁器。
交趾元・明時代に造られた軟陶質の三彩や 黄・緑・紫釉陶などの総称。
祥瑞中国明代末の崇禎年間(1628〜1644年)に景徳鎮窯で作られた染付磁器。
染付白素地に藍色の顔料である酸化コバルト(呉須)を含む顔料で絵付けをし、
さらに透明な上釉を掛けて還元焼成をした磁器の総称。
瀬戸愛知県瀬戸市並びにその周辺で作られる陶磁器の総称。
織部慶長年間から寛永年間に美濃で焼かれた斬新奇抜な加飾陶器の総称。
山口県萩市周辺で焼かれる陶器。
朝鮮唐津唐津焼の技法のひとつ。鉄釉と藁灰釉(わらばいゆう)をかけ分けたもの。
薩摩薩摩藩領内で朝鮮陶工の焼いた陶磁器の総称。
丹波丹波国(兵庫県)立杭(篠山市今田町立杭)を中心として焼かれる陶器の通称。
高取筑前黒田藩の御用窯で遠州七窯のひとつ。
特に「古高取」は、陶質が堅硬で、
茶褐色釉の上に斑に黒色釉を掛け古格があり珍重される。
膳所滋賀県大津市膳所の陶器。遠州七窯の一つ。
砂張(釣花入)砂張でできた釣花入。
磁器(釣花入)高温で焼成されて吸水性がなく、叩いた時に金属音を発する陶磁器。
信楽滋賀県甲賀郡信楽町を中心として焼かれる陶磁器の通称。
備前備前から産する陶器の総称。
岡山県備前市伊部周辺で作られる伊部(いんべ)焼が代表的。
伊賀三重県伊賀地方丸柱付近でつくられる陶器。
常滑その周辺を含む知多半島内で焼かれる陶器。日本六古窯の一つ。
楽焼長次郎を祖とする楽家代々の作品をいい、
轆轤を使わず手びねりで成形し、低火度で焼成した軟質陶器。
竹で作られた花入。
瓢(ひさご)自然の瓢箪の芯をくりぬいて花入に仕立てたもの。
籐組マメ科の蔓性(つるせい)の落葉低木である、藤のつるで編んだ花入。


■茶花
真行草による茶花の違いはあまりないようですが、
牡丹などは、真の花入に入れると映えると思いませんか。、


作品名:織部耳付花入
寸法:高さ22.5cm
備考:紙箱入/中古品

織部耳付花入
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織部焼は、一般に銅青釉のかかった絵や模様のある焼物を指すようで、
多くの種類にわけることができるそうです。

以下に、織部焼の種類を分けてみようかと思います。
種類備考
織部黒黒織部のさきがけをなすもので、
形・作行は変わらないが、地釉の上に黒釉のみを施す。
黒織部黒く焼きあげた中に白地の間を残して、
黒絵(時には共色)で絵付のあるもの。
有名なのが、瀬戸十作。
青織部織部釉と一般に呼ぶ青い釉のかかったもので、
白地を残して模様を描いている。
総織部印花や筋彫りの上から全体に銅の青釉をかけたもの。
赤織部全体に赤色の土でつくったものか、
青釉の焼成変化による赤釉のもの。
鳴海織部赤土と白土とをつぎ合わせてつくり、
白土の方へは青釉を施し、
赤土の方へは白泥で模様を描き、
その上にさらに鉄の線描きを入れている。
柿織部黒釉の代わりに柿色釉のかかったもの。
白地の部分には絵がある。


作品名:信楽掛花入(うずくまる)
作者:彦四郎
価格:2,000円
備考:合わせ箱/中古品

信楽掛花入
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蹲(うずくまる)は、花入に転用された壺だそうです。
古信楽・古伊賀のほか、備前や唐津にもあるようです。

もともとは穀物の種壺や油壺として使われた雑器を、
茶人が花入に見立てたものだとか。
おおむね20cm前後の小壺で、
掛け花入れ用の鐶の穴があいているものもあるとか。

名の由来は、人が膝をかかえて、
うずくまるような姿からきているみたいです。

蹲は、侘びた風情と愛嬌のある、
ずんぐりした姿が蹲の魅力なんだそうです。

江戸時代には、蹲という呼称が定着しているようですが、
信楽の蹲は古いもので鎌倉時代末から室町時代には、
すでにあったみたいです。

蹲の口作りは、二重口だそうです。

二重口は、実用性から来ているようで、
乾燥させた穀物を貯蔵したら首に縄を巻き付け、
そのまま背負って運んだり、
吊るして天日干ししたりするのに用いたとか。

蹲の底は、高台を持たずベタ底が基本みたいです。
ただ、中には、凹凸のあるものもあるようです。
これは、下駄の歯に見えることから下駄印と呼ぶそうです。

特に、凹んだものを「入り下駄」、
凸のものを「出下駄」と言うそうで、
作品をロクロ引きするさいに、
中心がずれないよう固定した跡とされるとか。



作品名:高麗青磁花入
(瓜型鶴首)
作者:水陽窯
寸法:高さ26cm
備考:桐箱入

高麗青磁花入
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ここでは、「ウリ」について説明しようかと思います。

ウリ科の植物には、古くから果菜や果物として、
栽培されている種が多いみたいです。

例えば、キュウリ、スイカ、カボチャ、ズッキーニ、
ヒョウタン、ヘチマ、トウガン、テッポウウリ、
ユウガオ、ツルレイシ(ニガウリ・ゴーヤー)、メロン
などがそうみたいです。


■瓜型の「ウリ」とは
茶道具などで瓜型と呼ぶ種類は、
「マクワウリ(雑草メロン)」を指すようです。

元々は、種としてのメロンのことで、
紀元前2000年頃に栽培が始まったそうです。

そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、
東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶようになったとか。
マクワウリもこの瓜の一つみたいです。

日本列島にも、貝塚から種子が発掘されていることや、
瀬戸内海の島嶼などに、
人里近くで苦味の強い小さな果実をつける、
野生化した「雑草メロン」が生育していることから、
既に縄文時代に伝わり、栽培されていたと考えられているとか。

日本では古来「ウリ(フリとも)」の名で親しまれてきたそうです。

古くから日本で食用にされてきたため、
アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、
ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、
テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)
といった様々な名称で呼ばれてきたみたいです。


■マクワウリ
2世紀頃から美濃国真桑村が、良品の産地であったことから、
マクワウリの名前が付けられたようです。

この系統のウリが日本列島に渡来したのは古く、
縄文時代早期の遺跡(唐古・鍵遺跡)から種子が発見されているとか。

マクワウリは、放射状に切って先割れスプーンなどですくったり、
そのままかぶりついたりして食べるが、メロンほどの甘味は無いようです。
お盆のお供えとしてよく使われるみたいです。

マクワウリをメロンと呼ぶ場合があるようです。

これは、日本でマスクメロンが市場に流通する1925年当時、
一般家庭ではマスクメロンは滅多に食べられない高級品だっため、
マクワウリを果物(メロン)として販売していたためみたいです。


■ヘチマとは
前述のメロンなどは「トウガン連」に属するそうで、
ヘチマの属する「アレチウリ連」とは別物みたいです。

ちなみに同列に「カボチャ連」もあるようです。

さて、ヘチマは、日本には江戸時代に渡来したといわれるとか。

本来の名前は、果実から繊維が得られることからついた
「糸瓜(いとうり)」で、これが後に「とうり」と訛ったようです。

「と」は[いろは歌]で「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で、
「へちま」と呼ばれるようになったそうです。

今でも「糸瓜」と書いて「へちま」と訓じるみたいです。

沖縄ではナーベーラーと呼ばれるそうですが、
これは果実の繊維を鍋洗い(なべあらい)に用いたことに由来するとか。

つる性の植物で、巻きひげで他のものに絡みつきながら生長するそうです。

果実は細長く、大きなキュウリのような形をしているみたいです。

若い果実は食用に、成熟した果実は強い繊維が発達するので、
たわしなどに用いられるとか。

果実は成熟後、次第に乾燥し、
種子の周囲が繊維で支えられた空洞となるようです。

その頃になると果実の先端が蓋のように外れ、
果実が風でブラブラと揺れるたびに、
ここから遠心力で種子が振り出され、飛び出すとか。

原産地で野生植物であったときには、
こうして一種の投石器のような機構で、
種子散布を図っていたと考えられるそうです。


作品名:萩窯変花入
作者:岡田裕
価格:20,000円
寸法:高さ22cm
備考:木箱入

萩窯変花入
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窯変は、陶磁器の焼成中、
釉の組成や火炎の性質などが複合した原因となって、
予期もしなかった釉色や釉相の変色を言うそうで、
以下の種類があるみたいです。

○胡麻(ごま)
 窯焚の最中に、薪の灰が融けて
 生地にくっ付く事によりできる模様だとか。

○桟切り(さんぎり)
 金・青・灰色などのさまざまな模様だとか。

○ひだすき
 藁を巻き鞘などに詰め、
 直接火の当たらない場所で焼くことによって、
 生地全体は白く、
 藁のあった部分は赤い模様になるとか。

○牡丹餅(ぼたもち)
 焼成時に作品の上にぐい呑みなどを置くことで、
 該当部分が白くなるとか。

 そのカタチが牡丹餅のようになることから、
 この名がつけられたみたいです。

○青備前(あおびぜん)
 通常備前焼き締めは酸化焔だが、
 還元焔になることで青くなるとか。

 青備前は窯中で空気があたらない箇所で、
 焼成されると出来るのだとか。

○黒備前(くろびぜん)
 古備前の時代に焼かれた備前焼の一つで、
 残っている当時の作品は少ないそうです。

 近年、再現する技法が研究され、
 備前焼窯元の六姓の一つ森家の大窯や、
 著名な備前陶芸家の間でも焼かれているみたいです。

○伏せ焼(ふせやき)
 薄い焼き物は、その形を維持できずに、
 ゆがんだり変形したりするが、
 それを防ぐための特別な焼き方だとか。


作品名:染付太公望花入
作者:林淡幽
寸法:高さ23.5cm
備考:桐箱入

染付太公望花入
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ここでは、太公望(呂尚、または、姜子牙)、
という人物について説明します。

太公望は、中国・周の文王に軍師として仕えた実在の人物で、
後、中国・斉(姜斉)の王朝を建てたそうです。

ただ、太公望は謎が多く、周初期の史料には、
記録がないみたいです。

中国の歴史書『史記』には、文王に仕えた経緯が、
なぜか3つあり、どれも信憑性に欠けるとか。


■太公望の釣り
文王に仕えた経緯の1つとして『史記』に、
「太公望」と呼ばれる所以があるそうです。

 文王は猟に出る前に占いをしたところ、
 獣ではなく人材を得ると出た。
 
 狩猟に出ると、
 落魄して渭水で釣りをしていた姜子牙(太公望)に出会った。

 文王が
 「吾が太公が待ち望んでいた人物である。」
 として、彼を軍師として迎えた。

太公というのは、文王の祖父・古公亶父のことだそうです。

太公望が釣りをしていた釣台は、
中国陝西省宝鶏市のバン溪峡谷にある
「姜子牙釣魚台」のことみたいです。

現在「中国一の釣台」と呼ばれているとか。

また、中国に以下のことわざがあるそうです。

○太公釣魚、願者上鈎
 太公に釣られるものは、自ら進んでかかったものだ
 (明代の学者・謝詔著「風月夢」第十回より)

○任凭風浪起、穩座釣魚台
 危険に遭遇しても動揺しない。

この2つのことわざは、
「姜子牙釣魚台」で生まれたものだとか。


■覆水盆に返らず
「一度起きてしまった事は、元に戻す事は出来ない」
という意味のことわざ「覆水盆に返らず」は、
後秦の王嘉著『拾遺記』にある太公望の逸話だそうです。

 太公望が周に仕官する前、
 ある女と結婚したが、
 太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。

 太公望が周から斉に封ぜられ、
 顕位に上ると女は太公望に復縁を申し出た。

 太公望は盆の上に水の入った器を持ってきて、
 器の水を床にこぼして、
 「この水を盆の上に戻してみよ。」
 と言った。

 女はやってみたが当然出来なかった。

 太公望はそれを見て、
 「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。
 それと同じように私とお前との間も、
 元に戻る事はありえないのだ。」
 と復縁を断った。


■封神演義
許仲琳著『封神演義』は、中国明代に成立した小説で、
姜子牙(太公望)が主人公として登場するようです。

四大奇書『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』『金瓶梅』より、
一段低く評価されるとか。

中国文学研究者の二階堂善弘によれば、
『封神演義』は、
・文体のぎこちなさ
・ストーリーの欠陥
・時代考証の無視
が、問題なために、二流の文学作品としての扱いなのだそうです。

日本で『封神演義』が有名になったきっかけは、
1989年の安能務のリライト小説『封神演義』と、
それを原作にした藤崎竜の漫画『封神演義』が大きいとか。

原文に近い日本語訳書は、
・コーエー『完訳 封神演義』全三巻(1995年)
・翠琥出版『封神演義』(2013年)
だそうです。



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