茶箱用の茶筌ってこんなの

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茶箱用の茶筅は、通常の茶筅より一回り小さく、
かわいらしいのが特徴です。

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■茶筅の「筅」の字
茶筅の字はもともと鍋などの焦げ付きを落とす道具、筅(ささら)から来ているそうで、
芸術まで高められた高山の茶筅では「筌」の字を使うことが通例だとか。

高山宗砌が 村田珠光 の依頼で開発したのが茶筅の始まりだそうで、近松茂矩著『茶湯古事談』には、
「茶筌は 武野紹鴎 ~ 利休 の頃まで蓬莱の甚四郎、 利休 の頃には高山甚左が作ってそれぞれ天下一と言われた」とか
「高山甚左の子孫の甚之丞や、玉林も茶筌作りで名を馳せた」といったようなことが載っているみたいです。

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■茶筅通し
茶筅通しには、穂先を湯に馴染ませ柔らかくして折れにくくする効果があるそうで、
最初の茶筅通しは、軽くサラサラとお湯に馴染ませるようにすれば良いみたいです。

戻ってきた茶碗に対する茶筅通しは、茶碗と茶筅を同時にすすぐため、
茶筅の穂先に付いたお茶を落とすようにして振るのだそうです。

点てる前を「茶筅湯じ」、点てた後を「茶筅濯ぎ」と呼んで区別することもあるのだとか。

茶筅を上下するのは、穂先を目前で改めて折れや汚れのないことを確かめる意味があるそうで、
予め水屋で穂先が折れていないかを確かめ、次に軽く水にくぐらせ清め茶碗に仕組んだものが、
問題ないかを、改めて確認するようです。

茶筅を茶碗の縁で軽く音を立てる動作は、
真言密教の灑水(しゃすい)の礼に由来した浄(きよ)めの意味があるのだそうです。

ちなみに、灑水(洒水)というのは、密教の儀式を行う前に道場や法具などに香水(こうずい)をかけ、
煩悩や穢れを浄めることだそうです。

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■貴人清次
なぜ、そうなのかはよくわかりませんが、
裏千家の貴人清次では、
茶筅は貴人の「清」が白竹に対して、
「次」は煤竹の数穂を用いるのだそうです。

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■茶筅の大きさ
茶筅の大きさは、通常は3寸7分(12cm弱)ほどですが、
西大寺の大茶盛(おおちゃもり)で用いられる茶筅は、
高さ1尺2寸(約36cm)もあるみたいです。

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■茶筅の紐
茶筅の紐は、からみ糸・かがり糸などと呼ばれるそうです。
通常は黒の糸を用いるようですが、
流派や趣向によって白や赤の糸を用いることがあるとか。

赤糸の茶筅の代表的なものが、
長寿の祝い事に用いられる祝茶筅みたいです。
還暦や古希では元節、喜寿や米寿では節無しとするのだとか。

釣釜用具ってこんなの

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動画は、釣釜を掛ける用具のセットです。

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ここでは自在鉤について説明します。
囲炉裏道具として使われる「自在鉤」、
鍋や湯釜などを吊るし、高さを変えることで火力調整のできる優れた道具で、
五徳を使わないことで火元に障害物がなくなり、薪をくべやすくする働きもあるとか。

ただ、世界遺産白川郷や、かやぶきの里京都府美山集落の囲炉裏にはほとんど自在鉤は存在せず、
かわりに、種々の大きな五徳(金輪)が多く見られるみたいです。

「自在鉤」の構造としては、「中通し式」「スライド式」「縄掛け式」「空鉤」「その他」があり
中でも、固定された「吊り棒」と上下する「鉤棒」でスライドさせるタイプと、
折り返した縄の長さで調整するものの2種類が代表的なんだそうです。

この中で「中通し式」についてだけ説明すると、
竹・木筒・鉄・真鍮・縄などさまざまな材料で作られているようで、
飲食店の装飾としてもよく使われているのだとか。

横木は魚型などで、鍋をかけると魚の頭が下がり尻尾が上がって
魚と縦棒の摩擦でストップする仕組みだそうです。
そのため鍋を下ろさないと高さ調整ができないとか。

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釣(つる)は、茶の湯釜を炉に吊るための道具のひとつで、
釜の鐶にかけて、鎖や自在の鉤へかけるための、
把手(とって)のことみたいです。

釣は、「弦(つる)」「釜釣(かまつり)」
「釜弦(かまつる)」ともいうそうで、
釣も「つる」の他、「つり」と読む場合もあるみたいです。

馬蹄形に近い半円状で、両端が上に反って、
鉤状になっているそうで、釜の左右の鐶付に、釜鐶を通し、
それに釣をかけることにより釜を吊るようです。

鉄や真鍮製で、象嵌入り・彫文様入り・虫喰のものがあるとか。

利休形として、
・真鍮の木瓜形(もくこうがた)、
・鉄の丸釣(まるつる)、
・鉄の鎌刃形(かまはがた)
の三種があるようです。

木瓜形は雲龍釜・鶴首釜など、
丸釣は、四方釜に、
鎌刃形は小丸釜・小尻張釜・阿弥陀堂釜などに用いるみたいです。

稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「釣 真チウ木爪は雲龍にもちゆ、
 鉄丸は四方にもちゆ、
 鉄鎌の刃は小丸、小尻張、大ぶりなるカマにもちゆ、
 千家に此三つを一箱に入て如心斎書にて利休所持とあり、
 それゆへ当流は此三品をもちゆ、
 此外に達磨堂にもちゆる真鍮丸ツルあり、
 片端にアガキあり」
とあるそうです。

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釣釜には、雲龍・車軸・鶴首といった細長い、
小さめのものを使用するそうです。

三月に釣釜にするのは、この春の風情を楽しむことと、
炉中に撒かれた灰が増える、炉の終わりゆく時期に思いを馳せる、
という意味があるみたいです。

釣釜は、広間と小間では室礼が異なるようです。
広間では天井に打たれた蛭釘に「鎖」を、
小間では竹や植物の蔓などで出来た「自在」を下げて、
その先に釜をかけるのだとか。

小間で使用される「自在」は、
秋の収穫後家族が集まって囲炉裏を囲む姿から編み出されたようです。

「自在」の上には、飾りとして木彫りの魚がついていることがあるみたいですが、
これは囲炉裏の火の卦に対して、水の卦を配置し、
火伏せの意味があったそうです。

釣釜ってこんなの

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道具は、釣り釜と釣が釜を釣るためのセットです。

釣釜は、天井に打たれた蛭釘(ひるくぎ)から釜を釣り下げる使用するもので、
「雲龍」「車軸」「鶴首」といった細長い小さめのものを使うようです。

雲龍釜に関しては、井伊直弼著『閑夜茶話』に以下のような話があるそうです。
雲龍釜というの初め、東山御物の青磁水指の形より、利休が思いついて釜を作らせたものみたいです。
「絵は探幽なり」という言い伝えもあるとか。
また、雲龍が姥口のようになっているのは、少庵の考えのようで、
「煮えが良くもつように」と好まれたものみたいです。
利休が好んだのは一重口だそうです。

三月に釣釜にするのには、この春の風情を楽しむことと、
炉中に撒かれた灰が増える炉の終わりゆく時期に思いを馳せるという意味もあるのだとか。

釣釜は、広間と小間では室礼が異なり、
広間では天井に打たれた蛭釘に「鎖」を、
小間では竹や植物の蔓などで出来た「自在鉤」を下げて、
その先に釜をかけるようです。

■鎖の間
座敷の一種である「鎖の間」は、釣釜の鎖に由来しているそうです。
この「鎖の間」、古田織部や 小堀遠州らが、
小座敷と結び、さらには書院までつなぐことにより、
一日の内に座をかえて茶を楽しみ、かつ小座敷では得られない、
書院風の座敷飾りを茶会にとりいれることを可能にしたみたいです。

鎖の間について補足すると、
 1.利休が一旦取りやめた:立花実山著『南方録』
 2.織部が「式正の茶」として復活させた:『古田家譜』
 3.遠州が実際に造った:『松屋会記』
といった流れがあったみたいです。

以下、それぞれの詳細について。

立花実山著『南方録』に
鎖の間のことを、千宗易が伝え聞いて
「これ後世に侘茶湯のすたるべきもとゐなり」
といってやめさせたようです。

『古田家譜』に
秀吉が町人文化の茶を武家風にせよ
と言われたので「式正の茶」に改定した
といったことが記載されているようで、
この頃より「侘茶」から「儀礼の茶」へと変遷していったみたいです。
ちなみに『古田家譜』とは、仙台藩伊達家着座古田家の略譜のことだそうです。

松屋家の茶会記『松屋会記』に
「通口ヨリ鎖ノ間ヘ出候、并書院、亭へ出候」
とあるそうで、遠州が住んでいた伏見奉行屋敷に
「長四畳台目」を造ったことがわかるみたいです。
今は現存しないとのこと。

「長四畳台目」というのは、
 ・四畳を横に細長く並べ、
 ・その中央側面に台目構えの点前座を配し、
 ・躙口を中ほどに造ることにより、
 ・左方に床と貴人座、
 ・右方に相伴席とし一室の中に取り込む
といった形のものだったそうです。

お茶の郷博物館には「縦目楼」という「長四畳台目」があるみたいで、
伏見奉行屋敷と、遠州と親交のあった松花堂相乗が住んでいた
石清水八幡宮滝本坊を合わせたものだそうです。
毎週火曜日が休館日で茶室「縦目楼」は9:30~16:00に営業中だそうです。

透木ってこんなの

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動画は、太い方、細い方、どちらも透木です。

■透木とは
透木(すきぎ)は、釜の羽根が炉壇や風炉の肩に掛かる場合に用いる、
拍子木形の木のことだそうです。
炉用の方が風炉用より少し大きいみたいです。

風炉では、夏の暑い時期、
炉では風炉にかわる前の温かくなってきた時期に、
炭火から釜を少しでも遠ざけ、通気を良くするために用いるようです。

古風の真の釜は、透木据えだったそうです。

好ものは、以下みたいです。
利休好:厚朴(ほお・こうぼく)
宗旦好:桐
竺叟宗室好:桜
円能斎宗室好:梅

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■透木の由来
透木は、敷木から転化した言葉だそうで、
風炉または炉に羽釜(はがま)を掛けるとき、
風炉または炉の縁に置く拍子木形の木片とのこと。
通風をよくするために、
風炉または炉と釜との間にすきま作るのが目的みたいです。

透木の用材は、利休形は厚い朴(ほお)、元伯形は桐のようです。

大きさは大小あるそうですが、通常サイズは、
炉用が長さ三寸九分、幅七分、厚さ四分、
風炉用が長さ三寸、巾六分五厘、厚さ三分八厘
になるみたいです。

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■透木の扱い
透木の扱いは、
まず、透木を炉壇叉は風炉の肩の左右の縁に置き、
これに釜の刃をのせるそうです。

五徳は必要がないので、とりのぞいておくとか。
炭手前は、本勝手の炭手前と変わりないようです。

釜にカンをかけて、釜敷を出し、釜をあげた後、
右手で右の炉壇の透木を取り、打ちかえして左掌にのせ、
ついで左の透木を取って、そのまま左掌の右の方の透木に重ね、
それを右手で重ねたまま持って、左手にもたせてカンの下座に置くみたいです。

釜を戻す時には、左手で透木を取り、
炉正面に向きなおり、右手で二ついっしょに打ちかえして、
右手で上のほうを炉壇の右に置き、
下の透木を打ちかえして左に置くようです。

ふたたび左ななめに釜の方に回り、
左手でカンを取り、釜にかけ、初めて上げた位置まで引き寄せ、
炉正面に向き直り、釜を炉にかければ、完了だそうです。

透木の扱いは風炉の季節にも行うようです。

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■透木釜に関して
透木の上に載せる透木釜は、
平たくて羽がついている形の釜で、
釜の羽を透木の上に乗せて釜を支えるようです。

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■透木に関する文献
稲垣休叟著『茶道筌蹄』に
「透木 利休形厚朴、元伯形桐、何れも炉風炉ともあり」
「ごう取手 百佗 千本松などの鐶を云ふ」
「端立 裏ごうにもちゆ、透木にかくるためなり」
「透木 庸軒このみのアラレの外イロリ透木カマ、
古作はこのみなし、原叟このみに乙御前あり」
とあるそうです。

宮崎幸麿著『茶道宝鑑』に
「透木 桐 ホウ。炉 長さ三寸九分、巾七分、厚さ四分。
風呂 長さ三寸、巾六分半、厚さ三分八リン」
とあるとか。

大津袋ってこんなの

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動画は、大津袋です。

大津袋(おおつぶくろ)は、棗を濃茶器として入れる袋で、
紫や茶の縮緬のものが多いそうです。
利休の妻宗恩が、大津から京都に米を運ぶ米袋の、
美しさに感じて考案したようです。

利休は棗を濃茶器として使っていたそうですが、
仕覆の代わりに何か入れるものをと考えた時、
この大津袋がとても具合がよかったという訳のだとか。

大津袋には、風炉と炉の点前があるそうです。

同じく、棗を濃茶器として用いる場合、
「包帛紗」があるのですが、
これは、帛紗で包んで仕覆の代わりとするみたいです。

違いは、包帛紗ではその帛紗を点前に用いるのに対し、
大津袋では仕覆とほぼ同様に扱うといったことだそうです。

大津袋の仕立てとしては、
北村徳斎の「徳斎」、
土田友湖の「友湖(ゆうこ)」、
龍村美術織物の「龍村」などがあるようです。
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■色紙点前
色紙点前は、淡々斎が、円能斎の好んだ御所籠を用いて、
創案した点前みたいです。

色紙点前の名の由来は、
四枚の古帛紗を最大限に活用し、
茶巾箱と古帛紗を置き合わせた道具の配置が、
ちょうど色紙を散らしたように見えるところ来ているそうです。

昭和18年5月、淡々斎と奈良の薬師寺の管長橋本凝胤が図って、
海軍省に50個余りの陣中茶箱を寄贈したそうです。

陣中茶箱の寸法は、利休形茶箱の小を用い、
茶碗は二碗を重ね、上の茶碗は赤膚焼きで富士山の絵が描かれ、
下の茶碗は美濃の笠原焼の黄瀬戸で、
見込に「慶溢万齢」と捺されていたようです。

そして、卯の花点を改良した「陣中点前」を考案し、
艦艇内では卓椅子にて、陸上においては野外で出来るよう工夫したそうです。

陣中茶箱を使用した色紙点前は、以下の手順で行うみたいです。

1.まず二碗の茶碗を入れ子にして重ね、間にへだてを入れる。
2.その茶碗を大の大津袋に入れて結び、籠の点前に入れる。
3.茶筅を茶筅筒に入れ、籠の右向こうに入れる。
4.茶巾を八つ折りにたたんで、茶巾箱に入れて袋に入れる。
5.茶筅筒の手前に入れる。
6.振出には金平糖・豆類の歌詞を入れる。
7.組み緒の網に入れて長緒結びに結び、籠の左向こうに仕組む。
8.四枚の古帛紗のうち、一枚は棗・茶杓を置くのに用いる。
9.一枚は、茶碗をのせて点茶に用いる。
10.残り二枚は茶碗を客に出すのに用いる。
11.四枚の古帛紗を重ね、ワサが上になるように茶碗を左方に入れておく。
12.茶杓は袋に入れて茶碗の上に斜めに伏せて置く。
13.帛紗をさばいて茶杓の上に置く。
14.籠の蓋をして打ち緒を結ぶ。

ちなみに、戦後になって、陣中点前に新しい工夫が加えられたのが
和敬点だそうです。
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ここでは、色紙点前の準備などに関して説明しようかと思います。

■御所籠の中に道具を仕組む
1.薄茶器に茶を入れ、茶碗二碗を入れ子に重ね、
 茶碗と茶碗の間には、へだてを入れておく。
2.薄茶器を仕覆に入れて茶碗に仕組み、
 それを大の大津袋に入れて、籠の中の手前に入れる。
3.振出は、中に金平糖や豆類等を入れ、
 組み緒の網に入れて長緒に結び、
 籠の中の左向こうに入れる。
4.茶筅を茶筅筒に入れて、籠の中の右向こうに入れ、
 茶巾箱を袋に入れて、茶筅筒と茶碗の入った大津袋との間に置く。
5.茶杓は袋に入れ、茶碗の上に伏せて載せ、
 帛紗を草に畳んで、茶杓の上に載せ、籠の蓋を閉めて、
 打ち紐を結んでおく。

■古帛紗について
古帛紗は、四枚用いるのですが、
一つ目は、金襴などの裂で、薄茶器・茶杓を載せるために使うそうです。
二つ目は、紫塩瀬で、点茶用として茶碗を載せるみたいです。
三つ目と四つ目は、同じ裂の緞子を用い、茶碗を客に出す時に使うようです。

一つ目~四つ目を順番に重ね合わせて、
籠の中で、左から順にワサが上になるようにして
茶碗の横に仕組むそうです。