茶道具 翔雲堂


ひと口知識

※内容に間違いがあるかもしれませが、ご了承ください。
また、ここの文章に関しては、質問等は受け付けていません。ごめんなさい。


なお、一部の作品、販売しています。

茶杓ってこんなの

今では「銘」のついた筒に納めて保存する茶杓、
昔は茶事・茶会のたびに作っていたそうで、
古い時代のものはほとんど残っていないのだとか。

喫茶が伝わった当初は、薬匙が使われていて、
素材は「象牙」や「鼈甲(べっこう)」だったそうです。
利休以降に「竹」が確立したようです。


■竹・木地の種類
竹の種類は「苦竹科(くちく・にがだけ)」の竹、
特に「晒竹(白竹)」が使われるそうで、
他にも囲炉裏の天井部分などに使われている「煤竹」、
利休が用いた「実竹」などがあるみたいです。

○竹の種類
 「苦竹」「実竹」「寂竹」「絞竹」
 「染み竹」「染み胡麻竹」「雲紋竹」
 「筋竹」「煤竹」「胡麻竹」「寅竹」
 「白竹」「白寂竹」など。

桑や桜などの木地のものや、塗茶杓もあるようです。
塗りは、全体に蒔絵が施されたもの以外に、
表が竹で裏のみ蒔絵がある場合もあるそうです。

○木地の種類
 「梅の木」「楓の木」「檜の木」
 「桑の木」「桜の木」など。


■茶杓の形
形状としては、
点前の「真」「行」「草」で節の位置が変わる
「無節(ふしなし)」「止め節(とめぶし)/元節(もとぶし)」「中節(なかぶし)」
などがあるようです。

以下に茶杓の部位ごとに名称の違いを見てみようと思います。

櫂先:「丸形」「一文字形」「剣先形」
   「兜巾形」「平丸形」「葉形」「宝珠形」
撓め:「丸撓め」「一重撓め(折り撓め)」「二重撓め(二段撓め)」
腰形:「蟻腰(ありこし)」「直腰(すぐこし)」
切止:「一方切」「半切」「直角切」「角止め」
   「六四止め」 「七三止め」「五五止め」
   ※「一刀」〜「五刀」という言い方もあるとのこと。
節 :「中節」「上り節」「下り節」「節止(元節・止め節)」
   「二節」「三節」
樋 :「本樋(順樋)」「逆樋」
樋の形:「一本樋」「双樋」「数樋」「薬研樋」
    「無樋」「高樋」「両樋」
※形状に関しては、茶道各流派で違いはあるとのこと。

他に、水屋用の櫂先が大きい茶杓や、
茶箱用の小さいサイズの茶杓、
携帯用の折りたたみ式の茶杓などもあるようです。

また、茶杓は、製作年代により、ある程度、共通の定型があるそうです。
@村田珠光〜利休前
 茶杓は漆を拭いている。
 筒は全部、皮を剥いだ真筒である。
 無節・止節である。
A利休〜少庵・道安頃
 茶杓は漆を拭いている。
 節を高くしている。
 茶杓の裏を削っている。
B宗旦・遠州〜
 茶杓は木地のまま。
 宗旦は侘茶杓。
 遠州は美術的な茶杓。
C原叟宗左〜現在
 商業目的の茶杓が目立つようになる。
 →誰にでもわかる銘、奇抜なデザインなど。


形状の一覧

主な茶杓の形状を表にしてみました。
画像形状名備考
蟻喰蟻喰 節の中央に穴があいている。
芋 茶を掬うための薬匙が転用されたもの。
柄の末端に薬を粉末にする小球がついている。
木地木地 木で作られたもの。(桑とか。)
節無節無 節がない。
止節止節 切止部分に節がある。
中節中節 中央に節がある。
二節二節 節が二つある。
三節三節 節が三つある。
蟻腰雉股蟻腰雉股 参考までに・・・。



■茶杓師

有名な茶杓師を表にしてみました。
茶杓師茶人備考
珠徳(しゅとく)村田珠光 村田珠光の門人。木製の匙状で漆塗りの茶杓を創始し、珠徳型とよばれた。
南都窓栖(そうせい)村田珠光
羽淵宗印
(はねぶちそういん)
武野紹鴎行の形の茶杓。(元節)
慶主座(けいしゅざ)千利休 南坊宗啓と同一人ともいわれる。
南坊宗啓は、堺の商人淡路屋の生まれで、利休の高弟。
甫竹(ほちく)千利休
古田織部
和泉の人。千利休から茶杓けずりを伝授される。通称、重右衛門。
早見頓斎
(はやみとんさい)
小堀遠州
村田一斎
(むらたいっさい)
小堀遠州 1607年生まれの茶人で、小堀遠州の高弟。
熊本藩主細川家の茶頭をつとめた。


■茶杓について
藪内竹心著『源流茶話』に、以下の話があるそうです。

問、茶杓はいかがでしょうか。

答、昔は茶杓は象牙でしたが、侘道具には釣り合わないので、
珠光は象牙の形を竹に写して好まれました。

世に浅茅(あさぢ)茶杓、芋茶杓といわれているものです。
今のように、茶杓に節が込められるようになったのは、
利休の考案によります。

寸法はだいたい畳の目十三目、櫂先より六目に節を込められました。

茶杓に節を込めた理由は、節より先は茶入の中へ出し入れしますので、
不浄を禁じて、節より先には手を触れないようにと教えるためとのことです。


■茶杓が繋ぐ心

立花実山著『南方録』に、以下の話があるそうです。

利休は亡くなる前から万事に御覚悟があったのでしょうか、
この南坊へも何くれとなく手紙をくださいました。

世間の無常によってさまざまに変化してしまい、
今は住まいも遠くなって、
たびたび茶会に参じることも思うようにならない、
それならば、私が大切に手をかけ秘蔵していた道具をそなたに上げようと言って、
次の道具を送ってくださいました。

 撫肩の円座茶入 銘は北野という。
 火舎香炉の蓋置
 利休居士作の竹筒花入「吹毛」と自筆の書付

このように道具を賜わりましたので、
私もその返事に
「何事も同じ心でございます。」
と書いて、

 雀の香合
 南坊宗啓作の茶杓

の二つを送りました。

利休は死に臨んで、お茶を一服点てられたのですが、
人づてに聞いたところ、
その時の道具は、「雀の香合」と「南坊の茶杓」だったそうです。

日頃の深い心の交わりがあったから当然とはいえ、
大事な時にのぞんで、心もせわしかったでしょうに、
私が送った二つの道具に、
最後まで手をふれていてくださった師弟の心のつながりは、
究極のものといってよいでしょう。
今でも利休の位牌のもとで涙を流すばかりです。

あの手紙にも、茶の道については、
そなたに残らず伝えておいたので、
他には何もない。

私の子供もいまだ未熟で、
行く末が案じられる。

茶の湯を志す者が出てきたら、
集雲庵に行って茶の修行をするように言ってあるから、
そなたもそのつもりでいてくれるようにと、
書かれていました。


■文献
『山上宗二記』に
「一 茶杓 珠徳象牙。昔、紹鴎所持、茄子の茶杓なり。
口伝。関白様に在り。 一 竹茶杓 珠徳作あさじ。
代千貫。惣見殿(織田信長)の御代、火に入りて失す。
 此の外の珠徳茶杓、かず在るべし。
次に、はねふち(羽淵)も茶杓けずり也。
右両作、当世はすたりたるか。
此(このごろ)は慶首座(南坊宗啓)折ためよし。口伝。」
とあるそうです。


茶杓の銘に関しては、別途以下のページで一覧にしてみました。

茶杓の銘:あ行一覧 / 二十四節気について説明

茶杓の銘:か行一覧 / 季語について説明

茶杓の銘:さ行一覧 / 月の異名について説明

茶杓の銘:た行一覧 / 泪の茶杓について説明

茶杓の銘:な行一覧 / 禅に見る茶杓の銘について説明

茶杓の銘:は行一覧 / 野がかりの茶杓について説明

茶杓の銘:ま行一覧 / 茶杓の特徴について説明

茶杓の銘:や・ら・わ行一覧 / 茶杓の詰筒について説明

茶杓の銘:月別一覧 / 雑節について説明




読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:桂堂(瑞峰院前住職)
銘:豊兆(ホウチョウ)

銘入茶杓:豊兆
※画像を押すと拡大できます。
茶杓の櫂先にも茶道各流派により形状の決まり事があるそうですが、
おおまかに丸形・一文字形・剣先形・兜巾形・平丸形・葉形・宝珠形と分類されるようです。

瑞峯院は、臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)で、茶室は、
○餘慶庵:表千家八代目そつ啄斎の好みの席を写したもの。
○安勝軒:表千家第十二代惺斎の好み。大徳寺山内唯一の逆勝手席になったもの。
○平成待庵:千利休の妙喜庵待庵写しの茶室で、平成2年に復元したもの。
があるみたいです。

茶庭は、方丈(本堂)と餘慶庵の間にある露地で、
一木一草を用いず、青石を一面に敷きつめ、
中央近くに立手水鉢を設けた斬新な茶庭であったそうです。
近年改築されて、松や苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭になっているとか。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:長谷川寛州(大徳寺三玄院)
銘:初心(ショシン)

銘入茶杓:初心
※画像を押すと拡大できます。
三玄院は、大徳寺の塔頭二十二ヵ寺のひとつで、
1598年、春屋和尚を開祖として石田三成、浅野幸長、森忠政が建立したそうです。

沢庵和尚や 千宗旦 の修道場ともなったようです。
境内には、三成・忠政のほか 古田織部 や薮内剣仲らの墓があり、
三玄院の文化的背景をしのばせます。
茶道ゆかりの寺としても知られ、織部好みの茶室「篁庵」があるみたいです。
石庭「昨雲庭」、襖絵の「八方睨みの虎」をもつとのこと。

長谷川寛州は、1957年生まれの長谷川大真(現大徳寺三玄院住職)の父親だそうです。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:影林宗篤
銘:清流(セイリュウ)
備考:福本積應書付

銘入茶杓:清流
※画像を押すと拡大できます。
茶杓師影林宗篤は、昭和21年、奈良県生駒高山に生まれたそうです。
昭和45年以後、大徳寺藤井誡堂、宮西玄性の指導を受けたみたいです。

福本積應は、1930年京都生まれのようです。
大徳寺塔頭養徳院、宗應和尚に就き得度、
大徳寺派元管長・清涼軒歓渓の弟子となり、美濃虎渓僧堂にて修業したそうです。
1954年招春寺住職拝命したようです。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:久保良斎
価格:10,000円
銘:瑞雲(ズイウン)
備考:長楽寺小室大心書付

銘入茶杓:瑞雲
※画像を押すと拡大できます。
瑞雲とは、仏教などで、めでたい兆しとして出現する紫色や五色の珍しい雲のことだそうです。

第二十四代久保良斎の次男久保左京(左京工房)らの生駒・高山の茶筌は、
全国の八割を占めるとか。

小室大心は、昭和24年、大徳寺派・長楽寺住職に就任した人のようです。


読み:ぬりちゃしゃく
作品名:銘入塗茶杓
作者:堀内宗完(表千家)
銘:花景(ハナゲシキ)
備考:桜蒔絵入茶杓

銘入塗茶杓:花景
※画像を押すと拡大できます。
表千家流堀内家十二代の堀内宗完は大正8年生まれ。
兄の11代が急逝したため,表千家十三代千宗左に師事し,昭和28年宗完を襲名したとのこと。
長生庵主、不審庵理事をつとめたそうです。
平成9年宗完の名を兄の長男にゆずり、宗心を名乗るようです。
著作に『茶の湯聚話』『茶花』などがあるみたいです。

桜の花言葉は「優れた美人・純潔・精神美・淡泊」だそうですが、
桜の種類(有名所の桜)によっても花言葉があるようです。
○八重桜:「豊かな教養・善良な教育・しとやか・理知に富んだ教育」
○染井吉野:「高貴、清純、精神愛・優れた美人」
○山桜:「純潔・高尚・淡白・美麗」
○しだれ桜:「優美・純潔・精神美・淡泊・ごまかし」
総じて、清潔なイメージが多いような気がします。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:長好斎
銘:梢の秋
備考:立花大亀老師書付

銘入茶杓:梢の秋
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「梢の秋」は、「こずえ」の「すえ」に「秋の末(すえ)」を掛けていて、「陰暦9月」を指すそうです。

立花大亀は、明治32年12月22日、大阪出身生まれの臨済宗の僧。
大正10年出家。京都大徳寺塔頭(たっちゅう)の徳禅寺住職となったようです。
大徳寺派宗務総長を2期つとめたそうです。
昭和38年最高顧問。
昭和48年大徳寺内に如意庵を復興して庵主となったとか。
昭和57〜昭和61年花園大学長。
平成17年8月25日、105歳で死去。
著作に『度胸の据え方』『利休に帰れ』などがあるみたいです。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:藤井誡堂
銘:松風
備考:大徳寺見性庵主

銘入茶杓:松風
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藤井誡堂は、臨済宗大徳寺派大本山の龍寶山大徳寺515世住持、大徳寺塔頭三玄院前住職だそうです。
明治31生まれ、戦後大徳寺の復興を心掛け、
瑞巌・歓渓・雪窓の各管長と共に紫野焼を復興し茶道の発展に尽くしたとか。
昭和59年、88歳で死去。

見性庵(けんしょうあん)は、寛永年中(1624〜1644)に、
毛利家益田景祥が室児のために三玄院の門左に創建したもののようです。
文化13年(1816)龍翔寺の火災で延焼、1840年頃再興したみたいです。

見性庵には、重要文化財の大般若経(別名:長屋王願経)43帖が伝わっているそうです。
長屋王願経は、「和銅経」と「神亀経」からなっていて、
このうち「和銅経」は最古の大般若経と言われているようです。

松風は、抹茶ことに濃茶を立てるのに適当な温度の「釜の煮え音」を指す言葉で、
温度的には、茶の味や香りを損じやすい沸騰の頂点ではなく、
それを過ぎて「少し下り坂の煮え加減の時」あるいは「沸騰の一歩手前の時」
を言うみたいです。

松風の温度の予測値は、
釜の底辺付近の湯は100℃
中層で90℃前後
表層で80℃〜85℃前後
となるようです。

参考までに、
抹茶を点てるのに適した湯温が80℃〜90℃
茶碗につぐと70℃
となるみたいです。

千利休は、湯相を
○「蚯音(きゅうおん)」:ミミズの鳴く音
○「蟹眼(かいがん)」:カニの目に似た小さな泡がたつ状態
○「連珠(れんじゅ)」:湧き水のように泡が連なって湧き上がる状態
○「魚目(ぎょもく)」:魚の眼のような大さな泡がたつ状態
○「松風(まつかぜ・しょうふう)」:石磨を挽く音
の五つに分けて、松風を最も良いものとしたそうです。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:長谷川寛州
銘:一聲
備考:大徳寺三玄院主

銘入茶杓:一聲
※画像を押すと拡大できます。
長谷川寛州は、臨済宗大徳寺紫野三玄院の元住職。現住職の長谷川大真の父親だそうです。
ちなみに、藤井誡堂老師は先々代、長谷川寛州老師は先代、長谷川大真師が三玄院現住職になるようです。

一聲といえば、鹿の鳴き声でしょうか。
「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」(百人一首)
秋には、雄の鹿が雌を求めて鳴くとされており、
そこに遠く離れた妻や恋人を恋い慕う感情を重ねているみたいです。

禅語の一聲雷震清風起(一聲雷(いっせいらい)震(ふる)うて清風(せいひょう)起こる)とは、
「雷声轟き、ひと時の激しい雨の後、一陣の清風が吹き起こって、
さしもの暑さもほこりっぽさも、いっぺんに洗い流して、
しおれた草木をはじめ、萎えがちな人間をも蘇らせるほどのすがすがしい様子」
を表すそうです。


読み:ちゃしゃく
作品名:銘入茶杓
作者:松長剛山
価格:15,000円
銘:村雲
備考:大徳寺

銘入茶杓:村雲
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松長剛山は、大徳寺塔頭高桐院(こうとういん)の住職だとか。

高桐院は、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院で、
創立者は利休七哲の1人の 細川忠興(三斎)
初代住職は玉甫紹j(ぎょくほじょうそう)だそうです。

村雲といえば「月に村雲、花に風」か、大鏡の
「月のかほにむら雲のかかりて、すこしくらがりゆきければ・・・」でしょうか。

この大鏡のむら雲、花山天皇が退位の際の、
「明るい月の光をまぶしくお思いになっているうちに
月の面に一群の雲がかかって少し暗くなっていったので、
[わが出家は成就するなりけり]と仰せられた。」
という文章の一文だそうです。

第六十五代花山天皇は、絵画・建築・和歌など多岐にわたる芸術的才能に恵まれ、
ユニークな発想に基づく創造はたびたび人の意表を突いた人だったようです。


作品名:銘入茶杓
作者:松長剛山
銘:山路
備考:松長剛山師書付

銘入茶杓:山路
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「山路」といえば、新百人一首に、
 04:式部卿宇合(藤原宇合) 山しろのいは田のをのゝはゝそ原みつつやきみが山路こゆらむ 〔新古今〕
 18:増基法師 かみな月しぐれ計を身にそへてしらぬ山路に入ぞかなしき 〔後撰〕
 73:小侍従 しきみつむ山路の露にぬれにけりあかつき起のすみ染の袖 〔新古今〕
の三首が選定されているそうです。
この新百人一首は、室町幕府第九代将軍足利義尚撰による私撰和歌集だそうで、
藤原定家撰の小倉百人一首に漏れた著名な歌人の歌を集めたものなのだとか。

また、二宮尊徳著『道歌集』に
 ・蔦かつら深き山路の谷こえてはな咲きならふ春の惠みに
 ・花に風道も小道もわかたなん花の山路の春の夕くれ
という二首があるそうです。

松尾芭蕉の俳句には、
 ・梅が香に のっと日の出る 山路かな
 ・山路きて 何やらゆかし すみれ草
というのがあるようです。

他にも、
 ・春さめにうちそぼちつつあしひきの山路ゆくらむやま人やたれ(源実朝)
 ・年の内はとふ人更にあらじかし雪も山路も深き住家を(西行)
 ・山路なる野菊の茎の伸びすぎて踏まれつつ咲けるむらさきの花(若山牧水)
 ・み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆふぐれの空(慈円)
などなど、短歌・俳句に詠まれことも多いみたいです。

ちょっとずれますが、登山家「ジョージ・マロリー」の言葉に
「そこに山があるから(Because it is there. )」
という登山家の信念を表す名言があるそうです。

さて、皆さんは「山路」という言葉で、
どんな景色が思い浮かぶでしょうか。


作品名:銘入茶杓
作者:松長剛山
銘:春霞
備考:松長剛山師書付

銘入茶杓:春霞
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春霞(はるがすみ)は、春の季節に立つかすみのことだそうで、
冬から春になると、遠くの景色が見えにくくなることを指すのだとか。

 ・春霞たなびきにけり久方の月の桂も花や咲くらむ(紀貫之)
春の霞が空にたなびいている。月に生えているという桂の花も、
今頃花を咲かせているのだろう
という意味だそうです。

花と月というと「花天月地」を思い浮かべてしまいます。
これは、花が咲いて月の明るい風景のことですが、
夜からあけぼのにかけ、だんだん白く見えてくる霞が、
春の訪れを告げる景色。山には紫色の・・・。

自然の幻想的な風景は、心に訴える何かがあるように感じます。


作品名:銘入茶杓
作者:藤井誡堂
価格:20,000円
銘:松風
備考:藤井誡堂師書付

銘入茶杓:松風
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松風は、松林にうちつける風なのですが、
古典では、うら寂しい海岸の情景を表すものとしても用いられたようです。

源氏物語「第十八帖:松風」は、
作中で明石の尼君が詠んだ和歌
「身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」
に因んで付けられたタイトルだそうです。

この「第十八帖:松風」で明石の尼君は、
娘(明石の御方)が孫(明石の中宮)を連れて京に上る際に
夫と別れて娘や孫と共に上京するみたいです。

娘(明石の御方)が弾く琴の音に、音を合わせて鳴る松風。
横になっていた尼君が起き上がって言った言葉が
この「身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」
だそうです。
娘は「ふるさとに見し世の友を恋ひわびて さへづることを誰か分くらん」
と返すみたいです。

茶道での松風は、抹茶ことに濃茶を立てるのに適当な温度である
「釜の煮え音」を指す言葉ですが、
古典では物悲しさを表現しているように感じます。

立花実山著『南方録』に
「一座一会の心、只この火相・湯相のみなり。」
とあるようで、千利休は五つの湯相を示しています。

利休より前の1072年の詩、蘇軾著『試院煎茶』には
「湯の沸騰の度は、蟹眼の小沸を過ぎて、魚眼の大沸が生じ、
しゅうしゅうとして松風の鳴く音を作(な)そうとする。」
とあるそうで、昔から松風という表現があったようです。

静かな茶室に鳴る松風の音。
客の心身を温めようとする亭主の「お・も・て・な・し」の心。

抹茶の最適な温度が「松風」だったのは偶然かもしれませんが、
「物悲しい松風の音を、亭主の心が温める」そんな情景を思うと、
和敬清寂の心得を少し理解できた気になるのは、私だけでしょうか。


作品名:銘入茶杓
作者:藤井誡堂
価格:20,000円
銘:松籟
備考:藤井誡堂師書付

銘入茶杓:松籟
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松籟(しょうらい)は、松の梢に吹く風やその音を指すみたいです。

西郷隆盛の漢詩に以下のようなものがあるそうです。
 我家松籟洗塵縁(わが家の松籟塵縁を洗う)
 満耳清風身欲仙(耳に満つる清風身仙ならんと欲す)
 謬作京華名利客(謬って京華名利の客と作り)
 此声不聞已三年(この声聞かず已に三年)
意味は、
「故郷の家に帰って松籟の音を聞いていると、
俗世間の汚れがすっかり洗い落とされる。
耳いっぱいにすがすがしい風の音が響くと、
この身が仙人になったかと思うほどだ。
なんの間違いか、
都で名誉だの利益だのを追い求める中に立ち交じっていて、
この爽やかな音を聞かぬまま三年も過ごしてきたのだ。」
となるのだとか。

松下電器創業者、松下幸之助は「松籟庵」という茶室を
追手門学院大学に寄贈したようで、
「仕事にまい進し、よそごとを考えずに、
打ち込み、一つのことに徹している時、
その時に体感する音が、ヒューッという松籟だ」
といった意味なんだそうです。

茅ヶ崎市にも「松籟庵」という茶室があるようで、
こちらは、長崎屋創業者、岩田孝八が
平成元年に茅ヶ崎市に寄贈したそうです。

私は「松籟」という言葉から、
茶道の原点とも言える「侘び」を連想します。

「侘び」という言葉を、美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、
立花実山著『南方録』(江戸時代)からだそうです。
ただ、珠光時代から脈々と続く思想は、
「松籟」という言葉にも繋がっているような気がします。

俗世を忘れ、静かなひと時を過ごす。
茶の湯はそんな安らぎを与えてくれます。

釜の「松風」の音(ね)、茶室に響く「松籟」の音(おと)。
今も昔も、ストレス社会から心を癒やす安らぎを、
人々は茶道という形で求めているように感じます。


作品名:銘入茶杓
作者:藤田寛道
価格:15,000円
銘:岩清水
備考:藤田寛道師書付

銘入茶杓:岩清水
※画像を押すと拡大できます。
岩から滴る清水が流れとなり川となって海に注ぐまでの情景「岩清水」。
尺八の曲名となっているそうです。

『古今和歌集』に
「あふ坂の関に流るゝ岩清水 いはで心に思ひこそすれ」
「君が代にあふ坂山の岩清水 こ隠れたりと思ひけるかな」
とあるそうです。
岩清水 の「岩(いは)」から 、「言はで」 の 「いは」を導いて、
口には出さずに思っているのだけれど、
という恋歌になるのだとか。
「あふ坂の関」は現在の滋賀県大津市逢坂一丁目あたりだそうです。

環境省選定の名水百選に、北海道からは三か所選出されているようです。
・羊蹄のふきだし湧水
・甘露泉水
・ナイベツ川湧水
ここでは、羊蹄のふきだし湧水についてちょっと説明しようかと思います。

北海道虻田郡京極町字川西にある「ふきだし公園」で湧出する羊蹄山の伏流水で
1985年3月に名水百選の1つに選定されたようです。
ほどよい硬度のまろやかな味の水だそうで、
透水性が高く、降水のほとんどが地下へ浸透し、
山腹の渓流を作らない代わりに水量豊かな湧水となったのだとか。

ちなみに羊蹄山は、富士山に似た雰囲気があることから
「蝦夷富士(えぞふじ)」とも呼ばれていているみたいです。

初めて利休が友人を連れて、丿貫の家を訪れた時、
茶の湯の水を、筧(かけい)で取ってもてなしたそうです。

幽邃の地、俗世を離れ一人住む丿貫の心意気。
雨が山に降り注ぎ「岩清水」となる。
茶の湯は、自然がもたらす恵みを一杯の茶に凝縮した
芸術なのではないでしょうか。


作品名:銘入茶杓
作者:藤田寛道
価格:15,000円
銘:白雲
備考:藤田寛道師書付

銘入茶杓:白雲
※画像を押すと拡大できます。
雲が白く見えるのは、
雲が小さい水や氷のつぶがたくさん集まってできているため、
光が乱反射を起こして、ものの色を消して白く見せるからなのだそうです。

白色には、純粋・無実・崇高・気高いといった意味合いが含まれているそうで、
黒色に対して、善とか清廉といった好イメージを受けます。

世界気象機関発行の「国際雲図帳」では、
雲の形から十種雲形(十種雲級)として、十種類に分類しているみたいです。
それぞれ、以下のような雲だそうです。
○巻雲(けんうん):すじぐも
○巻積雲(けんせきうん):うろこぐも/いわしぐも/さばぐも
○巻層雲(けんそううん):うすぐも
○高積雲(こうせきうん):ひつじぐも
○高層雲(こうそううん):おぼろぐも
○乱層雲(らんそううん):あまぐも/ゆきぐも
○層積雲(そうせきうん):うねぐも/くもりぐも
○層雲(そううん):きりぐも
○積雲(せきうん):わたぐも
○積乱雲(せきらんうん):にゅうどうぐも/かみなりぐも

明治・大正期の詩人、山村暮鳥の詩集『雲』。
老人と子供らが悠々と流れる雲をぼんやりと眺めながら、
望郷や恋慕渇仰といった想いを、
雲に乗せる様を描いているように思いますが、
昼間、ふと見上げるとそこにある空は、
目に映る美しい情景と共に、心までも和らげてくれるようです。

中国古代の書物『礼記』には「礼は之和を以て貴しと為す」とあるそうです。
聖徳太子の十七条憲法にも「以和為貴」と同様の記載があるみたいです。

「和」の心というと「日本の心」ということですが、
「日本民族の文化の本質は、個性重視とする文化ではなく、
集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した文化である。」
という解釈が一般的なのだそうです。

日本人の心と合致した茶の湯。
ふと雲を見上げると、和の心が皆さんにも見えませんか。


作品名:銘入茶杓
作者:戸上明道
銘:竜田川
備考:吉祥山玉瀧寺住職
 戸上明道師書付

銘入茶杓:竜田川
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竜田川(たつたがわ)は、大和川水系の支流で奈良県を流れる一級河川だそうです。
上流を生駒川(いこまがわ)、中流を平群川(へぐりがわ)とも言うのだとか。

「竜田川」に関して、小倉百人一首では、以下の二首が撰ばれていているようです。
 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり(能因法師)
 ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは(在原業平)

この当時の竜田川は、現在の竜田川(平群川)ではなく、
大和川本流を指しているのだそうです。
これは、後の時代に紅葉の名所として観光地にするため、
地元が現在の平群川を竜田川と称したためなのだとか。

ちなみに大和川上流部の初瀬川周辺では、
昔からおとぎ話『桃太郎』を連想させる伝説があるみたいです。

少し逸れて「ちはやぶる」について説明しようとおもいます。
「ちはやぶる」は、激しい様をさしていますが、「あらぶる」とは違い、
独楽の回転のような、ぶれのない静的な激しさを指しているそうです。

ちはやぶるに関連するものとしては、
落語:千早振る
漫画:ちはやふる
があるようです。

落語の方は、三遊亭小遊三が得意としていたそうで、
あまりある千早振るへの情熱に
「小遊三の千早か、千早の小遊三か」
などと呼ばれていたそうです。

漫画の方は、アニメ化もされた人気作で、
主人公の少女が、競技かるた(百人一首)を通して成長する
青春・熱血スポーツ漫画みたいです。
(実はこのアニメ、私はファンの一人です。)

「竜田川」の川の流れ。
静的な激しさの中に、人々が乗せた想い。
川のせせらぎに耳を傾けると、人の営みがいかに小さいものかを
感じる時があります。
時間のあるとき、ふと川を眺めてみると、
そこには、何が見えるのか。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」(方丈記)

抹茶を茶杓ですくうとき、さらさらとした緑の粉から
川の流れを連想される方は少ないと思いますが、
茶碗へと流れ落ちる粉、さらさらと静かな音をたて、
ほのかな香りがたつ。
小さな茶碗に、新たな世界を描き出す様から
川が海へといざなう流れを想像できるとよいのですが。


作品名:銘入茶杓
作者:西垣宗興
価格:10,000円
銘:瑞雲
備考:西垣宗興師書付

銘入茶杓:瑞雲
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瑞雲は、太陽の近くを通りかかった雲が、緑や赤に彩られる現象だそうで、
日光が雲に含まれる水滴で回折し、
その度合いが光の波長によって違うために生ずるものみたいです。
彩雲、慶雲、景雲、紫雲などとも呼ばれるようです。

また瑞雲は、めでたいことの前兆として現れる雲なんだそうです。
仏教では、「五色の彩雲」など、
瑞相(めでたい出来事として起きる前触れ現象)として
様々なことが起こると説かれているようです。

茶会にまねかれ、最初に見るつくばいに映る太陽。
ふと振り返り、空を見上げると、そこには晴天に輝く虹色の雲。
素直に感動を覚え、今も昔も同じ空を見上げていたのだと
感慨にふけっていると、喚鐘の音が庭に響く。

瑞雲は、喧騒を忘れるのに一役かってくれることでしょう。


作品名:銘入茶杓
作者:上田義山
価格:10,000円
銘:祥雲
備考:上田義山師書付

銘入茶杓:祥雲
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ここでは、瑞と祥の違いについて説明しようかと思います。

辞典で見ると、
瑞:めでたい兆し。みずみずしく美しいこと。若々しくうるわしいこと。
祥:きざし。ぜんちょう。特にめでたい兆し。
といった感じになるのですが、もう少し掘り下げてみます。

瑞のつくりは、端(タン)の原字で、偏が玉。
形の整った玉、ということから、
「領地や爵位を与えたしるし」という意味になるそうです。

祥の造りは、示偏に羊。
「示す」は、自分の考えや物を人に見せることを意味し、
祭祀の際に犠牲を捧げる祭壇という説や、
神や祖霊が宿る木や石でできた神主といった説があるそうです。
つまり「神に肉をおそなえする」
といった意味になるでしょうか。

さて、「瑞」の方はなんとなく、めでたい気がするのですが、
「祥」の方は何がめでたいのか。
これは「過越祭(すぎこしさい)」に関連しているように思います。

過越祭は、最初の晩にセデルと呼ばれる正餐を催し、
小羊・苦菜・種入れぬパンを食べ、
ハガダーと呼ばれる出エジプトに関する物語を読んで、
先祖がエジプトの奴隷の身分から救い出されたことを記念する行事だそうです。

聖書の出エジプト記十二章によると、
ユダヤ人が奴隷として虐げられるようになり、
モーゼが民を約束の地へと向かわせようとする場面で、
神がエジプトに対して十の災いを起こすみたいです。

その十番目の災いが、人間から家畜に至るまで、
エジプトの「すべての初子を撃つ」というものだったのですが、
神の忠告を守り、小羊の血を入口に塗った家だけは過ぎ越したそうです。

ユダヤ商人は紀元前数百年の昔から中国(漢の全盛時代)に入りこんでいたそうです。
六世紀には、山西省にユダヤ人は数ヶ所のユダヤ教の教会を持つに至たり、
唐の時代にはユダヤ人の宗教は危険であるとされ、
九世紀の中頃、広東で四万人のユダヤ人が殺されたみたいです。
逆に、元朝はユダヤ人を厚遇したのだとか。

漢の時代に、過越祭の風習が既に伝わっていたとしたら、
このとき「祥」という漢字にお祭りのイメージが加わったのではでしょうか。

遣隋使・遣唐使などと共に、日本に「祥」という漢字が伝わり、
めでたい兆しという印象が生まれたとしても、
不思議はないような気がします。

祥雲。ユダヤの人々が命がけで日本に伝えた幸せが
そこにはあるのかもしれません。


作品名:歴代茶杓(裏千家)
作者:影林宗篤
備考:桐箱入

歴代茶杓(裏千家)
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歴代というのは、以下の十五人を指すようです。
初 代:利休宗易(抛筌斎)
二 代:少庵宗淳
三 代:元伯宗旦(咄々斎)
四 代:仙叟宗室(臘月庵)
五 代:常叟宗室(不休斎)
六 代:泰叟宗室(六閑斎)
七 代:竺叟宗室(最々斎)
八 代:一燈宗室(又玄斎)
九 代:石翁宗室(不見斎)
十 代:柏叟宗室(認得斎)
十一代:精中宗室(玄々斎)
十二代:直叟玄室(又妙斎)
十三代:鉄中宗室(圓能斎)
十四代:碩叟宗室(淡々斎)
十五代:汎叟宗室(鵬雲斎)

茶杓の利休形を一般的とすると、それぞれ以下のような特徴があるそうです。
宗匠名特徴
六 代:泰叟宗室細身であるが、櫂先(かいさき)で開き、やや尖って剣形となっている。
八 代:一燈宗室他に比べて少し大きく、桶は深くて力強い。
今日庵の剣先茶杓の典型を示し、節上は胡麻竹で深桶、
切止は表裏ともに面取っているこの代から共筒共箱がみられ、以後これが約束となっている。
九 代:石翁宗室櫂先(かいさき)をさらに強調して鉾状としているが、全体にやや細身でおとなしい。
十 代:柏叟宗室全体に細身、櫂先はゆるやかに剣状である。
十一代:精中宗室再び手強い感じとなり、櫂先は型どおりであるが露を中心にくりがみられる。
二つ節・下節・上節・三つ節・五つ節などの代わり杓が多く、
また塗杓・蒔絵のものなどを好んで、多種多用である。
十二代:直叟玄室竺叟以来の今日庵型ともいえる独特の茶杓を残している。
櫂先は剣形をやめて、先を異常にまるく切り、肉はやや厚く、おっとりも少し太めである。
十三代:鉄中宗室剣型茶杓を強調したもので、櫂先の剣型が横に極端に張り、全体に太めである。
おっとりは角張って皮表面のまま切ってある。裏面にかならず二本の小刀目をつけている。
十四代:碩叟宗室露と両肩がほとんど一文字になるくらいにして、大きくくりがついている。
十五代:汎叟宗室歴代のものに比べてやや長く、櫂先はあまり尖らず太い目で、おだやかな剣状、裏面に一本の小刀目をつける。


作品名:茶杓(うるし塗春野蒔絵)
価格:2,000円
備考:紙箱入

茶杓(うるし塗春野蒔絵)
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春野は、春の野原・春の野のこと。

春の野というと『小倉百人一首』に
 ・君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)
があるそうです。

『万葉集』にも以下の短歌があるようです。
 ・春の野に霞たなびきうら悲し この夕かげに鶯鳴くも(大伴家持)
 ・春の野にすみれ摘みにと来こし我そ野をなつかしみ一夜寝にける(山部赤人)

本作品(茶杓)に描かれているのは、
蕨(わらび)・土筆(つくし)・小川でしょうか。

「春の小川」といえば、1912年に発表された文部省唱歌で、
初めて掲載されたのは『尋常小学唱歌 第四学年用』なんだそうです。
小田急線参宮橋〜代々木八幡駅間の線路沿いに
「春の小川」の歌碑があるようです。

この歌は、歌詞の改変があったようで、
オリジナルの歌は、
 春の小川はさらさら流る。
 岸のすみれやれんげの花に、
 にほひめでたく、色うつくしく
 咲けよ咲けよと、ささやく如く。
なんだそうです。

林柳波が歌詞を口語体に変え、
1947年、最後の文部省著作音楽教科書『三年生の音楽』で、
再び歌詞が改変されたみたいです。

「春、風が草原を渡る」として、
1992年、東芝EMIが制作・発売した『新・実践吹奏楽指導全集』に
「小編成のためのオリジナル作品集」が出ているそうです。

自然が減りつつある現代。
春の野原を想像できる子供たちは、
減ってきているのではないでしょうか。

茶道を通じ、少しでも自然の良さを後世に伝えることができれば。
「春野」にそんな願いを込める今日この頃です。


作品名:茶杓(輪島塗菊桐蒔絵)
価格:3,000円
備考:桐箱入

茶杓(輪島塗菊桐蒔絵)
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菊桐といえば、紋章でしょうか。

現在、日本の国の紋章が「十六八重表菊」で、
日本政府、内閣府、内閣総理大臣の紋章が「五七の桐」
となっているようで、
パスポートなどにもついているみたいです。

パスポートの場合「一重の十六表菊」なのですが、
八重は天皇陛下個人の紋章なため、一重にしているようです。

桐紋は種類も多く
五三桐・丸に五三桐・太閤桐・土佐桐・五三鬼桐・桐揚羽蝶などなど
140種類以上もあるそうです。

桐の紋として使用が確認できる初見は
『蒙古襲来絵詞』に描かれた天草大矢野氏の軍旗みたいです。

以降、室町時代の『見聞諸家紋』には、三十五家、
江戸時代の『寛政重修諸家譜』には、四百七十三家が載っているのだとか。
1884年に官報で、使用規定を特に定めないと公示したそうです。


作品名:茶杓
価格:3,000円
備考:白竹筒入/紙箱入

茶杓
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茶杓は、元々中国で使用されていた薬匙だそうです。
当初、芋の葉形の匙に柄をつけ、
薬を破砕する目的でその根元の先は球状になっていたのだとか。

室町時代の末に茶の湯が成立すると、
茶入から茶をすくうようになり、
先の太い形状では口の小さい茶入からお茶すくうのは難しく、
金属製は、器を傷つける恐れもあるため、不適となったそうです。

そこで、点前の条件を満たす形状に作られたのが
「珠徳形(しゅとくがた)」と呼ばれる茶杓みたいです。
利休の時代になると、象牙製の端正な「利休形」が使われるようになるみたいです。

以降、元々一回だけ使用する消耗品として扱われていた竹製の茶杓が、
使い終わると竹筒に入れて保存されるように変わり、
竹筒に花押などの書付や銘がつけられるようになるそうです。

さて、「詰筒」の筒書は、墨の直書が正式なものとされ、
朱漆書きや字形書きはこれに次ぐのだそうです。
銘は宗旦・遠州の時代以降、一部の送り筒を除いて、
ほとんどに付けられているのだとか。

筒の種類としては、以下のようなものがあるみたいです。
・共筒(ともづつ) :茶杓と同じ竹で、同一作者の手による筒。
・替筒(かえづつ) :共筒の他に、別に新たに作られた筒。
・送り筒(おくりづつ) :年号や宛名を入れ、人に送るための共筒。
・追筒(おいづつ) :茶杓の作者以外によって後に作られた筒。
・会所筒(かいしょづつ) :対銘をなす複数の茶杓を収納するための筒。
・極め筒(きわめづつ) :元々筒がない場合、後世の人が筒を作り、
 これに入れて茶杓の作者名を書いたもの。 鑑定・証明のための筒。


作品名:銘入茶杓
作者:松長剛山
価格:15,000円
銘:松の翠
備考:桐箱入

銘入茶杓
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「翠」には、みどりのほか、
カワセミ、よごれのないみどりの羽、翡翠のような青緑色、
山・草・葉などよごれのない青みどりのもの、
といった意味があるそうです。

「翠」は、1976年に人名用漢字に採用されたみたいです。

カワセミのとくに雌を翠といい、雄は翡で合わせて翡翠というのだとか。
これは、鮮やかな水色の体色からついた名前のようです。

「翠松(すいしょう)」という単語があり、
意味は、みどりの松、青々とした松のことのようです。

他に、禅語で「松寿千年翠(松樹千年翠)」というのもあります。
これは、松の木の緑色が千年の長い歳月を経ても風雪に耐えぬいて、
少しもその色を変えないという意味で、
祝語として床の間の掛軸にもよく使われる禅語だそうです。

国木田独歩著『帰去来』に
「磯より数十軒の間近に其翠松の枝を翳し」
とあるのだとか。


作品名:銘入茶杓
作者:久保良斎
銘:無尽蔵
備考:桐箱入/
黄梅院小林太玄

銘入茶杓
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無尽蔵は、無限の功徳(利益や福運)を有する、
尽きることのない財宝を納める蔵に喩えた仏教用語だそうです。

他方、飢饉の貧民救済にあてたり、しのぎの資金を提供するために、
金銭を蓄えた寺の金融機関が生まれ、利息を得て寺の伽藍の修復資金などに使われたようです。
喩えとしていた蔵が、現実のものとなり、その金融機関を「無尽蔵」というようになったとか。

その後、無尽蔵の金銭期間は、構成員が一定の期日に一定額の掛け金を出し、
クジや入札で決めた当事者に給付する「無尽講」「頼母子講(たのもしこう)」と呼ばれる
民間の互助組織に発展したようです。
この「講」の仕組みは「無尽」とも言ったようで、
無尽を営業とする会社は「無尽会社」というようになったみたいです。

無尽業法(昭和6年法律第42号)では、物品無尽を行なう無尽会社にしか規制がなく、
営業としての看做無尽は銀行法で規制されているようですが、
非営業の看做無尽は、営業・非営業を問わず金銭無尽については規制が無かったそうです。

昭和26年法律第199号の相互銀行法により、無尽会社ではこれまで可能だった金銭無尽が禁止され、
1社を除く全ての無尽会社が相互銀行に転換したようです。
現在営業している無尽会社は、日本住宅無尽株式会社(三菱東京UFJ銀行系列)のみだとか。


作品名:銘入茶杓
価格:15,000円
銘:千代の寿
備考:桐箱入/
大徳寺/松長剛山書付

銘入茶杓
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村山亘作詞 松島庄十郎作曲の長唄に、
「千代の寿」というのがあるそうです。

歌詞は、
「ときわのまつの いろはえぬ
 こずえにあそぶ 友鶴の
 羽音長閑に はれやかに・・・」
なのだとか。

また、竹保流尺八本曲にも「千代の寿」というのがあるようで、
1927年に作曲された、尺八の4重奏曲みたいです。

更に、宮城道雄 作曲した箏曲にも「千代の寿」
というのもあるみたいです。

天保13年(1842年)に刊行された『琴曲千代の寿』という本もあるようです。


作品名:銘入茶杓
作者:戸上明道
銘:庵の友
備考:桐箱入/
吉祥山玉瀧寺

銘入茶杓
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庵の友というと、祇園辻利園の薄茶、
裏千家今日庵好・淡々斎好の「庵の友」があるそうです。


■東山御物から始まる「銘」
茶道具の銘の始まりは、茶壺なのだそうです。
東山御物として収蔵された同種・同系の宝物・珍器を分類する目印として、
標準的に「銘」が付けられたようです。

足利家は代々、唐物美術品の収集に熱心だったようです。
足利尊氏は、天龍寺貿易で、中国・宋の青磁などを輸入していたようです。
他に、庭園趣味も豊かだったとか。

二代義詮は、闘茶好きで、唐物茶器を多数収蔵したそうです。

三代義満は、足利将軍家が最も充実した時期で、
明との勘合貿易により、唐物舶来の機運を高めたようです。

六代義教や八代義政は、義満以上の茶人で、
義政の京都・東山第には、
「七珍万宝ハ其数ヲシラス」
といわれたほど舶来の珍器が秘蔵されていたそうです。
ただ、この時代、財政的にも弱体化してきた足利家は、
義政の命で、宝物を整理する必要に迫られたようです。
それが「東山御物」だったみたいです。

「銘」は元来、金石や器物に来歴や、
その物に関わった人物の功績を刻むことだったそうです。
その中で、茶道具では、14世紀中ごろから茶壺に付けられたの始まりだとか。


■茶杓の銘とは
茶杓の銘は、刀剣の姿形を換骨奪胎(かんこつだったい)したものだそうです。

換骨奪胎というのは、古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら、
独自の作品を作り上げるという意味で、
ここでは、茶人は武人の刀剣に対するのと同等の敬意と執着とをもって、
茶杓を作り、愛蔵したという意味になるみたいです。

そこで重要になってくるのが「茶杓の筒」、
とくに「共筒」になるでしょうか。

当初、茶杓の筒には、利休以前は署名だけしか書かれず、
利休の頃から「贈り筒」が始まるそうです。
ちなみに、贈り筒は、茶杓に添った筒に、
贈ろうとする人が相手の名宛を書いたもので、
贈り主の名前は書かないようです。

銘の付いた茶杓が多く現れるのは、利休の孫、元伯宗旦からだそうで、
様々な文学的な銘が生まれたようです。

例えば、小堀遠州の古歌(和歌)からの銘や、
藤村庸軒の詩銘(漢詩銘)などで、
その後、俳句銘なども盛んに付けられるようになったみたいです。


作品名:牙茶杓(各種)
価格:各8,000円
備考:紙箱入/
左端の芋茶杓は売り切れです

牙茶杓(各種)
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茶杓の真・行・草の他に、茶杓の筒にも真・行・草があるそうです。

利休時代から茶杓を筒に入れること(共筒ともづつ)が行なわれ、
茶杓の真・行・草が区分されるようになったみたいです。

真の筒は、皮肌を削って磨きをかけたもののようです。

行の筒は、長短をつけた刀目を入れ、真ん中に皮肌を残したものだとか。

草の筒は、行よりもやや強めに長短をつけて、刀目を入れたものみたいです。

これらは、四ヶ伝などの古式の点前に用いられるようです。

筒の種類としては、
 ・共筒(ともづつ) :茶杓と同じ竹で、同一作者の手による筒。
 ・替筒(かえづつ) :共筒の他に、別に新たに作られた筒。
 ・送り筒(おくりづつ) :年号や宛名を入れ、人に送るための共筒。
 ・追筒(おいづつ) :茶杓の作者以外によって後に作られた筒。
 ・会所筒(かいしょづつ) :対銘をなす複数の茶杓を収納するための筒。
 ・極め筒(きわめづつ) :元々筒がない場合、後世の人が筒を作り、
 これに入れて茶杓の作者名を書いたもの。 鑑定・証明のための筒。
のほか、詰筒・栓筒・割筒などといった区分けもあるみたいです。

・詰筒 :本来の用途は茶杓の繊細な細工を保護するための竹製の収納容器。
・栓筒 :しのぎはふつうで、筒の先の方へ穴を開けて、
 鹿皮紐に結びつけた細い竹釘を横から「かんぬき」のように差しておく筒。
・割筒(文筒) :竹の節を両端におき、筒を縦二つに割って、
 裏側の上下を皮紐または観世撚りで綴じ、開く方は中央を菖蒲皮で結ぶ。
・補筒 :茶杓の作者とは別人の作になる筒。


作品名:銘入茶杓
銘:心華
備考:桐箱入/瑞峰院/
前田昌道書付

銘入茶杓
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心華(しんげ)は、雨露のめぐみで草木が花を咲かせるように、
仏の教えや修行により煩悩が消えて、
本然の光を発することの喩えだそうです。
一言でいうと「花のように清らかな心」となるみたいです。

呉鎮著『宝僧録』に
「それ画は心華なり」
とあるようです。

また、京都府宇治市神明石塚66にある「心華寺」の名は、
『円覚経』の「心華発明、照十方刹」
から来ているそうです。

華のごとく美しい心で、明るさを発する、
全ての世界を無限に照らすという願いを込めているのだとか。

普通の花の香りは、風上から風下にしか流れないのですが、
心の華は、風上であろうと風下であろうと、
関係なく流れるのだそうです。



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