阿古陀の茶器ってこんなの

Category: 薄茶器


阿古陀(あこだ)は瓜の名前だそうです。

瓜の如く、丸胴の肩から裾にかけて、数条の堅筋が入っているもの。
多くは溜塗で、小さな摘みの木地蓋がついている。
始め如心斎の好みだそうです。

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■如心斎宗左
如心斎は、表千家の第七代家元だそうです。
第六代家元の覚々斎の長男として生まれ、家元制度の基礎を築き、
七事式を制定するなど、茶道人口増大の時代に対応する茶の湯を、
模索した人みたいです。

千家茶道中興の祖ともいわれ、千利休以来の千家の道具や記録類を整理したことそうです。

実弟である裏千家八代一燈宗室や、
高弟である川上不白らと共に時代に即した茶風を創り出した家元として名高いとか。

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■新たな茶風
如心斎らの「新たな茶風」というのは、
茶の湯に自由闊達な気風が吹き込まれたことだそうです。

茶室は利休・宗旦のような極小茶室から改築・拡張されていき、
茶道具もそれまでの侘びた目に立たないものから、
華やかな蒔絵の棗など、派手で目立つものになって行くそうです。

この第七代如心斎らが行った組織改革は、
後世に千家流茶道を伝える基盤整備である一方で、
単なる指導方法の変更のみならず、
小規模空間で小人数をもてなすわび茶の世界を大きく変えていくことになるようです。

第八代卒啄斎のとき天明8年(1788年)の大火により、
表裏両千家は伝来の道具のみを残して数々の茶室はすべて焼失してしまったそうですが、
翌年までに速やかに再建され、利休居士二百回忌の茶事を盛大に催したそうです。

こうした復興が可能だったのは、如心斎らによる「家元制度の整備」によるところが大きい
と考えられるのだとか。

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■表千家の名の由来
表千家は、千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家で、
宗家は京都市上京区小川通寺之内通上ルにあるそうです。

表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)の号の由来は
「不審花開今日春」の語に由来しており、財団法人不審菴が管理しているとか。

「表千家の名」は、茶室『不審庵』が通りの表にあることに由来しているそうです。

本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、
「今日庵」が表通りの不審菴の裏にあることに由来するとか。

裏千家の宗家の住所は、表千家と隣接した京都市上京区小川寺之内上ルにあるそうです。

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