大津袋ってこんなの

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動画は、大津袋です。

大津袋(おおつぶくろ)は、棗を濃茶器として入れる袋で、
紫や茶の縮緬のものが多いそうです。
利休の妻宗恩が、大津から京都に米を運ぶ米袋の、
美しさに感じて考案したようです。

利休は棗を濃茶器として使っていたそうですが、
仕覆の代わりに何か入れるものをと考えた時、
この大津袋がとても具合がよかったという訳のだとか。

大津袋には、風炉と炉の点前があるそうです。

同じく、棗を濃茶器として用いる場合、
「包帛紗」があるのですが、
これは、帛紗で包んで仕覆の代わりとするみたいです。

違いは、包帛紗ではその帛紗を点前に用いるのに対し、
大津袋では仕覆とほぼ同様に扱うといったことだそうです。

大津袋の仕立てとしては、
北村徳斎の「徳斎」、
土田友湖の「友湖(ゆうこ)」、
龍村美術織物の「龍村」などがあるようです。
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■色紙点前
色紙点前は、淡々斎が、円能斎の好んだ御所籠を用いて、
創案した点前みたいです。

色紙点前の名の由来は、
四枚の古帛紗を最大限に活用し、
茶巾箱と古帛紗を置き合わせた道具の配置が、
ちょうど色紙を散らしたように見えるところ来ているそうです。

昭和18年5月、淡々斎と奈良の薬師寺の管長橋本凝胤が図って、
海軍省に50個余りの陣中茶箱を寄贈したそうです。

陣中茶箱の寸法は、利休形茶箱の小を用い、
茶碗は二碗を重ね、上の茶碗は赤膚焼きで富士山の絵が描かれ、
下の茶碗は美濃の笠原焼の黄瀬戸で、
見込に「慶溢万齢」と捺されていたようです。

そして、卯の花点を改良した「陣中点前」を考案し、
艦艇内では卓椅子にて、陸上においては野外で出来るよう工夫したそうです。

陣中茶箱を使用した色紙点前は、以下の手順で行うみたいです。

1.まず二碗の茶碗を入れ子にして重ね、間にへだてを入れる。
2.その茶碗を大の大津袋に入れて結び、籠の点前に入れる。
3.茶筅を茶筅筒に入れ、籠の右向こうに入れる。
4.茶巾を八つ折りにたたんで、茶巾箱に入れて袋に入れる。
5.茶筅筒の手前に入れる。
6.振出には金平糖・豆類の歌詞を入れる。
7.組み緒の網に入れて長緒結びに結び、籠の左向こうに仕組む。
8.四枚の古帛紗のうち、一枚は棗・茶杓を置くのに用いる。
9.一枚は、茶碗をのせて点茶に用いる。
10.残り二枚は茶碗を客に出すのに用いる。
11.四枚の古帛紗を重ね、ワサが上になるように茶碗を左方に入れておく。
12.茶杓は袋に入れて茶碗の上に斜めに伏せて置く。
13.帛紗をさばいて茶杓の上に置く。
14.籠の蓋をして打ち緒を結ぶ。

ちなみに、戦後になって、陣中点前に新しい工夫が加えられたのが
和敬点だそうです。
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ここでは、色紙点前の準備などに関して説明しようかと思います。

■御所籠の中に道具を仕組む
1.薄茶器に茶を入れ、茶碗二碗を入れ子に重ね、
 茶碗と茶碗の間には、へだてを入れておく。
2.薄茶器を仕覆に入れて茶碗に仕組み、
 それを大の大津袋に入れて、籠の中の手前に入れる。
3.振出は、中に金平糖や豆類等を入れ、
 組み緒の網に入れて長緒に結び、
 籠の中の左向こうに入れる。
4.茶筅を茶筅筒に入れて、籠の中の右向こうに入れ、
 茶巾箱を袋に入れて、茶筅筒と茶碗の入った大津袋との間に置く。
5.茶杓は袋に入れ、茶碗の上に伏せて載せ、
 帛紗を草に畳んで、茶杓の上に載せ、籠の蓋を閉めて、
 打ち紐を結んでおく。

■古帛紗について
古帛紗は、四枚用いるのですが、
一つ目は、金襴などの裂で、薄茶器・茶杓を載せるために使うそうです。
二つ目は、紫塩瀬で、点茶用として茶碗を載せるみたいです。
三つ目と四つ目は、同じ裂の緞子を用い、茶碗を客に出す時に使うようです。

一つ目~四つ目を順番に重ね合わせて、
籠の中で、左から順にワサが上になるようにして
茶碗の横に仕組むそうです。

四季の歌の色紙ってこんなの

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動画の色紙は、西部文浄老師の書かれた四季の歌の色紙です。

四季の歌は、
春が
「おほかたに 春のきぬればはる霞 四方の山辺に たちみちにけり」
源 実朝(金槐和歌)

夏 が「夏ころも たちしときよりあしびきの 山時鳥 なかぬ日ぞなき」
源 実朝(金槐和歌)

秋 が「みわたせば 花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮」
藤原 定家(新古今和歌)

冬 が「冬ごもり おもひかけぬを木の間より 花とみるまで 雪ぞふりける」
紀 貫之(古今和歌)

となるそうです。
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西部文浄(にしべぶんじょう)老師は、
大正14年生で、東福寺塔頭同聚院の前住職です。
平成6年に亡くなられています。

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■色紙とは
色紙は、和歌・俳句・書画などを書く、方形の料紙のことだそうです。

色紙という名前は、元来は染色した紙のことを言ったようです。
詩歌などを書く料紙としては、
屏風や障子などに詩歌などを書き入れるために染色した紙を押し、
これを色紙形と呼んだことに由来するのだとか。

色紙の寸法は「大:縦×横=六寸四分×五寸六分」「小:縦×横=六寸×五寸三分」
の二種があるようで、これに準じた方形の料紙も総称して色紙と言うみたいです。

色紙として最も古いものとしては、藤原定家筆と伝える小倉色紙で、
小倉百人一首として有名なのだとか。

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■小倉色紙(小倉百人一首)
鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、
藤原定家が作成した色紙で、成立当時は、
「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」と呼ばれたそうです。
後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、
「小倉百人一首」という通称が定着したとか。

高砂の 尾上の桜 咲きにけり
 外山の霞 立たずもあらなむ

小倉色紙「たかさこの」は、天文24年(1555年)、武野紹鴎が茶会に用い、
初めて茶席の掛け物とされた和歌として特筆されたようです。
この幅には、千利休の消息が添い、
利休は、この幅を借用して茶会に用い、大いに面目をほどこしたのだとか。

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■書画用の色紙
色紙は、古くから短冊と同様に書道作品に用いられ、
絵画作品にも多く用いられたそうです。

近現代では著名人のサインや寄せ書きにも用いられ「サイン色紙」と言うみたいです。

また色紙という語は「短冊形」に対する「色紙形」の略語としても用いられるようです。

書画用の色紙は正方形に近い形の厚紙でできていて、
金縁が施され、片面には金粉や銀粉などを散りばめられているものも多いとか。

なお、色紙は本来、金粉や銀粉などが散りばめられているほうが表面だそうですが、
書画やサインなどは、謙遜の意味であえて裏面の白いほうが用いられるといわれているようです。

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■文献
1734年刊『本朝世事談綺』に
「色紙短尺の寸法は三光院殿よりはじまる御説、
大は堅六寸四分、小は堅六寸、横大小共に五寸六分」
とあるとか。

1777年刊『紙譜』に
「色紙大小あり、縦大六寸四分、小六寸、横大五寸六分、小五寸三分」
とあるそうです。

『今井宗久茶湯日記書抜』に
「天文二十四年十月二日 紹鴎老御会 宗久 宗二
一 イロリ 細クサリ 小霰釜、水二升余入、ツリテ、
一 床 定家色紙、天ノ原、下絵に月を絵(書)ク、手水ノ間に巻テ、
一 槌ノ花入 紫銅無紋、四方盆ニ、水仙生テ、
一 円座カタツキ、水サシ イモカシラ 
一 シノ 茶ワン 備前メンツウ」
とあるみたいです。

聞香炉ってこんなの

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動画では、聞香炉(もんこうろ)と聞香(ききこう)の読み方が、混ざってしまいました。

聞香炉(もんこうろ)は、香りを焚いてその香りを聞く「聞香(ききこう)」に用いる香炉だそうです。
茶席でも、七事式の且座之式・唱和之式・仙遊之式・三友之式・
香付花月などに用いるとか。

聞香炉を準備する場合は、灰を押切にするそうです。
大切なのは、香炭団(こうたどん)が消えないようにすることなのだとか。
風炉灰を温めておき、底からよくかき混ぜて、空気を含ませるみたいです。

香を焚く際は、頂上に銀葉をのせるので、
香炭団は真直ぐ立てて埋めるようです。
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■香炉とは
香炉(こうろ)とは、固体状の香料を加熱し、
香気成分を発散させる目的で用いる器だそうです。

上面または側面に大きく開口した筒・椀・箱・皿状の容器で、
床や机との接触を避ける目的から、ほとんどのものが脚を備えているみたいです。
また、持ち運べるように柄のついた「柄香炉」もあるみたいです。

穴の空いた蓋(火屋)を備えたものも存在するみたいですが、
茶道や香道で用いる「聞香炉(もんこうろ)」は、蓋を持たないようです。

茶道で用いる香炉は、原則として足一つを正面にして荘るそうです。
模様や釉がかりに景色がある場合には、その部分のある足を正面にするとか。
また、蓋の摘みに、動物などがついている場合には、
その面(おもて)が正面になるように扱うようです。

材質は、通常、陶磁器や金属・石材などみたいですが、
仏前または葬儀での焼香には、漆器やプラスチックの外枠に、
焼香用の香と香炉を備えた長方形の「角香炉」が用いられることもあるとか。

日本の仏具において灯明(燭台)・花瓶(花立て)とともに、
三具足(五具足)のひとつとされるようです。

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■日本での香炉の歴史
8代将軍足利義政の時代、青磁や銅で出来た香炉が中国から伝来し、
香炉の形や使われ方が、現代の香炉のそれに繋がってきたようです。

もとは仏や菩薩の供養のために香を焚く仏具だったみたいですが、
床の間や書院の荘りとして用いられるようになったとか。

室町時代に始まる「聞香(もんこう)」は、
当時から蓋のない香炉が使われたみたいです。

桃山時代になると、侘び寂びの茶道が発展し、
「香炉」はあまり使われなくなったそうです。

江戸時代に入り、特に武家の茶道が発達するとともに「香炉」が復活し、
これが上流商家にも使われるようなるとか。

江戸中期から後期にかけて商家の勢いが増し、
明治維新とともに中流階層の数が爆発的に増えると、
床の間を飾る「香炉」の生産が各生産地で増えて現在に至っているそうです。

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■空焚香炉(そらだきこうろ)
空焚香炉は、掛物に神号や仏号、画像などを掛けたときに、
その前で香を焚くために用いる香炉だそうです。

古くから伝わる炊き方で、
香木・練香・印香をたいて部屋に香りを漂わせるみたいです。

畳床に荘るには、香炉ををのせる卓(じょく)が必要となるようです。
これは、中央卓・春日卓・冠卓などのほか、
卓を略して丸盆や丸香台、薄板にのせる場合もあるとか。

板床の場合は、卓や台は用いないみたいです。

空焚香炉には、以下のようなものがあるようです。

種類 備考
袴腰(はかまごし) 人が袴を付けた様に見えることからの名称。
千鳥(ちどり) 底の高台が大きく、周囲の三本の足が浮き上がったもの。
切立(きったち) 筒型のもの。
一重口(ひとえぐち) 切立てたままの口造りのもの。
阿古陀(あこだ) カボチャの一種の阿古陀瓜に形が似ていることからの名称。
獅子(しし) 獅子に似せた形の香炉。
舟(ふね) 舟に似せた形の香炉。

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■袖香炉(そでこうろ)
衣服に香を焚きしめるために用いられる、
携帯用の丸い香炉みたいです。
袖炉(しゅうろ)とも言うそうです。

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■アロマテラピー(アロマセラピー)
花や木など植物に由来する芳香成分(精油)を用いて、
心身の健康や美容を増進する技術もしくは行為のことだそうです。
また、お香やフレグランス・キャンドルも含め、
生活に自然の香りを取り入れてストレスを解消したり、
心身をリラックスさせることも含めて呼ぶ場合も多いとか。

香りに関しては、5000年以上前から使われていたようですが、
アロマテラピーの原型と言えるのは、
ペルシアのイブン・スィーナーが、
蒸留による精油の製法を確立し医学に応用したのが始まりみたいです。

このアロマテラピーで香りを出すのに使われる道具は、
アロマディフューザー:精油を微粒子化して拡散させる方式、
 または、水と精油を超音波でミスト化して拡散させる方式。
アロマランプ:電球やヒーターなど電気の熱で精油を温める方式。
アロマライト:電気や電池方式。
アロマポット:キャンドル方式。
などがあるようです。
香炉に近いのは、アロマポットでしょうか。

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■振り香炉(ふりこうろ)
振り香炉は、キリスト教の礼拝に用いられる香炉だそうです。

金属製の鎖によって吊り下げられた金属製の香炉で、
鈴が鎖に付けられている事が多いとか。

振り香炉が振られる際に発せられる鈴の音は、参祷者に祈りを促すとともに、
聖堂において炉儀(ろぎ)が行われている事を、
聖堂内の信徒に知らせる働きを持つようです。

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■火取り香炉
香道の香席に、熾した炭を持って行くのに用いる容器みたいです。
火屋をかぶせた香炉に似ているそうですが、
これで香を焚くことはないとか。

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■茶香炉
1997年、愛知県半田市に本社を置く愛知化学陶磁器が、
アロマテラピーで用いるアロマポットにヒントを得て
商品化したものに「茶香炉」があるそうです。

2001年に全国地場産業優秀技術・
製品表彰の最優秀賞「中小企業庁長官賞(地場産大賞)」を獲得したことから、
広く知られるようになったとか。

アロマポットより高い温度で茶葉を焚き、
使用済みの茶葉は焙じ茶として用いることができるみたいです。
茶葉の代わりに、コーヒー豆などを用いて香りを聞くこともできるとか。

現在は、全国で生産されているそうで、
焼〆三角柄・焼〆丸柄・石風角形などの他、
かわいいフクロウのついたものまで、形も様々みたいです。
材質も、備前・常滑などの陶器の他、ガラス製もあるようです。

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■千鳥の香炉
久須見疎安著『茶話指月集』に、以下の話があるそうです。

利休は過分の領地を拝領して、家も豊かでありましたから、
ある年、連歌師の宗祇が所持していた「千鳥の香炉」を
千貫文で買い求めました。

しばらくした頃、香炉を畳に置いて眺めていると、妻の宗恩が、
「私にも拝見させてください。」
と言って。しばらく眺めてから、
「足が一分(約3mm)ほど高くて、恰好が悪いので切ったらいかがでしょう。」
と言いました。利休も
「私も先ほどからそう思っていた。玉屋を呼びなさい。」
と言って、ついに一分だけ足を切らせました。

この宗恩は、茶の湯の作意にすぐれていて、
昔は短檠に取手の穴がなかったのを、
はじめて開けさせた人です。

重香合ってこんなの

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重香合(じゅうこうごう)は、銀葉などを入れる三重の箱で、
茶道では、塗物の丸形三つ重ねとなったものみたいです。

上段に香を包んだ香包、
中段に銀葉をそれぞれ入れ、
下段は香の焚きがらを入れるようです。

香盆に置く場合、
香盆の右に重香合、左に聞香炉、
香盆の中央に銀葉挟を横一文字にして置き、
香箸を縁にかけてのせるみたいです。

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香(こう)というと、本来は「伽羅」「沈香」「白檀」などの天然香木の香りを指すそうです。
そこから「線香」「焼香」「抹香」「塗香」などの香り、またこれらの総称として用いられるみたいです。

仏教では、香を焚くと不浄を払い心識を清浄にするそうで、
仏前で香を焚き、花や灯明とともに仏前に供するようです。
ここから「香華を手向ける」という言葉があるとか。

茶道では、炭点前などで使用するほか、七事式の且座之式のように、
「香りを聞く」こともあるようです。
風炉の場合は香木、炉の場合は練香を使用するみたいです。

ここでは「香の歴史」「香道」「香道で使う道具」「且座之式」の順に
説明していこうと思います。

■香の歴史
香の歴史はかなり古く、紀元前3000年前のメソポタミア文明のころまで遡るそうです。
種類も多く、白檀、丁香などの「樹木の皮・葉・根などの粉末」や、
乳香、安息香などの「芳香のある樹脂」、
麝香、竜涎香などの「動物性のもの」があるそうで、
ふつう「香木(明香)」と「練香(煉香・合香)」とに分けられるみたいです。

また、使用方法の違いで、焚いて使用する香「焼香」と、
焚かずに体に塗る香「塗香」に分けられるようです。

日本書紀によると、香木は595年に淡路島に漂着したそうです。
その後、宗教、主として仏教の儀礼で香木が焚かれるようです。

平安時代になると、宗教儀礼を離れて、香りを聞いて鑑賞するようになり、
薫物合せ(たきものあわせ)などの宮廷遊戯が行われたのだとか。

室町時代の東山文化の頃、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に、
香道の作法も整い、現在の形に近いものになったそうです。
また、香を茶道にも取り入れ、書院の床の正面に香炉を飾って、
香をたくようになったみたいです。
当時、香合は香炉の脇役だったとのこと。
この頃の香合の素材は、金器・銀器・漆器・木彫・古代蒔絵などが好まれたそうです。

桃山時代になり、陶磁器製の香合が使用され始めるそうです。
利休が楽焼の香合を作らせたのが焼物香合のはじまりなんだとか。
やがて、織部焼・野焼・瀬戸焼・備前焼・唐津焼などの国焼物の香合がでてくるみたいです。

江戸時代初期になると、外国製品尊重の思想から、
中国の古染付・祥瑞・青磁・交趾焼等の形物香合が主流となるようです。

香合については、別ページで説明しています。

香木の分類法である「六国五味(りっこくごみ)」などは、
室町時代頃に体系化されたようです。

六国五味というのは、香木の香質を味覚にたとえて、
辛・甘・酸・鹹(しおからい)・苦の五種類に分類する「五味」と、
その含有樹脂の質と量の違いを六種類に分類する「六国」のことを指すそうです。

六国五味の詳細は以下のようになるみたいです。

木所 読み方 原産国 五味
伽羅 きゃら ベトナム
羅国 らこく タイ
真那伽 まなか マラッカ 無味
真南蛮 まなばん マナンバール
佐曾羅 さそら サッソール
寸聞多羅 すも(ん)たら スマトラ

■香道
香りを楽しみ、日常を離れた集中と静寂の世界に遊ぶことを目的としたもので、
香木の香りを聞き、鑑賞する「聞香(もんこう)」と、
香りを聞き分ける「組香(くみこう)」の二つが主な要素だそうです。

香木の焚き方は、以下の手順だそうです。
1.聞香炉に灰と、おこした炭団(たどん)を入れ、灰を形作る。
2.灰形の上に、銀葉という雲母の板をのせる。
3.数ミリ角に薄く切った香木を熱し、香りを発散させる。
4.銀葉を灰の上で押すことにより、銀葉と炭団の位置を調節する。
 これにより伝わる熱を調節し、香りの発散の度合いを決める。

香道には、古くから香に関する訓や効用を記した「香十徳」というのがあるそうです。

徳の名称 読み 意味
感格鬼神 感は鬼神に格(いた)る 感覚が鬼や神のように研ぎ澄まされる
清淨心身 心身を清浄にす 心身を清く浄化する
能除汚穢 よく汚穢(おわい)を除く 穢(けが)れをとりのぞく
能覺睡眠 よく睡眠を覚ます 眠気を覚ます
静中成友 静中に友と成る 孤独感を拭う
塵裏偸閑 塵裏に閑(ひま)をぬすむ 忙しいときも和ませる
多而不厭 多くして厭(いと)わず 多くあっても邪魔にならない
寡而為足 少なくて足れりと為す 少なくても十分香りを放つ
久蔵不朽 久しく蔵(たくわ)えて朽ちず 長い間保存しても朽ちない
常用無障 常に用いて障(さわり)無し 常用しても無害

■香道で使う道具
香道で使う道具は、以下のものだそうです。
ちなみに茶道では「香合」を使用するなど、道具組みが少し違うようです。

香炉:聞香炉、火取り香炉
七つ道具:銀葉挟、きょうじ、香匙、鶯、羽箒、こじ、灰押
盆・箱など:四方盆、乱箱、志野袋、長盆、重香合、総包
そのほか:地敷、香盤、銀葉、名乗紙、香包

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■且座之式
七事式の且座之式(しゃざのしき)について簡単に説明してみます。

これは、本来五人で行う儀式で、
「東(とう)」「半東(はんとう)」「炭」「花」「香」の役割があり、
その役は、その時引いたくじで決めるのだそうです。

亭主を「東(とう)」、亭主の補助役を「半東(はんとう)」、客は三人。
それぞれ、
次客→花をいける
三客→炭をつぐ(初炭点前)
正客→香をたく
東→濃茶を点てる
半東→東のために薄茶を点てる
となるみたいです。

花をいける→炭をつぐ→香をたく→濃茶→薄茶
という感じでなるでしょうか。
結局、一人だけお茶を飲めない人が出るのですが、誰でしょう?

オランダ皆具ってこんなの

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■オランダとは
オランダ皆具(かいぐ)などの「オランダ」は、
純粋に「オランダ」と調べても「デルフト焼かな」
といったことしかわかりませんでした。

そこで、勝手に考察した結果、
「マイセン陶で開発された中国風の陶器に、
 伊万里風の絵柄をつけた、
 オランダで作られた陶器(デルフト陶器)のこと」
ではないかと考えました。

少なくとも江戸時代以降に、
「マイセン+最初の和蘭陀=オランダ製の陶磁器」
そして、
「お茶+オランダ製の陶磁器=オランダ皆具」
となっていったのではないかと。

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■デルフト焼きとは
オランダのデルフトおよびその近辺で、16世紀から生産されている陶器で、
白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされるのだとか。

陶都デルフトでは、高価な舶来品である東洋磁器の形や装飾を陶器で
 模倣することに着目するそうです。
中国明時代の染付(そめつけ)や柿右衛門などを模倣した陶器は、
ヨーロッパ各地で絶大な人気を博し、
近隣の他の窯でもこれを実践するようになると、
以後オランダで焼かれる陶器はすべてデルフト焼と呼ばれるようになるみたいです。

■デルフト焼の歴史
デルフト焼は、1640年~1740年に生産がもっとも盛んだったそうです。

17世紀初頭の中国磁器が、オランダ東インド会社によって、
オランダに大量に輸入されていたみたいですが、
1620年に明の万暦帝が死去すると、
中国磁器のヨーロッパへの輸入が途絶えるそうです。

その後、オランダでは、中国磁器の優れた品質と精密な絵付けを、
模倣するようになるみたいです。

1654年のデルフトで、弾薬庫に保管されていた火薬が大爆発を起こし、
多数の醸造所が甚大な被害を被ったようです。
これによりデルフトの醸造産業は衰退し、
広い醸造所跡地を広い工房が必要だった陶芸職人が買い取ったのだとか。

1750年以降のデルフト陶器は衰退するようです。
「巧妙だが繊弱な絵付けがなされている。
風合いにも独創性にも欠けており、
18世紀終わりからのデルフト陶器産業は、
残念なことに衰退の一途をたどった。」
とのこと。

現在、スズ釉薬を用いたデルフト陶器を生産しているのは、
王立ティヒラー・マッカム工房だけみたいです。

1512年 アントウェルペンのグイド・ダ・サヴィーノが
 スズ釉薬で絵付けされた陶器を最初に制作した。
1560年代 オランダ南部からオランダ北部へと広まっていった。
1570年代 ミデルブルフやハールレムで陶器の製造開始。
1580年代 アムステルダムで陶器の製造開始。
1602年 オランダ東インド会社設立。
1609年 オランダと日本の交易開始。
1610年~1640年 10名の陶芸職人がマスターとして登録される。
1640年頃 個人のモノグラムや工房の意匠に、デルフト陶器が使用される。
1647年 柿右衛門が赤絵に成功。
1651年~1660年 9名の陶芸職人がマスターとして登録される。
1669年 オランダ東インド会社が有田に磁器を大量注文。
1677年 デルフトのA・デ・ミルデが赤色炻器を完成。
1700年頃 3回の低温焼成の工程が必要とされる、
 スズ釉薬の上にエナメル顔料を用いた絵付けをする工房が出てくる。

■デルフト焼の特徴
デルフト焼といえば、デルフトブルーだそうです。
オランダのデルフト陶器にちなんだ、
濃く鮮やかな青を指す言葉なのだとか。

中国の陶磁器を真似た青色で、
通常の磁土で作られていたわけではなく、
焼いたあとにスズのグレーズでコートしたものなのだそうです。
そのためデルフト焼は、陶磁器ではなく「陶器」と呼ばれるようです。

国の陶磁器はヨーロッパにとってあこがれの存在だったようで、
特に陶磁器をチャイナと呼んだそうです。

陶器と磁器の違いは、原料となる粘土の違いみたいです。
つまり、陶器はカオリンを含まない粘土(土質)を、
低温で焼いて作られるのに対し、
磁器は石質即ち長石が主成分を成している磁土を、
高温で焼き使うのが大きな特徴です。

また、肥前国有田で焼かれた伊万里焼が珍重され、
オランダ・デルフト市の陶器デルフト焼の文様には、
伊万里の染付磁器の影響も見られるそうです。

■その他
オランダのマウリッツハウス美術館に
「デルフトの眺望」という、
フェルメールの代表的風景画があります。