茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

菓子器ってこんなの

菓子器には、主菓子器(菓子椀・縁高・銘々盆・喰籠・菓子鉢)と
干菓子器(高坏・盆・振出)があり、簡略化して盛込鉢や盛皿を主菓子器とする場合もあるようです。

まず、主菓子器は以下のようなものがあるそうです。
菓子椀 朱塗縁金のやや低目の蓋付椀で、最も正式な菓子器。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「菓子椀 朱黒ツバメ利休形、
烹物ワンにかりもちゆ」
とあるそうです。
縁高 縁高は、縁高折敷の略で、縁高重というようです。

菓子椀に代わる正式な主菓子器。
折敷の縁を高くした形のものを、
通常五つ重ねて一組とし、
最も上に一枚の蓋(総蓋)が添うそうです。

真塗のほか、一閑・溜塗・飛騨・春慶・透かしを入れたもの・切箔・蒔絵などがあるみたいです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「縁高 黒塗り、利休形、一閑張は元伯このみ」
とあるそうです。
銘々盆(銘々皿) 菓子椀と縁高の扱いを簡略化したもの。

銘々盆は、南鐐・砂張・漆器・陶磁器などがあるみたいです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
  ・元伯好:菓子盆・縁高・黒塗り・利休形・一閑張
  ・原叟好:高つき・朱ぬり・利休形。朱・足なし丸 / 角溜ぬり畳付黒
  ・半庵宗也好:溜にて原叟好より余程小ぶり
  ・如心斎好:一閑張・菱 / 雑器、なで四方角黒
といったことが記載されているそうです。
喰籠 主菓子を客の数だけ盛り込んで出すための蓋付きの器。
おおくは円形または角形で、重ね式のものもあるとか。

「喰籠」については、別ページで説明しています。
菓子鉢 盛込鉢(もりこみばち)とも言う。
主菓子を客の数だけ盛り込んで出すための器。

唐物と和物などがあり、以下のようになっているとか。
唐物 ●天竜寺青磁
●七官青磁の端反鉢(はたぞりばち)
●杉形鉢
●輪花鉢
●平鉢

※天竜寺青磁:元時代の竜泉窯青磁。
※七官青磁:明代の竜泉窯青磁。
染付 ●兜鉢(かぶとばち)
●芙蓉手(ふようで)

※兜鉢:広くて深い大形のどんぶり。
※芙蓉手:万暦年間(1573年〜1620年)に
 景徳鎮民窯で創始された青花磁器の様式。
祥瑞 ●腰捻
●四方鉢

※祥瑞:中国景徳鎮窯で明代末期に、
 日本からの注文によって焼造された染付磁器。
色絵 ●呉須赤絵(ごすあかえ)
●蓮鷺(れんさぎ)
●珠取獅子(たまとりじし)
●魁鉢(さきがけばち)
●呉須胆ばん龍(ごすたんぱんりゅう)
●赤壁鉢(せきへきばち)

※呉須:陶磁器に用いる顔料の一種で、
 焼成により釉と溶けて青い色を出す。
※呉須赤絵:明朝末期の特色ある五彩磁器。
※胆ばん:硫酸第二銅。焼成後、深緑に発色。
朝鮮 ●雲鶴杉形鉢
●御本刷目(ごほんはけめ)
●粉引(こひき)
●堅手(かたで)
●三島
●井戸脇

※粉引:粉吹。「粉を引いた(吹いた)ように白い」
 と言われたことに由来。
 褐色の素地の上に白化粧土を施したもの。
※堅手:李朝初期から中期にかけて、
 慶尚南道の金海窯で焼かれた。
 「素地や釉や手触りが堅そうなところ」に由来。
※三島:暦手。李朝初期の慶尚南道で焼かれたもの。
※井戸脇:青井戸よりも粗品で、
 地は白っぽいもの、黒っぽいもの等。
 井戸の薄手で轆轤目も目立たない。

ひと口知識の茶碗「御本茶碗」で、
高麗茶碗について別途説明しています。
和物 ●乾山の秋草や草花の透鉢(すかしばち)
●仁阿弥の乾山写しの桜と楓を描いた雲錦鉢・雪笹の手鉢
●保全その他の京焼
●黄瀬戸あやめ手鉦鉢(どらばち)
●織部
●古九谷
●古伊万里
●唐津
●萩

※乾山:尾形乾山。江戸時代の陶工、絵師。
※仁阿弥:仁阿弥道八。
 江戸末期の京都の陶芸を代表する陶工。
※手鉦鉢:寺院などで使われるドラに、
 縁が切り立っている形状などが似ているところから。



干菓子器は以下のようなものがあるそうです。
高杯(たかつき) 椀形や皿形の器に脚がついたもの。

元は食物を盛る土器の下に木の輪の台を置いたもので、
台も土器にして作り付けにしたものを土高杯といい、
後には木製や塗物などになったとか。
またそれに倣った陶磁もあるそうです。
縁が浅くて平たい器をいうそうです。

青貝盆(あおがいぼん)、堆黄(ついおう)、堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)、存星(ぞんせい)、
独楽盆、矢筈盆、鎌倉彫、漆絵、蒔絵、根来(ねごろ)、一閑、張貫盆(はりぬきぼん)などがあるみたいです。
金属器では、砂張(さはり)、モール、南鐐(なんりょう)、唐銅(からかね)などがあるのだとか。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
  ・元伯好:惣菓子盆。一閑四方 へぎ目があるもの
  ・宗全好:へぎ目のないもの
  ・如心斎好:砂張盆 南蛮、朝鮮。三脚盆 利休形、朱畳付黒。八角盆 朱塗黒つばめ
  ・宗全好:菊絵硯蓋 桐木地錫縁、菊の絵、花胡蝶、葉紺青
  ・了々斎好:八角菊絵 桐木地、金粉にて菊の絵、錫縁
といったことが記載されているそうです。

「盆」について別途説明しています。
振出 茶箱に仕組んで、金平糖や砂糖豆・霰・甘納豆など小粒の菓子を入れる小形の菓子器。

中に入っている菓子を振り出して用いることからその名があるそうです。

陶磁器が多く、青磁・祥瑞・染付・織部・唐津・備前など各種あり、
とりわけ染付物が好まれるとか。

形、は口細のラッキョウ形や瓢箪形などがあり、口の栓には菅の蓋が用いられるみたいです。

なお、振出に関する詳細はこちらから。

また、 「茶菓子」については、別ページで説明しています。



読み:はぎやきかしばち
作品名:萩焼菓子鉢
作者:渋谷泥詩
価格:8,000円
備考:木ノ葉緑釉

萩焼菓子鉢
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山口県萩市ではゴールデンウィーク中「萩焼まつり」が開催されているようです。
「ろくろ」を使って実際に萩焼が作れる「ろくろ体験コーナー」、
萩焼が当たる「萩焼抽選会」、萩焼を使った「テーブルコーディネート展」の展示、
萩焼の入札ができる「萩焼オークション」、萩焼の抹茶茶碗で一服できる
「抹茶接待コーナー」なんかがあるみたいです。

少し化学の話をすると、緑釉(りょくゆう)は、ケイ酸と酸化鉛を主成分としたもので、
700〜800℃ほどの低い温度で溶け鉛釉となるそうです。
この鉛釉に呈色剤として微量の銅が加えられていると、
緑色に発色し、緑釉となるとのこと。銅の量によって濃淡を変えれるそうです。

渋谷泥詩は、萩市美術展覧会・山口県美術展覧会・山口県美術展覧会などで受賞しているようです。
萩美術家協会の会員で、平成2年には萩伝統工芸協会の会長に就任したみたいです。


作品名:独楽菓子器
備考:即中斎好

独楽菓子器
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即中斎は、表千家十三代家元で、1901年京都生まれ。
表千家十二代惺斎の次男。幼名は覚二郎、号に無尽・清友軒。
慶大文学部及び京大史学部選科卒。

昭和11年兄不言斎が急逝し、翌年父惺斎の死去のため、同年家元を継いだそうです。
戦時体制下、また戦後の混乱期にも静かに古格を守り、茶の普及につとめたとか。
即中斎は、「現代茶道の祖」を呼ばれているそうです。
著書に『即中茶記』等があるようです。


作品名:籠菓子器(青海波絵朱塗板付)
備考:5客揃/紙箱入

籠菓子器
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青海波はもともと中国の青海地方の民族文様に由来する山岳文様みたいです。

雅楽の演目「青海波」の衣装にその模様があるようで、
半円形を三重に重ね、波のように反復させたものなんだそうです。

出典は不明ですが、
「凡そ舞楽の装束に在てこの曲の服飾ほど秀美なるものはあらじ、
その波文即ち世にいわゆる青海波なり」
と言われているようです。

雅楽「青海波」といえば、源氏物語「紅葉賀」の「源氏、藤壺の御前で青海波を舞う」でしょうか。
足利義満も青海波をこの源氏物語をベースに舞ったそうです。

「源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。
片手には大殿の頭中将。容貌、用意、人にはことなるを、
立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。」

きらびやかな雅の世界。茶道のわびとは対照的ですが、
皆さんはどのように感じられたでしょうか。


作品名:手付菓子鉢(乾山雪笹)
作者:福森比路志
備考:桐箱入

手付菓子鉢(乾山雪笹)
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雪笹(ユキザサ)は、花は粉雪が舞ったような純白で、葉は笹の葉に似ているところからの名前でしょうか。
果実は小球形で、赤く熟して有毒だそうで、花は初夏に咲くみたいです。
ユリ科の薬用植物(薬効:頭痛・リューマチの疼痛・打撲傷・乳腺炎)のようです。
北海道では「小豆菜(アズキナ)」と呼ばれていて、北海道特有の山菜として食べられています。
味はくせもなくあっさりしているので、おひたしにして食べてみるのが一番良いのだとか。


作品名:縁高重(柿合七宝透)
価格:8,000円
備考:紙箱入

縁高重(柿合七宝透)
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江戸中期の百科事典『類聚名物考』に、
「縁高折敷 ふちだかのおしき 今俗には縁高とのみいふ。
古は折敷に縁高と、さもなきつねの物有りし故、わかちていひしなり」
とあるそうです。

伊勢貞丈著『貞丈雑記』には、
「ふち高は、ふち高の折敷と云物也。
折敷のふちを高くすえたる物也。
菓子などをもる為に、ふちを高くする也。
大きさ五寸四方計。
ふち高さ一寸五分ばかり、角切角也。
廻りに桂を入る也。」
とあるようです。

喜多村節信著『嬉遊笑覧』には、
「按るに今縁高といふものは、
足付の折敷(木具とも八寸ともいふなり)の縁の高きものなり。
折敷に足付たるは縁高といふへからず。
縁高きは物を盛るによければ、櫃のごとく用ひ、蓋をも作りたる也。
膳に用ひざれば異ものヽ如くなれり。」
とあるみたいです。

七宝とはもともと仏典での用語で、大変貴重だった七種の宝のことだそうです。
七種の宝は『無量寿経』だと「金・銀・瑠璃・玻璃(はり)・珊瑚・めのう・しゃこ」のこと、
『法華経』だと「玻璃・珊瑚」の代わりに「真珠・マイ瑰」のことを指すそうです。

七宝文様は、同じ大きさの円の円周を四分の一ずつ重ねて繋いでいく文様で、
有職文では「輪違い」と呼ばれるみたいです。

正確には、この七宝文様と仏教用語の「七宝」との関係については不明だそうで、
古くは「四方襷(しほうたすき)」という呼び名があって、
その「四方(しほう)」が「七宝(しっぽう)」へと変化したという説があるようです。

現在では、七宝の円形は円満を表し、
吉祥文様としてのイメージが定着し、
宝尽くしの一つに数えられるようになった縁起のよい文様なんだそうです。


作品名:松織部銘々皿
作者:たち吉
寸法:縦10.5cm、横17cm
備考:10客入

松織部銘々皿
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銘々皿は、和食器においては大きさが三寸〜四寸内外の小皿のことだそうです。

小皿の部類に入るのは、他に以下のような皿があるみたいです。
 たれ皿(醤油皿):直径二寸内外の小皿。
 薬味皿:複数の薬味を入れるために幾つかの窪みや仕切りがある皿。
 向付皿(突出し皿):向付や突出しを盛るため小振りの皿。

織部焼(おりべやき)は、1605年〜1624年頃までに
古田織部 の指導で創始され、主に美濃地方で生産されたそうです。
当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたとのこと。


作品名:盛器(台付青漆)
作者:象彦(九代目西村彦兵衛)
寸法:口径24.3cm、高さ8.8cm
備考:紙箱入

盛器(台付青漆)
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象彦は、寛文元年(1661年)に創業したそうです。
当時は象牙屋と言ったようで、創業者初代安居七兵衛が、
京都寺町に唐物道具商を開舗したみたいです。

1800年代、蒔絵技術に秀でた三代目西村彦兵衛の、
晩年に「白象と普賢菩薩」を描いた蒔絵額が、洛中で大評判になり、
この額を象牙屋の「象」と彦兵衛の「彦」の二文字を取り「象彦の額」
と呼ぶようなったのだとか。

幕末〜明治にかけ、それまで高級漆器の主要な注文主であった大名は没落し、
残された富豪層も天皇の東京行幸に伴って東京へと居を移していったそうです。
また、生活様式の西洋化による漆器そのものに対する国内需要の低下もあり、
象彦に存続の危機が訪れるようです。
多くの職人が離散し、代々続いた有名な塗師屋や蒔絵師も姿を消したみたいです。
蒔絵の施された漆器を焼いて、残った金を取ることを業とする者もいたとか。

そんな中、日本の美術工芸の衰退を危惧した三井家(江戸店持ち京商人)が、
蒔絵の分野において、象彦を庇護をするそうです。

象彦は、多くの職人を統括し、材料・技法・意匠までを監修する
アートプロデューサー的存在となっているみたいです。
作品の作者名が象彦作ではなく象彦製となっているのは、この為なのだとか。
自ら筆をとって制作を行った、三代目西村彦兵衛が、ちょっと特殊だったようです。


作品名:菓子器(鹿蒔絵入)
作者:象彦(九代目西村彦兵衛)
寸法:口径18.2cm
備考:紙箱入

菓子器(鹿蒔絵入)
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鹿蒔絵といえば、国宝「秋野鹿蒔絵手箱」でしょうか。
安元元(1175)年、遷宮に際して調製奉納されたと伝えられるもので、
黒漆地に蝶貝の螺鈿298個を用いて、
秋の野に遊ぶ鹿の親子や小鳥などを描いているのだとか。

花札の猪鹿蝶の「紅葉に鹿(10月)」も有名所でしょうか。
役としては、三光などと同じ「五点」になるので、
手に持っていると私は集めたくなります。

近年、北海道では鹿の被害がひどいのですが、岡山県備前市でも、
市役所に全国初の「シカイノシシ課」を設置したそうです。

この岡山県、和気郡日生町の頭島〜鹿久居島を結ぶ「頭島大橋」では、
鹿が橋を往来するそうです。
ニュースでも話題となりアナウンサーが
「鹿の親子でしょうか。ちゃんと左側通行しています。」
といった主旨のナレーションを入れていた記憶があります。

『万葉集』の時代、「夜に雄鹿が雌鹿(妻)を求めて鳴く」という事実から、
鹿は、淋しさのモチーフとしての意味合いが強かったそうです。

『古今和歌集』になると、秋の歌ことばとして定着してくるみたいです。
秋の夜長と絡めた和歌や、紅葉や秋荻などと絡めた、
季節情緒溢れる和歌が目立つのだとか。

『千載和歌集』では、
「山ふかみほぐしのまつはつきぬれどしかにおもひを猶かくるかな」(詠み人知らず)
といった、狩の獲物として詠まれるようになるみたいです。

『新古今和歌集』に至ると、定番のモチーフとなったことで、
逆に鹿という歌題が陳腐化してしまうそうです。
季節の風物を組み合わせただけの和歌も出てくるのだとか。

『小倉百人一首』に、
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」(猿丸大夫)
があるようですが、この歌、実は「詠み人知らず」なんだそうです。
平安中期から末期頃に成立した『猿丸大夫集』から、
藤原定家が猿丸大夫作として持ってきたというのが本当みたいです。

奈良公園に鹿がいるのは、春日大社創建(768年頃)の際、
茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が
神鹿に乗ってやってきたとの言い伝えからきているようです。

鹿せんべいを食べる鹿を見ていると、なぜかホッとした気分になります。
自然と触れ合うことが少なくなった現在、
擬似的な自然へといざなえる茶道は、
現代人にとって、貴重なオアシスとなるのではないでしょうか。


作品名:菓子盆
作者:象彦(九代目西村彦兵衛)
寸法:30.3cm×19.5cm
備考:紙箱入

菓子盆
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お菓子と言えば、「日本三大銘菓」でしょうか。
三大銘菓と言いつつ、実は四つあるそうです。
 ・長生殿(金沢 森八)
 ・越の雪(長岡 大和屋)
 ・山川(松江)
 ・鶏卵素麺(福岡 松屋菓子舗)
山川と鶏卵素麺を、片方だけ省いた三つ分で
三大銘菓とする場合もあるようです。

「長生殿(ちょうせいでん)」は、四国産の和三盆糖と北陸産のもち米を用いた落雁だそうです。
「山川」は、紅白一対になっている落雁で、
手で割った時の凹凸がまるで山と川の様に見える為、治郷の詠んだ
 ちるは浮き 散らぬは沈む 紅葉はの 影は高雄の 山川の水
と言う歌より命名したのだとか。
「鶏卵素麺」は、氷砂糖を沸騰させて作った蜜の中に卵黄を
細く流し入れて素麺状に固め、取り出して冷ましてから切り揃えた菓子のようです。
「越の雪」は、和三盆にみじん粉を合わせて作る真っ白い干菓子みたいです。

京都府では「和生菓子特殊銘柄品」を、昭和17年12月に指定したみたいです。
これは、戦時中に物資統制され菓子の製造が難しくなった時に
京都府が伝統菓子の保護のために選定した十八品目だそうです。

「日本三大饅頭」というのもあり、以下の三つを指すようです。
 ・薄皮饅頭(福島県郡山市 柏屋)
 ・大手まんぢゅう(岡山県岡山市 伊部屋)
 ・志ほせ饅頭(東京都中央区 塩瀬総本家)

「薄皮饅頭」は、黒糖を使った薄い皮で包んでいることが特徴の甘い饅頭だそうです。
「大手まんぢゅう」は、薄皮の酒饅頭で「大手」の略称でも呼ばれているようです。
「志ほせ饅頭」は、大和芋の皮で小豆こし餡を包んだ薯蕷(じょうよ)饅頭で、
甘さ控えめの一口饅頭みたいです。


作品名:高杯(真塗黒)
価格:8,000円
備考:紙箱入

高杯(真塗黒)
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高杯(高月)は、椀形や皿形の器に脚がついたもので、
元は食物を盛る土器の下に木の輪の台を置いたものだったそうです。

多くは塗もの(真塗)で、蒔絵のものもあり、
貴人用の菓子器として用いられているみたいです。


■貴人用
貴人用として用いる場合は、主菓子・干菓子ともに
奉書紙を敷いて菓子を盛るそうです。
主菓子の場合は、黒文字をのせて勧めるとか。

奉書紙を敷く時は、小奉書紙を二つ折りにし、
左上が角が上になるようにずらし、もう一度折るそうです。

持つ時は客に正面を向け、左手で高杯の足を持ち、
右手を台の下に添えて持ち出すようです。

千家独楽盆とか六閑斎好の高杯など、
5寸以下の低い足の物は一般茶席に用いているとか。


■土高杯
台も土器にして作り付けにしたものを土高杯というようで、
後には木製や塗物、陶磁器なども出てきたとか。

書院式か貴人扱いの他は、
主菓子器との取り合わせが難しいそうで、
あまり一般的ではないみたいです。


■神棚・葬儀用など
ちなみに、葬儀などで用いる食べ物を盛る脚付きの台は、
神饌を盛る際に使うようで、仏前の左右に置き、
果物を入れて供える脚の高い器も高杯というのだとか。

木製で漆塗りのもの、
金箔を押したプラスチックのものなどがあるそうです。

神棚に載せる陶器製の白い高杯は、
2寸〜4寸程度のものみたいです。

三宝の上に「高杯(または皿)×2」「瓶子×2」「水器」を載せ、
それぞれ、
 高杯:向かって右側に塩、左側にお米。
 瓶子:お酒。
 水器:お水。
を入れるようです。


■文献
少々長いですが、『貞丈雑記』に
「たかつきと云は、食物をもるかはらけの下に、
わげ物の輪を置たるを云也。つきと云は杯の字也。
土器茶碗などの類を、すべてつきと云也。
かわらけの下には輪を置て、
杯を高くする故、たかつきといふ也。
大草流の書に、式三献の折敷高つき也とあるは、
右の土器の下にわげ物を置く事也。
今時如此なる物を、木にて作りて高杯と云も、
かわらけの下にわげ物の輪を置て、
高くしたる形をまなびて作り出したるなり。」
とあるそうです。


作品名:干菓子盆(丸)
七宝花蒔絵入
作者:川瀬表完
寸法:22cm
備考:紙箱入

干菓子盆(丸)
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干菓子器は、茶事の中では、薄茶で気軽な押物・打物・有平糖など、
取り回しのできる菓子を盛ります。

材質は、塗り・木地・竹・砂張・南鐐などがあり、形もさまざま。

器と菓子の調和を考えつつ、干菓子を客数分より多めに盛って勧めるのは、
亭主の特権でしょうか。


■菓子絵図帳について
さて、ここでは、お菓子に関する文献を少々。

1695年『御菓子之書図』:吉田コレクション
1824年『新製御菓子絵図』:虎屋黒川家文書
1836年『浪華家都東』:吉田コレクション
1858年『菓子絵図帳・塩瀬山城』:吉田コレクション
幕末期『あじの花』:虎屋蔵
1913年『勅願干支新年菓帖合本 坤』:藤澤文二郎著、京菓子資料館
現代『菓子図・春雨』:平塚運一著、京菓子資料館
?年『御蒸菓子図』:澤屋播磨伝来、東京国立博物館蔵
?年『菓子譜』:虎屋蔵
?年『茶道宗家好菓集』:京菓子資料館蔵

現存する菓子絵図帳で、もっとも古いものは、
『御菓子之書図』だそうです。
どの菓子絵図帳も、色鮮やかな絵図で、
当時の藩主や茶人の好みの菓子を記したもののようです。

他にも、1693年刊の男性向け実用書『男重宝記』などに、
取り上げられたりしているとか。

17世紀、それまで茶道具に対して見立てを楽しんでいた茶人の趣向が、
上菓子の銘や意匠の工夫につながり、
大名や裕福な商人などの嗜みになっていったようです。

大奥の様子や武家の生活を描いた錦絵にも、
菓子折や高杯に盛られた、縞模様の有平糖や色とりどりの落雁などが
描かれているそうで、贈答用の菓子選びに、
絵図帳が使われていたのではないかと推察されるのだとか。


作品名:独楽丸盆
作者:川瀬表完
価格:3,000円
寸法:22cm
備考:紙箱入

独楽丸盆
※画像を押すと拡大できます。
コマの起源は「ひねりゴマ」と考えられているそうです。

ひねりゴマは、軸を指で捻る事で回すもので、
最も簡単な独楽なんだとか。

これは、当時、巻き貝とドングリなどで作ったのではと考えられているようです。

巻き貝の場合、先端部の殻を残し、殻の口の方から殻表面を壊すと、
中心の軸部分が先端の円錐形の殻から突出した形となり、
それを逆さまにして、回すみたいです。

ドングリの場合、丸い底に軸を突き刺し、とがった先端を下にするのだとか。

記録に残っている最古の独楽は、
エジプトの紀元前1400頃の地層から出土した「ぶちゴマ」だそうです。

叩いて回す独楽「ぶちゴマ」は、日本ではなじみが薄いそうで、
独楽の胴体の側面を、鞭のようなもので叩いて回すものなのだとか。
ヨーロッパでは、逆に「投げゴマ」の方がなじみがあるみたいです。

回し始めは紐を巻き付けて回す「投げゴマ」と違い、
「ぶちゴマ」は、回った後も、叩いて勢いをつけるそうです。
「投げゴマ」はこの「ぶちゴマ」を起源としているみたいです。

ヨーロッパ方面では、古い時代の独楽の描写や絵画・木版画・銅版画は、
そのほとんどが「ぶちゴマ」だそうです。
古代ギリシャでも、アリストパネスの喜劇に叩かれる独楽の描写があるとか。
ヨーロッパでは、17世紀以降、次第に「投げゴマ」の描写が見られるようになるそうです。

日本では江戸時代までは「ぶちゴマ」も「投げゴマ」も記録があるようですが、
江戸時代後期より、次第に「投げゴマ」が圧倒的に多くなるみたいです。


作品名:しこく彫三段重(内生地目)
寸法:口径15cm/高さ三段12.5cm
備考:紙箱入

しこく彫三段重
※画像を押すと拡大できます。
しこく彫の四国工芸社について簡単に説明しようと思います。

四国工芸社は、1947年、香川県西端豊浜町に、
漆塗り小物漆器のメーカーとして開業したそうです。

主に樹齢数百年の栃材・桂材、天然漆を原材料として、
熟練の職人が作ったものだとか。

現在、香川県観音寺市豊浜町和田甲339にある四国工芸社は、
「さぬきの漆器 しこく彫」というホームページ上で、
2013年12月末で製造を廃止にすることにした旨を記載しています。


■香川漆器
香川県で生産される漆器で、讃岐漆器あるいは高松漆器とも言うとか。
1638年、高松藩の松平頼重が、漆器や彫刻を振興したことに始まるそうです。

江戸時代末期、玉楮象谷(たまかじぞうこく)は、大陸伝来の彫漆・蒟醤・存清などの研究から、
独自の技法を創案し、香川漆芸の礎を築きあげたようです。

現在では彫漆・蒟醤・存清・後藤塗・象谷塗の五つの技法が、
国の伝統的工芸品に指定されているのだとか。


作品名:色絵梅画菓子鉢(九谷)
作者:武腰泰山
価格:20,000円
寸法:口径21.0cm
備考:桐箱入

色絵梅画菓子鉢(九谷)
※画像を押すと拡大できます。
九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市・小松市・加賀市・能美市で生産される、
色絵の磁器だそうです。

もともと、大聖寺藩領の九谷村で、良質の陶石が発見されたのを機に、
藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、
帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として、始められたようです。
この当時のものを「古九谷」というようで、
約50年ほどで、廃窯となるそうです。

その後、文化4年(1807年)に、加賀藩が京都から青木木米を招き、
金沢の春日山に、春日山窯を開かせたのを皮切りに、
数々の窯が加賀地方一帯に立ったみたいです。
これらの窯の製品を「再興九谷」というとか。


作品名:黄交趾菓子鉢
作者:赤沢露石
寸法:口径17.7cm
備考:木箱入

黄交趾菓子鉢
※画像を押すと拡大できます。
交趾焼は、生地は陶器・磁器で成形され、
素焼き、または高温で焼き締めるようです。
次に交趾釉を施釉し、低火度焼成による焼成を経て完成するみたいです。

交趾焼の主な製作工程は、以下のようになっているそうです。
文様を描く焼成前の生素地に白泥で文様を描く。
白泥は、いっちん泥とも言い、
口金のついた筒に白泥を入れて絞り出しながら、
素地に文様を描き出す技法をいう。
焼き締め素地を焼き締めする。
交趾釉を塗る焼き締めした素地の線模様に沿って、
低火度の交趾釉を塗っていく。
乾かした後に再び交趾釉を塗ることを繰り返す。
厚く塗重ねることでムラがでないようにする。
焼き付け交趾釉を焼き付けする。
交趾釉を塗っては焼き付けるという工程を数回繰り返す。


作品名:輪島塗銘々皿(ひさご形)
寸法:寸法:21.0cm
備考:5枚セット/紙箱入

輪島塗銘々皿(ひさご形)
※画像を押すと拡大できます。
輪島塗は、石川県輪島市で生産される漆器だそうです。

厚手の木地に生漆と米糊を混ぜたもので布を貼って補強し、
生漆と米糊、そして焼成珪藻土を混ぜた下地を、
何層にも厚く施した「丈夫さ」に重きをおいて作られているとか。

昭和50年5月10日通商産業省告示第172号によると、
技法と原材料が明確に決められているそうです。

下地塗りの場合、木地に生漆を塗付した後に、
「着せもの漆」を塗付した「布着せ」をしたり、
「輪島地の粉」などで塗付しては研ぎをすることを繰り返す必要があるみたいです。

上塗りの場合は、精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」をし、
加飾する場合は、沈金または蒔絵によるのだそうです。

木地造りは、挽き物は、ろくろ台及びろくろかんなを、
板物または曲げ物は、「こくそ漆」を用いて成形するのだとか。

原材料は、漆は天然漆、木地は、ヒバ・ケヤキ・カツラ・ホオノキだそうです。


作品名:輪島塗梅形鉢
価格:5,000円
備考:紙箱入

輪島塗梅形鉢
※画像を押すと拡大できます。
能登半島の三引遺跡(七尾市)からは6800年前の漆製品が発見され、
輪島では平安時代の遺構である屋谷B遺跡で漆製品が発掘されていることから、
輪島での漆器の生産は、かなり古くまで遡るようです。

現存する最古の輪島塗は、室町時代の大永4年(1524年)作と伝わる、
輪島市河井町にある重蔵神社の旧本殿の朱塗扉だそうです。

現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代寛文年間みたいで、
当時、海運の利を生かして販路を拡大、陸路での行商もおこなわれており、
堅牢さが評判の輪島塗は日本各地で使われていたのだとか。

沈金の始まりも江戸時代享保期(1716年〜1735年)、
蒔絵は江戸時代文政期(1818年〜1830年)に入ってからみたいです。


作品名:輪島塗梅形盆
(松葉・松ぼっくり蒔絵)
価格:8,000円
寸法:24.0cm
備考:紙箱入

輪島塗梅形盆
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輪島塗の製造工程、なかでも塗の工程は複雑さをきわめ、
124工程にも及ぶ手作業で作られるそうです。

ここでは、輪島塗のお椀ができるまでの製造工程を見ていこうかと思います。
工程種類備考
木地作り自然枯伐採された丸太を2〜3年放置する。
木取り丸太を切断する。
荒型お椀の外側・内側をおおまかな形に削る。
燻煙乾燥おがくずを燃やし、荒削りした木地を乾燥させる。
乾燥調製数か月〜1年間、自然乾燥させる。
荒挽き仕上がりより一回り大きめに削り、再び乾燥させる。
外挽きお椀の外側を仕上げ挽きする。
内挽きお椀の内側をろくろで回しながら、かんなで削る。
底挽きお椀の糸底をろくろで回しながら、かんなで整える。
下地切彫り木地の接合部や割れ目などを小刀で浅く彫る。
刻苧(こくそ)漆とケヤキの粉と少量の米糊を混ぜたもの(刻苧)を、切彫り部に埋める。
刻苧落とし刻苧が乾燥してから、外かんな・内かんななどで削り落とす。
木地固め生漆をへらで素地面に塗る。
木地磨きサンドペーパーで磨く。
布着せ着せ物漆で、破損しやすいところを補強する。
着せ物削り着せ物が乾燥してから、小刀で平滑に削る。
惣身地付け惣身をへらを使って塗り、木地と布着せの段差をなくす。
一辺地付け一辺地漆を塗り、下地を付ける。
地縁引き器物の破損しやすいところに生漆を檜皮へらで塗り、補強する。
二辺地付け二辺地漆を塗る。地縁引きもする。
三辺地付け三辺地漆を塗る。
目摺目摺漆をへらで薄く地付けする。
下地研ぎ惣身磨き惣身地が乾燥してから、荒砥で空研ぎする。
空研ぎ一辺地が乾いたら、荒砥石で軽く空研ぎし、
器物の姿形を正確に整える。
二辺地研ぎ二辺地が乾いたら、全面を地研砥石で空研ぎする。
地研ぎ三辺地が充分乾燥した後、砥石を用いて水研ぎし、
器物の姿形を正確に整える。
漆掻き日本産の漆を取るため、漆の木の幹に目切り鎌で傷を付け、
そこからにじみ出てくる漆(荒味漆)を、
一滴ずつ採りべらで集めて漆筒に入れる。
湯燗(漆こし)荒味漆を炉かし、お湯にひたしてある鍋の中に、
漆を入れて暖め、粘度を下げる。
ろ過(漆こし)漆に混じった異物を遠心分離機でろ過する。
くろめ生漆に熱を加えて含んでいる水分を蒸発除去する。
なやし漆の成分を均一にし、乳化している粒子を細かくするために、
かき混ぜて練りあげる。
中塗り中塗り中塗漆を、中塗刷毛を使用し全面に塗り、塗師風呂へ入れて乾かしす。
錆ざらい中塗漆の乾燥後、中塗面の大きな節を軽く木目方向に削り取る。
つくろい錆地研ぎや中塗の欠陥箇所の凹部に錆漆を塗る。
こしらえもん青砥石または駿河炭で塗面が平滑になるまで「水研ぎ」する。
小中塗り再び、刷毛を使って中塗漆を全面に塗り、塗師風呂へ入れて乾かす。
小中研ぎ青砥石または駿河炭で塗面が平滑になるまで「炭研ぎ」する。
拭き上げ小中研ぎ(こなかとぎ)したものをもう一度、
青砥石または駿河炭で全体を精密に研ぎ、
不純物の付着を除去し布で拭く。
上塗りチリを取りお椀のチリを取り除く。
上塗漆上塗刷毛で上塗漆を荒づけする。
仕上塗仕上刷毛で仕上塗を塗る。
隅出刷毛隅は隅出刷毛で漆のたまりを除く。
加飾蒔絵筆を使い漆で塗物に模様を描き、
その上に金粉や銀粉を蒔き付ける。
沈金鋭利なノミで塗物に模様を彫り、漆を塗り込み、
金箔や金粉などを押し込み模様を表わす。


作品名:唐草蒔絵菓子盆(糸目彫)
作者:北村葵春
寸法:20.0cm
備考:木箱入

唐草蒔絵菓子盆(糸目彫)
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糸目というと、糸目挽き(千筋挽き)でしょうか。

慶安年間(一六四八〜五二)に挽物工、
蓑屋平兵衛が考案したといわれる山中漆器がもつ独自の技術だそうです。
先が二本に分かれた特殊なのみで、一ミリ位の問隔で均等な筋目をつけ、
溜塗で仕上げるみたいです。
椀・盆・茶托などに多く、趣の深いものなのだとか。


作品名:薩摩焼角大鉢
作者:庫山窯
寸法:26.0cm四方
備考:木箱入

薩摩焼角大鉢
※画像を押すと拡大できます。
薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器で、
竪野系・龍門司系・苗代川系などがあるそうです。
2002年1月に、国の伝統的工芸品に指定されたみたいです。

初期の薩摩焼は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、
捕虜として連行されてきた朝鮮人が、
島津義弘の保護の下に発展させたのだとか。

薩摩焼は、大きく白薩摩と黒薩摩に分かれるようです。

白薩摩(白もん)は、日置市の旧東市来町の美山にある、
苗代川窯で焼かれていた陶器みたいです。
藩主向けの御用窯で、金・赤・緑・紫・黄など華美な絵付を行った、
豪華絢爛な色絵錦手が主だそうです。
元々は苗代川焼と呼ばれていたとか。

黒薩摩(黒もん)は、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器だそうで、
鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなるみたいです。
特に、黒ヂョカ(茶家)と呼ばれる素朴な土瓶は、
焼酎を飲むときに用いられるみたいです。


■薩摩焼の六つの系譜
薩摩焼は、「苗代川系」「龍門司系」「竪野系」
「西餅田系」「平佐系」「種子島系」
の六つに大きく分かれるそうです。
現在では「竪野系」「龍門司系」「苗代川系」のみ現存しているようです。

「苗代川系(白薩摩)」は、1599年、串木野の島平の上陸した朝鮮陶工達、
特に朴平意を中心に、東方丘陵地に築いた串木野窯焼かれた焼物のみたいです。
薩摩焼最初の窯だそうで、現在では日置市(旧東市来町)美山地方が、
苗代川系として有名のようです。

「龍門司系(黒薩摩)」は、朝鮮陶工達の芳珍の子孫山元碗右衛門が、
加治木の山元に窯を築いたものだそうで、
その後、薩摩藩の保護により小山田高崎に窯を開き、
これが、龍門司窯のはじまりとなったようです。
鹿児島県姶良郡加治木町は龍門司焼で有名な町みたいです。

「竪野系(白薩摩)」は、1601年、星山仲次が、
帖佐にいた島津義弘に召し出され、宇都窯を築いたのがはじまりみたいです。
星山仲次は、陶法修業のため瀬戸・美濃地方に出かけ、
茶陶を焼くようになったようです。
19世紀に入って隆盛を極めたとか。

「西餅田系」は、1663年に鹿児島県帖佐の西餅田に元立院窯が築かれたようです。
蛇蝎釉やどんこ釉と呼ばれる数層に釉を厚くかける独特のものが焼かれたそうです。
廃窯後、陶工たちは龍門司窯に移ったのだとか。

「平佐系」は、川内平佐(せんだいひらさ)の今井儀右衛門が、天草石を購入し、
出水の脇本に窯を築き染付白磁を焼いたことが始まりのみたいです。
1810年には、平佐大窯が築かれ隆盛を極めたとか。
色絵や染付を中心とした華麗な装飾磁器だったようです。

「種子島系」は、鹿児島県種子島で焼かれた薩摩焼のようです。


作品名:萩手付鉢
価格:3,000円
寸法:22.0cm
備考:木箱入

萩手付鉢
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ここでは、萩焼の分類をみてみようかと思います。

○古萩
 全体にやや大ぶりで、幾分厚作みたいです。
 ロクロは豪壮の気に満ち溢れ、高台は大きく立派だそうです。
 釉薬は白灰色・薄青味の白・薄枇杷(びわ)色が多く、
 総釉が多いのだとか。
 初期のものは、茶人趣味があまりあらわれず、
 唐物とまぎれている物が多いようです。

○萩井戸
 萩で写した井戸で、茶碗の姿・釉薬・竹節高台・カイラギなど、
 井戸茶碗そのままに出来ているそうです。

○萩粉引
 粉吹とも言い、白い釉薬がたっぷりかかっていて、
 滲みや雨漏が一面に出ているみたいです。

○萩蕎麦
 蕎麦写しで、二代・三代ごろによく作られたようです。
 斗々屋・刷毛目・練込手などもあるとか。

○鬼萩
 白釉薬で地土が黒く固い荒土だそうです。
 ロクロは強く、内外に無数の砂が露出して、
 釉に無数の巣穴が入り、貫乳も縦横にあらわれ、
 いかにも鬼の形容にふさわしい強みのものみたいです。

○絵萩
 絵松本とも言い、三代・四代ごろの陶工が余技的につくったそうです。
 井戸形の小深いものが多く、
 呉須と鉄粉の二色を使用して松竹梅を描いているとか。
 いずれも、鉄粉で口紅を施しているみたいです。

○紅萩
 半磁器に近い白土に、光沢のある純白釉が施され、
 細かい貫乳が全体を埋め、
 淡いピンクや茜色の匂い出たものだそうです。
 茶を点て、熱が加わるほどに紅色の増すものもあるようです。


作品名:真塗縁高重
価格:15,000円
備考:紙箱入

真塗縁高重
※画像を押すと拡大できます。
縁高重(縁高折敷)は、正式な主菓子器の一つだそうです。

利休形の真塗縁高が基本とされ、
折敷の縁を高くした五段ぞろいで、
総蓋が添っているみたいです。

一段に一つずつ菓子を盛り、
一番下の段より、正客・連客・詰と客の数だけ重ね、
一番上に蓋をして、長さ六寸の黒文字を、
客の人数分載せて勧めるそうです。

客が六人以上の場合は、一番上の段より、
一つずつ菓子を増やして盛るようですが、
一番下は、必ず一つとするみたいです。


作品名:柿合縁高重
価格:8,000円
備考:紙箱入

柿合縁高重
※画像を押すと拡大できます。
ここでは、縁高の扱いについて説明しようかと思います。
(流派によって違いがあるかもしれませんが・・・)

亭主は、縁高の上に人数分の黒文字、または、一膳の箸を載せ、
縁高を客に正面を向け、両手で持ち出し、
正客の縁外(へりそと)正面に運びだし、給仕口に下がるそうです。

正客は、次客に次礼し、縁高を両手でおしいただき、
最下段を残して持ちあげ、左にずらして置くようです。

最下段の縁高に黒文字を入れ、最下段を残して、
縁高を次客の畳みの縁外で送るようです。
このとき、次客は、縁高をそのままにして次礼し、
正客と同様にするみたいです。

お菓子を縁高から取る時は、懐紙を膝前に出し、
黒文字でお菓子を取り、懐紙の上に載せるようです。
そして、縁高の中を懐紙で清め、縁高を拝見するみたいです。

正客は、縁高の拝見が終ると次客に縁高を送り、
次客は、自分の縁高を下座へよけ、
正客の縁高を正面に置くようです。

次客は、正客の縁高の上に、自分の縁高を重ね、、
同様に、次へ送るみたいです。

詰は、自分の縁高に蓋をし、
送られてきた縁高を正面に置いて、自分の縁高を重ね、
下座に預かって置くそうです。

正客は「ご一緒に」などと連客にあいさつし、
ここで、ようやく一同が、お菓子をいただくのだとか。

詰は、中立の前に、縁高の正面をただして、
茶道口に返すみたいです。


縁高重(掻合)
(かぶせ蓋付)
価格:15,000円
備考:紙箱入

縁高重(掻合)
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ここでは、重箱(じゅうばこ)について説明しようかと思います。

重箱は、二重から五重に積み重ねられ、
最上段に蓋を付けたハレの日の料理を入れる箱だそうです。

四季を表す四重が正式とされるようです。
四段目は四の字忌避で「与の重」と呼ぶとか。

形状は四角が一般的だそうですが、
円形や六角形、八角形のものもあるみたいです。

もとは中国の食籠(六角形や八角形の重ねて使用する容器)だったものが、
日本に伝来して重箱になったようです。

文献上は、室町時代から記載があるそうで、
一般庶民に普及したのは、1610年、本格的に重箱が製造されてからみたいです。

武家や大名のもとでは、漆塗や蒔絵の豪華なものも作られたとか。
また、狩りなどに出かけるときに持ち運びに便利なものも使用されたそうです。


■おせち料理について
おせち料理を重箱に詰めるのは、
「めでたさが重なるように」との願いからだそうです。

迎春の重箱は上段から順に数えて、
 一の重(祝い肴):田作り・かずのこ・黒豆など。
 二の重(口取り):紅白なます・たたきごぼう・〆さばなどの酢の物と、
 伊達巻き・栗きんとん・紅白かまぼこなどの口取り。
 三の重(焼き物):鰤や鯛・海老の焼きもの・のし鶏・松風焼き。
 与の重(煮物):昆布・里芋・蓮根など。
 五の重:空(から)のまま。
と、入れていくようです。

五の重を空とするのは、将来さらに繁栄し、
富が増える余地があることへの願掛けだとか。

入れる料理にも、それぞれ謂われがあるようです。
「黒豆」
 ・邪気を払って不老長寿をもたらしてくれる黒色。
 ・家族が1年間「まめ」に働けますように。
 ・しわしわになるまで長生き出来るように(関東のみ?)。
「かずのこ」
 ・子宝に恵まれますように。
 ・子孫が繁栄しますように。
 ・ニシンと二親をかけて「二親健在」に通じる
「田作り(ごまめ)」
 ・豊作祈願。
 ・今年も無事に良い米が取れますように。
「海老」
 ・腰が曲がるまで長生きできますように。
 ・元気でいますように。
「栗きんとん」
 ・商売が繁盛しますように。
 ・金運に恵まれて豊かな生活が送れますように。
「伊達巻」
 ・知識が増え文化が発展しますように。
 (書物である巻物と似ているため。)
「錦玉子」
 ・縁起の良いもの。
 (黄身の部分が金、白身の部分が銀。)
「昆布巻」
 ・喜ぶ(よろこぶ)の言葉にかけた語呂合わせ。
 ・養老昆布として、長寿祈願。
「蓮根」
 ・将来の見通しが良くなりますように。
 (穴がたくさん空いていて、その先が見通せる。)


■おせち料理の歴史
平安時代には、季節の変わり目である大切な節日に、
神様にお供えをして宴を開く「節会(せちえ)」、
という宮中行事があったようです。

この宮中行事で用いられていた料理のことを
「御節供(おせちく)料理」といったそうで、
これが「おせち料理」の始まりみたいです。

江戸時代後期になると、
この宮中行事を一般の庶民が生活に取り入れるようになり、
「おせち料理」として、全国に広まっていったみたいです。

その後、この風習が庶民のあいだに定着していくに従って、
節句の中でもお正月に食べる料理だけが、
「おせち料理」と呼ばれるようになったとか。


作品名:黄交趾菓子鉢
作者:京峯
寸法:高さ10.8cm/口径21cm
備考:木箱入

黄交趾菓子鉢
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交趾焼は、中国南部で生産された陶磁器の一種で、
名称はベトナムのコーチシナ(交趾支那)との貿易で、
交趾船によりもたらされたことに由来するそうです。

総じて黄・紫・緑・青・白などの細かい貫入の入る、
釉薬のかかった焼き物の事を指すようです。


■作り方
生地は陶器・磁器で成形されているみたいで、
素焼き、または高温で焼き締めるとか。

次に交趾釉を施釉し、低火度焼成による焼成を経て完成するそうです。

彫刻・盛り上げ・椎泥・イッチン・貼付け・線刻・泥化粧などの、
下絵を施した生地に鮮やかな色釉がかかるようです。


■海外では
中国の故事に
「これ(交趾焼)を所有するものは名声を得る。」
とあるみたいです。

台湾では、19世紀に中国の広東より民芸としてもたらされたそうで、
交趾陶・嘉義焼とも称されるとか。

主に寺院建築の壁面の飾り物として、
人物・瑞獣・植物をモチーフとし、
台湾での公式な贈答品として用いられているそうです。



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