筒茶碗と平茶碗ってこんなの

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■筒茶碗
筒茶碗を使った点前の特徴は、
茶筅通しと茶巾の使い方と、
左横に立てかけて茶杓・茶筅を仕込むことでしょうか。

茶筅通しの場合は、
お茶を点てるお仕舞いの茶筅通しの時、
茶碗をかたむけるそうです。

茶碗を拭くときも、
茶巾を人差し指と中指とではさむようにして、まず底を拭き、
茶碗のふちにかけて、いつものように三度半拭いたあと、
茶巾を茶碗からはなさず、下において、
茶巾をはなして、上部をすこし折って、釜の蓋の上に置くみたいです。

これは、いつもの茶碗の拭き方のように、縁から先に拭くと、
底を拭くとき、指や手先が、茶碗の内部にふれるからなんだそうです。

しぼり茶巾という扱いも特徴で、
茶巾を水屋でしぼったままの姿で茶碗に入れ、
釜の蓋をあけると、それを横一文字に蓋の上に仮置きして、
茶碗に湯を入れ、茶筅を茶碗に入れて、そのままにしておき、
茶巾をとって、いつものようにたたみ、蓋の上に置き、
茶筅通しをするそうです。

これは、筒茶碗は寒い時に使用するので、
茶巾をたたむあいだ、湯が入っているから、
茶碗が少しでも温まるのだとか。

利休百首22に
「筒茶碗深き底よりふき上がり 重ねて内へ手をやらぬもの」
とあるようです。

■平茶碗
平茶碗でお茶を点てると、
通常の茶碗に比べて空気に触れる面が広い為、
抹茶が冷めやすいみたいです。
そのため、夏の季節によく使われるようです。

■洗い茶巾
点前の中に「洗い茶巾」という、
酷暑の頃に行う薄茶点前の趣向があり、
そこでも、平茶碗を使い、
涼感を演出するようです。

平茶碗に、水を七分目ほど入れ、
茶巾の端と端との対角線を取って二つに折り、
その端を茶碗の右方に少し出して、
その上に茶筅を仕組むのだとか。

■例えばこんな平茶碗①
以下、写真がないので、説明だけになりますが、
「古唐津平茶碗」と、楽焼の「黒平茶碗 銘:落栗」について、
ちょっと説明しようかと思います。

「古唐津平茶碗」は、高さ5.2cm、口径14.3cmで、
17世紀初期の作品だそうです。

口縁部が、わずかに端反った平茶碗で、
高台は小さく竹の節で、
高台内は丸鉋で「の」の字状に深く削られているのだとか。

胴半ばまで長石釉が厚くかかり、
釉が一本高台際まで流れて景色となっているみたいです。

釉は酸化焔焼成により、赤褐色に発色しているそうです。

■例えばこんな平茶碗②
一入作「黒平茶碗 銘:落栗」は、
高さ7.0cm、口径13.4cmで、17世紀の作品みたいです。

一入は、京都の楽家四代で、朱釉(しゅゆう)を得意とし、
小ぶりの妙品に味わいをだしたそうです。

胴の半ばを締めた平茶碗で、
高台も全体ん委比べてかなり小振りで、
丸い畳付けや高台内の兜巾などに、
典型的な一入の作りが見られるようです。

釉は総体にかけられ、内側・外側には、
一入が得意とした朱釉が現われ、
おとなしい作風に、華やかさを添えているみたいです。

なお、骨董品の中でも、
特にファンの多い平茶碗の場合は、
多少傷がついてたり、箱がなくても、
価値がある場合もあるとか。

「茶碗」について

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赤楽茶碗


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茶碗(ちゃわん)は、もともと、
茶を入れて飲むための碗を指す語だそうです。

ただ、現代では広く陶磁器製の碗を指して用いられるとか。

茶道では、季節や趣向に応じて様々な茶碗を用ようで、
形も、平形・輪形(玉形)・半筒・端反・沓形
などがあるみたいです。

もともと中国生まれで、
奈良時代から平安時代にかけて日本に伝えられ、
鎌倉時代になると碗形の陶磁器の総称となったそうです。

江戸時代になると、抹茶茶碗の他に煎茶用の煎茶茶碗、
白湯・番茶用の湯呑茶碗、明治時代には磁器の飯茶碗なども
普及するようです。

茶人がその順位を示した言葉に
「一井戸、二楽、三唐津」「一楽、二萩、三唐津」
などと言われるみたいです。


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「利休七種茶碗」について

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長次郎写検校


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以下に、利休七種茶碗を簡単に説明します。

命銘の理由 備考
大黒(おおぐろ) 大ぶりな茶碗であるため。 黒楽茶碗。
旧鴻池家蔵、現在個人蔵、重要文化財。
別途「大黒」に関して記載しています。
東陽坊(とうようぼう) 利休の門弟、真如堂の僧(東陽坊)が所持していたため。 黒楽茶碗。
鳥取。重要文化財、個人蔵。
別途「東陽坊」に関して記載しています。
鉢開(はちびらき) 托鉢をするという意味。鉢開き。鉢開き坊主。 黒楽茶碗。
別途「鉢開」に関して記載しています。
木守(きまもり) 来年もよく実る様にという祈りをこめて、
わざと木に1つだけ残しておく果実から見立てて。
赤楽茶碗。一応現存。
六人の門弟達に好きな物をそれぞれ取らせたところ、
一個の茶碗が残ったという銘の由来のある茶碗だそうです。
晩秋の柿の木の話にちなんで
利休はこの茶碗に「木守」と銘うって、
ことのほか愛玩したみたいです。

官休庵三代目家元のころに、
仕えていた高松の松平候に献上され、
代々の家元襲名茶事の折のみ、松平候から拝借し、
茶事が終了すれば外箱を作り、
藩侯に返す慣わしになっていたそうです。

ところが大正8年、官休庵九代目が松平家から
この木守を拝借し茶事を終えたあと、
なぜか松平家に戻された木守は高松へは帰らず
東京のお屋敷に保管されたそうです。

このあと関東大震災で大災に遭い、
幸い形だけは残ったものの、
丹彩な赤楽釉は窯変してしまったとのこと。

残欠を集めて楽家の弘入・惺入が
二代にわたり修復したそうで、
これが、現存している「木守」なんだとか。

内箱に「真塗 金粉字形 千一翁宗守筆 
利休所持 木守茶碗」
外箱に「桐 春慶塗 金粉字形 筆者千文叔 木守 茶碗」
総箱に「桐 白木 新規」
表に「木守御茶碗」
裏に「一翁書付 文叔外箱書付」
とそれぞれあるそうです。

伝来は、
武者小路千家→真伯宗守
→高松侯松平讃岐守家
→松平頼寿邸にて焼失。

早舟(はやふね) 京から早舟で取り寄せたという逸話から。 赤楽茶碗。畠山美術館蔵。
別途「早舟」に関して記載しています。
臨済(りんざい) 山の形を連想(京都臨済宗の五山)を連想させるため。 赤楽茶碗。
別途「臨済」に関して記載しています。
検校(けんぎょう) 検校(盲目の僧侶の最上位)に因んで。 赤楽茶碗。
別途「検校」に関して記載しています。


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長次郎新選七種茶碗「風折(かざおれ)」

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長次郎写風折



長次郎新選七種茶碗は、
金森得水(紀州藩領伊勢田丸城家老)が、
長次郎七種(利休七種)にならい選定したものだとか。

「風折」とは、茶碗の姿が風折烏帽子(かざおりえぼし)と、
似ていることによる銘なんだとか。
内箱蓋表に元伯宗旦による書付「長二郎、かさ折」とあるそうです。

「風折」は、比較的厚手の穏やかな起伏をもたせた丸い口造りで、
胴に一か所大きな窪みを付けた作行に特色が見られるようです。

底部は平たく腰を張った姿で、
高台は大振りで、低く平らな畳付きを持ち、
高台内には兜巾を付けず浅く削り込まれているそうです。

見込みは、懐広く、黒釉はカセているが一様に溶け、
腰から底部にかけて、茶褐色の窯変が、
まだらな釉調を見せているのだとか。

利休 から 宗旦 に伝わり、高弟の山田宗偏に贈られたそうです。
現在、静嘉堂文庫蔵のようです。

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利休七種茶碗「早船(はやふね)」

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長次郎写早船


利休 が大阪で茶会を催す際、京都から、
わざわざ早船で運ばせてまでして取り寄せたことから、
この名がついたようです。

細川幽斎 や 古田重然 らが所望したのですが、
利休 の死後、結局は 蒲生氏郷 の手に渡ったとのこと。

本歌は継ぎが入っていて、
富士山みたいな釉薬の景色が入っているそうです。

ちなみに本歌とは、
茶道具や茶室などで同形同系統の、
起源または基準となる作品のことだとか。

畠山記念館蔵みたいです。


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