動画は、大津袋です。
大津袋(おおつぶくろ)は、棗を濃茶器として入れる袋で、
紫や茶の縮緬のものが多いそうです。
利休の妻宗恩が、大津から京都に米を運ぶ米袋の、
美しさに感じて考案したようです。
利休は棗を濃茶器として使っていたそうですが、
仕覆の代わりに何か入れるものをと考えた時、
この大津袋がとても具合がよかったという訳のだとか。
大津袋には、風炉と炉の点前があるそうです。
同じく、棗を濃茶器として用いる場合、
「包帛紗」があるのですが、
これは、帛紗で包んで仕覆の代わりとするみたいです。
違いは、包帛紗ではその帛紗を点前に用いるのに対し、
大津袋では仕覆とほぼ同様に扱うといったことだそうです。
大津袋の仕立てとしては、
北村徳斎の「徳斎」、
土田友湖の「友湖(ゆうこ)」、
龍村美術織物の「龍村」などがあるようです。
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■色紙点前
色紙点前は、淡々斎が、円能斎の好んだ御所籠を用いて、
創案した点前みたいです。
色紙点前の名の由来は、
四枚の古帛紗を最大限に活用し、
茶巾箱と古帛紗を置き合わせた道具の配置が、
ちょうど色紙を散らしたように見えるところ来ているそうです。
昭和18年5月、淡々斎と奈良の薬師寺の管長橋本凝胤が図って、
海軍省に50個余りの陣中茶箱を寄贈したそうです。
陣中茶箱の寸法は、利休形茶箱の小を用い、
茶碗は二碗を重ね、上の茶碗は赤膚焼きで富士山の絵が描かれ、
下の茶碗は美濃の笠原焼の黄瀬戸で、
見込に「慶溢万齢」と捺されていたようです。
そして、卯の花点を改良した「陣中点前」を考案し、
艦艇内では卓椅子にて、陸上においては野外で出来るよう工夫したそうです。
陣中茶箱を使用した色紙点前は、以下の手順で行うみたいです。
1.まず二碗の茶碗を入れ子にして重ね、間にへだてを入れる。
2.その茶碗を大の大津袋に入れて結び、籠の点前に入れる。
3.茶筅を茶筅筒に入れ、籠の右向こうに入れる。
4.茶巾を八つ折りにたたんで、茶巾箱に入れて袋に入れる。
5.茶筅筒の手前に入れる。
6.振出には金平糖・豆類の歌詞を入れる。
7.組み緒の網に入れて長緒結びに結び、籠の左向こうに仕組む。
8.四枚の古帛紗のうち、一枚は棗・茶杓を置くのに用いる。
9.一枚は、茶碗をのせて点茶に用いる。
10.残り二枚は茶碗を客に出すのに用いる。
11.四枚の古帛紗を重ね、ワサが上になるように茶碗を左方に入れておく。
12.茶杓は袋に入れて茶碗の上に斜めに伏せて置く。
13.帛紗をさばいて茶杓の上に置く。
14.籠の蓋をして打ち緒を結ぶ。
ちなみに、戦後になって、陣中点前に新しい工夫が加えられたのが
和敬点だそうです。
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ここでは、色紙点前の準備などに関して説明しようかと思います。
■御所籠の中に道具を仕組む
1.薄茶器に茶を入れ、茶碗二碗を入れ子に重ね、
茶碗と茶碗の間には、へだてを入れておく。
2.薄茶器を仕覆に入れて茶碗に仕組み、
それを大の大津袋に入れて、籠の中の手前に入れる。
3.振出は、中に金平糖や豆類等を入れ、
組み緒の網に入れて長緒に結び、
籠の中の左向こうに入れる。
4.茶筅を茶筅筒に入れて、籠の中の右向こうに入れ、
茶巾箱を袋に入れて、茶筅筒と茶碗の入った大津袋との間に置く。
5.茶杓は袋に入れ、茶碗の上に伏せて載せ、
帛紗を草に畳んで、茶杓の上に載せ、籠の蓋を閉めて、
打ち紐を結んでおく。
■古帛紗について
古帛紗は、四枚用いるのですが、
一つ目は、金襴などの裂で、薄茶器・茶杓を載せるために使うそうです。
二つ目は、紫塩瀬で、点茶用として茶碗を載せるみたいです。
三つ目と四つ目は、同じ裂の緞子を用い、茶碗を客に出す時に使うようです。
一つ目~四つ目を順番に重ね合わせて、
籠の中で、左から順にワサが上になるようにして
茶碗の横に仕組むそうです。