「茶花」について

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利休七則には「花は野にあるやうに」とありますが、
武野紹鴎の時代には、炉の花として既に茶室にあったそうです。

直松斎春渓著『分類草人木』には寒菊、
山田宗偏著『茶道便蒙抄』には、
花の禁好・季節の花・菊などの、
記述があるみたいです。

禁花としては、
「香りが強い・悪い花」
「棘が多い花」
「名前が悪い・分からない花」
「強い赤色が炎・火災を連想させる花」
「季節感がない花」
「主張が強すぎる花」
「水揚げが良く、何日も日持ちする花」
が挙げられるようです。

立花実山著『南方録』に、
花入に生けない花の名前を詠んだ狂歌があるそうです。

「花入に 入ざる花はちんちやうげ
  みやましきみに けいとうの花」

「女郎花 ざくろ かうほね 金銭花 
  せんれい花をも 嫌なりけり」

また、古田織部の伝書にもあって
「夏は昼の会には是非に生花を生け」
とか
「花入大なるには花多生候」
とかあるようです。


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長次郎新選七種茶碗「風折(かざおれ)」

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長次郎写風折



長次郎新選七種茶碗は、
金森得水(紀州藩領伊勢田丸城家老)が、
長次郎七種(利休七種)にならい選定したものだとか。

「風折」とは、茶碗の姿が風折烏帽子(かざおりえぼし)と、
似ていることによる銘なんだとか。
内箱蓋表に元伯宗旦による書付「長二郎、かさ折」とあるそうです。

「風折」は、比較的厚手の穏やかな起伏をもたせた丸い口造りで、
胴に一か所大きな窪みを付けた作行に特色が見られるようです。

底部は平たく腰を張った姿で、
高台は大振りで、低く平らな畳付きを持ち、
高台内には兜巾を付けず浅く削り込まれているそうです。

見込みは、懐広く、黒釉はカセているが一様に溶け、
腰から底部にかけて、茶褐色の窯変が、
まだらな釉調を見せているのだとか。

利休 から 宗旦 に伝わり、高弟の山田宗偏に贈られたそうです。
現在、静嘉堂文庫蔵のようです。

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利休七種茶碗「早船(はやふね)」

Category: 茶碗


長次郎写早船


利休 が大阪で茶会を催す際、京都から、
わざわざ早船で運ばせてまでして取り寄せたことから、
この名がついたようです。

細川幽斎 や 古田重然 らが所望したのですが、
利休 の死後、結局は 蒲生氏郷 の手に渡ったとのこと。

本歌は継ぎが入っていて、
富士山みたいな釉薬の景色が入っているそうです。

ちなみに本歌とは、
茶道具や茶室などで同形同系統の、
起源または基準となる作品のことだとか。

畠山記念館蔵みたいです。


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利休七種茶碗「臨済(りんざい)」

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長次郎写臨済



口作りの曲線が、
京都の臨済五山を表しているようだ、
ということからこの名がついたようです。

底の部分に目跡あったそうです。

臨済は、伝来不詳とされていて、
本物は紛失しているとのこと。

五山というのは、
鎌倉末期頃:最初の五山選定
建武の新政時:京都中心の五山選定
南北朝時代:新たに京都に五山選定
室町時代:京都五山と鎌倉五山に分割
という流れがあったようで、
この「京都五山」が、
臨済の五山だと思われます。


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利休七種茶碗「検校(けんぎょう)」

Category: 茶碗


長次郎写検校


『茶話指月集』によると、
「このようなよい茶碗が
長次郎のもとに残っていたとは、
皆々検校殿よ」
と利休が言ったとか。

検校というのは、
元々は平安時代・鎌倉時代に置かれた
寺院や荘園の事務の監督役職名だったようですが、
室町時代以降、
盲官の最高位の名称として定着したそうです。

盲官というのは、
琵琶(びわ)・管弦・鍼(はり)・按摩(あんま)などを
業とした者に与えられた官名みたいです。

当道座(とうどうざ)というのがあり、
中世から近世にかけて存在した、
男性盲人の自治的互助組織のようで、
この階級は、最高位の「検校」から順に、
「別当」「勾当」「座頭」と呼ばれ、
それぞれ更に細分化して合計73個に分かれるのだとか。

本物の検校の茶碗は、現在、存滅不明だそうです。


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